戦国裏話 (賭事について)

1  戦国期の戦場では盛んに博打が行われた。男がたくさん集まれば当時することはただひとつ。賭け事であった。大将から一兵卒にかけて嫌いというやつはいない。最初は金をかけているが、どんどん負けてなくなっていく。すると身に付けている鎧や刀をも質に入れてしまう。室町期の戦場では裸で刀だけをもって戦場を右往左往する輩も居れば、鎧だけで、素手で相手に組み合おうとする者もいる。室町期の兵隊の八割がこのような兵士たちで、武具が揃った兵士は大概功は柄げずに、武具が揃っていなかった人間の方が功名を上げることが多かった(塵塚物語など)。何も無いのだから必死であったのだろう。


2  応仁のころになる、ひどく困窮したものは空手形をだす。京の都の商人のあそこの家には大きな蔵が合って大金持ちに間違いない。」という風に他人の持ち物をかけて賭けをした。それが略奪行為の始まりである。京都を守る側が大概弱いのは、この略奪による得る物がまったく無かったからだと言われている。


3  戦国期の神社仏閣には「境内での略奪狼藉を禁ずる」との政令を領主からえていることが多い。「応仁記」などの中にも、「兵糧を押しとり神仏問わず暴れる」というような記載が多数みあたる。徳人という言葉が出てくるが、これは有産家のことである。戦争に行き、徳人の家を略奪したり、村などを襲って楽々と暮らすやつがいる。「太閤記」にも山中鹿之助が美保関に夜襲をかけたとき、「地下人ども得たり…」とあり、鹿之助の夜襲を機会に大略奪を行い大金持ちになったという記載がある。当時の考え方として、略奪が悪いこととはみなされず、そのような思慮分別に大いに欠ける時代であった。軍神として知られる上杉謙信、甲斐の虎の武田信玄などは略奪の親玉のような人物という一面も見られる(本記載は他意はありません。これが当時の事実であり、それが悪いとはみなされていなかったのです。たとえば、時同じく大航海時代の奴隷についても言える事であるように、地球上でこのような考え方がまかり通ってました。すなわち弱肉強食です)。その時代にピリオドを打ったのは織田信長であり有名な「一銭切り」である。


4  戦の合間に略奪をするのはまだ良い方で、接戦の最中にも行われることがあった。火事場泥棒という言葉があるが、火事場に居るものが泥棒するのではなく、火事の騒ぎにまぎれて外から入ってきて泥棒する人のことである。大坂の役のときなんか、「ふんどし泥棒」まであった。安藤右京之進という武士がいた。合戦の最中に裸の死体を担いでくる人を見かけた。「いったい誰の死体だ!ふんどしもつけていないなんて見苦しい!」と言うと、それは一族の安藤右衛門であった。戦場には野武士がたくさんいて、討ち死にした武士の甲冑を剥ぎ取るなんて珍しいことではなかった。明良洪範でも同じようなことがかいである。

戦国にまつわるその他の話