ボイジー滞在日記 第2集
11月になりました。ボイジーは紅葉の美しい季節です。
8月末にボイジーに来てから、およそ2ヶ月。
でも、実感としては、もっと長い月日が過ぎてしまったような気がします。
その最大の理由は、ボイジーの「季節の移り変わりの早さ」のようです。
ボイジーに来たときは、まだ夏の陽気でした。
それが、9月に入るとすぐに涼しくなり、10月はもう紅葉の季節、そして急に冷え込んできて、もはや「冬」を予感させる寒さです。
最近のボイジーの最高気温は55〜60度(およそ13〜16度C)、最低気温は35度(およそ2度C)前後。
東京や大阪でいえば、12月ぐらいの気温です。
それだけ、夏から秋、そして冬へ向かうテンポが急なので、実際より「長い月日が過ぎた」ような錯覚に陥るのです。
今日は、久しぶりにサイクリングに出かけました。
先々週はアトランタ旅行、先週はRegioSprinterの試乗で、週末サイクリングはお休みだったので、3週間ぶりのサイクリングです。
今日の行き先は、ボイジー川上流の、ダム直下の公園。
ここを訪れるのは、最初のサイクリング(→9月6日の日記)以来、8週間ぶりです。
Julia Davis Parkから、ボイジー川右岸のbike pathを走ることおよそ50分、ダム直下の公園に到着しました。
前にここに来たときには、気温は90度(およそ32度C)近く、家族連れの人たちが遊水池で気持ちよさそうに泳いでいたのを思い出します。
今は、訪れる人の姿もなく、ひっそりとしています。
その、誰もいない公園の芝生にひとり腰を下ろして、しばらく休みました。
今日はよい天気で、風も弱いので、じっとしていると、やわらかな陽射しの暖かさが感じられます。
でも、あと1ヶ月もすると、サイクリングもできないほどの寒さがやってくるのでしょうか。
今のところ、寒いといっても震え上がるほどではないので、自転車に乗るのは平気です。
でも、これから本格的な冬の冷え込みがやってくると、「自転車通勤」は厳しくなるかもしれません。
母と姉が、はるばる日本からボイジーに私を訪ねてくれました。
私がアメリカに渡航する少し前から、姉は私の滞在中にアメリカへ来ることを計画していたようで、今回、休暇をとって母と二人で訪問に踏み切ったということです。
二人は、大阪からサンフランシスコ滞在のフリーツアーに参加し、自由行動中に1泊2日でボイジーに来るということで、1ヶ月ほど前から、姉とメールで打ち合わせをして、国内線航空券の手配などをしていました。
午前11時少し前、ボイジーの空港のゲート前で、サンフランシスコから国内線の飛行機に乗って来た母と姉を出迎え。
2ヶ月ぶりの再会です。
まずは路線バスを乗り継いで、私のアパートへ。
ここで、あらかじめ頼んでおいた日本からの「お土産」をもらいました。
内容は、日本の新聞や食べ物などです。
しばらく休んだあと、「市内観光」に出かけました。
まずは、いつも自転車で走っているボイジー川沿いの緑地帯を歩いて、大学へ向かいます。
今日のボイジーはとても暖かく、よい天気で、街中や公園の紅葉がとても美しく見えます。
私にとってはすっかり見慣れた風景も、二人にとってはすべて新鮮なようで、姉はしきりに街路や公園の風景をカメラに収めています。
とりわけ、街中をリスが平気で走り回っているのには、二人とも驚いていました。
こうして歩くうちに、私自身も、ボイジーの街の美しさを、あらためて感じることができました。
(写真: ボイジー川)
40分ほど歩いて、ようやく大学に到着。
まずは、Tomekのオフィスを訪ね、「私の家族です」と二人を紹介。
母はTomekに日本語で一生懸命あいさつしていました。
そのあと、Student Unionの建物に行き、学生食堂「Table Rock Cafe」で昼食をとりました。
大学から川を渡ってJulia Davis Parkへ、さらに中心街へ歩きます。
中心街では、お土産物屋「Taters」で買い物。
母はプリントTシャツ、姉はマスコットキャラクターのマグネットが気に入ったようです。
(写真: Julia Davis Park)
夕食は、中心街の日本料理店「Shige」にて。
私にとっては久しぶりの日本食です。
3人それぞれ「寿司」「天ぷら」「すき焼き」を注文し、分け合いました。
どれもなかなかおいしく、母と姉にも好評でした。
いつも買い物に行っているスーパーマーケットに立ち寄ってから、アパートへ。
母と姉の今夜の宿は、なんと私のアパートです。
いつも使っているフルサイズ(セミダブル)のベッドを二人に提供して、私はカウチに折りたたまれている簡易ベッドで寝ました。
翌朝、母と姉とともに、ボイジーでの朝を迎えました。
「アイダホポテトが食べたい」というリクエストに応えて、朝食にポテトのチーズ焼きを作って、3人で食べました。
母と姉は、11時12分発の飛行機でサンフランシスコに戻るということで、私は市街地の空港行きのバス乗り場に二人を案内して、そこで見送るつもりでした。
ところが、今朝になって、姉に「せっかくだから、いっしょにサンフランシスコに行かない?」と誘われて、気が変わってきました。
航空券も持っていない、旅支度もできていない、あまりに急な話ですが、行けるものなら、この際行ってみたいものです。
そこで、「とりあえず空港まで行って、その気になれば飛行機に飛び乗れるように」と、最小限の荷物をバックパックに詰め、パスポートとトラベラーズチェック、クレジットカードを持って、アパートを出ました。
空港に着いたのは、出発40分前。
まずは発券カウンターで母と姉のチェックイン。
続いて、「私も同じ便に乗りたい」と申し出ると、「予約で満席だが、空席待ちでなら乗れるだろう」との返事。
とりあえず、次の便の予約をキープしてチケットを買い、ゲートに向かいました。
そして、出発10分前、ゲート前のカウンターで空席待ちの呼び出しがかかりました!
めでたく搭乗券を手にして、飛行機に乗り込みます。
なんともあわただしい旅立ち。
バックパック一つで飛行機に乗るのも初めてです。
突発サンフランシスコ訪問記
2時間ほどで、サンフランシスコ国際空港に到着。
まずは私のボイジーへの帰りの航空券を買っておきます。
タクシーで市街地に出て、昼食をとったあと、母と姉は免税店ショッピング、私はケーブルカーに乗ってフィッシャーマンズ・ウォーフを訪れました。
サンフランシスコは、ボイジーとは比べ物にならない大都会。
それはそれで私にとって新鮮ですが、観光名所には日本人旅行者がうじゃうじゃいて、町の中も日本料理店や日本人相手のブランドショップだらけ、おまけに、居住者の中にも東洋人が多いとあって、アメリカにいる気がしなくなってしまいます。
何しろ、私にとっては、最初に見たアメリカの町が、観光客とはまるで縁のない「ボイジー」なのですから。
翌7日は、3人でヨセミテ国立公園へのバスツアーに参加しました。
バスは7時半頃にサンフランシスコを出発。
一路シエラネバダ山脈を目指し、「大地」と呼ぶにふさわしい、広々とした平原の中をひたすら走ります。
アイダホの山並みとはまた違った、雄大な風景です。
4時間ほどで、ヨセミテ国立公園に到着。
バスは観光の中心、ヨセミテヴァレーのビューポイントを順にめぐってくれます。
天気も良好で、高さ1000メートルの巨岩エル・キャピタン、半月状の岩山ハーフ・ドームなどの、ダイナミックな景観を十分に楽しめました。
(写真左: ヨセミテ最大のビューポイント、トンネルビューにて。左: 姉、右: 母)
(写真右: ハーフ・ドーム)
サンフランシスコに戻ってくると、もう夜。
サンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジを渡るバスの車窓から、ファイナンシャル・ディストリクト(金融街)の「百万ドルの夜景」を眺めることができました。
8日、帰国の途につく母と姉をサンフランシスコ国際空港で見送り、私はボイジーへの国内線の乗り場へ。
ゲート前で搭乗開始を待つ間に、目の前の滑走路から、母と姉の帰国便、JALの成田行の飛行機が離陸していきました。
まもなく、ボイジー行の飛行機も出発。
座席は左の窓側だったのですが、これが大当たり!
離陸直後に、サンフランシスコの市街地やサンフランシスコ湾、ゴールデンゲートブリッジが一望できました。
ボイジーに帰ってくると、もうくたくた。
突然の旅行で、航空運賃も値が張ってしまいましたが、「行ってよかった」と思いました。
直美のボイジー訪問記
筆記試験編
アメリカで運転免許をとるのはとても簡単で、費用も安い、ということは、以前から聞いていたのですが、渡米当初は、運転免許取得にはあまり関心がありませんでした。
ところが、AUAPの学生の方々と話すうちに、彼らの多くが、滞在中に頑張って免許を取得していると知って、刺激を受けました。
学生さんたちに負けてはいられない、そんな気持ちで、私も免許取得に挑戦することにしました。
滞在期間はまだまだ長いので、それほど急いで免許を取る必要はないのですが、ぐずぐずしていても、だんだん面倒になってくるだけだと思ったので、「Thanksgiving Day(感謝祭/11月27日)までに免許をとる!」という目標を設定して、手続きを進めることにしました。
アメリカでの運転免許取得の手続きは、とっても簡単。
まずは、Driver's Manualを読んで交通法規をマスターして、陸運局で筆記試験(written test)を受けます。
それに合格したら、運転技術のある人は即座に路上試験(road test)を受けて免許交付、そうでない人は、自動車学校で一定時間教習を受ければ、それで免許がもらえます。
(この手続きは、AUAPの学生の方が教えてくれました。)
要するに、「法規を知っている」「基本的な運転操作ができる」の二つさえ満たせば、免許がおりるわけです。
自動車学校は、AUAPの学生の方々は、日系人が経営している「Nakano Driving School」を利用しているとのことで、私もそこへ行くことにしました。
Driver's Manualは2週間ほど前に入手して、一通り目を通しておきました。
(図: IDAHO Driver's Manualより)
今日は「筆記試験を受けに行く」と決心し、朝8時ごろ、バスに乗って陸運局へ出向きました。
窓口で「運転免許を申請したい」と申し出ると、まずパスポートで身分の確認、それから、身長、体重などを尋ねられ、次に視力検査。
眼鏡をかけた状態で、両眼で0.5以上の視力があれば合格です。
そのあと、筆記試験の問題が渡されました。
受験料は3ドルです。
試験の問題は、すべて3〜5個の選択肢から選択する形式。
40題中誤答6題以下で合格です。
内容は、基本的な運転技術と交通法規、標識類に関するものです。
問題文はもちろん英語ですが、辞書の持ち込みが可能なので、問題の意味が分からないということはありません。
ほとんどの問題は、ごく基本的な知識を問うもので、Driver's Manualをきちんと読んでいれば、迷わず答えられますが、中には、
降雨時、路面が最も滑りやすくなるのは次のどの場合か。
- 舗装が新しい場合。
- 舗装が傷んでいる場合。
- 弱い雨が降り始めたとき。
- 何時間も雨が降り続いているとき。
というような、ちょっと難しい問題もありました。
ともかく、40題すべて解答し、提出しました。
採点の結果は、誤答3題で、めでたく合格。
採点が済んだら、どの問題を間違えたか、ちゃんと知らせてくれました。
何はともあれ、これで最初の関門、筆記試験は無事通過。
自動車学校への紹介手数料10ドルを支払い、領収書を受け取りました。
私に関するデータは、陸運局からNakano Driving Schoolに送られるようで、この領収書を示して教習を受けよ、とのことです。
さっそく、Nakano Driving SchoolのGeorge Nakano氏に電話して、17日の午前に教習の予約を入れました。
いよいよ、アメリカの地で実際に自動車を運転する日がやってきます。
楽しみなような、心配なような...
教習編
朝8時、Towers(大学の学生寮)の前にGeorge Nakano氏が教習車で迎えに来ました。
アメリカ流の運転教習は、「いきなり路上」です。
George氏は、あいさつもそこそこに私を運転席に座らせ、ハンドル(steering wheel)の持ち方、アクセル(gas pedal)とブレーキ(brake pedal)の踏み方、ルームミラー(inside mirror)、ドアミラー(outside mirror)の見方、死角(blind spot)などを説明してくれます。
George氏は日系人で、おおぜいのAUAPの学生に運転を教えているだけあって、「右」「左」「まっすぐ」など、日本語の単語をたくさん知っていて、日本語英語チャンポンで話してくれます。
意外だったのは、教習車がオートマチック車だったこと。
てっきりマニュアル車だと思っていて、難しそうだと心配していたのですが、少し安心しました。
一通り説明を受けたところで、いよいよ出発。
最初はアクセルを踏まず、おそるおそるクリープで進み、Towersの裏から大学の外の道路に出ました。
まだ朝早いので、道路を走る車は少ないですが、それでも、初めての運転とあって、さすがに緊張します。
特に、ハンドルを持つ手についつい力が入ってしまい、「ノーちから、肩からリラックス」と、何度も注意されました。
あと、難しく感じたのが、アクセルとブレーキの踏み方。
発進時についアクセルを強く踏んでしまったり、気づかないうちにアクセルとブレーキを同時に踏んでいたりして、なかなかうまくいきません。
まずは市街地を通り抜けて、車がほとんど通っていない住宅地へ。
住宅地の中は道路が細かく碁盤目に走っていて、交差点には信号も一旦停止のサインもありません。
ここで、信号も標識もない交差点(uncontrol intersection)での一旦停止と左右確認の練習、街路をうねうねと走りながら右折、左折の練習、それに縦列駐車(parallel parking)の練習と続きます。
次に、山すその道路に出ました。
今までは碁盤目状の街路でしたが、こんどは右へ左へゆるやかにカーブした道で、カーブの練習です。
自分ではなかなか車線の中央をキープできず、George氏が助手席から手を伸ばし、細かくハンドルを動かしてアシストしてくれます。
このあたりまでくると、自動車のスピードにも慣れてきて、35mph(約55km/h)ぐらいは平気で出せるようになりました。
でも、調子に乗っていると、「Slow. Not too fast.」と注意されてしまいます。
1時間ほど走ったところで、大学の近くに戻ってきて、モーテルのロビーで休憩。
George氏が、「初めてにしては上手な運転だ」とほめてくれて、少し自信がつきました。
次はいよいよフリーウェイ(freeway/高速道路)の練習。
「フリーウェイの運転はとてもやさしい。
心配することはない。」とGeorge氏は言いますが...
フリーウェイの入り方、出方、車線変更、合流車線の確認などの説明を受けてから、出発。
市街地に近いフリーウェイのランプに入り、ウィンカー(turn signal)を出し、合流する車線を確認、そして加速帯(accelaration lane)で一気に加速して合流します。
しばらくそのままフリーウェイを走ってから、こんどは何度も出たり入ったりの練習です。
フリーウェイに入ってしまうと、知らず知らずの間に速度は上がり、気づいてみると70mph(約110km/h)ほどで走っています。
今日初めてハンドルを持ったというのに、自分でも驚くほど早く、スピードに「慣れてしまう」ものなのですね。
フリーウェイに乗って郊外まで来たら、こんどはまっすぐな4車線道路で車線変更の練習。
そして、その道路が2車線に狭まったところで、3点ターン。
再びフリーウェイに乗って、出たり入ったりしながら、市街地に戻ります。
最後は、中心街に入り、碁盤目状の街路をうねうね走りながら、信号のある交差点の右折、左折の練習です。
こんどは一方通行(one way)の道もあり、また、歩行者も多いので、注意すべきことがたくさんあって、たいへんです。
11時少し前、Towersの前に戻ってきて、やっと今日の教習が終わりました。
最後に、「君の課題は、発進時にアクセルを強く踏まないことと、肩から力を抜くことだ。」と、注意を受けました。
8時から11時までの3時間、ほとんど運転し続けていたので、すっかり疲れてしまい、また、早起きだったので、お腹も空きました。
Student Unionのカフェテリア「Table Rock Cafe」で昼食をとり、コーヒーをおかわりして、たっぷり休憩しました。
次の教習は明日の午前。
今日と同じく、8時から11時まで3時間教習を受ければ、それで規定の教習は完了です。
2日目の教習は、朝8時、私のアパートの駐車場からスタートです。
まずは、昨日と同じで、郊外の住宅地で右折、左折、縦列駐車。
そのあと、山すその曲がりくねった道を走ります。
昨日走った道よりカーブがきついので、慣れないうちはなかなか車線どおりに走れません。
最初のうちは、カーブにさしかかってからハンドルを回そうとして、うまくいかなかったようで、「カーブにさしかかる少し前からハンドルを回し始める」
ことを意識すると、だんだんうまくいくようになってきました。
やはり、昨日と同じで、ハンドルを持つ腕が「肩肘張って」しまい、何度も「リラックス、ノーちから」と注意を受けてしまいます。
次は、市街地に入り、信号のある交差点での右折、左折。
ここで気をつけなければならないのは、一方通行(one-way street)が随所にあること。
一方通行路に左折で入るときには、左端の車線に入るのですが、そのことばかり意識していると、一方通行の左端の車線から対面通行の道路(two-way street)に左折で入るとき、うっかり対向車線に入りそうになってしまいます。
(注: アメリカの道路は右側通行です。)
ここまで1時間ほどは、「昨日の復習」です。
今日の課題は「長距離ドライブ」。
ボイジーの市街地を離れ、ハイウェイ(highway/州道)をひたすら走ります。
郊外のハイウェイは、カーブがゆるやかで、道幅も広いので、とても走りやすいです。
車線の中央を保つことも、カーブの曲がり方も、少しずつ要領がわかってきて、だんだん思い通りに走れるようになってきました。
およそ55〜60mph(90〜95km/h)の速度を保ちつつ、30分近く走ったところで、脇道を通って別のハイウェイに入り、ボイジーの市街地に戻っていきます。
帰り道は、けっこう運転に慣れてきて、走りながらルームミラーやドアミラー、それに周囲の風景に目を向ける余裕が出てきました。
10時ごろ、昨日と同じく大学の近くのモーテルに入って、しばし休憩。
最後の1時間は、私の最大の苦手科目、「市街地の交差点の右折、左折」の特訓になりました。
中心街に入り、まずは右折ばかりで同じブロックを時計回りにぐるぐる、次は別のブロックを左折で反時計回りにぐるぐる、その繰り返しです。
どうやら、私の悪い点は、右折でも左折でも、「ハンドルを必要以上に回しすぎて、小さく回ってしまう」ことだったようで、何度も練習するうちに、少しずつ加減が分かってきました。
11時少し前、アパートの前に戻ってきました。
昨日と合わせて6時間、これで規定の教習は完了。
教習代は2日分で250ドルでした。
(画像: 教習記録の一部)
この教習に関する証明書が陸運局に届けられ、それによって免許証が発行される、というシステムです。
翌朝、免許証を受け取りに陸運局に出向きました。
パスポートで身分を確認し、教習の証明書を確認すると、申請書が渡されました。
それに記入、署名して提出すると、その場で顔写真を撮影し、免許証が作成されます。
専用のインスタントカメラに申請書をセットして撮影すると、顔写真と免許証の文面部分が合わさってプリントされる仕組みで、それをその場でカット、パウチして、免許証の出来上がりです。
申請料は20ドル50セント。
こうして、「Thanksgiving Day前の運転免許取得」という当初の目標は、めでたく達成されました。
金曜日に筆記試験、月曜日・火曜日に教習、水曜日に免許交付、ということで、手続きを始めてから免許がおりるまで、週末を除いてたったの4日!
かかった費用も、全部で300ドル弱。
日本で免許をとるのとは比べ物にならない簡単さ、早さ、安さです。
George氏は、このことを次のように言っていました。
日本人がアメリカで運転免許をとるのは、無料航空券を手に入れるようなものだ。
なぜなら、日本で免許をとるには3000ドルもかかるのだから。
AUAPの学生さんとの交流
10月24日に初めてAUAP(亜細亜大学アメリカプログラム)の学生の方々と顔を合わせて以来、数人の学生の方とは、交流が続いています。
特に親しくなったのは、Dean邸での「鍋会」に参加した人のうち、けいくん、のりこさん、ちかさんの3人。
けいくんとは、学内で会ったときなどに立ち話することがよくありますし、のりこさん、ちかさんとは、先週土曜日(15日)にも、Deanを交えて昼から夜までいっしょに遊びました。
また、AUAPの学生はみなe-mailのアカウントを持っていて、上の3人とは、ときどきメールのやりとりがあります。
(彼らのメール環境では日本語が扱えないそうで、もっぱら英語でですが。)
ほかの方々も、学内で出会うと「こんにちは」と声をかけてくれる人が多く、うれしく思っています。
今日は、AUAPの「アイスクリーム懇親会」(Ice Cream Social)の日です。
AUAPの学生がルームメイトやコミュニティフレンドを招待して、「いっしょにアイスクリームを食べて仲良くなりましょう」という企画ということで、AUAPの学生の方々のみならず、DanやMollyをはじめとするAUAPのスタッフや、その他のアメリカ人とも会話できるチャンスだと思い、行ってみることにしました。
懇親会は7時からなので、まずは夕食を済ませようと、6時ごろにカフェテリア「Table Rock Cafe」へ。
カフェテリア内でけいくんと出会い、いっしょに食べながら歓談しました。
残念ながら、彼は「アイスクリームは好きじゃない」などと言って、懇親会には来ませんでした。
会場に行ってみると、入り口の前で数人の学生がたむろしていて、会場内では数人のスタッフが準備をしています。
会場に入ると、まずはDanが握手を求めてきました。
そして、しばらく彼と話しているうちに、Mollyが現れました。
Mollyとは、10月中旬にMarionが紹介してくれて以来、1ヶ月ぶりの再会です。
「Nice to meet you today!!」と、笑顔で握手を交わしました。
彼女は、すでに私がAmerican experienceの授業を訪れたこと、そしてDean邸での夕食会に行ったことを知っていたようですが、「I've already got some friends among these students.
(私はすでに数人の学生と友達になった)」と話すと、「Oh, great!」と驚いていました。
(→アメリカ流社交術)
奥のカウンターで
AUAPスタッフの方々にアイスクリームを盛ってもらい、Mollyや数人の学生の方々とテーブルを囲み、歓談しました。
私も2ヶ月半の滞在でだいぶ英会話に慣れてきて、Mollyを交えた英語での会話でも、けっこう話がはずむようになってきました。
8時近くなり、ちらほら帰る人も出始めた頃、Deanがご自慢の手作りパンプキンケーキを持って現れました。
このケーキのおいしさにはMollyも絶賛。
これを食べずに帰った人は損をしましたね...
8時過ぎに、懇親会はお開きとなりました。
今日の最大の収穫は、なんといってもMollyと再会して、たくさん話ができたこと。
なにしろ、先月に私がAmerican experienceの授業を訪ねてAUAPの学生の方々と出会えたのは、彼女のおかげだったのですから。
とうとうボイジーに冬がやって来ました。
遠くの山はもう、うっすらと雪化粧しています。
寒くなってくると、週末サイクリングもつらくなるので、今日は今年の「サイクリング納め」に出かけることにしました。
今日は、いつものボイジー川沿いの自転車道ではなく、ボイジーの市街地の北東にある、「テーブルロック山」(Table Rock Mountain)を目指します。
朝10時、アパートを出発し、市街地を東へ。
空模様があまりよくなく、けっこう寒いので、パーカーの上からコートを着るという重装備で出かけました。
市街地を通り抜け、山すその登り道にさしかかります。
山すそにもけっこう住宅地が広がっていて、家々の間の道路を登っていきます。
Tomekから借りている自転車は、前(ペダル)3段、後ろ(後輪)7段の変速付きのマウンテンバイク。
このような坂道でこそ、その威力を発揮します。
この自転車を借りて以来初めて、ペダル側の一番内側のギアを使いました。
それにしても、登り道を一生懸命自転車で登ると、すぐに暑くなってきます。
コートの内側のパーカーを脱いで、自転車にくくりつけました。
かなり登ったところで、「Table Rock Road」という街路を発見。
その道をたどっていくと、住宅地の端で舗道は切れ、未舗装の道が丘の上に向かって延びています。
その道を、自転車を低速ギアでこいだり、歩いて自転車を押したりしながら、さらに進むと、ようやく丘の頂上が見えてきました。
「テーブルロック」の名の通り、てっぺんの平坦な丘です。
こうして、アパートを出発してから1時間弱で、テーブルロック山の頂上にたどり着きました。
頂上からは、ボイジーの市街地や、郊外の平地が一望できます。
お天気がよくないのが残念ですが、とてもよい眺めです。
景色を眺めているうちに、寒くなってきたので、再びパーカーを着て、帰路につきました。
帰りは下り坂なので楽々。あっという間に市街地に下りてきました。
時刻は12時少し前。お腹が空いてきたので、大学の近くのBURGER KINGに入り、昼ご飯にしました。
アイダホ州やユタ州では、Thanksgiving day(感謝祭)は「スキーシーズンの始まり」をも意味します。
近隣のスキーリゾートは、Thanksgiving Holiday(感謝祭後の連休)から、スキーヤーで賑わい始めるようです。
いよいよ冬本番。
もう少ししたら、ボイジーの平地にも「雪」がやってくるのかもしれません。
アメリカでは、11月第4木曜日はThanksgiving Day(感謝祭)の祝日です。
翌日の金曜日も祝日(Day after Thanksgiving)となっているので、土日と合わせて4連休です。
この連休は、アメリカ人にとっての「旅行シーズン」。
私も旅行をしてみようと思い、お隣ユタ州の州都ソルトレークシティに行くことにしました。
旅行を思い立ったのが1週間ほど前だったので、飛行機の予約を取るにはちょっと遅すぎます。
それで、往復の交通はグレイハウンド社の長距離バスを利用することにして、ソルトレークシティの市街地のモーテルを金曜夜の1泊だけ予約しておきました。
(→長距離バスの旅)
金曜日(28日)の未明12時10分、ボイジーのバスステーションからソルトレークシティ行きのバスに乗りました。
ここから7時間の夜の旅です。
バスは暗闇の中のフリーウェイをひたすら走ります。
座席を2つ占領して、狭いながらもなんとか横になり、睡眠をとりました。
朝7時半頃、ソルトレークシティのバスステーションに到着しました。
まずは朝食を求めて中心街を探検。
ZCMIセンターというデパートの中に、朝から開いている軽食店街を見つけ、朝食にありつきました。
軽食店街のテーブルでガイドブックを開いて市内観光の計画を立てて、9時少し前に行動開始。
まずは、市街地北部の丘の上に建つキャピトール(capitol/州議事堂)を目指します。
丘への坂道を登りきると、正面にキャピトールが現れました。
建物の外観は、ボイジーのキャピトールにそっくり。
どの州のキャピトールも、ワシントンD.C.のキャピトール(連邦議事堂)を真似て造るから、同じような外観になるようです。
建物の内部は一般に公開されていて、ふだんはガイド付きツアーも行われているのですが、今日は祝日ゆえツアーはなし、との掲示。
4階建ての建物の下から上まで、歩いて見て回りました。
正面玄関から外に出てみると、ソルトレークシティの市街地や遠くの山並みが一望できます。
天気は快晴。
雪を頂いた山々がとても美しいです。
10時ごろ、丘を下ってテンプルスクエア(Temple Square)へ。
テンプルスクエアは、モルモン教(The Church of Jesus Christ of Latter-Day Saints/末日聖徒イエス・キリスト教会)の寺院や集会所などの建物が集まっている、塀に囲まれた街区で、モルモン教の総本山であるとともに、ソルトレークシティの街の中心でもあります。
入り口に近いビジターセンターでガイドツアーを依頼すると、日本人のモルモン教徒の女性が、敷地内の建物を順に案内してくれました。
40年かけて建てられたという大理石造りの寺院(Temple)から始まり、集会場(Assembly)、タバナクル(Tabernacle/大礼拝堂)とまわり、最後に、ビジターセンター内の壁画を順に見ながら、旧約・新約聖書のストーリー(イエス・キリストの降誕から復活まで)を説明してくれました。
ツアーが終わると、もう12時少し前です。
12時からは、タバナクルで無料のパイプオルガンのリサイタルがあるというので、聴きに行きました。
タバナクルは、長円形のドーム型の建物で、音響のよさには定評があり、また、ここのパイプオルガンは世界最大級とのこと。
ここで、ゲストの女性オルガニストによる、30分ほどのリサイタルを楽しみました。
ソルトレークシティは、宗教的迫害から自由を求めてこの地にたどり着いた、モルモン教徒の開拓民によって建設された街。
それだけに、とても治安のよい、整然とした美しい街です。
ボイジーも美しい街ですが、ソルトレークシティとはだいぶ雰囲気が違います。
ゴールドラッシュでひらけたアイダホの街との成立過程の違いが、街並みに表れているのでしょうか。
午後にまず訪れたのは、ビーハイヴ・ハウス(Beehive house/ミツバチの巣の家)。
ユタ州初代知事となったモルモン教徒の指導者ブリガム・ヤング(Brigham Young)氏が、知事公邸として建てた家で、屋根にミツバチの巣があったことから、この名がつきました。
ちょうどガイドツアーが始まるところで、ガイドの老婦人の説明を受けながら、家の中を見て回りました。
そのあと、テンプルスクエアの隣の「教会の歴史と美術の博物館」
(Museum of Church History and Art)を見学すると、時刻は4時少し前。
予約しておいたモーテルに行き、チェックインしました。
夜行バスで到着してから、ずっと市内観光していたので、とにかく疲れて、おまけに眠いです。
部屋に入るなりベッドに寝転び、昼寝を決め込みました。
7時半から、テンプルスクエアのタバナクルでコーラスのコンサートが行われるというので、6時過ぎにテンプルスクエアに行ってみました。
敷地内は、クリスマスに向けてのイルミネーションが行われています。
寺院はライトアップされ、敷地じゅうの木々に色とりどりの豆電球のあかりがともり、とても美しく、幻想的です。
このイルミネーションは、ちょうど今夜から始まったとのことで、敷地内は見物客でたいへんな人ごみです。
コンサート会場のタバナクルも満員。
チケットを持っていない人は「空席待ち」となり、開演の10分ほど前に、ようやく客席に案内されました。
コンサートの内容は、地元のハイスクールの合唱団の合同による演奏で、クリスマスキャロルを中心としたプログラムでした。
合同演奏による大合唱あり、各団の単独による演奏あり、曲目もバラエティに富んでいて、1時間ほどの短い演奏会でしたが、楽しく聴くことができました。
最後は、パイプオルガンの伴奏、全団体合同による、ヘンデルの「ハレルヤ」です。
オルガンの前奏が始まると、聴衆がみないっせいに立ち上がりました。
それだけでなく、合唱団の演奏に合わせて「うたい出す」人もいて、指揮者も客席を振り返って唱和を求めます。
学生時代に合唱活動をしていた私が、それに応えてうたったことは、言うまでもありません。
8時45分頃に、コンサートはお開き。
印象深い旅先での一夜となりました。
翌29日朝、テンプルスクエアと市街地を散歩したあと、11時15分発のバスでソルトレークシティを離れました。
こんどはユタとアイダホの雄大な風景を眺めながらの、9時間の長旅です。
夜8時過ぎ、ようやくボイジーに帰ってきました。
アメリカで初めてのバス旅行で、けっこう疲れましたが、楽しかったです。
12月20日に、カリフォルニア大学アーヴァイン校(UCI)で集合論の研究集会が開かれるということを、しばらく前にTomekから聞きました。
UCIでは、今年の夏から、私の知り合いの集合論専攻の日本人学生、石宇哲也さんが、集合論研究者のMatthew Foreman氏のもとで学んでいます。
それで、せっかくご近所(といっても、1000kmほど離れていますが)にいるのだから、滞在中に一度はアーヴァインに彼を訪ねたいと思っていました。
今回の研究集会は、訪問の絶好の機会。
迷わず行くことに決めました。
アーヴァインは、ロサンゼルスの南のオレンジカウンティー(county/郡)に属し、ロサンゼルスからの距離はおよそ40マイル(65km)。
BSUは19日からクリスマス休暇なので、アーヴァインまで行ったついでに、ロサンゼルスを旅行しようと考えました。
さらに、せっかく運転免許をとったのだから、ということで、アーヴァインからロサンゼルスへの移動や、ロサンゼルスでの観光、さらに研究集会中のアーヴァインでの移動のために、思い切ってレンタカーを借りることにしました。
とはいえ、たった6時間の教習で免許をとったばかりで、それ以来一度も運転の練習をしていないので、はっきり言って、運転技術には自信がありません。
それでいて、いきなり見知らぬ土地で一人でレンタカーを運転するというのは、我ながら大胆だとは思います。
でも、初めての運転に不安を感じるのは、ボイジーでもアーヴァインでも、また、どんな車でもきっと同じこと。
どこかで思い切って実際に車を運転してみないと、いつまでも練習できないまま、ペーパードライバーになってしまいそうなので、今回の旅行のひとつの目的は「運転の練習」と割り切って、「脱・ペーパードライバー」を目指すことにしました。
今朝、旅行代理店に行って、航空券とレンタカーの予約をしました。
日程は、研究集会の前日の19日に出発、23日に帰着の4泊5日。
せっかくのクリスマス休暇だし、南カリフォルニアはボイジーよりずっと暖かいだろう、ということで、少しゆったりした日程にしました。
往路は19日早朝の便で、ボイジーからソルトレークシティ乗り継ぎで、オレンジカウンティー空港へ。
復路は23日夕方、やはりオレンジカウンティーからソルトレークシティ乗り継ぎです。
運賃は往復で267ドル。
レンタカーは、オレンジカウンティーの空港で借りることにして、同時に予約しました。
車種はeconomy、料金は1日あたり38ドルです。
宿は、19日から2泊分は、すでに空港近くのモーテルを予約してあります。
残り2泊は現地で探すことにして、気ままなドライブ旅行にしようと思っています。
とはいえ、やはり、つくづく自分の運転技術が不安です。
まあ、「安全運転」を心がけて、気楽にいこうと思います。
今日は日曜日。少し朝寝して、9時ごろに目を覚ましました。
今朝はちょっと暖房の効きが悪いような気がする、などと思いながら、いつものようにシリアルとドライフルーツの朝食を食べました。
そして、10時半頃、外の明かりを採ろうとカーテンを開けてみると、なんと、目の前の芝生や駐車場の車に、うっすらと雪が積もっているではありませんか!
いよいよ、本格的な冬がやってきました。
12月に入ってから、急に寒くなってきて、ここ数日の最高気温は40度(4度C)、最低気温は20度(-7度C)ほど。
同じ時期の東京や大阪よりはずっと寒いでしょう。
今日の雪は、まだ「銀世界」というほどではなく、アスファルトの上の雪は、すでにほとんど消えています。
でも、これからもっと寒くなって、雪が積もったり、路面が凍結したりするようになると、「自転車通勤」ができなくなるかもしれません。
今日の午後は、日本の友人たちに宛ててクリスマスカードを書くのに費やしました。
アメリカでは、バースデーカードをはじめとして、さまざまな状況に応じた、多くの種類のグリーティングカードが売られています。
クリスマスカードひとつとっても、絵柄の種類が豊富なのはもちろん、Dad、Mom、son、daughter、brother、sister、friend、one I love、... などと、相手や状況に応じてさまざまな種類があり、それぞれ、その相手や状況にふさわしいメッセージが書かれています。
変わったところでは、「Christmas Birthday」や「December Birthday」というものを見つけました。
これは、クリスマスカードとバースデーカードの時期が重なるので、1枚で両方をお祝いできるように、というものです。
値段は、1枚単位で売っているものについては、多くは2ドル〜2ドル50セント、安いもので1ドルです。
(束で売られている、さらに安いものもあります。)
これらのさまざまなカードは、店先で眺めるだけでもけっこう楽しいですが、気に入ったものを選んで買い集めて、友人に宛てて送るのは、もっと楽しいことです。
特に、これらのカードには、最初から気の利いたメッセージが刷り込まれているので(英語ですが)、白紙の状態から手紙を書き起こすよりは、ずっと気軽に書くことができます。
アメリカ人にとってのクリスマスカードというのは、ちょうど、日本でいう「年賀状」のようなもの。
さすがにこちらでは年賀葉書は手に入らないので、「年賀状の代わり」というつもりで、今年に年賀状や暑中葉書をくれた友人には、なるべく出すようにしました。
夕方、書き終わったカードを持って郵便局へ。
今日は窓口が閉まっているので、備え付けの秤で重さを量って、自販機で切手を買います。
カードの重さに微妙な差があって、同じ大きさのカードでも、0.5オンス(約14グラム)以内で60セントで済むものと、1ドル必要なものがありました。
日本の年賀葉書が1枚50円であることを考えると、ちょっと高い気もしますが、なにしろエアメールですから、しかたありません。
手のわろき人の、はばからず、文書き散らすは、よし。
とは、徒然草の一節(第三十五段)。
日本にいた頃は、けっこう「筆無精」だったのですが、これからは、この言葉を教訓に、機会あるごとに、こういったグリーティングカードを買って、せっせと書こうと思います。
特に、これだけ豊富な種類のグリーティングカードは、日本へのお土産としても役に立ちそうなので、滞在中に多めに買い集めておいて、損はないでしょう。
最近ちょっとネタ切れ気味なので、ひさびさに新聞ネタ(+AUAPネタ)を一題。
今日は夕方5時ごろに仕事を終えて、新聞を読みにStudent Unionのロビーに行きました。
新聞のストックの中から、今日付けのThe Idaho Statesmanを探し出し、ロビーのテーブルに広げます。
総合の冊子から順にざっと目を通し、次の「ローカル・経済」の冊子のページをめくるうち、経済面の最初のページに載っている写真に目が止まりました。
あらら、見覚えのある顔が...!
その写真には、AUAPの学生さんが大きく写っていたのです。
写真に写っていたのは、美鈴さんと淳子さんの2人。
郵便局の窓口で、日本の友人や家族へクリスマスプレゼントの小包を発送するようすが写っていて、キャプションには、
Japanese exchange students Misuzu Iikubo, right, and Junko Iseki,
mail Christmas presents to friends and family
back in Japan on Wednesday morning at the main post office.
と、しっかり名前まで書かれています。
記事自体は、
Shopping season may not give retailers gift of increased sales
ショッピングのシーズンが来ても、小売店には売上増という贈り物は届かないかもしれない
と題されていて、「クリスマス商戦異状あり」というような内容でした。
写真は記事に直接関係あるわけではないのですが、「クリスマスプレゼント」にちなんだ写真ということで、たまたま郵便局で取材を受けたのでしょう。
彼女らとは、以前に大学内でお話したことがあり、そのときにe-mailのアドレスを交換しました。
何度かメールのやりとりもあります。
それで、これは格好の話のタネだし、ボイジーでAUAPの学生さんと出会った記念にもなると思い、さっそくStudent Unionの玄関前の新聞販売機で、the Idaho Statesmanを一部買いました。
5時半頃、お腹が空いてしまったので、今日は自炊をやめて、Student Unionの2階のカフェテリアTable Rock Cafeで夕食をとることにします。
BSUの学生の方々は、Table Rock Cafeの食事代はsemester(学期)ごとの一括前払いで、IDカードを提示すれば食べられるようになっていますが(AUAPの学生の場合、参加費用に滞在中の食事代が含まれているそうです)、私は利用の都度お金を払っています。
昼は4ドル95セント、夜は5ドル95セントで、料理は取り放題です。
今日もいつもと同じように、受付で6ドルを差し出すと、「今夜は特別にステーキが出される。それを取るなら6ドル95セント」
という返事が返ってきました。
BSUの学生はちょうど秋学期(fall semester)の期末試験(final exam)の時期なので、特別料理が出されるというのは、それと関係あるのかもしれません。
ともかく、1ドル札を追加して、「特別料理」の引換券を受け取りました。
とりあえず席にコートと荷物を置いて、料理を取りに行こうとすると、すぐそこに、件の美鈴さんと淳子さんがいるではありませんか。
すかさず「こんにちは。今日のIdaho Statesman見ましたか?」と声をかけると、「見ました!
まさかあの写真が載るとは思わなかったので、びっくりしました!」との返事。
取材を受けた本人たちも、新聞に載った写真を見て驚いたようでした。
料理を取って席に運び、いただきます。
「特別料理」のステーキは、ウェルダン(well-done)で肉が硬く、それはそれでおいしいのですが、噛み砕くのに一苦労です。
学生の皆さんにとっては、Table Rock Cafeの食事は毎日食べ飽きているかもしれませんが、私にとっては、Table Rock Cafeで食事するのは、せいぜい週に2度ほどの、「たまの贅沢」です。
食べ放題なのをよいことに、デザートやアイスクリームにも、ついつい手を出してしまいます。
デザートを食べているうちに、AUAPの学生の友人、けいくんが現れました。
コーヒーをおかわりしながら、お互いの近況などについて、ゆっくり歓談しました。
以前にも書いたことですが、やっぱり、新聞をまめに読んでいると、たまにはおもしろい記事が見つかるものですね。
今日の新聞は、少なくとも例の写真と記事だけは保存しておいて、日本へ持ち帰ろうと思います。
アメリカで生活を始めるにあたって、FAX電話を導入したのは、以前にも書いた通りですが、今日ほどFAXのありがたみを思い知らされたことはありませんでした。
日本の自宅にはe-mailを使える環境がまだないので、家族との連絡は、ほとんどFAXに頼っています。
電話が開通してからの3ヶ月ほどで、ロール紙を1本使い切りました。
日本との連絡に、普通の電話でなくFAXを使うことには、ふたつのメリットがあります。
ひとつは、通信料金を安く抑えられること。
電話で話すと3〜4分かかる内容が、FAXだとレターサイズ(アメリカで一般的な紙のサイズ。
8.5インチ×11インチで、A4サイズよりやや長辺が短い)1枚、1分以下で送信できます。
ちなみに、日本への国際通話の料金は、1分あたりおよそ50セントです。
もうひとつ、もっと大きなメリットは、「時差の問題をある程度解決してくれる」ということです。
ボイジー(アメリカ山地標準時)を基準とした日本との時差は、+16時間。
時刻の対応表を作ってみればよくわかるのですが、双方の生活時間帯の重なる部分は意外に少なく、平日だと、国際通話のチャンスは、ボイジーの午前8時、日本の夜半0時頃しかありません。
(ただし、daylight saving time(夏時間)実施中は、時差が+15時間になるので、このチャンスが少し広がります。)
その点、FAXであれば、相手国の夜中だけ避ければ、相手が留守でも送信できます。
事の起こりは、一昨日(水曜日)の朝、日本時間の水曜日深夜に父母からかかってきた電話です。
大学から自宅宛に、大学院時代に受けた奨学金の借用証書と返還に関する書類が送られてきたとのことで、その扱いについて、私に聞いてきたのです。
その時点では、「とにかく、私にはその書類がいかなるもので、どのように扱えばよいのかは、それを見ないことには分からないから、至急郵便で送ってほしい」と答えました。
話がややこしくなったのは、そのあとです。
そのまま素直にその書類の到着を待っていればよい、と思っていたのですが、そうでもなかったのです。
昨夜(木曜日)帰宅したら、母からFAXが届いていました。
それによると、「書類の記入要領は難しくなさそうだから、そちらに郵送するまでもないだろう。
提出期限も近づいているので、こちらで記入して大学に送っておく」とのこと。
気を利かせてくれるのはありがたいのですが、問題はその次。
そのうえで、「大学名などの記入は〜〜でよいか?」と尋ねているのですが、それが間違っているから、困ったものです。
この一件で、その書類については父母に任せきりにはできないと思い、直接電話で指示することにしました。
ここで最初にぶつかったのが、時差の壁です。
帰宅してFAXを確認したのが午後8時ごろ、日本時間では金曜日の正午ごろです。
家族はみな勤めに出ていて、留守番電話になっています。
しかたなく、その時点ではFAXでメッセージを送るにとどめました。
しかし、その後、アメリカ山地時間は深夜に入ります。
家族が勤めから帰ってくる頃、こちらは未明4時ごろです。
かといって、翌朝あまり遅くなると、こんどは日本時間の深夜にさしかかってしまいます。
そんなわけで、昨夜は早寝して、今朝(金曜日)午前6時、日本時間の金曜日午後10時を期して、電話をかけたのです。
そこから先が、また一苦労。
母が電話口で書類を見ながら、一生懸命説明してくれるのですが、悲しいかな、言葉で伝えられる情報量には限りがあります。
その少ない情報をもとに、私から的確な指示を出すことなど、できるはずがありません。
なにしろ、私はその書類を一度も見たことがないのですから。
これでは、いつまでたっても埒があきません。
それで、私が母に頼んだのは、
とにかく関係書類をFAXで送ってほしい。
そうすれば、私が記入要領をFAXで指示するから、それに従って記入してほしい。
ということです。
考えてみれば、最初に電話を受けた時点でそう頼んでいれば、話が早かったのです。
どうして、お互いにもっと早くその考えに至らなかったのでしょうか。
そんなわけで、何度かFAXのやりとりをしたあと、電話で最終確認して、ようやく必要書類を父母の側で作成してもらえました。
こんなことがあったおかげで、渡米直後に180ドルでFAX電話を買ったのは、真に必要な投資だったと、あらためて確信したのでした。
今日は、AUAP(亜細亜大学アメリカプログラム)のクリスマスパーティに出席しました。
このパーティについては、先月のアイスクリーム懇親会(→日記11月20日)の直後に、Mollyから案内のe-mailをもらっていました。
そのうえ、彼女は私のオフィス宛に郵便で招待のチラシを送ってくれたのです。
ここまでしてもらっては、行かないわけにはいきますまい。
招待チラシによると、パーティでプレゼント交換ゲームをするので、参加者は10ドル以内のプレゼントを持参せよとのこと。
ちょうど、母と姉が来たときに(→日記11月5日)お土産に持ってきてくれた日本のチョコレートが余っていたので、これをギフトバッグに詰めて、持って行きました。
午後7時、会場のSt. Paul's Christian centerに出向きました。
会場に入ると、真っ先にMollyが笑顔で握手を求めてきました。
こちらも、「招待してくれてありがとう!」と、笑顔で応えます。
実は、交換ゲーム用のプレゼント以外に、招待してくれたMollyへのプレゼントを用意してありました。
母が来たときに「お世話になった人へのお礼に使いなさい」といって持ってきてくれた、漆塗りの菓子皿です。
「今日はプレゼントをふたつ持ってきました。
ひとつは交換ゲームのため、そしてもうひとつは... 特別にあなたのためです!」
と言って彼女に差し出すと、彼女は驚いたようで、満面の笑顔で「Thank you so much!!」と、いたく感謝されました。
それからしばらくは、AUAPスタッフの方々の手作りクッキーなどを食べながら、歓談の時間です。
私もMollyやDean、それに数人の学生の方々とお話しました。
そして、いよいよ本日のメインイベント、プレゼント交換ゲームの始まりです。
ゲームのルールは次の通り。
まずは参加者が4つのグループに分かれ、席につきます。
グループの最初の人は、中央のテーブルに積まれたプレゼントから、好きなものを選んで取ってきて、包みを開けてグループの人に見せます。
後の順番の人は、新しいプレゼントを中央のテーブルに取りに行くか、または、それより前の人が持っているプレゼントを取り上げるか、どちらかを選ぶことができます。
そして、プレゼントを取り上げられた人は、再び中央のテーブルに新しいプレゼントを取りに行くのです。
ところが、私の参加したグループでは、誰も前の人のプレゼントを奪おうとせず、中央のテーブルに取りに行ってしまうので、ゲームが盛り上がりません。
結局、最後にスタッフの一人が男子学生の持っていたプレゼントを奪い、彼が「残り物」をつかまされる、という形で、何とかオチがつきました。
そのあとは、皆お互いにプレゼントを見せ合ったり交換したり、写真を撮ったりして、盛り上がりました。
私は小さなかごに入ったキャンディーを手に入れたのですが、コミュニティフレンドの女性の一人が「それが欲しい」と話しかけてきたので、彼女の持っていたサインペンのセットと交換しました。
Mollyの話によると、1月下旬にAUAPの期間が終わるので、その頃に「お別れ」の行事が2つある、とのこと。
そして、そのときには必ず招待状を送る、と話してくれました。
そうです。あと1ヶ月で、AUAPの学生の方々は日本に帰ってしまいます。
そのうえ、BSUでのAUAP自体が、今期限りで終了してしまうのです。
そうなると、ボイジーに日本人の知り合いがいなくなってしまうので、私の残り半年の滞在期間は、さびしくなりそうです。
今日から、いよいよ南カリフォルニア旅行です。
今回の旅行は、研究集会出席のためでもありますが、それより大きな目的は「ドライブ」です。
出発便は、朝6時55分発のデルタ航空ソルトレークシティ行の便。
たまたまTomekと同じ便だったので、Joannaに車で空港まで送ってもらえました。
1時間ほどでソルトレークシティに到着。
ここからデルタ航空のオレンジカウンティー行に乗り継ぎ、さらに2時間。
Pacific(太平洋) Time Zoneに入るため、時計を1時間戻しておきます。
飛行機が着陸体勢に入ると、いったん太平洋上に出て、時計回りに旋回して高度を下げ、海岸線に垂直な向きで空港に進入します。
眼下には、入り江に浮かぶ小さな島と、整然と建ち並ぶ家並みが見えます。
入り江の島はヨットハーバーになっているようです。
9時過ぎに、ジョン・ウェイン(John Wayne)・オレンジカウンティー空港に到着。
さっそく、空港内のレンタカーの営業所に出向き、車を借ります。
用意された車は、subcompact(サブコンパクト)と呼ばれる大きさで、「Metro」という車種。
レンタル契約の際に、LDW(自車両盗難破損補償)、SLI(追加賠償責任保険)、PAI(搭乗者傷害保険)の3種類の保険、それにFSO(ガソリンサービスオプション)を申し込んでおきました。
契約を取り交わした後、地下駐車場で車を受け取りました。
青色の小さな車です。
Tomekにナビゲートしてもらって、UCI(カリフォルニア大学アーヴァイン校)へ。
空港からUCIまでは、車だと10分とかからない距離です。
まずは、研究集会の主催者、Matt Foreman氏のオフィスを訪ね、あいさつ。
TomekとMatt、それに研究集会参加者のJames Cummingsの3人は、車でビーチに行くといいます。
私は石宇くん(Mattのもとで集合論を学んでいる大学院生)と会う約束をしているので、別行動です。
南カリフォルニアはとても暖かいです。
ボイジーを出発するときには、分厚いコートを着てきたのですが、こちらでは、シャツで十分。
キャンパス内では、ときどきTシャツ姿の人も見かけます。
キャンパスや道路沿いにはヤシの木が生えていたりして、「南国」を思わせます。
ボイジーと比べると、九州と北海道ぐらいの違いでしょうか。
12時、大学内のStudent Centerの前で、石宇くんと落ち合いました。
彼とは、6月に早稲田大で会って以来、半年ぶりの再会です。
まずは、近くのショッピングセンターUniversity Centerで昼食をとりながら、お互いの近況を語り合います。
そのあと、石宇くんにナビゲートしてもらい、海岸沿いのパシフィック・コースト・ハイウェイをドライブしました。
青い空と青い海、ヤシの並木、そんな南国の風景を眺めながら、50mph(およそ80km/h)ほどで海岸沿いに北上します。
20マイルほど行ったところで、車を止めてビーチに出てみると、さすがに泳いでいる人はいませんが、サーフィンや日光浴を楽しむ人の姿が見られました。
今夜は、近くの中国人街の中華料理店で、研究集会のメンバーの夕食会です。
この中華料理店の自慢はシーフード。
いけすの大きな鯛を選ばせてくれたり、大きなイセエビ丸ごとのから揚げが出てきたりと、なかなか豪快です。
そのあと、Mattが「アーヴァインの典型的なスーパーマーケットを見せてあげよう」といって、隣のスーパーマーケットに案内してくれました。
どんな店かと思って入ってみると、日本や中国、その他アジア各国の食材がずらりと並んでいるではありませんか。
カリフォルニアにはアジア人の居住者が多いので、このようなスーパーマーケットが成り立つのです。
私はここで、年越しに備えて、そばとそばつゆを買いました。
翌20日、午前10時から研究集会が始まりました。
今回の研究集会は、UCIでのふだんのセミナーの延長という感じで、じつに気楽なものでした。
5人の講演者がそれぞれ1時間ずつ講演し、夕方4時に終了しました。
研究集会は今日1日で終わり。
夜は、アーヴァインの近くのバルボア島(Balboa Island)にあるイタリア料理店で、夕食会となりました。
バルボア島は、飛行機から見下ろしたヨットハーバーの島です。
夕食後、皆でヨットハーバーに行ってみると、クリスマスを祝うためか、電飾を施したヨットによる「船渡御(?)」が催されていて、多くの見物客で賑わっていました。
21日からは、Tomekたちと別れ、一人でロサンゼルスへドライブです。
大学内で買ったオレンジカウンティー南部とロサンゼルスの地図を見ながら、コースを決めて、道路名をノートパッドに書き出して助手席に置いておき、ときどきそれを確認しながら走ります。
まずは、空港の近くからフリーウェイ(高速道路)を15マイルほど走り、ディズニーランドへ。
フリーウェイの出口から、案内に従って走っていると、いつの間にか駐車場の入口に向かっていたので、駐車料金7ドルを払って、広大な駐車場に入ります。
車を止めて、正面入口まで行ってみましたが、一人で遊園地に入っても仕方ないので、入口の柵越しにミッキーマウスの植え込みの写真を撮っただけで、引き上げました。
さらにフリーウェイを北に向かって走ると、ダウンタウンのビルの群れが見えてきました。
シビック・センター(官庁街)の近くでフリーウェイを降り、地下駐車場に車を止めます。
日曜日なので、時間制限なしで駐車料金は3ドル30セントです。
(写真: ロサンゼルス市庁舎)
シビック・センターから1駅地下鉄に乗り、ユニオン・ステーションへ。
ここからオルヴェラ街、チャイナタウン、リトル東京を散歩しました。
サンフランシスコに行ったときも感じましたが、ロサンゼルスもやはり「多民族」の町。
メキシコと中国と日本が、アメリカのこの地で交じり合っている、そんな印象を受けます。
日が傾いてきた頃、ダウンタウンを出発。
今日の宿泊地、サンタモニカを目指し、サンタモニカフリーウェイをひたすら西へ向かいます。
サンタモニカの市街地に着くと、もう日が暮れています。
宿を探して海岸近くをうろうろしているうちに、いつの間にかサンタモニカ桟橋(Santa Monica Pier)の駐車場の前に出てしまったので、駐車料金6ドルを払って車を止めました。
桟橋の突端へ歩いていくと、すでに日は落ちて、夕焼けが残り、宵の明星が輝いています。
しばらく夕暮れの海を眺めた後、街に戻り、海岸に近いモーテルに投宿。
夜は、市街地の歩行者天国、サードストリート・プロムナード(3rd street promenade)を散歩したり、ハイウェイ沿いのガソリンスタンドに給油に行ったりしました。
翌22日朝、サンタモニカ桟橋とサードストリート・プロムナードを散歩。
プロムナードの端の喫茶店で、ゆっくり朝食をとりました。
(写真: サンタモニカ桟橋から浜辺を望む)
今日のコースは、サンタモニカから、UCLA、ビヴァリーヒルズ、ハリウッドを経て、ロサンゼルスの南部、パロス・ヴェルデス半島の付け根にあるサンペドロという町へ。
出発前に、サンペドロのユースホステルを予約しておきました。
10時ごろ、モーテルを出発。
まずは海岸沿いのパシフィック・コースト・ハイウェイを少し北に走ってから、フリーウェイを走り、UCLAへ。
UCLAの入り口で駐車許可をもらい(5ドル)、大学内の立体駐車場へ駐車。
そこから1時間ほど、大学内を散歩したり、アッカーマン・ユニオン(Ackerman Union/大学生協)内のUCLAストアで、お土産のTシャツを買ったりしました。
ビヴァリーヒルズで追突事故発生!
次は、UCLAからビヴァリーヒルズを経て、ハリウッドへ。
UCLAの前の通り、Wilshire Blvd.をしばらく走り、ビヴァリーヒルズ市内に入ると、道路がけっこう混雑してきました。
片側4車線のうち右から2つめの車線を走っているうちに、交差点の少し手前で「Santa Monica Blvd.」の標識を見つけました。
次の目的地、ハリウッドへの道です。
急いで左折車線に入ろうとして、車線変更をしようとしたその時... あっ!!
やってしまいました。追突です。
左の車線に気をとられて、前に止まっていた車の左後ろに自分の車の右前をぶつけてしまいました。
前の車を運転していた初老の女性が降りてきて、おびえた様子でこちらを見ていますが、私はどうしてよいかわからず、その場でハザードランプを点灯して「お手上げ」のポーズ。
ちょうど、後ろにロサンゼルス警察のパトカーが走っていたので、彼女が呼び止めました。
警官の指示に従って、車を歩道脇に動かし、免許証と車のレンタル契約書を示します。
幸い、双方にけがはなく、車の損傷もバンパーが少しへこんだだけで済んだので、ビヴァリーヒルズ警察の警官が到着したあと、双方の運転免許、自動車登録、保険の情報を交換しただけで、事故報告書も作成されず、めでたく無罪放免となりました。
気を取り直して、ハリウッドへ向かいます。
今さらこの交差点を左折することはできないので、ビヴァリーヒルズ市内をぐるぐる走りまわって、なんとかお目当てのSanta Monica Blvd.に入り、ハリウッドにたどり着きました。
ハリウッド市内は道路が混雑していたので、町外れのフリーウェイの入り口近くに車を止めて、少し散歩する程度で、ほとんど観光はしませんでした。
サンペドロで夜のドライブ
ハリウッドから、ハーバーフリーウェイをひたすら南下し、1時間ほどでサンペドロのユースホステルに到着。
ユースホステルで、長期旅行中の日本人青年に出会いました。
彼は、2ヶ月前に仕事を辞めてアメリカに渡り、レンタカーで旅行をしていたが、お金が少なくなってきたため、ロサンゼルスにとどまってユースホステルを泊まり継いでいる、というつわものです。
夕食後、彼に運転を教えてもらいながら、サンペドロの港やロングビーチの美しい夜景の中を、1時間ほどドライブしました。
ビヴァリーヒルズで事故を起こしてから、少し運転が恐くなって、サンペドロまではおっかなびっくり運転していたのですが、彼のアドバイスを受けてドライブしたおかげで、自信を取り戻すことができました。
海の夜明けが見たい!
朝6時、夜が白みかけた頃、目を覚ましました。
海の夜明けを見に行こうと思い、車で半島の丘の上に向かいました。
ユースホステルから、海岸沿いの道を少し時計回りに走ってから、丘の上への登り道にかかります。
早朝とあって走っている車が少ないこともあり、丘のてっぺんに向かう曲がりくねった道は、絶好の運転練習コースです。
30分ほど走って、6時50分頃、丘の上の行き止まりにたどり着きました。
南に広がる太平洋と、サンペドロの港が一望できます。
そして、10分ほどすると、南東の水平線から、太陽が昇ってきました!
海の日の出を見るのは、もちろんアメリカに来て以来初めてです。
今日はよいことがありますように、そんな気持ちで、ユースホステルへの帰途につきました。
パロス・ヴェルデス半島シーニック・ドライブ
23日。
南カリフォルニア旅行も、今日が最終日です。
今日は、パロス・ヴェルデス半島を一周してから、海沿いのパシフィック・コースト・ハイウェイを南下し、ジョン・ウェイン空港に戻ってレンタカーを返却、4時50分発の飛行機で、ソルトレークシティを経てボイジーへ、という予定です。
ガソリンの残りは半分ほどですが、ガソリンサービスを申し込んであるので、空港までもちさえすれば、そのまま空っぽで返しても構いません。
10時ごろにユースホステルを出発し、半島の海岸沿いを時計回りに走ります。
今日も快晴。青い空と青い海、それに木々の緑が美しいです。
海岸の地形も変化に富んでいて、ドライブしていて飽きません。
最初に訪れたのは、Wayfarers Chapelという、海辺に建つ総ガラス張りの教会。
「ガラスの教会」というと聞こえがよく、結婚式の予約はいっぱいだそうですが、中に入ってみると、教会というより「温室」という感じです。
いったん半島の西側の付け根まで行ってから、同じ道を逆戻り。
途中、フラット・ロック・ポイント(Flat Rock Point)という見晴らし台に立ち寄ったあと、ヴィセンテ岬の海洋博物館へ。
ここでは、ちょうど今ごろ、クジラの回遊が見られるということで、海辺のテラスでは、多くの人がホエールウォッチングに興じていました。
サンペドロに戻ってフリーウェイに入り、港にかかる大きな橋を渡ってロングビーチへ。
このあたりは、昨夜ドライブした道です。
ロングビーチの市街地を抜けて、シールビーチの海岸に車を止め、しばらく砂浜を散歩しました。
ここから先は、ひたすらパシフィック・コースト・ハイウェイを南下します。
市街地を離れると、道路はまっすぐで信号も少ないので、55mph(およそ90km/h)ぐらいで気持ちよく走れます。
やがて、見覚えのあるところにやって来ました。
19日に石宇くんとドライブしたあたりまで、戻ってきたのです。
時計を見ると、午後2時。
少し先で左折して内陸に入ると、ジョン・ウェイン空港に戻るのですが、飛行機の出発までにはまだ少し時間があるし、ガソリンにも余裕があるので、さらにパシフィック・コースト・ハイウェイを南に下ってみることにします。
海岸の地形はビーチから段丘に変わり、起伏に富んだ道を行きます。
30分ほど行ったところで内陸に入り、73号有料道路を北へ走り、空港方面へ戻ります。
73号は、アメリカにしては珍しい有料高速道路(通行料2ドル)です。
なだらかな丘の上を走る、起伏やカーブのある道ですが、新しくできた道のようで、整備状態がよく、車も少ないので、70mph(およそ110km/h)以上の速さで走っても、とても走りやすく、快適です。
3時過ぎ、ちょうどガソリンがなくなりかけた頃に、ジョン・ウェイン空港に戻ってきました。
レンタカー返却の案内に従って地下駐車場に入り、車を返却。
そのあと、事務所でビヴァリーヒルズでの事故に関する破損報告書を作成しました。
車の破損については、契約時に加入した保険でカバーされるので、これで万事解決です。
5時ごろ、デルタ航空ソルトレークシティ行の飛行機で、南カリフォルニアをあとにしました。
離陸後、いったん太平洋上に出て、大きく時計回りに旋回。
ちょうど夕暮れ時で、サンペドロ港やロングビーチの美しい夜景が、窓外に広がりました。
ソルトレークシティに着くと、なんと雪が降っています。
飛行機を乗り継いで、10時過ぎにボイジーに帰ってくると、そこは厳寒の「北国」。
南カリフォルニアの暖かな日々を思いつつ、分厚いコートに身を包み、足早にタクシー乗り場に向かいました。
南カリフォルニアから帰ってきてからは、大学が休みのため、家にいることが多くなり、外食の機会がめっきり減りました。
大学内のカフェテリアTable Rock Cafeも、春学期が始まる1月20日まで休みで、「困ったときのTable Rock頼み」もできないので、最近はせっせと自炊に励んでいます。
日本人の私が「自炊している」というと、ちゃんと炊飯器があって、ご飯、味噌汁などの日本食を作っているように思われるかもしれませんが、実際は全然違います。
料理といったら、たいてい肉をフライパンで焼く、オーブンで焼く、鍋で煮込む、という程度。
炒め物や揚げ物はしないので、レンジまわりがあまり汚れず、掃除が楽です。
パンはあまりおいしくないので、主食はジャガイモかインスタントライス(電子レンジ(microwave oven)で調理可能な長粒米)です。
私は「郷に入っては郷に従う」人なので、こんな食生活でも、日本食が恋しくなることはあまりありません。
日本の食べ物は確かにおいしいと思いますが、アメリカに住んでいながら、わざわざ自分で作って食べようとまでは思いません。
日本の食材は、近くのスーパーマーケットにもけっこうあり、また、少し離れたところにある「Orient Market」という店に行けば、たいていのものは手に入るのですが、やはり値段は高いです。
「郷に従う」食生活というのは、同時に「経済的」でもあるのです。
ただ、アメリカ流の食生活だと、野菜が不足しがちになるので、買い物のたびにオレンジやリンゴなどの果物を買って、ビタミンをとるように心がけています。
最近は、自炊の機会が多くなったので、いろいろ変わった料理にも挑戦しています。
たとえば...
- サーモンのバター焼き
- 魚の調理法については、アメリカ人は、日本人から見たら「何も知らない」に近いですね。
魚はほとんど切り身売りで、料理といったらフライパンで焼くぐらいです。
それに、魚介類は肉よりずっとポンドあたり単価が高いので、めったに買いません。
最近、珍しく鮭の切り身のパックが安く売られていたので、パックについていたガーリックバターで焼いて食べました。
味はまあまあでした。
- ミートローフ
- これは、肉をこねた状態でパック入りで売っているので、お皿にのせてオーブンで焼くだけ。
時間はかかりますが、簡単です。
値段も安いです。
- カレー
- カレールゥ(S&Bゴールデンカレー)はボイジーでも売られていますが、アーヴァインのスーパーマーケット(→日記12月19日)で、ボイジーで売られている値段の半額以下で売られていたので、買っておきました。
- ラザーニャ
- 近くのスーパーマーケットで安く売られていたので、買ってしまいました。
板状のパスタを茹でるところから始めて、ミートソース、カッテージチーズ、パスタを交互に重ねて、オーブンで焼いてやっと出来上がり、と、手間はかかりますが、けっこう楽しく作れます。ときどき昼食として作ります。
- 親子丼
- これは以前に一度、思いつきで作ったのですが、そのときは、だしがなかったので醤油だけで味付け、タマネギもネギもなかったのでミックスベジタブルで代用、という、妙な親子丼ができてしまいました。
今回は、ちゃんとタマネギを買って、アーヴァインで買った「そばつゆ」を使って作りました。
ご飯は、姉がお土産に持ってきてくれた(→日記11月5日)パック入りのご飯、器はシリアル用の深いボールを使います。
やっぱり、お箸で丼飯を食べると、自分が日本人であることを再認識しますね。
今日は大晦日。
アーヴァインで買ってきた「そば」を茹でました。
そばだけでは食卓もお腹もさびしいので、近くのスーパーマーケットでCalifornia Roll(寿司)を買いました。
味は悪くありませんが、12切れで7ドルと、値段が高いのが難です。
ともかく、今夜は日本人らしく「年越しそば」を食べて、アイダホの地で、日本より16時間遅い(→タイムゾーン)「新年」を迎えます。
今年は私にとって、学振特別研究員採用、学位取得、それにアメリカ渡航、と、大事件の重なった一年でした。
来年はどんな年になりますことやら。
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