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リキャットのアイダホ便り 第3集

理花 トーレス

リキャットの就職活動 その1

(2001年4月7日)

その電話は突然だった。 簡単な質問で5分ほどだったが、心の準備ができていなくてめずらしく緊張してしまった。 不覚だ。

我が家の近くに君臨するM社に履歴書を送ったのはその電話の1週間ほど前のこと。 M社に勤務する友人スキップに『こんな職種の内部募集がかかっているよ。 キミにピッタリだ。ボクから直接人事に送ってあげるから、メールで履歴書を送ってよ』と言われるがままに送ってみたのだ。 職種は日本語通訳兼翻訳者。 M社が日本の工場を買い取ったので、突然日本語が必要になったのだろう。

ボイジーにやってきてもうすぐ2年。 1年目はウエディングの準備やら家の購入やら引っ越しやらで、忙しく過ぎた。 移民局と労働許可証をめぐっての戦いもあった。 2年目に入ってもその戦いは夏あたりまで続き、ようやく労働許可証が取れたところで、日本に帰ることに決めた。 ひと月半の日本滞在。 帰国したら今度はクリスマスの準備で就職活動どころの騒ぎではなかったのだ。 年も明けてようやくひと息ついたら、なんだか生活に物足りない。 肩のあたりがムズムズとうずき、なんだかワーッと叫び出したくなるのだ。 重傷だった。 スキップからのメールは自分の履歴書を作り直している最中の出来事だった。 ヤケにタイミングがいい。

数日後、面接をしたいと人事から再度電話をもらった。 よし。 本番に強いと自画自賛する私は張り切る。 スーパーバイザーが火曜日まで帰ってこないとかで、面接は火曜日の朝一番になった。 M社に勤めている人の話だと、採用まで3度ぐらい面接をするんだとか。 1度目は同僚レベルの人と、2度目はボスレベルの人と、そしてバイス・プレジデントとらしい。 ワオ! (ちょっとアメリカ人のように言ってみたくなった)

面接まで1週間ちょっとあったので、みっちり勉強にいそしむつもりだった。 こちらの面接は日本の会社のものとは全然違うから、それに備えるんだ、と張り切っていたのだ。 しかし、友人アンが貸してくれたあんちょこブックは勉強するにつれて、いやらしー問題が増え、こんなもの勉強してもその場で絶対答えられるワケないとあきらめてしまった。 ホホホ。 しょせん私の努力とはこんなものなのよ。

それにしても、その面接の前日は、グリーンカードの面接だったのだ。 GCが取得できても酒盛りはできんなー(笑)。

さて、面接当日。 一言で言うと疲労困憊。 朝9時に入って1時まで、4時間も拘束されていたのだから。 もう最後のほうは私の腹に住みつく怪獣がうなり出し、気が気でない。 集中できない。 トイレにも行きたくなるしさ。 この日ほど通勤時間5分を感謝した日はなかった。

面接では4人の人に会ったのだが(それぞれおよそ1時間ずつの計算になるか)、恐れていた難しい質問は一切なく、私のバックグランドを中心に話をするというようなものだった。 このポジションはまったく新しいものらしく、前例がないので、あっちにもこっちにも首を突っ込むというような仕事らしい。 その首を突っ込む相手が代わる代わる話をしにきたといったカンジだった。 そうそう、宿題が出たのだ! 3人目の面接官に抜き打ちの翻訳テスト(それも日本語を英語に訳するというもの。それも辞書なし、5分間という過酷なものだ!)をされ、2行ほどしかできずにションボリしていたのだが、それを持って帰ってあらゆる道具を使ってベストショットをメールで送り返すように言われた。 どうやらテスト自体はやる気と度胸試しだったらしい。 わたしは、度胸だけはあるのだよ。 見かけ倒しともいうが。 もちろんその翻訳は夫(アメリカ人)の校正の手も入っている。 あらゆる道具を使って良いとのことだったんだから、ルール違反じゃーないだろう。 (ホントか?)

手応えはあったように思うのだが、相手がどこまで私を評価してくれたのかは計れない。 連絡を待つとするか。

リキャットの就職活動 その2

(2001年4月11日)

面接のあったその夜、留守電をチェックしたら、M社の人事の人から電話が入っていたことを発見した。 その日は帰ってからスグに宿題に取りかかりそのまま夜まで家にいたから、私がほんの5分ほど家を空けていた時に電話をもらったらしい。 なんというタイミングで電話をかけてくるのだ。 次の日の朝電話をしたら、また来て欲しいとのことだった。 『今日は無理だから明日にしてくれー』とお願いし(友人のともこさんとようこさんとラケットボールをする予定だったのだ)、なぜか急ぐ人事を困らせてしまった。 仕事と遊びとどっちが大事なんや?(笑)

その日はドラッグテスト(麻薬等の薬を使用していないかのテスト)だった。 人事の人がくれたマップを手に一旦M社を出て、別のゲートへ車を走らせる。 なにしろこのM社は広い。 ボイジーのなにもない丘の上にビルやら工場やらをどんどん増やしている。 当然駐車場のスペースもそれに合わせて広くなる。 この小さなドラッグテストの場所はなかなか見つからなかった。 ようやくたどり着き、書類にサインをする。 ドクター(女性)が説明をし始める。 トイレに行く前に、まず手を洗うこと。 用を足してもトイレは流さないこと。 そしてコップを手渡した。
『この線までは必要だから、よろしくね。』
よろしくと言われても、そうやってドアの前に立たれちゃ、出るものも出ないじゃないのォー。 ドクターは私が本当にちゃんとしているかドアの前でトイレの中でのモノ音を耳をそば立てて聞いているのだ。 しばらく静寂の中で奮闘しているのを、彼女も息をこらして聞いている。 トイレを人に流されるのは、なんとも気まずいような、恥ずかしいような複雑な気持ちだった。 アメリカの企業とはこんなものかと実感。 夫の話によると、ネイビー(海軍)ではドラッグテストの際、ちゃんと自分の尿を提出しているかどうか、している最中の出来事を上官が目の前で見ているのだそうである。 女性の場合もそうなのだろうか、とフト疑問を持った。

それだけではまだ済まないのが、アメリカの就職活動なのだ。 人事からはレファレンス(推薦状)を出してくれる人を3人提供しろと言われた。 日本では辞めた人に推薦状を書くという習慣がないから、日本には電話をしてもらいたくないと人事の人に理解してもらったまでは良いけれど『じゃ、あとはどうにかしてね』と言われなんとかするはめに。 英語を話せる人&アメリカ人で一緒に仕事をした人に電話をしたりとまた走り回った午後だった。

そうそう、面接で仕事をしていない間何をしていたかという質問があったので、紀行文を書いていると言った。 紀行文とはこの『リキャットのアイダホ便り』の事である。 するとその後人事から、その紀行文を提出せよとお達しがあった。 この『リキャットのアイダホ便り』は私の就職活動をも支援したのである(と、自慢する筆者なのであった)。

vice presidentとの最終面接をしたいという電話が入った。 これが済めば、イヤでも結果が出るに違いない。 ここまでの過程でまだ1週間も経っていない。 なんだかいっぺんに身の回りが忙しくなってしまった。

このポジションが取れると、仕事で日本に行くこともあるという。 ますます、張り切らずにいられないではないか。 ここまで来ると、どうしてもこのポジションが欲しいと切実に思うが、この面接を終えたら、この経験はものすごい自信になるだろう。 自分の英語力がいままで評価されたことはなかったわけだし、とても良い経験になった。 友人達はどちらの結果が出ても、ご飯を食べに行こうと言ってくれている。 ま、一緒に外にご飯を食べに行く口実が欲しいだけなのだ。 なんとも有難い友情ではないか。

週末を挟んだら、いよいよ最終面接に挑む!

採用

(2001年4月15日)

Vice presidentとの面接はキャンセルとなった。 月曜日に予定されていた面接は緊急会議とかで水曜日に先送りとなり、その水曜日の面接がキャンセルとなったのだ。 彼はひどい風邪にかかったらしく、いつ会社に戻れるかわからないという。 なにー! このヒヨワな男めー!! とひとしきり悔しがったところで、人事から再度連絡があった。 採用決定。 もう彼との面接はどうでもいいから早く働いてくれというのだ。 それも来週の月曜日から。 今日は水曜日だぞ。 月曜といったらあと4日しかないではないか。 よっぽど気にいられたのか、よっぽど仕事があるのかのどちらかのようだ。 ま、どう公平に見ても後者にまちがいない。

さて、採用が決まったら今度は給与交渉である。 日本人はこういうのに慣れない。 夫は言う。
『人事は交渉をしてくることを前提としているんだ。 キミは必要とされて雇われたのし、こちらがリーズナブルな提案をするのは当然の権利だよ。』
そんなことを言われても、「じゃー、その給料じゃ少ないからこれだけ上乗せしろー!」と読者のあなたは言えるかね? 私は言えない。夫は続ける。
『交渉の仕方の善し悪しも、自分の株を上げる決め手だよ』
ますます交渉しないワケにいかなくなってしまったではないか。 幸い、M社の提示してきた年棒は筆者を非常に満足させていたので、ここでの夫婦の会話は休暇についてである。 結局、夫のデモンストレーションを聞かされ、
『ハイ、後に続いてー!』
と張り切る夫を尻目にベッドにもぐりこんだ。

それで交渉はしたのかって? したのだ。でも失敗に終わった。 ま、最初はこんなもんだろ、と勝手に納得することにした。

アメリカの履歴書はそれぞれが工夫を凝らした手作り履歴書である。 日本のようにコンビニのレジの片隅に置いてある既成履歴書などは存在しない。 自分のできることを並べたて、自分が応募しているその職種にどれだけ貢献できるかを饒舌に書き記すのだ。 「大学のこの分野でこんなことを学んだ」「前の会社ではこんなことをしてきて、こんな業績がある」「したがって私はこの職種にピッタリなのだ!」と企業にアピールするのである。 体裁や書体、果ては使用する紙の色にまで自分の個性を引き出す。 ウソはいけない。 ウソをつけばスグばれる。 ウソがばれたら迷わず解雇するのもアメリカの企業なのだ。 それを忘れてはいけない。

履歴書に年齢や性別を記したり、写真を張り付けたりする必要はない。 アメリカの企業は平等な雇用がなされるために、それらの質問を聞くことすら法律で禁止されている。 婚姻や、子供の有無などを聞くことも法律違反である。 さらには障害者、国籍の違いなども企業は採用の際に考慮に入れてはならない。 アメリカはそういう点で良いと思うのだ。 日本ではネックとされる(特に結婚し、お子ちゃまのいる女性は痛感されているであろう)ことが、全くじゃまにならない。 実力の世界だ。 できる人、やる気のある人はひとまずみんな平等なのである。

さて、月曜日はオリエンテーション、火曜日はトレーニング。 こちらの企業は8時始業なのだ(読者の方々はご存じであったか? ま、全部の企業がそうではないようだが)。 M社の駐車場はとにかく広い。 当然ビルに近い方から埋っていく。 オリエンテーションが始まる前にID用の写真を撮るから念のため7時半には来るようにといわれた。 そんなに歩くのだろうか。 家から会社まで近くて良かった…。 前号でも書いたが、我が家からM社までは車で5分なのだ。

オリエンテーション&トレーニングは、分刻みのスケジュールである。 仕事が決まっても、酒盛りだと浮かれているヒマは全然ないらしい。

さらば、ジープよ!

(2001年6月27日)

ジープが壊れてしまった。 夫の努力にも応える様子もなく、空回りするエンジン音だけが辺りに響き、排気ガスがマジックの煙みたいに一瞬ジープの姿を消す。

ボイジーは最近気温がどんどん上がり、最高気温は35℃にも達する日が多くなった。 夏は目の前だ! セーリングの季節を目前にしてそわそわしている夫を尻目に、ジープはちっとも動こうとしない。 なんてことなのだ! これではボートを引く手だてもないではないか。

夫の所有するジープは並みのジープではない。 Beast(野獣)と呼ぶにふさわしい、とことん洗練されていない25年前の古い型である。 「リキャットのアイダホ便り」の前の号を読んでいただいた読者のみなさんはご存知だろう。 なぜかボンネットにへこみがある(もちろんご想像どおり、夫が崖から落ちたのである)、ペンキもくすんでしまった黄色のジープ。 窓はフロントガラスのみ、天井部分はなんとか布がかぶさっている。 ドアも窓の部分は吹き抜け(というのだろうか?)で、その下の部分は布。 もちろん後部も覆うものは何もない。 エアコンやラジオなんて、もちろんない。 そしてそのエンジン音と言ったら、そこらのトラック(アメリカのトラックは日本の倍もあるかと思われるほど大きい)よりも下品だ。 その上、クラクションは、アウーガ、アウーガ! と、くる。

それでもわたし達はこのBeastをとことん愛してきた。 夫となると、彼が高校を卒業した頃から、いじくりまわしてきた愛車である。 もちろんこのジープは日常乗り回す車ではない。 冬はストーレッジ(Storage)といわれる貸し駐車場で、ジープは春の訪れをじっと待つ。 今年の冬、何度かとても冷え込んだ日があった。 それがおそらくエンジンを破壊したようだ。

夫は今大学院に通っている。 仕事をしながら、授業&宿題、そして課題の数々をこなすのは本当に大変だ。 妻の私でさえ、よくやっているな〜と感心せざるを得ない。 今は時間との戦い。 時間を作ることが一番難しくなってしまった。 そんな状況の中、ジープを分解し、部品を磨き上げ、また組み立てなおす作業は非常に厳しいのだ。 アメリカにはこんな作業を楽しむ人が大勢いる。 25年前のジープでも、エンジンが壊れていても、欲しい人はいくらでもいる。 そして私たちにはボートを引っ張ることができるパワーのある車が必要なのだ。

そんなことで、ピックアップ・トラックを買うことになった。 今日は仕事の合間を抜けて、ちょいと近所の砂漠に出て、そのトラックのテスト・ドライブにオフロードを走ってきた。 夫の望む車体の割に大きなエンジン、そして色は私好みの白である。 5年前のものだが美しい。 これを売ろうと申し出てくれた夫の同僚は、前に触れた車好きの一人だ。 手入れもバッチリである。 非常に気に入った。

夫にジープをキープする気はないのか、と聞く。 夫もジープにはとても愛着があるので、ツライ質問だったようだ。 しかし、ジープをキープしたところで、もしも何年後かに、希望どおりカリフォルニアに移ったとしたら、カリフォルニアではジープを乗ることはできない。 アメリカは広い。 州によって法律やいろいろなものの基準が定められている。 このジープは規格外なのだ。 それではジープはどうなるのだ???
高校からの夫の親しい友人にタイ(Tyron)という友人がいる。 夫が崖から落ちたときに、一緒に落ちた奇特な男だ。 彼は人類考古学者で、冬以外はどこかで穴を掘っている。 友人の中でも非常にユニークな人物だ。 そのプヨプヨの紅葉のような手は、何でも作る。 何でも直す。 とにかく、手先が器用で、我が家のガレージ・オープナー(自動でガレージを開閉できる器械)もタイが先導をきった(彼はビールさえ約束すれば飛んでくる)。 彼の持っている地図は、見たこともないような地図で、詳細にわたる情報が掲載されたものだ。 この洞穴がどこまで続いて、何メートル先に右に曲がる通路があるなんてことも記載されている。 その地図を片手に、彼は山を歩き、穴を掘っているのだろう。 そんなタイのパパにはまだお会いしたことがないのだが、夫の話を聞く限りでは、タイのそんなユニークなキャラクターはどう見てもパパ似であることは間違いない。 私たちは、まず彼らにジープを引き取ってもらえるかどうか訊くことに決めた。 タイ(もしくはタイのパパ)こそ、ジープの次の所有者にふさわしい。 彼ほど、ジープをエンジョイする人物もそういないだろう。 まだ、ジープに未練がある私は、ジープが直ったらオフロードに連れて行ってもらうお願いをしようと決めているのだが…。

セーリングの季節はすぐそこである。 来週には湖に出ることができるだろう。 週末だからといって、おちおち寝坊はできない。 仕事で疲れているなどという言い訳は許されないのである。 まだ早朝はウェット・スーツが必要なくらい寒いだろうな〜。 それでもボートが風を切ってぐんぐんスピードをあげる時の胸の高鳴りが忘れられずに、今年も早起きをしてしまうのだ。

ボイジーの乾いた夏の到来である。

リキャットのアイダホ便り / 理花 トーレス

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