九鬼周造「書齋漫筆」一(1/3)

 私は青年時代には一つ一つ心にぴつたりと來るやうな隨筆風のものが欲しいと願つてゐた。そのころ一番ふかく私の心に喰ひ入つてくれたのは『基督のまねび』であつたろう。ヒルティーの『睡られぬ夜のために』も當時かなり愛讀した。自分の眼界が廣くなるにつれて次第にもつと大きい視野で書かれたものを求めるやうになつた。ニイチェの『ツァラトゥストラ』も深い感激をもつて耽讀したが、どうもぴつたりと心にはまらないところがあつた。そのうちに、全面的に共感できるものなどは探してもありはしないといふことに氣づいて來た。さういふものは自分で書くより外に仕方ないといふやうに思つた。

 それならばそんなものが自分で書けるであらうか。それも到底むずかしいとふことが今の自分にはわかつて來た。我々は自分の心を深く深く掘り下げて行かなければならない。またますます廣い眼界を獲得して行かなければならない。我々の心には深きへの憧憬と廣きへの念願とがある。その憧憬とその念願とが自分といふ人間にあつてかなり高い度に達せられてゐるのでなければ、たとひ自分が眞劍になつて書くものにも、自分ながらに滿足はできるものではない。

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 近ごろ私はどうしてかよく隨筆を頼まれるが、出來るだけ斷るやうにしてゐる。私には自分で或る度まで滿足のできるやうな隨筆を書くことはなかなか容易でない。隨筆は自分の内心に沈潛してそれを有りの儘に書くのでなければ意味をなさない。然るにそのことは極めて困難である。

 私は私の全精根を要求する職務を有つてゐる。私は體驗と讀書と思索とに私の有つ時間の全部を捧げつくさなくてはならない。また私は自分の頭の持ち合せてゐるものは一切惜しげなく學生に與へてやらなければならない。局外者は大學教授は休暇が多くていいなどと呑氣なことを考へてゐるらしい。大學教授と乞食は一度やるとやめられないさうですなと冗談半分ではあらうが私に云つた人さへもある。よほど氣樂な商賣とでも思つてゐるらしい。私共が學問精進に油斷をしてはならないといふ念で押へつけられてゐるこの重苦しい氣もちは同じやうな職にある者でなければ想像はつかないのかも知れない。

 私はもちろん思索と讀書の外に勝手な時の費し方をもしてゐる。しかし浪費されたかのような時間は實は間接に思索と讀書とを助けてゐることを知つてゐる。私たちの仲間のうちには自分の研究のことを考へると落ちついて芝居ひとつ見てゐられないといふ人もある。また映畫を見に行く暇があれば家に居て或る本を一行でもニ行でも深く理解したいといふ人もある。私はさういふ人達の心もちは十分にわかり、またそれらの人達を衷心から尊敬もするが、私自身はさういふ考へ方はしてゐない。私は時たま芝居を見たり映畫を見たりするとかなり強い感動とかなり貴重な教示とを受ける。來たためにつまらないことをしたといふ感じは、殆ど一度もしたことがない。却つてもつと時々來やうと考へる。二三日氣まぐれな旅をしても、一夕を酒の香に浸つても、またと換へ難い體驗をする。自分の態度ひとつですべてが思索の材料を提供してくれる。私は誇張してさう言ふのではない。大學教授をやめた或る人が、大學教授はものを知らないことをつくづく感じると云つてゐた。映畫をひとつ見に行つても自分の今まで知らなかつた廣い世界のあることを知るといふ所感をも述べてゐた。これは僞りのない感想だと思ふ。いつたい私は深い思索には、廣い體驗が不可缺であることを信じてゐる。そのため私自身はなるべく「大學教授」の型にはまらないことをつとめてゐる。私は色々の體驗をしたい。さうしてそれらの體驗を色々の角度から思索し拔いて行きたい。私はそんな風に考へてゐるから必ずしも書齋の机にかじりついてばかりはゐない。しかし私がどういふことに關してでも筆を取ることのできるのは頭が比較的はつきりしてゐる場合である。さういふ場合に漫然と隨筆を書くといふことは私には何だか自分の義務を怠つてゐるやうな感じのすることが多い。私にとつて他にしなければならないことが有り過ぎるほど有るからである。

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 更に私が考へるのは、ゆつたりした氣もちで隨筆を書くだけの餘裕があつたとしても、内心の紆餘や陰翳を有りの儘に正直に書き表はすことができるのであらうかといふ點である。第三者の立場に立つて自分の内心の姿を嚴密に分析してそれを客觀的に正確に寫すといふことは極めてむづかしい課題である。隨筆を書く者は自分が惡く判斷がされさうな事柄や自分が善く判斷されさうな事柄をなるべく避けて中性的なこと、さしさはりない中位なことしか書かないのが通例である。他人のあら探しの外に仕事を有たないかのやうな世間を相手にする以上は、微温的な態度で中和的な文字を竝べてゐるのが一番利口なやり方である。しかしそれでは隨筆そのものがあまり存在理由を有たないことになる。

 自分といふものがはいつて來ない事項を主題として取扱ふことも出來る筈であるが、私自身にはどうもさういふ主題が捉へにくい。たとへどんな主題を選んでもそれに關する自分の體驗やら判斷の仕方やらがかなり濃厚に出てきてしまふ。『随想録』の著者モンテーニュは「私はただ自分だけを思索の目標としてゐる。ただ、自分だけを檢査し研究してゐる。他のことを研究しても、それはただちに之を私の表面にあてがふため、否、もつと正しく言へば、私の内部にはめこむためである」と云ひ、また「私は敢へて自己に就いて語るのみならず、敢へて自己に就いてのみ語る」と云つてゐる。メーヌ・ド・ビランも『日記』の中で「私は内的統覺を生まれつき有つてゐる。他の人達たちが外部の事物に對して有つているあの敏活な感覺を私は私の内部に起る事象に對して有つてゐる」と云つてゐる。人間には確に二つの型がある。私もどつちかと云へば自己の内面生活を凝視する人間の部類に屬してゐるやうである。

 隨筆の前線に自分が現はれ出て來るとしたならば、自分の善いことも惡いことも有りの儘に正直にさらけ出して書くのでなければ自分の心にぴつたりはまる隨筆は書けない。私の考へてゐるやうな隨筆は一方には自分の惡の懺悔といふ形を取つて來ると共に、他方にあつては自分の善良な部分の露出といふ形をも取つて來なければならない。然し深刻な惡の懺悔は、さうやすやすとできるものではない。また善良な部分は自分のものとして祕して置かないで明るみへ出すとその瞬間に善良さを失つてしまふといふ危險性を帶びてゐる。これらの事情からして本當にいい隨筆は筆者が誰であるかわからない無名または匿名のものでなければならないのではないかとさえ考へられる。

 いつたい善をも惡をもひとしく捉へて赤裸々に自己を深刻に投げ出すといふことは隨筆の形に於てよりも、小説の形に於てなされる方がむしろ自然であるまいか。隨筆として自己を目撃する場合には「私の書くところは私の身振ではない。私である。私の本質である。私は自己を判斷するには愼重でなければらならぬと信ずる。また自己を示すには同樣に正直でなければならぬと信じる。低き自己を示す時も、無差別でなければならぬと信ずる」といふモンテーニュの言葉に從ふだけの用意がなけばならぬであらう。さうしてそれは決してたやすいことではない。

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 以上のやうな理由で私は隨筆といふものに對しては可なり懷疑的な考へ方をしてゐる。それにも拘らず隨筆を書くことに折々は衝動を感じるのも事實である。『文藝春秋』の編輯部から隨筆を所望された時もなかなか引き受ける氣もちにはなれなかつた。しかし或る日の午後、書齋の窓から青葉の東山を眺めてゐるうちにいつの間にはゆつたりした氣分になつて來て、書物の事でも少し書いて見ようかといふ考へになつた。書物と云つても純文學的創作以外のもので私自身が深い印象を受けた本にしよう。それも解り易くて短いもの、從つて一般の人にも向きさうなものを數種だけ選んで蟲ぼしのつもりで書齋の窓にひろげて見ることにしよう。國民必讀の書を竝べるわけでもなければ、新刊書を紹介するわけでもない。讀みふるしたものの中であれかこれかと選び出したまでである。蟲ぼしをしようとすると、ああこんなものもあつたなと忘れてゐたものに氣がつくこともある。

『九鬼周造全集』五卷

最終更新日: 2002年8月21日   連絡先: suzuri@mbb.nifty.com