おしえて№642 投稿者 twoさん
  「たなばた」って漢字で書くと、どうして「七夕」になるんですか?
matsumotoさん

 七夕に類似した伝説・伝承等は世界各地に存在し、色々なバリエーションがありますが、現在我々が一般的に知っているような牽牛と織女の伝説が完成したのは中国の春秋戦国時代から漢の時代にかけてといわれます。
 陰陽五行説などにより旧暦7月7日に星祭りを行うようになり「七月七日の夕べ」=「七夕」となったようです。

日本語の「たなばた」というのは、古い民間信仰のなかに「棚機女(たなばたつめ)」という巫女が水辺で神の降臨を待つという農村の「禊ぎ(みそぎ)」の行事があり、それが中国から伝来した七夕伝説と結びついて「七夕」=「たなばた」となったようです。
参考URL:「七夕の民俗と星」http://www.city.yokohama.jp/yhspot/ysc/izumo/tanabata.html
「星の神殿」http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/
のんきさん

 七夕は、1月7日・3月3日・5月5日・9月9日とならぶ五節句のひとつで、奈良時代から行われている行事です。この行事は日本と中国の2つの起源があるようです。 中国には乞巧奠(きっこうでん)という宮廷行事がありました。乞巧奠とは、手芸が上手になることを願って、7月7日の夜にそなえ物をする祭です。
 また、「織女と牽牛が、1年に一度この日に会える」という物語にちなんで、同時に星祭もします。この物語に似た話は中国以外にも、東南アジアから朝鮮半島にあります。 日本では古来より7月7日の夜、人里離れた水辺につくられた棚で、乙女が機(はた)を織り、神を迎えて禊(みそぎ)を行う信仰行事がありました。
 この乙女を「棚機(たなばた)つ女(め)」と言い、これが天平年間に中国から伝わった織女伝説と結びついて、今日の七夕の風習ができたのではないかといわれています。また、収穫を控えたこの時期、畑に「たなばた様」という神様が来るという考えがありました。里芋の葉にたまった水で、墨をすって字を書くなど、収穫祝いの意味があります。この収穫祝いのための祭壇も、棚旗(たなばた)とよばれました。棚はそなえ物を並べる板のことで、旗はこの棚の周りに立てた囲いの木(これが後にササになる)につるした、五色の短冊のことです。 7月の夕方という意味の「七夕」を、「たなばた」と読むようになったようです。

 まとめると「七夕」の文字は中国から、「たなばた」という読みは日本独自の行事から、というわけです。七夕では、短冊に願い事を書いてササに飾りますね。この風習は、江戸時代から始まったようで、中国では五色の糸をつるすそうです。ササも五色の糸も、縁起のよいものとされています。平塚(神奈川県)や仙台(宮城県)などの、七夕祭でみられるふきながしは、棚機つ女=織り姫の、おり糸をあらわしています。

  また東日本では、身のけがれを流すかわりに、人形やロウソクを船にのせて川に流し、自分も水浴びをするという風習がありました。これはネブタ流しとかネムリ流しといわれ、農繁期を前に眠気を水に流しておいはらう意味があります。なかでも、青森の夏祭であるねぶた祭が有名です。
「タナバタってなに?」よりhttp://little.ami.ne.jp/tanabata.htm

 疑問とは関係ないことですが、のんきは仙台に住んでいます。仙台七夕は旧暦で行われ、毎年8月6日〜8日までです。夏休みの予定がまだの方、よかったら見に来て下さいね。http://v-sendai.comminet.or.jp/~main/tanabata2001/
乱気流さん

  七夕は陰暦の7月7日の夜、天帝の許しで牽牛と織女が1年に1度会うという中国の織女・牽牛伝説と女子が技芸の上達を祈る乞巧奠(きこうでん)が、日本の棚機津女又は棚機女(たなばたつめ)信仰と習合して、奈良時代以来日本の伝統行事となったものです。
 棚機(津)女シ信仰の棚機(たなばた)とは機織り機械・道具を示す言葉で、棚機(津)女は機織りの女性を表しますが、そもそも日本では祖先の霊を祭る前の禊(みそぎ)として人里離れた水辺の機屋で神を迎えるために聖なる乙女が機を織って一夜を過ごし、翌日穢れを神に託して持ち去ってもらうという物忌みのための祓いの行事があり、それが七夕(しちせき)・七夕(織女・牽牛)伝説と結びつくことで「棚機(たなばた)」と呼称されるようになった結果、現代では「たなばた」にあてる字には「七夕・棚機」の両方が存在するようです。(尚、「たなばた」に関して、部分部分で諸説が入り乱れている様子です。)

 但し、山上憶良の七夕歌十二首をはじめとして『万葉集』や漢詩集『懐風藻』等にも「七夕」の字が見られますが、発音に関しては「シチセキ」なのか「タナバタ」なのかは判然としません。室町時代中期以降に初めて登場する「節用集(いろは引きの国語・用字辞典)」の類でも『黒本本』『天正本』『饅頭屋本』共に「織女(たなばた)」に限られ他の表記を引いていません。
 室町後期の節用集『易林本』だけが「七夕(たなばた)」「織女(たなばた)」と二本立ての状況で、七夕=タナバタの呼称が普及・定着した時期までは特定することが難しいようです。(尚、「万葉集にはタナバタは織女と書かれているが、新古今和歌集では七夕となっているので、七夕の字は平安時代に当てられたものである」と解釈される方もいらっしゃいます)

 七夕に関しては、『年中行事を「科学」する(永田久著)日本経済新聞社』の121〜147頁で詳細な解説がなされていて、WEBサイト等でも多くの引用が有りますので、機会が有れば是非御一読下さい。
又、より深く掘り下げられるのであれば、下記サイトが参考になると思います。
参考図書:『難読語の由来(中村幸弘著)角川ソフィア文庫』
『年中行事を「科学」する(永田久著)日本経済新聞社』

(上記matsumotoさんと同じURLを紹介していただきました。)

凪 ようかさん

 七夕はもともと「棚機」と言って、(これはおり機のことでも、機をおる女の人のことでもあるんですが)いわゆる織姫にちなんだ名前なんだと思います。 なぜたなばたは「七夕」と書くのか? 推測ですが、七日の夕べに祭祀を行うことからくるいわゆる当て字ではないかと思います。 日本人そう言うの得意だし^^;
茨木・専門援助さん

 たなばたは「棚機」のことです。機を織る女性のことを指していましたが、ご存じ織り姫を指してもいます。高校の時使っていた辞書に載っていました。
Tsuneさん

 講談社、語源辞典によると、七月七日に行う織女星と牽牛星を祭る行司、。中国の伝説に基づく行事で、七月七日の晩(七夕)に織女星は、天の川にカササギの翼を延べて橋とし、それを渡って牽牛星と行き会うという。(後略)  ということで、七月七日の晩(夕)に繰り広げられる行事であるため、「七夕」となったのです。
そくらちゃん

 7月7日は、5月5日(端午)や9月9日(重陽)と同じく五節句の一つで「シチセキ」と呼ばれる宮中行事でした。この日に、機織り姫は渓流に神棚=たなを作り、神の衣を織ったことから、タナでハタを織る、ということになり、「タナバタ」と読むようになったのです。
浜ちゃん

 七夕は「しちせき」と読み、5節会(1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日)のひとつでした。 (奇数を重ねるなど、道教の影響の強い習慣と考えられています) それに中国の牽牛織女の伝説が重なりました。織女、すなわち布を織る女性というので、棚機(たなばた)で、たなばた祭りとなり、七夕を「たなばた」と読むようになったようです。
溝渕さん

  それで正解です。
ベリーさん

 たなばたは、織り姫様と彦星様が年に1度だけデートできる素敵な夜なのでございます。
 いつも会えない二人を見て、太陽は、素敵な贈り物をしてあげようと考えました。
 たった一度だけ二人が会える「たなばた」には、綺麗な姿で沈んであげよう! そんなわけで二人が年に一度だけ会えるたなばたには、七色の姿で夕日が沈みます。

 そうです!太陽の粋な計らいが、二人の素敵な夜への序章と導くことになるのです。
 こうして、毎年二人のために夕日が七色の虹のように輝いて見えるのです。

 どうか、そんな気持ちでたなばたの夕日を見て下さい。きっと綺麗なプリズムが見えるでしょう。
 そんな所から「たなばた」を「七夕」と書くようになりましたとさ。 なぁ〜んて、作っちゃった!(笑)
 かなり複雑な諸説が絡んでいるようですね。七夕についてこれだけの学説が存在するなんて知りませんでした。それにしてもこれらの研究をする人達はやはりロマンティストなのでしょうか??
正答者の方々です。本当にありがとうございました。
のんきさん・乱気流さん・matsumotoさん・凪 ようかさん・茨木・専門援助さん・Tsuneさん・そくらちゃん・浜ちゃん・ガウリィさん・溝渕さん★・ベリーさん★

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