
応天門と大極殿
平安神宮
明治28年(1895)、平安建都千百年を記念して、大規模な博覧会(第4回内国勧業博覧会)が開催されました。その博覧会のシンボル・パビリオンとして建設されたのが、平安宮大極殿を再現した平安神宮です。
当初は大極殿の本来の位置に朝堂院全体の復元も検討されたようですが、結局現在の岡崎の地に大極殿と応天門だけを約8分の5で復元されることになりました。
平安神宮 平安宮朝堂院

|
左の図は現在の平安神宮と平安宮・朝堂院の建物の位置関係を表したものです。
■ 大極殿
ー 龍尾壇
■ 白虎楼・蒼龍楼
■ 朝集堂
■ 応天門 |
平安神宮について、団長が面白い資料を古本屋さんで見つけました。
明治26年(1893)7月7日の日出新聞第2492号附録「大極殿建築図」と称すものです。
その記事には、明治26年の桓武天皇遷都記念祭に大極殿の模型を建築することが決まったことと、その概要が掲載されています。しかし読んでみてびっくり。なんと敷地の都合により、本来南面すべき大極殿が、西面することになったとあるのです。今の平安神宮の大極殿は南面しています。西面することになっていた大極殿が、どのような経緯で南面したのかはわかりませんが、ちょっと意外でしたので紹介しました。

|