■ 平安京を歩こう■
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小学校の卒業文集に、タイムマシンが発明されたら、平安時代に行きたいという願望を書きました。
タイムマシンは無理でしょうけど、ちょっとした想像力によって、いつでも平安時代に行くことはできます。
ご一緒に平安京を歩きませんか?

「平安京を歩こう」では、平安時代の京都を歩いてみたいと思います。
平安京を歩く前に、まずはウォーミングアップ。平安京の基礎知識を仕入れておきましょう。

平安京の誕生

 延暦13年(794)10月28日、桓武天皇は、遷都の詔を発布し、平安京が誕生しました。人々は「平安楽土万年春」と囃し、新しい都の誕生を祝いました。
 その後、源平の争乱、応仁の乱、豊臣秀吉による都市改造、幕末の混乱期など、都市としての様相を変える事件が多々あったにも関わらず、明治天皇の東京行幸(1869年)まで、京都は日本の首都であり続けました。

平安京の構造

 南北5.3キロメートル、東西4.6キロメートルからなる平安京は、厳密な左右対称の都市プランを持つ理想的な都市計画がなされていました。
 京の中は大路と小路によって整然と区画され、町(一辺が40丈、約120メートル)という単位で成り立っています。中央には幅80メートルの朱雀大路が走り、それを挟んで東側を左京、西側を右京と呼ばれました。左右の両京には、東寺・西寺、東市・西市、迎賓館にあたる東西の鴻臚館などの諸施設が配置されています。
 平安京の中枢は、北辺中央に位置する大内裏(平安宮)です。大内裏の中には、天皇の住まいである内裏、貴族たちが政務を執る官庁が集まっていました。大内裏の中心建物群が、朝堂院です。その西隣には、公式の宴会場である豊楽院があります。

平安京条坊復元図  ▼平安京大内裏復元図  ▼平安宮内裏復元図

平安京の変容

 平安時代は、一般に前期・中期・後期と3つに分けられます。
前期は、都の建設に力をそそがれ、律令が実行性を持っていた律令期。
中期は、藤原氏が摂政・関白を独占して政治の実権を握った摂関期。
後期は、白河・鳥羽・後白河に代表される上皇あるいは法皇が院庁で政治を執り行なった院政期。
 さて都市としての姿ですが、整然とした都市も、平安時代中・後期になると右京が廃れ、左京が栄えてくるようになりました。廃れた土地には、田畑も作られたようです。また後期には、鳥羽・白河など平安京の郊外の開発が進みました。

参考文献

 このサイトを作るのに際し、下記の本を参考にしています。また個々に参考にしている文献は、ページごとにあげていくつもりです。
平安京探偵団の団長・山田邦和氏には、ホームページ全般にわたり助言・協力いただきました。

・角田文衞監修『平安京提要』(角川書店 1994)
・角田文衞監修『平安時代史事典』(角川書店 1994)
・山田邦和著『京都』カラーブックス(保育社 1993)
・山中章・山田邦和共著『日本の古代遺跡28 京都II』(保育社 1992)



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