
大黒組灯籠
実家の母は、なにかと理由をつけては京都に遊びにやって来る。やれ花見だ。お祭りだ。紅葉はまだか。今年の非公開寺院はどこ?などなど。梅の季節になると、北野天満宮へお出ましになる。もちろんお供はラン2。
ある年の梅の頃、母と二人で北野天満宮の梅を見に行った。中門前の灯籠に人だかり。何かとのぞくと、大人達が灯籠に刻まれた大黒様の鼻の穴に、小石をはめこもうとしている。なんでも小石が落ちずに止まれば縁起が良く、その小石を財布に入れておくとお金が貯まるらしい。
母は何度もトライするが、うまくいかない。しつこいくらいに挑戦してやっと成功し、ほくほくと小石を財布にしまっていた。その後、彼女に金回りがいいとはまだ聞かない。
次の年、団長と二人で北野天満宮の初天神へお参りした。大黒さまの灯籠前で、母との出来事を彼に話すと、とんでもない勘違いをしていたことに気がついた。大黒様の鼻の穴だとばかり思っていたのは、実はえくぼだったのである。
大黒様、ごめんなさい。
北野天満宮灯籠めぐり

左 織部灯籠 右 渡辺綱の灯籠
くだん大黒様の灯籠、「河原町 大黒組」と刻まれている。河原町の大黒組という所が奉納したものなのであろう。毎月この大黒様のご利益をいただいているという年配のご婦人の話によると、年々えくぼが広がってきているそうだ。ご婦人の作法は、1円玉を7枚用意して、両肩、両えくぼ、頭、小槌に1枚づつのせていた。
大黒様の向かいには、織部灯籠がある。織部灯籠は、近世にできた形式の灯籠だ。しかし、大正末年ごろから隠れキリシタンの礼拝物であるという説が生まれた。竿部分の張り出しを十字架の変形とし、下部の像をマリア像とか宣教師像と見られ、「キリシタン灯籠」の名前がついた。それらは根拠のない説ではあるが、北野天満宮の灯籠も、キリシタン灯籠とかマリア灯籠と呼ばれることがある。
本殿の回廊脇には、渡辺綱が寄進したと伝えられる灯籠がある。風化が激しいが、鎌倉時代中期のもので、かつて重要美術品に指定さていた。『平家物語』剣巻に、渡辺綱と北野天満宮の関わりを伝える次のような話がある。渡辺綱が夜更けに主の使いで道を急いでいたところ、一条堀川の戻り橋で、若く美しい女房に出会った。女房に夜も更けて恐ろしいので送って欲しいと頼まれたので、一緒に馬に乗せた。ところが女房はたちまち恐ろしい鬼女となり、綱の髻をつかんで空中に舞い上がった。綱はとっさに刀を抜き、髻をつかんでいる鬼女の腕を切り落とした。そのまま空中に放り出された綱は、北野天満宮の回廊の上に落ちた。
【アクセス】市バス北野天満宮下車
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