■六地蔵めぐり
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六地蔵めぐりの幡

 毎年8月22日〜23日、「六地蔵めぐり」といって、京都の旧街道口に安置された六体の地蔵尊を回る風習があります。各寺では「お幡(おはた)」と呼ばれるお札をいただき、束ねて護符として家の入り口につるしておきます(上写真)。
 初めてすべての「お幡」を集めることができました(^・^)

六地蔵めぐりとは

 「六地蔵めぐり」の六地蔵とは、伏見地蔵(大善寺)、鳥羽地蔵(浄禅寺)、桂地蔵(地蔵寺)、常盤地蔵(源光寺)、鞍馬口地蔵(上善寺、明治時代までは深泥池〈または御菩薩池とも書く〉のそばの地蔵堂に祀られていたのを移された)、山科地蔵(徳林庵)を指します(下写真)。
 六地蔵のひとつ伏見地蔵の大善寺に残る「六地蔵縁起」(寛文5年〈1665〉)には次のような由来が説かれています。小野篁が他界し冥途に赴いた際、生身の地蔵菩薩に逢い、その教えにしたがって蘇生しました。その後、6体の地蔵菩薩像を刻んで、木幡の里(現在の伏見地蔵の地)に安置します。保元2年、平清盛は後白河天皇の勅命を受け、京洛の入口6カ所にそれぞれ六角円堂を建て1体ずつ分置しました。清盛はそれを西光法師に命じて供養させました。この京洛の入口6カ所が、鞍馬口街道(御菩薩池)、東海道(山科地蔵)、奈良街道(伏見地蔵)、大阪街道(鳥羽地蔵)、山陰街道(桂地蔵)、周山街道(常盤地蔵)にあたります。
 この縁起には、ふたつの説話がうまく取り入れられたものだと思われます。すなわち、小野篁の冥官説話と、西光法師の六地蔵造仏説話です。
 六地蔵を造ったとされる小野篁は、『江談抄』『今昔物語集』の説話集の中で閻魔庁に仕える冥官として働き、この世とあの世を往復したとされています。そのため篁の造仏の伝承を持つ地蔵菩薩や閻魔像が多く、それらの像と並んで篁自身の像が並ぶことがあります。
 また西光法師については『源平盛衰記』「西光卒塔婆事」の記事に次のようなくだりがあります。「七道の辻ごとに六体の地蔵菩薩を造奉り、卒都婆の上に道場を構て、大悲の尊像を居奉り、廻り地蔵と名て七箇所に安置して云(中略)四宮河原、木幡の里、造道、西七条、蓮台野、みぞろ池、西坂本、是也」。つまり西光法師は七道の辻ごとに六体の地蔵菩薩を安置し、自己の滅罪と後世安楽を祈願したという話です。
 この『源平盛衰記』の記事は、少なくとも鎌倉時代には、六道救済の六地蔵が、境を守護するものとして安置されていたことを示しています。他の史料にも六地蔵めぐりは出てくるのでしょうか。
 巡拝地は書かれてませんが、中世の日記類には「明日六地蔵詣事」(『看聞御記』応永27年〈1420〉7月23日)などと出てきます。また『資益王記』(文明14年〈1482〉7月24日条)には、「参六地蔵 所謂西院 壬生 八田 屋禰葺 清和院 正親町西洞院」と、全く異なる巡拝地がでてきます。

 近世になると、地誌類には「廻地蔵」の名前が散見し、「六地蔵縁起」とほぼ同じ内容が載せられています(『京羽二重』『日次記事』『都名所図絵』『拾遺都名所図絵』『莵芸泥赴(つぎねふ)』『山州名勝志』『山州名跡志』など)。その巡拝地は現在と同じ場所になっています。つまり大善寺の縁起は、現行の「六地蔵めぐり」の原形が定着させた内容であり、江戸時代以降から庶民の間で親しみ続けられてきた風習であることを物語っています。

 江戸時代に現行の「六地蔵めぐり」が定形化する以前の様子は詳しくはわかりませんでしたが、六体の地蔵を六道にまつり、衆生の救済を願う六地蔵信仰は、貴賎をを問わずひろく流布したのではないでしょうか。

 もうひとつ近世の地誌類を調べていて気がついたことがあります。それは『山城名勝志』巻17の「木幡六地蔵」(伏見地蔵)の項です。『源平盛衰記』の記事をあげて七カ所の地蔵安置所について、説明が加えられています。( )でくくられた文章は割り注です。
「○四宮河原(大津路在山科) ○木幡ノ里(宇治路在六地蔵町) ○造道(摂津路在上鳥羽) ○西七條(丹波路在桂里) ○蓮臺野(長坂路今絶拝常盤村像) ○美曾呂池(鞍馬路) ○西坂本(龍華越今此一所絶)」
この記述が正しいかどうかはわかりませんが、7カ所を6カ所に代え、場所も現行の巡拝地に置き換えたことは、おもしろい点だと思い記しておきます。

伏見地蔵・鳥羽地蔵
伏見地蔵(大善寺)   鳥羽地蔵(浄禅寺)

桂地蔵・常盤地蔵
桂地蔵(地蔵寺)   常盤地蔵(源光寺)

鞍馬口地蔵・山科地蔵
鞍馬口地蔵(上善寺)  山科地蔵(徳林庵)

伏見地蔵(大善寺) JR奈良線・京阪六地蔵駅
小野篁像あり。
鳥羽地蔵(浄禅寺) 市バス地蔵前
袈裟御前の恋塚と石碑あり。本堂には袈裟御前の像。
上鳥羽六斎念仏の奉納あり。
桂地蔵(地蔵寺) 市バス桂消防署前、阪急桂駅
桂六斎念仏の奉納あり。
常盤地蔵(源光寺) 市バス常盤・嵯峨野高校前
源義経の母・常盤御前の墓あり。
江戸中期頃の札所観音の石仏あり。
鞍馬口地蔵を「姉子の地蔵」と呼ぶのに対して「乙子の地蔵」と呼ぶこともある。
鞍馬口地蔵(上善寺) 地下鉄烏丸線鞍馬口駅
深泥が池<御菩薩池とも書く>のそばの地蔵堂に祀られていたのを移されたものを明治時代に移された。
門を入ってすぐ右に鎌倉時代前期の大きな大日如来石仏あり。
小山郷六斎念仏の奉納あり。
常盤地蔵を「乙子の地蔵」と呼ぶのに対して「姉子の地蔵」と呼ぶこともある。
山科地蔵(徳林庵) JR琵琶湖線・地下鉄東西線山科駅
人康親王の供養塔と伝える南北朝時代の宝篋印塔あり。近辺には人康親王の御陵をはじめ関連史跡多い。
隣接する茶店の冷やしアメおいしい。
茶店内に四面石仏をまつる。
前面道路が車通行止めとなり露天がたくさん出る。

【参考文献】
真鍋広済「六地蔵と六地蔵巡り」
森成元「近世の地蔵信仰ー特に京・大坂を中心としてー」
ともに『講座 日本の巡礼』第1巻所収(雄山閣、1996年)




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