| おしえて№564 投稿者 のんきさん | ||
参考URL:時季の花 http://www.hi-ho.ne.jp/tada012/KI-003A.html から解答を見つけたので、そくら流にまとめます。 一九〇七年にフィラデルフィアのアンナ・ジャーヴイスという女性の提案により、翌年同市で最初の母の日が祝われた。母親の生存の有無でカーネーションの色を赤と白とに分けることも、彼女の発案。 (ちなみの彼女はこの時母を亡くしていたらしく、白いカーネションを亡き母の墓前に捧げたようである)。 そして、それから約30年後、郵政省が記念切手を発売し、PRに努めたことから、この慣習がひろまることとなった。日本は、敗戦後、アメリカ式生活がGoodということになって、これをまねることになった。 ここからは余録。 しかし、その後、デモクラシーの子ども達が、学校のクラスの中で、「赤」に圧倒され、少数の悲哀をなめた「白」の経験を生かし、現在は、「赤、白」の色にこだわらない工夫がなされている。 現在の家族という形態が、時代とともに変化をし、SingleもしくはGroupという形態に変わっていくと、この慣習はどうななるのでしょうか。 アメリカでも日本でも、「マイホーム」という幻想を守るために、この制度を慣習化していったのでしょう。そのためには、実は、「白」のカーネションこそが、「亡きが故に知る母の愛」ということで、涙とともに「母の日」を定着させたのです。 追加回答です。双葉文庫「いまさら人に聞けない素朴な疑問572」に、載っていた回答をまとめて紹介します。 アメリカ西バージニア州の教師ミス・ジャービスが母の2年後の命日に協会で、白いカーネションを配ったことが、始まり。 何故、白いカーネーションだったか、ということは、カーネションの白の花言葉が「亡き母をしのぶ」という意味がこめられていたから。カーネション自体の花言葉は「母の愛情」ということで、赤が健在、白が「亡き母」ということ。 なおかつ、これを、ビジネスチャンスととらえた、ジョン・ワナメーカー(アメリカのデパート王)が、花ではイマイチ儲からない、として、母に何か贈り物をしようと一大キャンペーンをはり、議会にまで迫り、これを実現させたのだそうです。 はかなきは、「父の日」で、これに味をしめた商業者が、「南北戦争」で父を亡くした子ども達をダシに、「父」にも何か贈らねば、ということでYMCAなども加わり、せっせと習慣付けたのだそうです。 「母の日」のカーネーションは、アメリカのアンナ・ジャービス(Anna Jarvis)さんが、亡き母の追悼会でカーネーションを捧げたことに由来するとされています。又、「母の日」の普及には、ジョン・ワナメーカー氏(アメリカの郵政長官を歴任し、百貨店王&創始者でもある一方で敬虔なクリスチャンとして日曜学校の教師もつとめた)の尽力が大きかったようですが、「母の日」を商売と捉えていたかは定かでありません。 参考URL:湘南台クリスチャン・フェローシップ教会 http://plaza2.mbn.or.jp/~fellowship/ 参考URL:聖地旅行 http://www.asahi-net.or.jp/~hn3y-srt/mes/m1996b.html 一方「父の日」のバラに関しましては、アメリカのJ.B.ドットさんが亡き父の墓前に白いバラを捧げたことに由来と解く説がありますが、残念ながら確証は得られませんでした。 参考URL:酒田FM76.1MHzハーバーRADIO http://www.midorinet.or.jp/~sakatafm/programs/programs_matsumotalk.htm#618 母の日の始まりといえば・・・ アメリカのウエストバージニア州に住んでいたアンナ・ジャービスさんが、教会の教師をしていた母の命日に母の好きだった白いカーネーションを飾り、信者に配ったことがきっかけとなりました。アンナさんは、多くの人々がもっと母親を大切にできれば・・・という願いを込めて母親のための祭日をつくる運動を始めました。そしてアンナさんの努力が報われ、5月の第2日曜日を母に感謝する日とし、「母の日」の法律が制定され国家的な行事として認められました。 今では世界的な行事となり、日本では1912年(明治45年)にキリスト教の行事として行われました。1937年に森永製菓が提唱したことがきっかけとなり終戦後一般的に広く祝うようになったといわれています。 だから・・・母の日にはカーネーション。母親が健在な人には赤いカーネーションを贈り、母親がなくなってしまった人には白いカーネーションを飾ります。現在はお花の種類にはこだわらず、カーネーション以外のものを贈ることも多いようですが、カーネーションの花言葉は、女性の愛、清らかな愛など、母性愛を強く示すお花です。 父の日の始まりは1910年に(明治43年)男女同権の立場から、母の日に対して父にも感謝する日があるべきであると考えた、アメリカのワシントン州に住んでいる、ジョン・ブルース・ドット夫人という方が始めました。妻をなくして男手一つで育ててくれた父に感謝しようとパーティーを開いたのです。そのパーティーが行われた日が、今日の父の日の始まりとされています。 そのパーティーをきっかけに24年後の1934年(昭和11年)ニューヨーク“全米父の日委員会”が結成され、父の日が盛んに行なわれるようになりました。 パーティーの後、ドット夫人は、「父への尊敬と感謝」の意味をこめて、 亡父の墓に白いバラを捧げました。それから父の日のシンボルフラワーは「白いバラ」と定められたそうです。 母の日のカーネーションは、花自体にその根拠が求められ、母の日と結びつく歴史的な事実がありますが、父の日のバラというのはバラ自体にその根拠を求めることはできません。母の日のまねごとでしょう。 母の日とカーネーションの関係は、カーネーションがキリスト教伝説でキリストを見送ったマリアの涙のあとに生じた花とされているために母性愛の象徴とされてきたことに由来します。 1907年アメリカのジャービスの提唱により、母の日には母親が健在の子は赤、亡くした子は白のカーネーションをそれぞれ胸につける習慣が生まれました。 母の日とカーネーションのつながりは、アメリカ・西ヴァージニア州の一教会でアンナ・ジャービスという少女が亡き母を偲んで行なった行為がはじまり。彼女は母が好きだったカーネーションを参列者に捧げることで感謝を示しました。そしてその思いは多くの人の共感を呼び、その話は時の大統領ウィルソンの耳にも伝わったのです。1914年、アメリカ全土で5月の第2日曜日が「母を賛える日」として祝日に定められ、次第に世界各国に「母の日」は伝わっていき、日本にも大正12年に「母の日」が始め られています。 参考URL: ヤフーゴールデンウイーク特集http://event.yahoo.co.jp/docs/event/gw99/mother.html#hahato_carnation 父の日 1910年 ワシントン州に住むジョン・ブルース・トッド夫が男女同権の見地から「母の日」に対して始めたのがきっかけと言われる。 「母の日」のカーネーションに対して、「父の日」にはバラの花を付ける習わしと なった。6月の第3日曜日 参考URL:みずぐるま通信 http://www.mizuguruma.com/magazine/magazine_017.html 母の日については、1907年アメリカ・ウエストバージニア州のアンナ・ジャービスという女性が、母親の命日にお母さんが好きだった赤いカーネーションを礼拝堂に飾ったことをきっかけとして、母親への感謝の思いを表す日を設けようという運動が始まり、やがて1914年にウィルソン大統領によって5月の第二日曜日を「母の日」として祝日にすることが宣言されたことによるものです。 父の日は、1910年頃アメリカ・ワシントン州のジョン・ブルース・ドット夫人が母の日に刺激をうけ、父に感謝するする日をつくる運動を起こしたのがきっかけではじまりました。男手一つで六人の子供を育ててくれた父親を思い、墓前に白バラを捧げたことがはじまりだそうです。1972年アメリカで公式の祝日となりました。 参考URL:関西学院大学文学部宗教主事室HP http://www.vis.gr.jp/~bun-chap/chapel%20news/515.htm 参考URL:MITA HANA http://www.hanaya.co.jp/mame/ 参考URL:ネットコムモール http://www.netcom-inc.co.jp/topics/20000515_01.html 参考URL:スタジオアリス http://www.studio-alice.co.jp/oiwai/oiwai_titinohi.htm 参考URL:Frigga's Sweet Home http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Green/6936/june.htm (さらに上記Tsuneさんと同じURLを紹介していただきました。) 「母の日」…アメリカのウエスト・バージニア州に住んでいたアンナ・ジャービスさんが教会の教師をしていた母の命日に、母の好きだった白いカーネーションを信者に配ったのが始まりといわれています。 ちなみに、母親が亡くなってしまった人は白いカーネーションを飾り、母親が健在の人は赤いカーネーションを贈るそうです。 参考URL:首都園コープ http://www.pal.or.jp/service/ans/ans_fl05.html 「父の日」…アメリカで「母の日」ができたのは1908年のことでした。 母の日ができたことを知った、ワシントン州に住む『ジョン・ブルース・ドット夫人』が「父の日」をつくってください、と嘆願したそうです。 (ドット夫人が小さい頃、お父さんは北軍の軍曹でした。南北戦争が終わって帰還したとき、お母さんは重い病に倒れ、やがて天に召されてしまったのした。お父さんは残された6人の子供たちを男手一つで立派に育てたのです。)それから7年後、1916年(大正5年)『父の日』が認知されるようになりました。そして1972年(昭和47年)になって、アメリカでは国民の祝日となりました。『父親を尊敬し、称え祝う日』それが『父の日』なのです。 参考URL:FDC日本ファーザーズ・デイ委員会 http://www.fdc.gr.jp/fdc.html バラは彼女が父の墓に白いバラの花をささげたことに由来するそうです。 ション・ブルース・ドット夫人が、母の日制定の運動に刺激されて、亡父の命日を父の日に、シンボルをバラにと運動を起こしたのが20世紀の初めと言われています。 母の日は残念ながら分かりませんでした。 しかし、私が思うに、デパートの策略だと思います。 アンナ=ジャービスが教師だった母親の命日にたくさんの白いカーネーションを教会に捧げて母を追悼したのが始まり。これから母が生きている子供は赤いカーネーションを亡くなった子は白いカーネーションを渡したのです。 父の日もアメリカで幼い頃母親を亡くして男でいとつで育てられた女性が父親に深い敬意と感謝の気持ちを表わすため亡き父の墓前で白いバラを捧げたのがはじまり、それから父が生きていれば赤いバラ、亡くなっていれば白いバラをということになったのです。 カーネーションもバラも花言葉から「愛」をイメージ出来るので、花屋さん達が勝手に決めて広めたのではないでしょうか。 参考:はなことば辞典 http://midoribussan.com/htmls/fset1.htm バレンタインと同じく、花屋の陰謀です。 |
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| 正答者の方々です。本当にありがとうございました。 | ||
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