西田幾多郎「ギリシヤ語」

 私がギリシヤ語などといへば、人が笑ふであらう。彼がギリシヤ語をと。實際、私はプラトンの一行すらも讀むことができない。併し私は晩年ギリシヤ哲學に興味を有する樣になつてから、どうしても多少ギリシヤ語が分らねばならぬことを痛感した。それでも中々ギリシヤ語に手をつける氣にはなれなかつた。年が老いて記憶が惡く、根氣がないので、あの煩瑣な文法を有つたギリシヤ語は、見ただけでも肩を聳さざるを得なかつた。

 然るに兎に角私をして White, First Greek Book でも手にする樣にさせたのは、Gissing, Private Papers of Henry Ryecroft の一節であつた。夏の或日彼は子供の時に學校で用ゐた小型のアナバシスを取出して、知らず識らず讀んでしまつた。そして彼は Were this the sole book existing in Greek, it would be abundantly worth while to learn the language in order to read it. と云つて居る。この語が私をして奮發させたのである。

 誰でもさうであらうが、私は汽車や電車の中でとても退屈する。例へば、此頃でも鎌倉から東京へ、東京から鎌倉へと云ふ場合でも、よく停車場附近で岩波文庫を買つて袖にして行く。その頃、Macmillan の Elementary Classics といふものがとても便利なものと思つた。小型で袖に入れることができ、註釋があり、字引が附いて居る。語學を勉強するには、かういふものがよいと思ふ。又それから携帶に便利といふのではないが、フランスの Hachette から出て居る Les Auteurs Grecs, expliques d'apres une methode nouvelle par deux traductions francaises. といふものは、獨學のものに都合がよいと思つた。無論此等は誰も知つて居ることで、云ふ程のことでもなからうが。

 二三年さういふ風にして心がけて見たが、たうとう物にならずに止めてしまつた。年を取つてからは語學といふものはできない。今はもうすつかり忘れてしまつた。

 ギリシヤ語は右の樣な次第で、もはや一行も讀めないが、ホーマや悲劇家など譯書で少しばかり讀んだだけでも、今に憧憬の念に堪へない。あの樣に古い時代に、どうしてかの樣な立派な文學ができたものであらう。古代文學といふものは古雅な素朴なものだが、ホーマはさういふ古代文學の特色を有すると共に、一面に實に描寫が緻密で纖細な所があり、現代の文學者の手腕を以てしても及び難いと思はれるのである。かの樣な大文學を古典して養成せられたギリシヤ人が、世界歴史に於てあれ位偉大な文化を形成したのも怪しむに足らない。

 それからこれも僅ばかり讀んだのに過ぎないが、ツキュディデスには感心した。眞に歴史を動かすものを深く掴んで、そこから事件を見て居ると思ふ。ペロポネソス戰爭の歴史だが、それは實に世界史的である。大ランケが學生時代から非常に傾倒し、晩年に至つても尚その拔書を有つたゐたと云ふのも尤もである。コリントとコルキラとの爭から發して、アテンとスパルタとの兩盟主の下にギリシヤ全土が戰爭に引込まれて入つた所以を説くあたり、恰もセルビヤの一事件を機會として、歐洲大戰といふものが起つたのを説明して居るかに思ふ。歐洲大戰といふものも、その實英獨の勢力爭と見ることができるであらう。又私は彼の書を讀むにつれて、春秋といふものが手本となつた東洋の歴史と、ツキュディデスの如き學問的なものが古典的であつた西洋の歴史とは、最初から歴史といふものの考へ方が違つたものであつたことを思はざるを得ない。然もツキュデスデスの歴史は、外交的使節の辭令や、政治家の演説や、色々の人々の話で自然歴史の事柄が分る樣に出來てゐて、そこに又左傳を想起せしめるものがあるのである。

199-201 昭和十三年十一月

【参考】ギッシング『ヘンリ・ライクロフトの私記』(夏9節)

最終更新日: 2002年4月21日   連絡先: suzuri@mbb.nifty.com