■嵯峨天皇陵

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第52代 嵯峨天皇

名前

賀美野(神野)

父/母

光桓武天皇 / 藤原乙牟漏

生誕から崩御年

786〜842

在位期間

809〜823

陵墓(所在地)

嵯峨山上陵(右京区北嵯峨朝原山町)




 嵯峨天皇は承和9年(842)に崩じ、その遺詔により徹底した薄葬が実践されました。『山塊記』元暦元年(1184)8月23日条によると、当時すでに陵の所在が不明になっていたようです。嵯峨の清涼寺や二尊院にある石塔を陵に比定する説もありましたが、のち京都市右京区北嵯峨朝原山町の現陵が考定されました。現陵は、御廟山と呼ぶ山の頂に嵯峨天皇御陵岩と称する巨岩があり、ここに径38メートルの墳丘を築いたものです。
 上の図は『聖蹟図志』の嵯峨天皇陵の部分を拡大したものです。御廟山の頂上に巨岩が並んでいるのがわかると思い引用しました。

参考文献:山田邦和「淳和・嵯峨両天皇の薄葬」『花園史学 第20号』(1999)
※上図は『聖蹟図志』より引用 
『聖蹟図志』 安政元年(1854)、平塚飄斎(津久井清影)が、陵墓の位置と形状を写実的に描いた書物。


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