■文徳天皇陵

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第55代 文徳天皇


(『巡陵紀程』より)

名前

道康

父/母

仁明天皇 / 藤原順子

生誕から崩御年

827〜858

在位期間

850〜858

陵墓(所在地)

田邑陵(右京区太秦三尾町)




 文徳天皇は、天安2年(858)に冷然院において崩じ、真原(さねはら)岡の地に葬られました。陵は後世その所在を失います。所在についてはいくつか説がありましたが、最有力の候補とされてきたのは天皇ノ杜古墳(京都市西京区御陵塚ノ越町)でした。幕末の谷森善臣の推定により、御廟山と呼ばれていた丘上の茶臼山という塚が比定されました。京都市右京区太秦三尾町に所在する現陵がこれです。現陵は径約32m、高さ約6mの円墳です。これは文久3年(1864)の修築後の姿です。江戸時代には「封土いたく崩壊落て、御石槨の蓋石、また隧道の蓋石も、かつ露出たり」(谷森善臣『山陵考』山城国 上)という状態であったことから、横穴式石室が内蔵されている可能性があります。また、現・文徳天皇陵の南側約150mの丘陵裾部では、巽1号墳と呼ばれる古墳の存在が確認されています。これらのことを考えあわせると、現陵は古墳時代後期の古墳であった可能性が大きく、真の陵ではない可能性が高いということがわかります。


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