設楽原決戦場まつり (2000. 7. 9)


 日本三大決戦の一つと言われている長篠・設楽原の戦いは、初めて新兵器鉄砲(火縄銃)を大量に使用し、その威力をまざまざと見せつけ、後の戦術に一大変革をもたらしたと言われている日本史に残る著名な戦いです (真実は鉄砲の使用だけではなく、陣形等にもよったと思われる)。設楽原決戦場まつりは、「設楽原をまもる会」が中心となって、毎年7月に戦死者の供養、鉄砲隊の披露などが行われます。

 朝 5:00 起床で地下鉄を乗りついで東京駅へ。6:30 のこだま号にて豊橋に向かいました。今日は「設楽原古戦場祭り」です。いい天気、やけそうです。途中小田原で小田原城、浜松では浜松城を遠目から見ることもでき、富士山も雪はないけどきれいに見ることができました。

 設楽原へはこれが二度目。それも今年の GW に行ったばかりでした・・・どうしても鉄砲隊が見たかったのです。新城市の HP 等を参考にして事前学習しておきました。10:10 ごろに JR 三河東郷駅に到着。前回来たときよりのぼりの数が多くなっています。あゆみさんと落ち合い、信玄塚に向かいました。10:30 より信玄塚の前で法要です。しばらく行くと駅前に向かう若い女性の集団発見!「若い子達も来るんだな〜」とか思いながらすれ違い、線路を渡ったところであゆみさんの携帯電話が鳴り、あのすれ違った女性陣が「水際さん、ちぇしゃさん、きしきしさん」ご一行でした。合流後首洗い池、信玄塚に行きました。

子供武者行列!この甲冑はお手製です。図工の時間に作ったのでは???

 信玄塚には、武田宗家御当主 (龍宝系?)、武田求温会山県会長 (川浦温泉オーナー?)、土屋旧子爵家 (赤い武田のはっぴを着ておりました)、駿河海野会の方 20 名が参加!総勢 50 人!一般客 50-80 人。

 信玄公の御子孫であります、武田さんよりお話があり、続いて「設楽原古戦場を守る会」名誉会長の今泉さんより熱い語りが!「よく、あなた方新城の設楽原の人は、敵の武田のお祭りを盛大にしているが、なぜだ?と聞かれる。でもわれわれ地元民にとって戦自体が敵であり、戦没者に敵も味方もない。そして、決戦が行われたのはここ設楽原であり、長篠の戦いとはまた異なる・・・みなさんもっと勉強しろ!」ってな感じで怒られてしまいました。

 馬防柵付近に移って鉄砲隊武演を待ちます。すると子供武者総勢 100-200 人が連吾川に陣取りました。右、武田軍、左、織田徳川連合軍!しかし甲冑の家紋はお気に入りのを付けたためか、敵か見方かの区別が・・・

 槍隊鉄砲隊煙幕隊などいろいろセレモニーしてくれました。暑い中ご苦労様でした。それも休日なのに・・・四つの小学校+中学校が合同でこの祭りを盛り上げてくれていたようです。

 鉄砲隊は別名爆竹隊、煙幕隊はそのまま煙幕を炊いてました!モクモクしてたよ〜!

 ちびっ子武者隊の煙幕部隊!これで敵の平の行動を遅らせ、自分たちは有利な陣形に移動するらしい?

 忍者御用達の忍び道具!

 子供行列の中でも、彼ら三人は馬上の人!馬は地元の方の日本馬。サラブレットとは違い、足は太く、胴もしっかり。ちょっと小振りな馬です。

 鳥居強右衛門が長篠城から脱し、岡崎の家康の元に援軍を請いに行った話は有名。そのとき、無事武田軍の包囲を脱したら「のろしを上げる」との約束を再演した風景!この時点で 11:30。一日で一番お肌が気になる時間帯。帰ってから、地獄の日焼け痛が待っているのであった!

 太鼓の演奏がありました。地元中学校+設楽原陣太鼓?の二つのグループ。

 その後ろで出番を待つ鉄砲隊 16 人が左の写真です。旗指物がいろいろあって楽しいです。特に目を引いたのは、戸田半平の「ドクロの旗指物」、落合左平次の「鳥居強右衛門磔」、もう一つは誰のものか分かりませんが、「血を吐いている武者」の三つ。伊達家松根新八郎の「幽霊の旗指物」、長坂十左衛門の「天下無双」、前田慶次郎の「だいぶへん(武辺 or 不便) 者」と同じく、自己主張の現れがこの旗指物に良く現れています。

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つづく

つぎ (古戦場祭り2)

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