| おしえて№940 投稿者 takaさん | |
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「語源の快楽」(新潮社)の著者、萩谷朴さん(枕草子なんかも文庫本にしている大先生) が、この本で、ご自分のおじいさん『萩谷義則』ではないかと、いう説を唱えていらっしゃってます。 ちなみにおじいさんは、谷町6丁目で外科医をなさっておられたそうです。 しかも、大阪場所での力士たちの治療代は取らなかったとか・・・ 広辞苑は外科医、薄恕一さんですか・・・どっちがホントなんでしょ?と、元祖探しするのもアレですね〜。 ま、いずれにせよ相撲好きなお医者さんが4丁目の歯科医さんも入れて3人も居たってことで、 「タニマチ」が定着したってのが案外正答だったりして〜〜(笑) 「大阪の谷町」であるのは間違いないようです。 明治の末頃、谷町にいた医師・薄恕一(すすきじょいち)さんが病院内に土俵を設けるほどの相撲好きでした。 彼が力士の治療を無料でしたり、若い力士に小遣い与えたりということをしていたのが由来のようです。 参考URL:「愛 love family」 http://www.spg-family.com/shuhenkiki/text.s-2.html その通り、大阪の谷町です。 力士の金銭や食事の面倒を見たり無料で治療をしたりする相撲好きの医者が大阪(大坂)の谷町筋に住んでいたことが語源です。 「たにまち」は相撲の隠語で後援者・ごひいきのことを指します。 「たにまち」の語源は大阪の谷町で、主に以下の2説があります。 1. 明治時代の末ごろ、大阪の谷町4丁目にあった歯科医(外科医説もあり)が、相撲取りから治療費を1銭も取らなかったことから。 (参考URL:Yomiuri On Line)http://www.yomiuri.co.jp/minijiten/31960724.htm 2.江戸時代の大坂の豪商が相撲取りの後援者となり、その本宅が谷町にあったことから。 (参考URL:時代小説SHOW)http://www.jidai-show.com/i/kotoba/ta_005.html ご推察のとおり、江戸時代、大阪の(当時は「大坂」)谷町筋に確かお医者様だったと思いますが(うろ覚えで済みません)、 勧進相撲のスポンサーが居られたので、「贔屓筋」やそういう人たちに散財させることを「タニマチ」というようになりました。 相撲博物館のサイト等をgoogleでお調べになれば多分個人名が出ていますよ。 とり急ぎで半端な回答ですみません。 『沖田総司・暗殺剣』(加野厚志著・廣済堂文庫)に出てくる言葉。 《たにまち》とは力士の後援者のこと。大金を手中にした大坂商人らは、天王寺近くの高台に豪邸を建て、上り調子の相撲取りを後援することで財力を世間に示した。そうした豪商たちの住む本宅が《谷町》にあったので、いつしか力士の後援者たちを《たにまち》と呼ぶようになった。 新選組局長の芹沢鴨をはじめ、平山五郎、斉藤一、永倉新八、山南敬介、野口健司、島田魁ら選抜された隊士と、総司が大坂に遠征した際、芹沢らは、大坂相撲の力士たちと喧嘩をし、その悪名を高めることになる。(00/04/09) http://www.jidai-show.com/i/kotoba/ta_005.html 広辞苑によると、 たにまち【谷町】 相撲界で、力士の後援者、贔屓(ひいき)筋のこと。明治末年に大阪谷町筋の相撲好きの外科医が力士から治療代をとらなかった ことからという。だそうです。 |
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