■応仁の乱を歩く1

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花の御所の景石

 上のふたつの写真の石は何だと思いますか? 
 答えは室町幕府の将軍御所「花の御所」の景石です。現在の同志社大学今出川キャンパスの西方一帯は、花の御所=室町殿の遺跡です。現在までに数地点で発掘調査され、庭園の池や景石・掘などが検出されています。発掘された景石は、その場所に建設されたマンションの駐車場とエントランスに保存されています。(マンションには無断で立ち入りはできません)

 では応仁の乱に関する史跡をご一緒に歩きましょう。

応仁の乱勃発地

応仁の乱勃発地の石碑

 応仁の乱とは、管領家の斯波・畠山両家の家督争いに端を発し、将軍足利義政の弟・義視と子・義尚の継嗣争いが、幕府の有力者細川勝元と山名宗全の対立に結びつき、京都の大半を焼き尽くすという11年間におよぶ激烈な戦いをいいます。
 上京区にある上御霊神社の社前に、「応仁の乱勃発地」の碑が建っています。応仁元年(1467)、畠山政長が上御霊の森に陣をはり、畠山義就と戦ったのが応仁の乱のはじまりです。
 義就方には朝倉孝景、山名宗全が加勢しましたが、政長方はたのみの細川勝元が動かず、政長方が敗退します。

【アクセス】地下鉄鞍馬口下車 徒歩5分

花の御所

足利将軍室町邸址石碑

 京都に開かれた足利氏の政権を室町幕府といい、その時代を室町時代といいます。これは足利義満が「花の御所」と称される邸宅を室町頭北小路に築いたことによります。以来、足利将軍累代の御所となりますが、応仁の乱のとき室町殿を中心に東西の軍が戦い、焼失してしまいます。
 現在の同志社大学今出川キャンパスの西方一帯がこの遺跡であり、室町通今出川の交差点の東北角には「従是東北足利将軍室町邸址」と刻まれた石碑が建っています。花の御所=室町殿の遺跡は、現在まで数地点で発掘されており、上にあげた写真のような庭園の景石など、庭園の池・掘・集石遺構などが検出されています。 
 周辺には築山南半町・築山北半町・御所八幡町などの町名が残されており、往事をしのぶことができます。

【アクセス】市バス烏丸今出川 地下鉄今出川下車 すぐ 

山名宗全邸宅址

山名宗全邸址碑・山名宗全旧蹟碑・西陣碑
左から 山名宗全邸址碑  山名宗全旧蹟碑  西陣碑

 堀川通上立売下ル一筋目西入ルは町名を「山名町」といい、西軍の大将・山名宗全の屋敷があった場所です。宗全はこの邸宅を本陣とし、花の御所に陣をおいた細川勝元ら東軍と戦いました。堀川通の角には「山名宗全邸址」の石碑が建ち、筋を入ったところには「山名宗全旧蹟」の石碑が建っています。
 また西陣織で有名な「西陣」とは、応仁の乱での西軍の陣地に由来した地名です。京都市考古学資料館の前には、「西陣」の大きな石碑が建ち、西陣の由来を記しています。
【アクセス】
「山名宗全邸址」「山名宗全旧蹟」 市バス堀川上立売下車 すぐ
京都市考古学資料館 市バス今出川大宮下車 すぐ

応仁の乱を歩く2





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