遠州井伊谷龍潭寺

 井伊家の霊屋。1742 年、31 代目直定によって作られた。左は 24 代直政。二月九日に祝田で生まれたが、その後は家康に仕官するまでは放浪生活が続く。真ん中は十五代直盛。家臣小野但馬の訴えにより今川氏真の追っ手に殺害された。一番右は初代共保。下の系図の通り、井伊家は藤原北家とのつながりがある。要所要所で重要人物を排出し、歴史的にも名を残している人物が多いため、系図の誤りはほとんどないと思われる。

 右上は、江戸時代の有名な彫刻家、左甚五郎の龍。日光や我が実家の町にある木彫りの馬も作っています。我が町の言い伝えでは、甚五郎の作った馬の彫刻があまりにすばらしかったため、夜な夜な走り出し畑を荒らした・・・という言い伝えが残るくらい其の技は巧みであります。結局、彫刻の周りに囲いを作ってお供えをしたところ、馬は畑を荒らすことをしなくなったとか。我が町の保見神社というところに伝わるお話でした。この龍もかなり精巧に出来ております。

 今回は井伊家の発祥、引佐町井伊谷に行って参りました。すばらしいお寺であり、遠州一と言われる理由が良く分かりました。江戸時代も幕府譜代筆頭井伊家がかなりサポートしてくれていたようで、彦根の龍潭寺より敷地面積は広く、井伊家の墓所、水戸鈴木家墓所、幕府旗本近藤家墓所でもあります。裏手には宮内庁の宗良親王の稜もあります。室町初期、井伊谷を中心に井伊家は南朝方として多くの功を立てました。

 みなさまも是非彦根、井伊谷の龍潭寺を訪れてみて下さい。

井伊直政

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