■聚楽第を歩く2

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梅雨の井跡と探偵犬マック
梅雨の井跡と探偵犬マック

 探偵犬マックと一緒に、聚楽第の遺構といわれている「梅雨の井跡」を訪ねてみました。井戸は昭和25年に井戸の石組みが突然崩落し、現在はその跡に手押しポンプがあります。しかしこのポンプも錆びついて使えません。マックと写真を撮ったりしていると、町内の老婦人が、井戸の水を使っていた時のこと、井戸が陥没した時のこと、井戸の保存運動のことなどを親切に教えてくださいました。ポンプは錆びついていましたが、井戸跡は町内の方々によって大切に守られていることを感じました。

梅雨の井

 「梅雨の井」は、聚楽第内にあり秀吉がお茶の水をくんだという伝説があります。この井戸跡のすぐ東の空地にはかつて八雲神社という小社が祀られていました。聚楽第内にあったと伝えられるモチの木を神木として建立されましたが、地上げにあい神社も取り壊され、モチの木も切り倒されてしまいます。しかし「梅雨の井を守る会」が町内の方々により結成され、保存運動は功を奏します。

梅雨の井

 ただ、「聚楽第跡を歩く」の復元地図を見ていただくとわかるように、この井戸の位置は森島康雄氏の聚楽第復元案では堀の中に入ってしまいます。したがって、この井戸は聚楽第にあった井戸そのものの遺構というよりも、聚楽第廃絶後にその名跡を継いだものではないかと考えられます。
 下写真左は現在の状況。写真右は「聚楽第跡」(『京都府史蹟勝地調査会報告』第1冊、大正8年)に掲載されている崩壊する以前の井戸の姿です。

追記
 このページを公開してからメールでご意見をいただきました。要約しますと「遺跡が梅雨の井ということは伝承の域を出ないが、堀の中にあるということについては、確定できないことがある。井戸の周辺は、氏の論によれば、堀内部だが、この周辺からは、聚楽土の出土があった。この聚楽土は、堀の内部からは、今までの採掘ではでてこないので、堀ではない可能性がある。」ということです。
 このご意見について、森島康雄氏をはじめ考古学関係者のみなさまに直接お聞きしたところ、聚楽土が出たというは、梅雨の井の直近ではないということでした。住宅が密集して掘削工事もない現時点では、堀でない可能性もあるし、堀の中に入っている可能性もあるとしかいえません。今後の研究成果に期待します。

【アクセス】京都市上京区大宮通下長者町上ル
【参考文献】
森島康雄「聚楽第と城下町」(『豊臣秀吉と京都〜聚楽第・御土居と伏見城』日本史研究会編 文理閣)
中西宏次『聚楽第・梅雨の井物語』(阿吽社)

聚楽第を歩く1





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