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武田勝頼は一万五千の兵を率いて長篠城を囲んだ。時の長篠城主奥平貞昌は、約 500 の兵で守った。5/8 以後、武田軍は激しい攻撃をかけ、ことに 13 日夜から 14 日にかけての総攻撃は激しく、城兵はよく応戦した。しかし城中には 4, 5 日分の食料が残っているのみとなり、落城は目前に迫った。
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のぼり祭り、鳥居強右衛門 | |
| 1 鳥居強右衛門磔死の跡 | ||
| 2 長篠城跡 (のぼり祭り) | ||
| 3 篠場野陣地跡 | ||
| 4 有海陣地跡 + JR 鳥居駅 | ||
| 5 横田十朗兵衛康景の碑 | ||
| 6 鳥居強右衛門の墓 | ||
| 7 鳶が巣山陣地跡 (武田兵庫頭) |
岡崎への援軍を頼むための軍議をひらいたが、このとき決然と立ちその密使を志願したのは鳥居強右衛門勝商 (かつあき) である。5/14 強右衛門は夜半に乗じて野牛門から川におり、鳴子網を切って急流を下り広瀬に上陸。家康に落城の危機を告げ援軍を請うた。家康は快諾し、信長も来る旨を伝えた。家康は鳥居に食事などを与えて一緒に長篠に行こうと誘うが、鳥居は「今日明日かもしれない城であるので今すぐ帰って籠城軍に加わる。そしてこの朗報をみなに知らせて上げたい」といい、一足早く帰った。城に入ろうとして捕らえられ磔になった。
20 日、武田軍は長篠城の押さえとして 3000 千の兵を残し、織田徳川連合軍の堅陣、設楽原に向かって進軍した。
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