■御土器
▲home 


御土器

 上の写真は、団長が偶然手に入れた物です。箱書きにもあるように「御土器」といいます。土師質で、直径16.5センチ、高さ2.5センチ。皿の内側には菊の紋章が押されています。これは明治天皇の東幸に関わる史料です。

 江戸幕府が大政を奉還し、1868年(慶応4年=明治元年)7月17日、江戸が東京と改められ、9月には天皇は東京へ向けて出発します。
 東京から帰った天皇は、1869年(明治2)正月10日、酒237石余、するめ118500余枚などあわせて金4266両余を、京都町民の慰撫のために下賜されました。3月2日には、下賜された酒杯(御土器)を町ごとに領布して、太政官と京都府は京都町民のさらなる慰撫につとめました。上の写真の「御土器」とはこの時に町ごとに配られたものです。天皇から下賜された酒肴はありがたかったでしょうけれど、この御土器を手にして京都の行く末を思った町民たちの気持ちは複雑だったに違いありません。
 町民の反対運動も虚しく、1869年(明治2)3月、事実上の東京遷都がおこなわれました。 市民は落胆し、33万人の人口は23万人に激減してしまいます。京都にとって最大の危機ではありましたが、その後の京都は、不死鳥のごとくよみがえります。2代目知事槙村正直、三代目知事北垣国道らは次々と新しい政策を打ち出し、常に先進的な都市であり続けることに成功しました。

*この記事を更新後、京都市学校歴史博物館の常設展示にも、御土器が展示されているとの情報をメールでいただきました。さっそく見に行ってきたところ、入ってすぐのケースに展示されていました。うちにあるものとほとんど同じものでした。学校歴史博物館にある御土器は、所蔵していた町内がわかっています。正月の町内の集まりで、この杯で酒を飲んだそうです。
情報をくださったS様、ありがとうございます。

【参考文献】京都市『京都の歴史7維新の激動』(學藝書林 1974)



▼京都歴史案内index
(C)平安京探偵団