九鬼周造「書齋漫筆」二(2/3)

 私は先づ、プラトンの『饗宴』を選び出さう。もう二十四五年前になるであらう。未だ在學中であつたかまたは大學を卒業したての或る知人が自殺をしたと聞いて、私は彼の生きてゐるうちに『饗宴』を讀ませたかつたなどと思つた。若し彼がこれを讀んでゐれば人生は生き甲斐のあるものであることを確信して厭世自殺はしなかつたかも知れないといふ風に考へたのであつた。死ぬまで逼迫した深刻な意識に理解の足りない感じ方であつたかも知れないが、ともかく私は、當時それほどまでに『饗宴』を熱愛してゐた。プラトンのこの書は我々を或る高きものへ引きつける強烈な力を有つてゐる。道徳と藝術と宗教と哲學との中核を端的に掴んで見せてゐる。文藝復古期の人々が聖書と共にプラトンを至寶と考へたのは餘りにも當然である。人間を永遠に惱ませ喜ばせる憧憬とか戀愛とかといふ氣分が秀祓無比な把握力によつて解明されてゐる。のみならず、その場面にも、その取扱ひ方にも、人間味が溢れてゐる。私はカールスエールとベルリンとで見たフォイエルバッハの「プラトンの饗宴」といふ、畫因の同じな、二つの美しい繪を思ひ出さずにはゐられない。夜は深更である。ソクラテスは燈火のかげに高邁な横顏を見せて下を向きながら靜かに語つてゐる。弟子達は周圍に立つたり坐つたり寢ころんだりして聞いてゐる。月桂冠を戴いた主人のアガトンは盃を把つて新來の客を迎へてゐる。醉つぱらつて半裸體になつたアルキビヤデスが數人の美しい白拍子に取卷かれて戸口から入つて來る。子供が笛を吹いたり花を撒いたりしてゐる。ソクラテスは愛と美と眞と善とを語りながら酒盃を交はして夜を明かしたのである。 あんな自由な氣もちで何ものにも囚はれず、絢爛にしかも重厚に、哲學することが今日は何故に跡を絶つたのか。たまたまそれをする者があれば何故人は異端視するのであらうか。私はいま過ぎ去つた歳月を振り返つて見て、『饗宴』を初めて繙いた頃のこと、外交官志望の私が哲學志望へまで轉向した高等學校時代のことを思ひ浮べて感慨深いものがある。

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 私は聖フランシスの『小さき花』からも青年時代に深い感銘を受けた。癩病患者の膿だらけの全身をフランシスは兩手で丁寧に洗つてやつて藥湯をつかはせる。弟子のことを惡く判斷したのが自分の間違ひだつたからとてみづから地上に仰臥してその弟子に命じて兩足と頸と口とを二度踏みつけさせる。聖女クララとの會食に食事を忘れて神のことばかり語り合ふ。町の人々が教會堂に火災の上るのを見て驚いて驅けつけると火事ではなくて食卓を前にしてフランシスとクララとが神の愛に燃えてゐたのであつた。野の狼と握手したり森の小鳥に説教をするところなどは汲み盡せないばかりの詩味を有つてゐる。聖フランシスにはまやかしでない本當のものがある。これは『小さき花』ではなく『完徳のかがみ』の中に出てゐる話であるが、乞食に施すものが何もないので、これを賣つて金にしてくれとたつた一つの聖書までやつてしまうところなどは全く純眞そのものである。新島襄が同志社に同盟休校の起つたとき全校の職員生徒を一堂に集めて自己の不徳を深く詫びながら、ステッキを振つて自分の腕をなぐりつけて血を流したといふ逸話を感激をもつて聞き得る人は聖フランシスの逸話集『小さき花』をも感激をもつて讀むであらう。新島襄の振舞を芝居氣としか受容できない人達には『小さき花』の純潔さも理解できないかも知れない。「幼兒の如くならずば天國に入るを得じ」といふ幼兒(をさなご)の心が『小さき花』の門戸を開く鍵である。「自然へ歸れ」といふジャン・ジャック・ルソーの叫びが『小さき花』の再評價を文明人に要求するのである。餘りに複雜になり過ぎた現代の我々は茶色の僧衣に繩の帶をしめて或る朝の一ときをアッシジの鐘の音に聽き入つてもいいのである。私には『小さき花』に絡んで魂のどこからともなく浮んで來る聯想がある。それは卓拔な學才を有ちながらカトリックの司祭になつて富士の裾野ちかく癩病院の經營に身を捧げてゐる私の同窓の舊友と花のやうな容姿を惜しげもなく捨てて聖心會の修道女になつて黒衣に銀の十字架を下げてゐる彼の妹のことである。かういふ清純な記憶が私の頭の片隅か心臟の底のどこかに消えないで殘つてゐるのは、私にとつて限もない幸福である。

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 少し學問臭くはなるが私はデカルトの『方法敍説』も見逃したくない。學問が何であるか、學問乃至は思索が如何に眞劍なものであるかといふことが『方法敍説』でわかると思ふ。『方法敍説』はもと光線屈折學と氣象學と幾何學との合本の序文または總論のやうな形で出たものであつて、學問と思索の方法を述べたものであるが、自敍傳風に書いてあるから誰にも近寄り易い。自然界の説明には徹底した機械論を取つてゐる。心臟の運動の純機械的説明などはハーヴェーの血液循環説と比較すると興味ふかいものである。軍隊生活をしながら冬の陣營で解析幾何學を發見したり、普遍數學の著想を得たりしたデカルトは卑賤な女と同棲して私生兒を生ませたり、住地と住宅とを絶えず變へて自己擬裝の下に學問の研鑽に沒頭したデカルトであつた。さうしてデカルトの學問の理想が最も包括的にしかも平易に敍述されてゐるのが『方法敍説』である。「良識は世の中で最も均等に配分されてゐるものだ」といふ有名な言葉で書き出してある。デカルト自身この書に關して「婦人たちでさへ何等かを理解し得ることを、しかしまた最も聰明な人たちも注意を寄せるに足りるやうな資料をこの書の中に見出すことを、私は欲したのである」と云つてゐる。さうして當時は學問上の著述はラテン語で書くのが慣例であつたが、この書は特に大衆にわかるやうにフランス語で書いた。デカルトの思想が斯くしてたちまち世を壓倒し、交際場裡へまで侵入したことはセヴィニェ侯爵婦人の書翰からも知られるし、モリエールの戲曲『女學者』によつても知られる。しかし私が『方法敍説』を推重する意味は歴史的價値という點からだけではない。學問に對する眞摯な態度と思索に對する熱烈な激情とが全篇に漲つてゐるからである。學問が何であるか、思索が何であるかを平易に教へる點でこの書に比肩し得るものは今日に至つても他にないであらうと私は信ずるのである。

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 ベルクソンの『形而上學入門』を私は哲學とはどんなものであるかを知りたい人に勸めたいと思ふ。一般に教養人は哲學が何であるか位のことは一通り知つてゐてもよいであらう。處世哲學、議會哲學、馬券哲學などと哲學といふ概念はかなり安賣りされてゐる。いつたいその哲學とは何であるのか。ベルクソンのこの書には彼れ獨特の持續直觀の立場からではあるが、哲學すなはち形而上學が何であるかが天才的簡明さをもつて鮮やかに語られてゐる。ベルクソンによれば哲學とは靈的同感によつて絶對を流動の形のまま把握するものである。哲學するとは空間と物質へ向ふ思惟の作業の常習的方向を轉換して精神の鼓動を感覺することである。さういふ考へ方はもとより哲學の單に一つの立場に過ぎない。私も斯やうな立場を全面的に受け容れる者では決してない。しかし哲學とはいつたいどこまで徹底的にものを見るのであるかといふことを知るために『形而上學入門』は極めて適切な書であると信ずる。正反對の立場ではあるがカントの『形而上學への序説(プロレゴメナ)』と竝べて見ても見劣りはしない。一般人にとつては謂はゆる哲學概論などを讀むよりはベルクソンの『形而上學入門』を讀んだ方が餘程よく哲學の本質が掴めると思ふ。ハイデッガーの『形而上學とは何ぞや』も優れたものではあるが一般人にはむづかし過ぎるであらう。ハイデッガーで思ひ出したが、私がマールブルヒから巴里へ行くとき、ベルクソンの『形而上學入門』を來學年の演習に用ひたいが、原文が學生達の手に入るものか調べてくれとハイデッガーに頼まれた。當時は「形而上學入門」は『形而上學及倫理學雜誌』の二十何年も前の號に載つてゐただけであつたから、私は「否」と答へるほかなかつた。一昨年出た『思惟と動者』の中に收録されて今では誰れの手にも入るやうになつた。ハイデッガーの希望も達せられるわけであるが、ナチスのドイツはフランスの哲學書を大學の演習に用ひることを欲するかどうか疑はしい。

『九鬼周造全集』五卷

最終更新日: 2002年8月21日   連絡先: suzuri@mbb.nifty.com