■洛西に秦氏をたずねて1

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 2000年3月26日、JR東海が主催するKYOTO CLBUのイベント「考古学者と検証する京都 太秦・嵐山 古代の謎」というツァーに参加してきました。そのツァーでまわった史跡等をレポートしたいと思います。
 平安京が建設される以前の京都は、どんな様子だったのでしょう。
そこには多くの渡来人集団が住み、そのすぐれた技術により土地開発を押し進めていました。なかでも大きな勢力を持っていたのは秦氏。
 今回のツァーでは、秦氏の本拠地であった嵯峨野・太秦(うずまさ)地域を訪れました。案内役の考古学者とは、われらの団長さんです(^・^)

双ヶ丘(ならびがおか)

双ヶ丘1号墳
双ヶ丘の上からの景色 双ヶ丘1号墳

 南北に一直線上にならぶ三つの丘が双ヶ丘です。北から一ノ丘、二ノ丘、三ノ丘と呼ばれ、三つの丘全体が国の名勝に指定されています。最も高い一ノ丘の頂上からは、秦氏の本拠地、嵯峨野・太秦の地を一望できます。
 丘と丘の間には6世紀後半の十数基の小円墳が群集しています。一ノ丘の頂上には、大型円墳が単独で立地しています。秦氏の首長墓と考えられています。

【アクセス】JR花園駅下車または市バス双ヶ丘・京都バス双ヶ丘下

蛇塚古墳(嵯峨野・太秦古墳群)

蛇塚古墳
蛇塚古墳全景と石室内

 京都府下最大の石室を持つのが蛇塚古墳です。もとは全長約75メートルの前方後円墳であったが、現在では封土がなくなり、横穴式石室が露出しています。
築造年代は、6世紀末から7世紀初頭と考えられます。この頃には、全国的に前方後円墳が造られなくなってきているころで、先進的な秦氏が、いつまでも前時代的な墓を作り続けていたことに、アンバランスを感じてしまいます。

天塚古墳と清水谷古墳石碑
天塚古墳2つの石室内  清水山古墳跡石碑

 同じく住宅街の中に2つの石室を持つ天塚古墳があります。こちらは古墳の石室内、墳丘上に稲荷が祀られていたので、破壊を免れて、その姿がよくわかります。全長71メートルの前方後円墳で、6世紀前半の築造と考えられます。

 嵯峨野・太秦古墳群では戦後の乱開発によって消滅した古墳も多く、天塚古墳のそばの清水山古墳も破壊されてしまいました。

【アクセス】
蛇塚古墳 京福電鉄嵐山線帷子ノ辻駅下車 南へ
天塚古墳 京福電鉄嵐山線蚕ノ社駅下車 南へ

洛西に秦氏をたずねて2





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