| おしえて№407 投稿者 さとりんさん |
武家社会=日本髪ではないです。 政治の舞台が貴族から武士に移った鎌倉から安土桃山、江戸時代の黎明期くらいまでは女性は髪を結いませんでした。背中でちょいと止めていた程度です。 これは戦国の世が終わって生活にゆとりが出来てきたあたりからの風習です。なぜなら髷を結うには手間も掛かるし何より人の手を借りなければならないことが多く、人手を借りるのにタダと言うわけにはいかなかったからでゆとりのない生活でやってられることではなかったのです。 それまではあくまで普通の暮らしをしていない遊女たちが客の目を引くためにわざとやっていただけのもので、 事のおこりは室町後期に一部の遊女たちが当時の男髪を真似て髪を結い始めたものと言われます。その後江戸時代になって髷を結うことが一般化した後も主に遊女や芸者といった花柳界の女性や役者たちの格好がトレンドの発信地だったようです。しかし髪を結うことが一般化しても宮中では伝統ある垂髪、大垂髪(おすべらかし)が守られていたようです。 682年に天武天皇が異国文化を取り入れようと策略し、女子40歳以上のものは、結髪、垂髪を随意とする結髪令を出したとあります。しかし「万葉集」にみるように庶民にはいっこうに徹底されず、貴族における結髪は発達したが、庶民は結局そのまま垂髪文化の最たる平安時代へと移行していったようです。しかしこの時代の結髪が日本髪の原型となっているかは不明です。さらに鎌倉室町時代には結い方が複雑になり、江戸時代には現代の型になったようです。でも日本髪と一口にいっても、種類は様々だったようですよ。 髪型の年表はこちら 参考URL:IZUMI's page!! http://www.sfc.keio.ac.jp/~s99723ih/chousa/shiryou/nenpyou.html いつというのはだいたいの年代が次のページの年表で推測がつきますが、誰という特定はできません。これによると、だいたい室町期から安土桃山時代にかけて女子の髪型が垂れ髪から短くまとめる方向へと変化したようです。ただ、現在「日本髪」といわれるスタイルになったのは江戸時代になってからで兆候は江戸初期から見られます。 (上記のんきさんのURLをご紹介いただいてます。さちパパ) 平安時代の貴族社会では、長い髪をそのまま伸ばした髪形でしたが、武家社会になるにつれ、長い髪を結い上げる形に移っていったようです。それが江戸時代になってから、次第に町人にも定着していったのですが、その時期は江戸中期以降と言われています。 大辞林によると、日本女性の伝統的な髪形の総称。特に、明治以降の洋髪に対して、島田髷(まげ)・丸髷・桃割れなどをいう。鬢(びん)・髱(たぼ)・髷で形づくる。ということで、洋髪に対するまた、明治以降の髪型のことのです。 日本髪についてはこちらを参照下さい。 参考URL:かつら宝田ほーむぺーじ http://www10.freeweb.ne.jp/diary/takrd/kamigata.htm 実は織田信長が考案しました。織田信長は部下の信頼を得るために女装をよくしていました。そのとき考案したものです。しかし、部下を笑わせるための女装が、いつのまにか趣味になってしまい、それを公表することができず、苦難のまま日本髪のスケッチを残して本能寺で自害しました。というのはウソです。しかし、信長が部下との交流を図るため女装を宴会芸にしていたのは本当らしいです。 |
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