| おしえて№886 投稿者 ひろさん | |
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空襲警報ですね。 これから野球という攻防戦が始まります。 サイレンが使われるようになった起源そのものはよく分からないのですが…… 野球は、明治の初めに米人教師が伝えてから、学生の間に普及しました。 体を鍛え、勝敗を競い合う勝負事としてのスポーツという概念は、野球によって日本にもたらされたといってもよいのです。 学生たちは、あっという間に野球に夢中になり、全国で学生野球が組織化されていきました。 二つのチームがはっきりと攻守に分かれ、その中でしっかりと役割分担が決められている野球のスタイルが、 それだけ日本人向きだったということもあるのでしょう。 学生のみならず、管理する学校の側からも、統率、役割、序列を重んじる野球に対しては、「教育」の名目が立ちます。 さらに、体を鍛えられる上に、監督の指揮指導権が強く、戦略や駆け引きの要素が高い野球は、軍事教練的な意味でも、 もってこいのスポーツでした。 正岡子規が野球に夢中だったのは有名な話ですが、子規の盟友だった漱石は「我輩は猫である」の中で、 野球を戦争の攻撃になぞらえて揶揄しています。 そういう時代、戦闘の合図として、また、学生をグラウンドに「招集」する合図としてサイレンが鳴らされることは、 当たり前すぎることだったのではないでしょうか。 今でも高校野球というと、礼儀を重んじるとか、丸刈りとか、戻る時は全力疾走とか、 ひとりの不祥事を全体でとるとか、妙に精神性重視というか、 「高校野球は、スポーツである前にまず教育である」というようなことが強調され、 僕たちの側もそのことに特別な違和感を感じないようなところがあります。 つまり、僕たち自身が、野球に染みついた教練的なものをいまだに肯定し、受け容れているという側面があるのです。 いまだに試合の始まりと終わりにサイレンが鳴らされ、それに疑問を感じるごころか、 むしろ、じーんとしてしまったりするのも、そのことと無関係でないような気がします。 予想ですが! 昔は野球が始まるのを皆に教えるためにサイレンを鳴らしたのではないでしょうか。 時計があまりない時代でしたし、サイレンはどこにでも有ったでしょうからね。 |
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