■織田信長を歩く2
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信長公一族墓
信長公一族墓(大徳寺総見院)

 このページでは、信長の墓を集めました。京都では、大徳寺総見院、本能寺、阿弥陀寺、妙心寺玉鳳院、大雲院などがあります。大雲院の石塔は、「織田信忠の見た風景」で紹介します。

本能寺

本能寺墓

 本能寺は本門法華宗の大本山で、応永22年(1415)、日隆上人によって五条坊門(仏光寺通)油小路に建立されたのがはじまりです。天文5年(1536)の「天文法華の乱」で焼失しました。その後四条坊門(蛸薬師通)西洞院付近に再興されますが、「本能寺の変」で再び焼失しました。
 「本能寺の変」で全焼した後、場所を移して再建されたのが現在の本能寺です。境内には、織田信長の廟と、本能寺の変戦死者の供養塔があります。宝物館である大宝殿には、本能寺遺品の茶道具、織田信孝(信長三男)の書状などが収蔵されています。

【アクセス】地下鉄東西線市役所前駅下車すぐ

阿弥陀寺

阿弥陀寺墓

 阿弥陀寺は、清玉上人が近江の坂本に創建したことにはじまり、信長の帰依を受け京に遷りました。もとは上京区上立売通大宮東入阿弥陀寺町にありました。清玉上人は、本能寺の変の際、いち早くかけつけ信長等の遺骸を収め、寺に葬ったとされています。その数年後、寺地は現在地の寺町に移りますが、墓も改葬されともに移されました。上の写真は現在の阿弥陀寺にある信長信忠の墓です。墓の前にはしゃく勿谷石製(福井県産の凝灰岩)の灯籠(写真の右端)が1基建っています。天正13年の年号が読みとれます。ただし上の笠の部分は後世のものと思われます。
 阿弥陀寺の跡地には、織田信長と稲荷をまつる織田稲荷社が祀られました。しかし近年の土地開発によって織田稲荷は潰され、今宮神社の境内へ移されました。

【アクセス】市バス河原町今出川下車 徒歩10分

大徳寺総見院

側室お鍋の方no

 天正10年(1583)、豊臣秀吉が織田信長の菩提を弔うためにに建立し、葬儀を執り行った寺です。信長の遺体が無いため、木像を2体造り、その1体は荼毘にふして葬り、1体は本堂に安置されています(「信長を歩く1」のトップ写真)。
 境内には信長公一族の墓があります(トップ写真)。右から信好(信長十男)、信高(信長七男)、秀勝(信長四男)、信忠(信長嫡男)、信長、信雄(信長二男)、秀雄(信雄嫡男、写真では切れてしまってます)の七基の五輪塔が並びます。
横には正室帰蝶(濃姫)、側室お鍋の方(写真上、自然石)の墓もあります。

【アクセス】市バス大徳寺前下車 すぐ 非公開

妙心寺玉鳳院

玉鳳院墓

 妙心寺玉鳳院の開山堂の東側にも、信長・信忠父子の墓があります。織田家ゆかりの武将たちが、妙心寺と深い関係を持っていました。そのために祀られるようになったのでしょうか。これについての詳細は調べられませんでした。

【アクセス】市バス妙心寺前下車 すぐ 非公開

織田信長を歩く1 ▼織田信忠の見た風景




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