井伊直政 (1561 - 1602, 虎松、万千代、兵部少輔、侍従、従四位)
遠江井伊谷に生まれる。父直親は今川家に仕えるが、永禄五年に讒訴により殺害された。難を逃れるために逃亡生活を始めたが、天正三年家康に仕え、二千石を領する。家康の廳童だったと言われ、そのために元服は二十二歳と非常に遅かった。同九年高天神城攻めに参加、本能寺の変のおりには、家康に近習していたため伊賀越えに従う。甲斐進出では徳川の使者として後北条氏との交渉に当たるが、沼田問題を後に起こす原因を作ってしまう
(第一次上田合戦での敗因の原因は直政にあるのかもしれない)。平定後、武田の旧臣百二十名を配下にすることを命ぜられ、山県昌景の「赤備え」を継承する。
関東移封に際し、上野箕輪城で十二万石を領す。関ヶ原のおりは東軍の先方軍監として本多忠勝とともに西上し、主力決戦で島津勢を追撃して島津豊久を打ち取った。石田三成の旧領近江佐和山で十八万石を与えられるが、関ヶ原で受けた戦傷がもとで死去。徳川四天王の一人と称されている。
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