遠州井伊谷龍潭寺

 遠州井伊谷は井伊氏発祥の地である。井伊氏は、藤原鎌足を祖とする藤原共資が遠江守となって下向したのに始まる。共保の代で井伊氏を名乗り土着し、代々この地に住む。南北朝の時代、南朝の宗良親王と共に井伊氏は北朝と戦い、井伊谷を中心に活躍した。二十四代目が直政である。

 写真は山門。1656 年、井伊直孝が寄進した。

 1572 年、武田信玄の西上に従い、別働隊として山県昌景が五千の兵を率いて東三河に侵入した。三河の井伊谷三人衆 (鈴木重時、鈴木家は井伊氏、水戸徳川家に仕えた 。頼房付家老五千石、雑賀鈴木とは異なる水戸鈴木。近藤康用も井伊家から徳川旗本。秀用は直政と仲が悪く、8940 石旗本となった。菅沼忠久も井伊直政に仕えたが、詳細は不明) を攻撃した。

 奥は開山堂で開山の黙宗端淵和尚を祀る。右は本堂。

 山県隊は鈴木氏の柿本城を攻めて落とし、伊平に陣して信玄の到着を待った。このとき、山県隊の兵が町を見回ると何者かに殺されると言う事件が続いた。これは何とかして武田軍に一泡くわせようとの近藤秀用、家臣長瀬与兵衛の仕業であった。しかしそうとは知らない昌景は、農民の仕業であると勘違いし、竹助という者を捕まえ、首謀者であるとして殺害してしまった。近藤はこれ以上農民に迷惑になることを恐れ、矢文を撃った。「武田の兵を殺したのは、近藤登助秀用、並びに家臣長瀬与兵衛である」と。

 龍潭寺の本堂北庭は、江戸時代初期に小堀遠州によって造園された池泉鑑賞式庭園であり、東海一と名高い。蓬莱とは宝の島であり、亀が宝島に向かって泳いでいる様を一瞬の写真にしたようにも見える。右のへたくそな概念図と左の写真をじっくり見ていただければおわかりになるかと・・・・分からない方は、実際に行ってみましょう!国指定の名勝記念物です。

井伊直政

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