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善七は福島、梁川両城の在番にあたり、上杉家の家老直江兼続から書状を送られたりしている (上杉景勝卿記、戦ぶりについては今のところ史料を集収中)。戦後上杉家は百二十万石より三十万石に減封され、善七は上杉家にいる理由はなくなり、岡左内らとともに退出する。しかし、旧主の佐竹家も減封秋田久保田に転封ではないか!義宣は戦も何もしていないのに減封転封とは納得がいかない。おれはなんのために、誰のために上杉で戦ったのか?義宣や佐竹家の代表として隠れて戦ったのに!と言う感が非常に強くなった。娘婿の大窪久光、馬場政直にこの怒りをぶつけるが如何ともしがたい。 「ここにのこって、水戸城と徳川から奪ってしまえ!」 と善七はいい、両者の了解を得た。その後、同地に残った佐竹の遺臣達を精力的に味方に付けるべく奔走したが、慶長七年七月、佐竹遺臣が暴動を起こすとのうわさは水戸城下に流れ、幕府に露見してしまう。車、大窪、馬場ら三人は捕らえられ斬首されてしまった。 車善七には息子がいた。その名も善七、同じである。ここから後の善七は息子である。息子善七は物心ついたときから幕府が憎くてしょうがない。自分の全てを奪ってしまったといって過言ではない。彼は江戸に出て将軍秀忠を暗殺しようと画策する。しかし彼には秀忠に近づくことができない。将軍と浪人では会う機会などあろうはずが無い。善七は旧主久保田佐竹の縁をたどり、幕府に仕えることになった。役職は御庭番である。昔は忍びの者などが当てられる役職であったが、もはやそんな時代ではない。善七は繰る日も来る日も秀忠を暗殺する機会を狙っていたが、思うように近づく機会が訪れない。仕方がないので一生懸命仕事をしているしかない。その仕事ぶりが秀忠に非常に評価されているとも知らずに、善七は繰る日も来る日も秀忠暗殺を狙っていた。 やっと機会がきた。将軍秀忠と近づく機会を得た。なんと秀忠は自分に声を掛けてくれるではないか。善七は自分のこれからしようとする行動に対して猜疑心が起こる。本当に将軍秀忠は敵なのか?ほんとの敵は今は亡き家康ではないのか?秀忠の近くにいた側近が善七の行動を見ていて、「何かおかしい?」と思うところが有り、善七を取り調べたところ、懐に短刀が忍ばせてあるではないか!そして善七は将軍暗殺について全てを喋ってしまった。 秀忠は戦国時代を生き抜いてきた武将達が大好きであった。たとえば、立花宗茂は関ヶ原で改易されたにもかかわらず、棚倉で一万石、そして最終的には本領柳川十三万石に復帰する。秀忠が宗茂の性格を気に入ったからと言われる。また、黒田長政に二世の秘訣を聞いた話など有名である。今回の善七の行動もこれに値した。秀忠の声がかかり善七は罰されるところが別の役職についただけであった。その役職は非人頭。なんの役をするのかはよくわからない。しかし、非人頭の頭目は明治まで代々「善七」を世襲することになる。徳川に敵対したにもかかわらず名を揚げ、残した武将の一人である。 さて塩谷氏はどうなったのかというと、全くこの話とは関係ない。ただ、久保田へ義宣に従い行ったことは事実である。明治まで久保田藩で重きをなし子孫は今でも残っている。現当主は某東京の大学で教鞭をとっておられる。 |