■平重盛に会いたい3
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平重盛像  

浄教寺

浄教寺本堂内  浄教寺本堂

 平重盛は、東山の麓に「四十八間の精舎(灯籠堂)」を建てたことが『平家物語』巻三「灯籠」に書かれています。一間ごとに官女を置き灯籠に灯を点させた様は、さぞ幻想的であったに違いありません。「四十八間の精舎」とはいったいどういったものだったのでしょうか。東西南北に四十八間の建物は物理的に不可能です。『源平盛衰記』には東西南北十二間の建物としていますが、これも物理的に不可能な建物です。もし実際に建っていたとすれば、細長い廊下のような建造物であったのではないかと想像しています。
 京都市下京区寺町通四条下ルにある浄教寺は、灯籠堂の後身であるという由緒を持っています。平家滅亡後、下京区東洞院松原付近にある灯籠町、本灯籠町(現在地名)に再興されましたが、天正年間、豊臣秀吉の都市改造によって現在地に移りました。
 本堂には「灯籠堂古蹟」と書かれた扁額が掲げられています。境内には「内大臣平重盛公之碑」が建ち、鎮守社には重盛が勧請した(浄教寺の縁起による)という熊野大権現を祀っています。本堂内には、時代は不詳ですが、重盛像が安置されています。
 また浄教寺には古い平家琵琶が残されています。かつて寺には琵琶法師たちの座があり、平家琵琶が演奏されていたということです。
 浄教寺は非公開寺院です。門の外から「内大臣平重盛公之碑」、本堂扁額は見ることはできます。

平重盛像

熊野神社  平重盛の碑


【アクセス】下京区寺町四条下ル 市バス四条河原町下車すぐ

【参考文献】『灯籠堂浄教寺』

※重盛像等の画像掲載にあたりましては、浄教寺のご住職さまより掲載許可を得ました。複製はご遠慮下さい。

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