高天神城

1574 年 5 月、武田勝頼が包囲、6 月 28 日に猛攻撃をかけ、二の丸主将本間八郎三郎氏清が部下 300 人を率いて守備した。武田方の穴山隊西島七郎左衛門の鉄砲により本間は負傷し絶命した。この碑は江戸時代に後裔の本間氏が立てたもの。

 大河内幽閉の石牢。1574 年 5 月の武田の猛攻により城主小笠原長忠は降った。軍艦大河内源三郎政局は一人勝頼の命を聞かずここに幽閉された。武田方の城番横田尹松は大河内の忠義に感じ入り、密かに厚く遇した。

 1581 年徳川方が城を奪還し政局を救出、足かけ七年を石牢で過ごしたため、歩行困難になってしまった。後年家康に召されて、長久手の合戦で戦死した。

 本丸跡・・・後に井伊家に仕えた孕石泰時の父孕石元泰はここで家康に殺された。その後、天正 9 年以降は廃城となった。  御前曲輪跡。石垣がありますが、これは後世のものと思われます。

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