ギッシング『ヘンリ・ライクロフトの私記』(夏9節)

 昔ほどにはものを読んでいない。いっそう考えるようになったのだ。とはいえもはや人生を導く用を為し得ない思索など何になろう。それよりはたぶん、引きも切らずに読みに読み、ひとの思考活動のなかでくだらぬ己を忘れたほうがましだ。

 この夏は新しい本は何も取り上げず、何年も開かなかった馴染みの数冊を再読した。一、二冊は、いい大人はまさにめったに読まない本——人の常として「読んだことにしとく」本、よく分かっていて語れる気ではいるものの、ついぞ開いたこともないという本だった。要するに『アナバシス』を、ある日手にしたという次第。学校で使ったオックスフォードの小版で、遊び紙には子供っぽい署名、インクのしみやアンダーライン、余白には走り書きがある。恥かしながら他の版は持ちあわせがないが、この本は綺麗な版で持ちたいものである。これを開いて読み始め——少年時代の淡い影を心にゆらめかせながら——一章、また一章と読み進んで、数日後にはすっかり読んでしまった。

 これが夏の日のことだったのは幸いだった。後年のこの日々を子供時代と結びつけたいのだが、それには教科書、教科書なのに大変楽しかった教科書に戻るよりもいい手は見つかるまい。

 何か記憶のいたずらで、少年時代の古典の勉強はいつも、暖かく晴れた日々の感触と結びついてる。雨降りで陰鬱で冷え冷えとした雰囲気のほうがはるかに多かったに違いないが、これは忘れてしまった。私の古いリデル&スコットはなおも役に立っており、これを開いて書香をとらえるほど身を屈めると、少年時代のあの日、本が新しかった頃これを初めて使った(とうに亡い人の手で遊び紙に記された)あの日に還ってゆく。あれは夏の日だった。心配半分喜び半分、子供っぽくぞくぞくしながら眺めたあの見知らぬ頁には、たぶん柔らかな日の光が降っていて、それがずっと心に残ったのである。

 いや、『アナバシス』のことだ。現存するギリシャ語著作がたったこれ一冊きりだとしても、これを読むために言葉を学ぶのは大いに価値がある。『アナバシス』は賞讃すべき芸術作品であり、簡明で流れるような叙述が絵画的な彩なす情景と結びついているという点では比類が無い。ヘロドトスは散文叙事詩を書いたが、その詩では著者の人柄がいつも目の前にある。クセノポンはというと、好奇心と熱烈な冒険心が彼を同民族だとしてはいるものの、我を忘れて新しい芸術的価値を追求し、かの歴史物語を作り上げたのである。何という驚異の世界がこんな小さな本にあることか、そして野心や闘争に、異国の不思議な情景に、危難や救出、山海の爽やかな気に輝いていることか。ちょっとカエサルの『戦記』と並べて考えてみよう。比較を絶したものを比べようというのではない。クセノポンの駆使する言語の中に輝く完璧な芸を味わうためだ。クセノポンの簡潔さは、あのローマの著述家に見られる同様の特徴とは、大変異なった効果を生み出している。カエサルの簡明さは力強さと誇り高さに由来し、クセノポンのは生き生きとした想像力から来ている。『アナバシス』のたくさんの一行一行が、感情を深く揺さぶる情景を描き出す。良い例が四巻にあって、危険な地方を通って導いてくれた案内人をギリシャ人たちが褒償して去らせた様が、このうえなく楽しい叙述文によって語られている。その人自身も命が危ない。兵士たちが感謝のしるしにくれた値打ち物をどっさり担いで、敵対する地域を通って帰路を行くのである。「日暮れを待ち、夜の道を立ち去って行った」(※)。驚くほど連想を呼ぶ言葉だと思う。太陽の沈む東方の風景が見える。ギリシャ人たちがいる。長い行軍の、束の間の安全だ。山岳部族民がいる。役立ってくれた蛮人で、魅力的な褒美を携えて危険な闇へと一人去って行く。

 また四巻だが、別の場面は違った仕方で人を動かす。カルデュコイ人たちの棲む山々で二人の男が捕らえられ、どの道を進むべきかと情報を求められた。「彼らのうちの一人は何も言わず、脅されても沈黙を守った。そのため、彼の仲間の居る前で殺された。それでもう一人の人は、道を示すのを彼がなぜ拒んだのか理由を教えた。ギリシャ人たちが進むべき方向には、彼の娘が嫁いで暮らしていたのである」。この数語が伝える以上の哀しみを表現するのは容易でははない。こう思う人もあろうが、クセノポン自身は我々ほどの哀しみはまったく覚えず、むしろ事件を事件自体のために記録したのだが、そこからして一、二行のうちに、あらゆる時代にとっても重大な人の愛と自己犠牲とが輝くこととなったのである。

ギッシング『ヘンリ・ライクロフトの私記』(夏9節)1903年

※は松平千秋訳による。ほかは拙訳。
【参考】西田幾多郎「ギリシヤ語」

最終更新日: 2002年7月30日   連絡先: suzuri@mbb.nifty.com