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アイダホ州ボイジー地域情報

ボイジー滞在日記 第3集

98/01/02 シアトル突発旅行記

クリスマス休暇とあって、街も大学も静まり返っています。
Tomekをはじめとする研究仲間も大学には来ませんし、AUAPの学生さんたちも、旅行やスキーで出払っています。
一人でアパートにこもっているのもさびしいので、この際、旅行に出かけることにしました。
交通手段はもちろん長距離バス。 大した計画もないまま、バックパックに荷物を詰めて、1日夜、ポートランド行きの夜行バスに飛び乗りました。


ポートランドで別のバスに乗り換えて、2日の朝10時半頃にシアトルに到着。
シアトル近辺は見どころがとても多いので、市街地のユースホステルに2泊して、2日かけて観光することにします。

まずは、港に近いパイクプレース・パブリックマーケット(Pike Place Public Market)を散歩。 野菜や果物、魚介類をはじめ、工芸品、ジュエリー、アンティークなど、さまざまな店が、細長い建物の中に集まっていて、賑やかです。
ストリートカー 港への坂道を下って、ウォーターフロントを走るストリートカー(Street Car/路面電車)に乗りました。 メルボルンからやって来たという、レトロな感じの緑色の車両で、港に沿った通りをゴトゴトとゆっくり走ります。
ストリートカーの終点の近くは、インターナショナル・ディストリクト(International district)と呼ばれる地域で、中国をはじめとするアジア各国の店などが集まっています。 日本からの輸入品を扱う「宇和島屋」というスーパーマーケットや、「紀伊国屋書店」もあります。

次は、シアトルセンター(Seattle Center)という地域にあるシアトルのランドマーク、スペースニードル(Space Needle)という展望台を目指します。
インターナショナル・ディストリクトから、メトロ・トランジット・トンネルというバス専用トンネルを走るバスに乗り、ウェストレークセンターというショッピングモールへ。 このモールの3階が、シアトルセンターへの高速モノレールの乗り場になっています。
モールの1階に案内所があり、観光案内のリーフレットがたくさん置いてあったので、見ていると、ハーバークルーズという遊覧船の案内が目につきました。 出航時刻は2時45分。 これは見逃せないと思い、時計を見ると1時15分頃。 スペースニードル行きは後回しにして、港のほうへ歩いて行きました。

遊覧船のオープンデッキ 港のあたりを散歩するうちに、出航の時刻が近づいてきました。
船着き場から小さな遊覧船に乗り、オープンデッキの椅子に腰掛けると、ほどなく出航。1時間の港内一周クルーズです。
天気はあいにく曇り。 オープンデッキで風に吹かれると、けっこう寒いですが、海の上から眺めるシアトルの街の風景は、また格別です。

海の上から見たシアトル市街 1時間のクルーズを終え、船着き場に戻ってくると、もう4時前。
高緯度のシアトルでは、冬の日はとても短く、もう日が傾いています。
まずは、パイクプレース・マーケットに近いユースホステルに赴き、チェックイン。 そのあと、再び港を散歩し、ファーストフード店で夕食を買い込みました。

ユースホステルで、日本人の女性3人組と、やはり日本人の一人旅の青年と出会いました。
女性3人は、「ワーキングホリデー」でカナダのバンクーバーに滞在中で、休みを利用して旅行に来たとのこと。 一人旅の青年は、カナダのハミルトンという町での留学を終え、帰国までの期間を利用してアメリカを旅行中ということです。
カナダやアメリカの生活、旅行の話で、夜遅くまで盛り上がりました。


シアトル滞在2日目。 今日最初に訪れるのは、シアトルの東方のスノクォルミー滝(Snoqualmie Falls)。 「ツイン・ピークス」のロケ地として有名な場所です。
9時半頃、ユースホステルの近くからバスに乗り、スノクォルミーを目指します。
バスはフリーウェイに入り、ワシントン湖の浮橋(floating bridge/橋全体が水に浮かぶ構造の珍しい橋)を渡って、シアトル郊外へ。 郊外のバスターミナルでさらに小さなバスに乗り継ぎ、11時ごろにスノクォルミー滝の上、サリッシュ・ロッジの前に到着しました。

スノクォルミー滝 滝の近くの見晴らし台に立つと、大きな滝が目の前に見えます。
落差が大きいだけでなく、水量が多く、迫力満点です。
滝壷からは霧状の水飛沫が舞い上がっていて、風向きによっては、見晴らし台まで飛んできます。
晴れた日には虹がかかって美しい光景が見られるようですが、あいにく今日は曇りです。
滝の下への遊歩道を下り、滝壷の近くまで行ってみました。
下から滝を見上げると、サリッシュ・ロッジや見晴らし台ははるか上。 滝の落差の大きさを実感できます。

滝の眺めを堪能して、バスでシアトル市街地に戻ると、時刻は2時半。
次は、シアトル発祥の地、パイオニアスクエア(Pioneer Square)の「地下探検」、アンダーグラウンド・ツアーに参加します。

19世紀末までパイオニア・スクエア一帯の地面は今より3mほど低く、満潮時には下水が逆流したり、水道の水圧が低すぎ、1889年の大火では消火活動ができず、大惨事を招く結果となった。 このため市では道路を高くする大工事を行ったが、地下の世界は1965年に発見されるまで忘れられていた。 これは約1時間30分の地下探検ツアーだ。 (JTBのポケットガイド116「アメリカ西海岸」より引用)

3時出発のツアーの参加者は150人ほど。大人気のツアーです。
最初に集合場所の建物内でシアトルの歴史に関する話を聞いた後、30人ぐらいずつのグループに分かれ、グループごとにガイドに引率され、地下探検へ出発。 今世紀初めに行われた「道路かさ上げ(regrading)」によって廃虚と化した、パイオニアスクエアの「地下」の世界を歩いていきます。

ツアーが終わると4時半。もう空が暗くなりかけています。
インターナショナル・ディストリクトの中国料理店で夕食をとった後、昨日行けなかったスペースニードルを目指します。
ストリートカーに乗って終点まで行き、そこから少し坂道を登ると、シアトルセンターの中心、スペースニードルの下に出ました。
エレベーターで展望台に上ると、目の前に港や市街地の美しい夜景が広がります。 展望台のテラスをゆっくり一周し、夜景を堪能しました。

シアトルセンターから高速モノレールに乗って市街地へ戻り、ユースホステルへ。
昨夜同宿したワーキングホリデー三姉妹と留学青年は、今朝出発してしまいましたが、今夜は、一人で鉄道を使って旅行中という日本人の大学生と、韓国人二人、それにミシシッピ州から来ているアメリカ人青年を交えて、いろいろ話しました。

鉄道青年は、明朝10時発の列車で次の目的地、ロサンゼルスに向かうとのこと。
私は明日は早朝のバスでポートランドに行き、市内を見物してからバスでボイジーに戻るつもりでしたが、彼の話を聞いて、鉄道の旅にも興味が出てきました。 列車は1日2、3本しかありませんが、彼と同じ列車に乗れば、4時間でポートランドに着き、それから2時間後にボイジーへのバスが発車するので、好都合です。
さっそく、「明日は同じ列車で出発しましょう」と、彼と約束しました。


翌4日の朝9時ごろ、鉄道青年とともにユースホステルを出発し、インターナショナル・ディストリクトに近いアムトラック(Amtrak)の駅、キングステーションへ。
駅の待合室は、多くの乗客で賑わっています。
彼はすでに予約券を持っていますが、私は予約なし。 彼は発車前に宇和島屋に買い物に行くというので、その間に発券窓口に並び、切符を求めると、なんと「売り切れ」との返事。 楽しみにしていた鉄道旅行のプランは、あっさり消えてしまいました。
しかたないので、ポートランドへはバスで向かうことにします。 買い物から戻ってきた彼に事情を話して、その場で別れました。

次のポートランドへのバスが発車するまでには2時間ほど時間があるので、宇和島屋に立ち寄ってから、市街地を散歩し、パイクプレース・マーケットへ。 お土産物を物色したり、マーケット内の中国料理店で昼食をとったりして過ごしました。

12時15分、ポートランド行のバスでシアトルを離れました。
3時間ほどでポートランドに到着。 ボイジーへのバスに乗り換え、9時間の長旅の末、5日の午前2時ごろ、ようやくボイジーに戻ってきました。


今回のシアトル行きは、思いつきで突然出発した「無計画旅行」にしては、いろいろ観光もできて、充実した旅行になったと思います。
今回訪れたところ以外にも、水族館、オムニドーム(映画館)、美術館、航空博物館、ワシントン大学など、見残したところはたくさんあるのですが、2日かけて市内見物できて、スノクォルミーにも足を伸ばせたのですから、まあ十分でしょう。

できればポートランドにも寄り道したかったのですが、ポートランド観光は「次回のお楽しみ」ということにしておきましょう。
それと、今回果たせなかった「鉄道の旅」も、アメリカ滞在中に一度はしてみたいものです。

98/01/12 雪、氷、そして雨

日本では首都圏で大雪が降って交通が大混乱、転ぶなどしてけがをする人が続出、などというニュースを聞いた矢先、ボイジーにも「大雪」がやってきました。

土曜日(10日)、朝起きてカーテンを開けると、外は雪が降りしきっていました。
目の前のアパートの駐車場には、もう10cmほど雪が積もっています。
これだけまとまった雪は、先月8日に続いて、この冬2度目です。

Capitolの雪景色 シアトルに持って行った使い捨てカメラのフィルムが余っていたので、ボイジーの雪景色の写真を撮ろうと、昼過ぎに散歩に出かけました。
まだ雪は少し降り続いていますが、軽い雪質なので、傘なしで十分歩けます。
住宅地の歩道は除雪がなされていないところが多く、積もった雪を踏んで歩きます。
中心街の歩道では、小型のブルドーザーが除雪に活躍しています。
気温は35度(およそ2度C)。それほど寒さは感じません。
キャピトール(州議事堂)のあたりで写真を撮ってから、スーパーマーケットに寄り道して、アパートに戻りました。

その後は外出せず、一日じゅう家で過ごしました。


日曜日になると、雪はやみました。
雪がほとんど消えていた山々も、再び真っ白に雪化粧しています。
夜は気温が氷点下に下がるので、路上の雪融け水が凍結して、歩道も車道も滑りやすくなっています。

夕方、買い物に出たときに、アパートの前の駐車場で、見事に転倒してしまいました。
除雪がなされていた部分で雪融け水が凍結していたため、氷の表面が平らで滑りやすく、しかも暗かったのでそれに気づかなかったのです。
転んだときにとっさに左手をついたのですが、左手も滑って、左ひじを氷に打ちつけてしまいました。 でも、おかげで腰や頭は打たず、大きなけがには至りませんでした。


そんなわけで、路面の雪や氷が消えるまでは、自転車には恐くて乗れません。
大学への交通は、バスが頼りです。 冬の間は、トークン(乗車用硬貨)代が少々かさむかもしれません。

今朝は、中心街まで歩いて大学へのバスに乗りました。 ふだんは気軽に歩いている中心街への道ですが、今日は、まだ雪が残っていて、ところどころ凍結しているので、転ばないように気をつけながら、ゆっくり歩いて行きました。

午後になると、こんどは雪ではなく、雨が降ってきました。
雪が積もって歩きにくくなるのはいやですが、雨は雨で、やはりうっとうしいです。 少々の雪なら傘なしで歩けますが、雨だとそうもいきません。
でも、この雨のおかげで、明日には路面の雪がかなり消えてくれることでしょう。

98/01/14 一人きりだと集中できない!?

BSU(ボイジー州立大学)はまだ冬休みですが、20日の春学期開始が近づくにつれて、少しずつ学生の姿が見られるようになってきました。
AUAPの学生の方々は、先週5日からすでに授業が始まっています。 先週は、学生全員がグループに分かれて創作英語劇を発表する「演劇週間(Skits Week)」で、皆さん忙しかったようですが、今週からは通常の授業に戻っています。


私は、シアトルから帰ってしばらくした後は、冬休み中でも、週末を除いて、なるべく大学のオフィスに出向くようにしています。
オフィスだと、自分専用の机もホワイトボードもあり、誰にも邪魔されないので、じっくり研究するにはよい環境です。 でも、私のオフィスには窓がないので、考え事ばかり長く続けていると、時にはストレスを感じることもあります。
そんな時には、ノートパッドとボールペンを持って、Student Unionの1階のカフェテリア(Union Food Court)に行きます。 そして、明るい席に陣取って、ノートパッドを開いて考え事を続けるのです。
ここだと、昼食もとれるし、疲れたときにはコーヒーやジュースも飲めるし、気分転換に新聞を読むこともできます。
まわりの人たちの話し声や物音が聞こえてきたりもしますが、ある程度「人の気配」があったほうが、孤独感からくるストレスを感じずにすむので、かえってよいと思うこともあります。 特に、冬休み中はTomekたち仕事仲間と会うこともめったにないので、一人でオフィスにいるより、むしろ、ある程度人が出入りするところにいるほうが、気持ちが落ち着きます。

一昨日(月曜日)のこと。 午前中はオフィスで考え事をしていたのですが、昼過ぎに、昼食を兼ねて、ノートパッドを持ってStudent Unionに行きました。
カフェテリアは、冬休みとあって空いてはいますが、AUAPの学生など、30人ほどの人があちらこちらに分かれて座っていて、けっこう話し声が聞こえてきます。
そんな中で、ハンバーガーを食べながら考え事をしているうちに、未解決問題のひとつが解けてしまいました。 そして、すぐにその場で、今思いついた証明をノートパッドに書き下しました。
頭さえ働かせていれば、アイデアが浮かぶのはオフィスの机の前とは限りません。 こういうことも、たまにはあるのです。


今日は、夕方4時半頃にオフィスを出てStudent Unionに行き、まずはラウンジのソファで新聞に目を通しました。 すると、連載漫画のひとつ、For Better or For Worseに、次のようなネタが載っていました。

高校生のエリザベスが食堂のテーブルで宿題をしていると、飼い犬のエドガーや幼い妹のエイプリルにつきまとわれ、邪魔をされてしまいます。
それを見ていた母親のエリーは「エリザベス、あなたの部屋に机があるでしょう。 どうしてそこへ行って勉強しないの?」と問うのですが、彼女は「だめよ。自分の部屋にいると集中できないのよ!!」と答えます。 そして、「どうして?」というエリーの問いに対して、彼女は次のように答えるのです。

... I get too lonely.
あまりに孤独だから。

これを読んだとき、エリザベスの気持ちがわかったような気がしました。

新聞を読み終えたあとは、やはり、カフェテリアでコーヒーを飲みながら、ノートパッドを開いて研究の続きです。
さすがに今日は問題は解けませんでしたが、それでも、オフィスにいるときより、むしろ研究がはかどったような気がします。

98/01/17 ソルトレークシティ再訪

2週間前のシアトル行き(→日記1月2日)に続いて、今月2度目の気まぐれ突発小旅行に出かけてしまいました。

1月19日の月曜日は、Martin Luther King Jr. Dayの祝日。 土日と合わせて3連休となりますが、遊ぶ予定はなし。 それで、ひとりで家にいてもつまらないから、どこかへ遊びに行きたい、とは、数日前からぼんやり考えていました。
最初は、前回シアトル訪問時に立ち寄れなかったポートランドへ、と考えたのですが、天気予報によると、連休中はずっと雨とのこと。
それで、どこかへ出かけようか、ボイジーで過ごそうかと、金曜の夜まで考えた末、2ヶ月前に訪れた(→日記11月28日)ソルトレークシティへ再び行くことを思い立ちました。
ちょうど、毎週日曜日の朝には、テンプルスクエアのタバナクル(大礼拝堂)で、世界的に有名な合唱団「モルモンタバナクル」の公開放送が行われています。 そこで、「今回の訪問の目的は、モルモンタバナクルを聴きに行くこと!」と決めて、旅支度もそこそこに、ソルトレークシティ行きの夜行バスに飛び乗りました。


リサイタルのプログラム バスは定刻より1時間半ほど遅れて、11時半頃にソルトレークシティに到着。
まずは、テンプルスクエアを訪れ、正午からタバナクルで行われるオルガンリサイタルを聴きました。
オルガニストは日替わりなのですが、今日のオルガニストは、たまたま2ヶ月前に訪れたときと同じ人で、曲目もほぼ同じでした。
それにしても、オルガン自体の大きさもさることながら、タバナクルの音響のよさにも、あらためて驚かされます。 オルガニストが演奏前の挨拶の中で、新聞紙を破ったり、演台の上にコインを落としたりして、タバナクルの音響のよさを示してくれたのですが、マイクを通さなくても、紙の破れる音、コインの落ちる音が、ステージから遠くにいても、大きくはっきりと聞こえるのです。 まるで、建物自体が楽器の「共鳴胴」であるかのように思えてしまいます。
(画像: オルガンリサイタルのプログラム表紙)

30分ほどのリサイタルを楽しんでから、市街地を散歩。
テンプルスクエア付近の主な見どころは、前回の訪問でほとんど見ているので、今回は市内観光のあてはほとんどありません。
まずは、30分ほど歩いて、町外れのトロリースクエアへ。 トロリーバスの車庫を転用して作られたショッピングモールです。
しばらくウィンドーショッピングしたあと、市街地の東の高台に立つユタ大学(University of Utah)を訪ね、大学内の「自然の歴史の博物館」(Museum of Natural History)を見学。 展示のテーマは「地球科学」と「生物の歴史」の2つ。 地球科学のセクションでは、さまざまな鉱物の標本、生物の歴史のセクションでは、恐竜の化石や実物大の骨格標本などが目を引きます。

今回は思いつきで出発したので、宿の手配はしていません。
それで、まずは町外れのユースホステルに行き、「予約はしていないが、一晩滞在できるか?」と尋ねると、「滞在するのはかまわない。ラウンジのソファでならね。」との返事。 要するに「満室」ということです。
しかたなく、市街地に戻り、テンプルスクエアの近くのモーテルに空室を見つけ、投宿しました。

夜は、テンプルスクエアの近くのホールで、ユタ・シンフォニーのコンサートを聴きました。
開演は8時。コンサートの前半のプログラムは、いわゆる「クラシック」のオーケストラ曲でしたが、後半は、がらりと雰囲気が変わって、Rosemary Clooneyという女性ジャズシンガーをゲストに招いてのポピュラーステージ。 オーケストラは、ジャズの「ビッグバンド」に早変わりです。
コンサートを満喫して、モーテルに戻ると、もう10時半。 早々にベッドにもぐり込みました。


翌朝、9時少し前にテンプルスクエアのタバナクルへ。
今回の訪問の目的、モルモンタバナクルの放送は、9時半から10時の30分間です。
タバナクルの中では、合唱団のリハーサルが行われていて、すでに多くの聴衆が席についています。
ステージ上では数人のカメラマンがテレビカメラを構えていて、その映像が客席の両側のモニタに映し出されています。
この放送の番組名は「Music and the Spoken Word」。 65年の伝統を誇る番組で、今日では世界中で放送されているとのことです。

9時10分頃にリハーサルが終わると、2人のアメリカ人のシスター(宣教師)が話しかけてきました。 彼女らの隣に座り、しばらく話すうちに、本番が近づいてきて、会場は静まります。

モルモンタバナクル合唱団 やがて、オルガンの演奏とともに本番開始。 ナレーションの後、合唱団の演奏が始まりました。
パイプオルガンの伴奏による、200人ほどの大合唱団の演奏。 その迫力に圧倒されてしまいます。
時々モニタに目を向けると、合唱団員や指揮者、オルガニストの姿が交互に大きく映し出されています。
曲間にはナレーション(Spoken Word)が入ります。 今日の番組のタイトルは、「平和---希有の、たくましい花」(Peace---a Rare, Yet Sturdy, Flower)。 男性のナレーターが、ステージ上で、「神の平和」についての言葉をとうとうと読み上げます。
(写真: 当日会場で配られたプログラムより)

最後の曲、「『フィンランディア』のテーマによる『平和の歌』(A Song of Peace)」を合唱団がうたいあげると、オルガンのメロディーとナレーションとともに、放送は終了。 客席から大きな拍手が沸き起こりました。
これで終わりかと思ったら、そのあと、合唱団が無伴奏で愛唱曲を1曲披露してくれました。 この曲が、またとても印象的でした。


そのあと、11時15分発のバスでソルトレークシティを離れ、夜8時ごろにボイジーに戻ってきました。
ほんの短い滞在でしたが、念願のモルモンタバナクルの演奏が聴けただけでも、行った甲斐があったと思いました。

翌月曜日、Martin Luther King Jr. Dayは、ボイジーの自宅でのんびり過ごしました。
火曜日からは、春学期が始まり、BSUに賑わいが戻ってきます。
結局、この冬休みは、思いがけず、南カリフォルニア、シアトル、そしてソルトレークシティと、3回も旅行をしてしまいました。
次はいつ頃、どこへ行こうか、今からそんなことを考えてしまいます。

98/01/25 寒さが和らいでいます

最近1週間ほど、寒さが和らいでいます。
2週間ほど前までは、日中の気温は35〜40度(およそ2〜4度C)ほどでしたが、最近は50度(およそ10度C)前後まで上がり、晩秋のようです。

秋から冬へ向かう頃は、どのぐらいまで寒くなるのか想像できませんでしたが、最近は、寒さに慣れたのか、40度ほどの気温であれば、それほど寒いとは思わなくなりました。 時には、最高気温が30度(およそ-1度C)前後という、震え上がるような寒さもやってきますが、そんな日が何日も続くことはありません。
まとまった雪も、まだ2度しか降っていません。 おかげで、冬の間もずっと自転車通勤を続けています。

10月下旬に、たまたま古着屋(リサイクルショップ)で茶色のコートを見つけ、13ドルほどで買いました。 このコートがなかなかのすぐれもので、今まで寒さをしのいでこられたのは、このコートのおかげです。

先日、クローゼットを整理しているうちに、棚の上に、日本から持ってきた厚い毛糸のセーターを見つけました。
日本を出発するときから、アイダホの「冬の寒さ」を心配して、こんなものを持ってきていたのです。 でも、それを着ることのないまま、今まで寒さをしのいできたので、すっかりその存在を忘れていました。

アパートにはエアコンがあり、また、建物自体の断熱がしっかりしているので、部屋にいる限りは寒くありません。


今日は、暖かいうえに天気がよいので、久しぶりにサイクリングに出かけました。

ボイジー川沿いの自転車道では、サイクリングのほか、散歩やローラーブレードを楽しむ人を多く見かけますが、みんな薄着です。 私も、家を出るときには少し厚着をしてきましたが、すぐに暑くなって、ジャンパーを脱いでバックパックにしまいました。


もうすぐ2月です。
これから春先にかけて、いよいよ今まで以上に厳しい寒さがやってくるのでしょうか。 それとも、最近の暖かさのまま春に向かって、毛糸のセーターは無用の長物になるのでしょうか。
ともかく、この冬は、寒さに負けずに乗り切ることができそうです。

98/01/28 AUAPの皆さん、さようなら!

昨年9月上旬から始まった今期のAUAP(亜細亜大学アメリカプログラム)が、終わりに近づいてきました。
それと同時に、BSUにおけるAUAP自体が、幕を閉じようとしています。

新聞記事 学生数の減少に伴い、亜細亜大学がBSUにおけるAUAPを終了し、他の3つの受入大学にAUAP参加学生を集約するということは、以前から聞いていましたが、ついにその最後の学生が、31日に日本に帰ってしまうのです。

このことは、27日(火曜日)のThe Idaho Statesmanの地方面でも、"SAYONARA TO AMERICAN EDUCATION -- 53 Japanese will leave BSU to go home" という見出しで、写真入りで大きく取り上げられていました。 写真には、12月11日の紙面にも登場した淳子さんと、えみさん、やすあきくんの3人が大きく写っていて、記事には3人のコメントも載っています。 中でも、

"I must share my opinion. Gradually I got used to it."
(日本と違って、アメリカの大学の授業では)自分の意見を提供しなければならない。でも、しだいにそれに慣れていった。

という淳子さんの言葉は、「彼女がBSUでのアメリカ流の教育について知ったこと」として、中見出しにまで使われていました。

お別れディナーでVIPと同席!!

終了式の招待状 AUAP終了に伴い、「お別れディナー」と「終了式」の2つの行事が行われ、今月初めに両方の招待状が送られてきました。 (画像: 終了式の招待状)

This message is for the faculty, staff, BSU students, and community members who have contributed to the Asia University America Program over the past eight years, 1990 - 1998. We would like to thank each one of you from the bottom of our hearts.

Boise State University is saddened by the loss of the rich academic and cultural exchange brought to campus by our AUAP students. The closing of AUAP is due to Japan's rapidly changing demographics -- a 20% reduction in freshman student enrollments -- forcing Asia University to close its BSU campus site.

The AUAP faculty and staff would like to thank you for eight years of international friendship and celebrate the following program successes over the eight years: a total of 810 Asia University students have studied and lived in residence halls with American roommates. Nearly 500 campus and community members have volunteered to befriend and take students into their homes during weekends and special holidays. These friendships have been renewed over the years, with many Japanese students returning to Boise and a number of campus and community members visiting Japan. Among the special relationships built through the academic and cultural components of AUAP, two students returned to BSU to continue their studies (one of whom is now a BSU alumni), and two former students married local residents.

To commemorate our last cycle, We would like to invite you to the

AUAP at BSU Closing Ceremony

Thursday, January 29th
2:00pm in the
Jordan AB Ballroom
Student Union Building
reception following

You will always be in our hearts because

Friendship is Forever.

The AUAP faculty, staff, and students

今日は、「お別れディナー」の日。
学生の皆さんは、昨日ですべての授業を終え、今日の昼に「表彰式(Awards Ceremony)」を受けています。

夕方6時、ディナーの会場であるStudent Unionの2階の集会場へ。 「ディナー」ということで、アメリカに来て以来初めて、ジャケットを着てネクタイを結びました。
会場に入り、まずはMollyを見つけて挨拶。 まわりには、亜細亜大学の服部正中学長や、BSUの学長のCharles Ruch氏をはじめ、亜細亜大学とBSUのお偉方が集まっていて、Mollyが順に私を紹介してくれました。 それにしても、「彼はAUAPの活動にとても積極的に参加してくれた」などと紹介されると、単に「遊びに行っていた」私としては、恥ずかしい限りです。

学生の皆さんは、すでに大半が席についています。
Mollyが席に案内してくれたのですが、なんとそこは、演台のすぐ前の「来賓」のテーブルで、服部学長やRuch氏と同席です。 最初は、学生さんたちと交じって食事できるものだと思って、気楽に考えていたのですが、Mollyは私を「お客」と考えて、特等席に案内してくれたのです。

やがて、Mollyが演台に立って挨拶し、ディナーが始まりました。
亜細亜大学とBSUのお偉方に囲まれて食事するのは、さすがに緊張します。 話にもほとんど加われず、辛うじて隣席のRuch氏と少し話した程度です。

メインディッシュを食べ終わり、デザートのアプリコットパイを食べようとしたとき、Mollyが演台に立って挨拶を始めました。
挨拶の中で、亜細亜大学とBSUの「来賓」が順に紹介され、呼ばれた人は立って一礼しました。 それで、もしや… と思ったら、やはりその通り! Mollyは最後に、「great mathematician from Japan」などと言って、私の名を呼んだのです。 しかたなく、立って学生の方々のほうを向き、「皆さんこんばんは」と日本語で挨拶しましたが、もう、恥ずかしくてたまりませんでした。
そのあと、来賓3人と、AUAP理事長のJoyce Harvey Morganさんが順に演台に立って挨拶し、ディナーはお開きとあいなりました。
結局、アプリコットパイは食べそびれてしまいました。

ディナーのあとは、別の集会室でレセプション。 刷り上がったばかりの記念写真集が配られ、Deanの作による記録ビデオの鑑賞会などが行われました。
学生の皆さんは、お互いに住所を交換したり、記念写真を撮ったりと、すっかり「お別れモード」になっています。

友情よ永遠なれ!

Mollyにサインを求める学生翌29日に、やはりStudent Unionの2階の集会場で「AUAP終了式」が行われました。
BSUの学長Ruch氏、亜細亜大学の服部学長、BSUの副学長Jones氏、亜細亜大学国際交流課長の小林氏、それにMollyとJoyceさんが順に挨拶に立ちました。 Joyceさんは、AUAPのインストラクター、アシスタント、IPA(補助学生)など、AUAPの運営に携わった人たちに順に謝辞を述べ、最後に、長らくディレクターを務めてきたMollyに、花束を贈呈しました。 (写真: 終了式後、Molly(左)にサインを求めるAUAPの学生)

"Friendship is forever."

ディナーでも終了式でも、Mollyは挨拶の中でこの言葉を強調していました。

Chi Alphaのお別れパーティに参加

30日金曜日。AUAPの学生の皆さんは、明日の出発に備え、小包の発送や手荷物の梱包、寮の部屋の掃除に追われています。

夕方6時、仕事を終えてTable Rock Cafeに食事に行くと、けいくんと、彼の友人のKellyに出会いました。
Kellyは、Chi Alpha(カイ・アルファ)というクリスチャングループのメンバーで、Chi Alphaの活動には、けいくんをはじめ数人のAUAP学生が参加しているとのこと。 食事の席で、Kellyは私に、「今夜7時からChi Alphaの例会があって、そのあとは日本人学生のお別れパーティをする。 あなたも来るといい」と話してくれました。

7時少し過ぎに、例会の会場、Student Unionの1階のForum(集会室)に行ってみると、すでに例会が始まっていて、リーダーのNenoが前で話しています。 Kellyに手招きされて、彼の隣の席につきました。
例会では、ゴスペルソング(宗教歌)の合唱や、聖書に関する説法が行われ、2時間ほどで終了。 Nenoをはじめ、メンバーの人たちはみな、新たな訪問者の私を快く迎え入れてくれました。

そのあと、メンバーのひとり、Silviaの家で、「お別れパーティ」が開かれました。
参加したAUAP学生は、けいくんのほか、11月20日の日記で紹介したのりこさんとちかさん、それに、もう一人同名のちかさん、みちひでくん、ゆみこさんの6人。 ゆみこさん以外は、Dean邸での鍋会(10月24日)でご一緒した人たちです。
Silviaのアパートの部屋は、20人ほどのメンバーでいっぱいになりました。
ケーキやアイスクリームを食べながら、さまざまな話題で歓談。 その間に、AUAP学生に贈る寄せ書きカードがまわってきたので、「さようなら、お元気で!」と、日本語でサインしました。
AUAP学生の方々はみな、親交を深めてきたChi Alphaの人たちとの別れを惜しんでいました。

空港での涙の別れ

翌31日、いよいよAUAP学生の皆さんが日本へ出発する日です。
朝、学生寮の前で学生の皆さんを見送ろうと思い、Chaffee Hall(学生寮のひとつ)の前の駐車場に行きました。 すると、ちょうど学生の皆さんを乗せた2台のヴァンが空港に向かって出発するところで、一方のヴァンを運転していたIPA(補助学生)のAmy Edwardsさんが、「あなたの席が空いてるわよ」と言って、空港までヴァンに乗せてくれました。

出発2時間前、9時過ぎに空港に到着。 出発カウンターの前で、MollyやDan、それに、Towers(もうひとつの学生寮)から来た学生の方々とも顔を合わせました。
学生の皆さんは、大きな荷物を持ってカウンターに並び、順にチェックインを済ませ、2階のゲートに向かっていきます。

全員のチェックインが済んだところで、MollyやDanたちと一緒に2階へ。 その途中、Mollyが私に、やはりAUAP学生を見送りに来た日本人女性、さちこさんを紹介してくれました。
さちこさんは、AUAP学生としてBSUを訪ねた後、BSUに正規学生として入学、現在は卒業してグラフィックデザイナーとして活躍中、という、AUAPの大先輩です。
彼女の日本人仲間も数人来ていて、彼女が私に紹介してくれました。

メッセージカードを受け取るJill 出発の1時間ほど前になると、AUAPのスタッフやインストラクター、コミュニティフレンドもゲートの前に見送りに集まってきました。 学生の皆さんは、クラスごとに集まって、お世話になった先生に寄せ書きや記念品を贈ったり、記念写真を撮ったりして、スタッフの人たちとの別れを惜しんでいます。 (写真左: 学生からの寄せ書きを手にして涙ぐむインストラクターのJillさん)
クラス記念撮影 女性のインストラクターや女子学生の中には、泣いている人もいました。 5ヶ月の間に培われた友情は、それほど深いものだったのです。 見ていた私まで、もらい泣きしそうになりました。
幸か不幸か、飛行機の到着が遅れ、出発は1時間ほど遅れるという案内がありました。 それだけ、「お別れ」の時間が長く続くのです。
(写真右: クラス全員でJillさんを囲んで記念撮影)

Chi AlphaのメンバーのSilviaも見送りに来て、Chi Alphaに参加していた人たちにお別れを言っていました。

12時少し前、搭乗が始まりました。
見送る人たちがゲートの前に列をなし、出発する学生の方々は、一人ずつ最後の握手や抱擁を交わし、飛行機に乗っていきます。
「短い間ですが、お世話になりました」「頑張ってください」と、私に声をかけてくれる人もいました。 私も、「次は日本でお会いしましょう!」と、笑顔で応えました。

こうして、12時15分頃、彼らを乗せた飛行機は、多くの人に見送られる中、ゲートを離れ、サンフランシスコに向かって飛び立っていきました。
彼らは、サンフランシスコで国際線に乗り換え、明日(1日)の未明、日本時間では明日の夕方に、成田空港に到着し、5ヶ月ぶりに日本の土を踏むことでしょう。


思えば、10月下旬にAUAPの学生の方々と知り合うことができたのも、その後3ヶ月の間に、AUAPの行事に参加する機会を得たのも、元はといえば、Marionの奥さんを通じてMollyと知り合ったことが始まりでした。
Mollyと会っていなければ、この5ヶ月間、彼らと同じ大学にいながら、そのままずっと知らん顔だったかもしれません。 なにしろ、私がBSUを訪れたのは、Tomekがそこにいたからであって、AUAPのことなど、最初は全く知らなかったのですから。
その意味で、Mollyを通じてAUAPと縁ができたのも奇遇なら、ちょうどBSUでのAUAPが終了するという時に居合わせたのも、奇遇に思えます。
あと半年BSUを訪れるのが遅ければ、AUAPのことは知らずじまいで、Mollyとも会えなかったでしょう。
それを思うと、AUAPの学生やスタッフの方々と知り合って、交流の機会を得られたことが、とてもうれしく思えます。 とりわけ、私にAmerican Experienceの授業を訪ねるようにすすめてくれて、そのうえ、AUAPの行事に私を快く招いてくれたMollyには、心から感謝しています。

AUAPの学生の方々がいなくなったBSUで、あと半年、私の滞在は続きます。

98/01/31 別れと出会いは隣り合わせ

AUAPの学生の皆さんを空港で見送った後、Dean、Amyと私の3人で、からっぽのヴァンに乗ってBSUに向かいました。
DeanもAmyも、さびしそうでした。
「もう、このヴァンに学生を乗せてスネーク川(AUAPの見学旅行の行き先の一つ)に行くこともないのか...」 Deanがヴァンを運転しながらつぶやきました。
帰り道、「Mongolian BBQ」という焼きそば屋に立ち寄り、3人で昼食。 DeanとAmyは、しきりにAUAPの思い出を話していました。

Chi Alphaの人たちと過ごした午後

昨日のChi Alphaの例会で、今日の午後2時からNenoの家でChi Alphaの集会がある、ということを聞いていました。 それで、私も行ってみようと思い、空港でSilviaと会ったときに、「今日のChi Alphaの集会に行きたいけれど、どうすればよいか?」と話すと、「それなら、1時半にTowersの前で待っていなさい」と言って、迎えの車を手配してくれました。

Chaffeeの前に戻ってくると、ちょうど1時半。
Dean、Amyの二人と別れ、急いでTowersの前に行くと、Chi Alphaのメンバーが待っていてくれました。
彼らの車に乗って、郊外のNenoの家に着くと、参加者が次々に集まってきました。

案内チラシによると、今日の集会の目的は、

とのこと。リビングの隅には、カードゲームやボードゲームが積まれていて、キッチンには飲み物やスナックが用意されています。
最初は、リビングで楽しい歓談の時間。 Chi Alphaの人たちはみな気さくで、新顔の私も、すぐに打ち解けて仲間入りすることができました。
続いて、クリスチャングループらしく、ゴスペルソングとお祈りの時間。 お祈りが終わった後、Nenoが私に英語・日本語対訳の新約聖書をくれました。
夕方になってから、春学期の活動目標に関する話し合いが行われ、そのあとはゲームの時間。 私は、Nenoたちの「モノポリー」(不動産取引・経営の利益を競うボードゲーム)に加わりました。
ゲームが終わると、もう9時半。 集会はお開きとなり、Towersの前まで、車で送ってもらいました。


午前は空港でAUAPの皆さんのお見送り、そして、午後はChi Alphaの集会。
すっかり疲れてしまいましたが、とても充実した一日でした。

Chi Alphaは、毎週金曜日の夜にStudent Unionの集会室で例会を行っていて、例会のあとは、たいてい何か楽しい企画が用意されているとのこと。 NenoやKellyをはじめ、メンバーの皆さんの温厚な人柄に触れて、これからもChi Alphaの活動に加わりたいと思いました。
考えてみたら、Chi Alphaと私の最初の「出会い」の場は、ちょうど、けいくんたち6人のAUAP学生の皆さんとの「別れ」の場だったのです。 「縁」というのは、何とも不思議なものです。
AUAP学生の皆さんとの「別れ」とともに得た、この新しい「出会い」を大切にしたい、そして、けいくんたちがそうしてきたように、あと半年の間に、Chi Alphaの皆さんとの親交を深めたい、そう思いました。

98/02/07 スキャナを買いました

ついに、カラーイメージスキャナを買ってしまいました。

今までは基本的にテキストのみで自分のWebページを作っていましたが、やはり、ページを作るうちに、画像を入れたくなってきます。
そうなると、画像を取り込む手段が必要になるわけですが、それには、

などが考えられます。
このうち、「素材集」は、一番安上がりですが、あまりにも芸がありませんし、自分のポートレートや、日記に関連する写真を載せる、といった用途には使えません。
そうなると、スキャナかデジタルカメラの選択となります。 デジタルカメラは、画像取り込み装置として魅力的ではあるのですが、そのカメラで撮った写真しか取り込めない、つまり、すでに持っている写真や、人からもらった写真は取り込めないことになり、用途が限られてしまいます。 その点、スキャナなら、写真に限らず、印刷物や手描きの絵なども取り込めるので、便利です。

ちょうど、Student Union内のBookstoreで、Windows用のカラーイメージスキャナが180ドルで売られていたので、思い切って買いました。

さっそく家に持って帰って、試してみます。
スキャナとパソコンを接続し、CD-ROMから添付ソフトウェアをインストールすれば、準備完了。
添付の画像整理ソフトを使って、手持ちの写真を取り込んでみます。 作業は思ったよりずっと簡単で、コピー機を使うような感覚で、写真をフルカラー画像としてパソコンに取り込めます。

おもしろいので、Webページに使えそうな、いろいろな写真を取り込みました。
取り込んだ写真の画像データは、そのままではファイルサイズが大きすぎるので、Webページに載せるには、データの加工が必要です。
データの加工には、フリーソフトウェアの画像処理ソフトを使います。
取り込んだ画像を画面上で見ながら、トリミング、縮小などによって適当な大きさにして、それをJPEG形式で保存すれば、ページに貼り込むことができます。 このとき、あまりファイルサイズが大きいと、読み込みに時間がかかってしまうので、なるべく画像の大きさを小さくして、場合によっては、多少の画質の悪化には目をつぶり、圧縮率を高めに設定して保存します。
おもしろいのは、コントラストや明るさなど、色に関する調整もソフトウェアでできること。 いまひとつ見た目に映えない写真でも、コントラストを上げると、きれいに見えるようになるものです。 また、下手な構図の写真でも、トリミングしてみると、悪くないと思えることもあります。

次に、保存した画像を、ページに貼り付けていきます。 ページの読み込みにかかる時間を考えて、1ページあたりの画像ファイルサイズの合計を40KB程度に抑えることを目安にして、それを満たすように、適切に画像を加工します。

こうして、12〜1月の日記を中心に、画像を貼り付けました。
実際に写真の入ったページをブラウザで見てみると、やはり画像の効果は絶大で、テキストだけよりずっと説得力が増したように思います。

スキャナのおかげで、ページ作りの楽しみがひとつ増えました。 もっとも、それと同時に、ページのデザインに新たなセンスが必要になる、ということでもありますが。

98/02/13 金曜日はChi Alphaの日

1月30日31日にChi Alphaの集まりに参加して以来、Chi Alphaの人たちとの交流が続いています。

毎週金曜日の午後7時から、Student Union内の集会室でChi Alphaの例会が行われています。 例会の主な内容は、ゴスペルソングの合唱、お祈り、それに聖書に関するNenoの説法で、だいたい2時間ほどです。
そして、例会の後には、パーティやゲームなど、親睦のための企画が用意されています。 先週6日に例会に参加したときには、Student Union内のレクリエーションセンターでボウリングをしました。

Chi Alphaは積極的に外国人を迎え入れていて、現在、日本人の私のほかに、中国、インド、マレーシア出身のメンバーがいます。 そして、例会の会場には、外国人メンバーの母国の国旗が掲げられます。
AUAP学生の皆さんが帰国してしまった今、Chi Alphaの「日の丸」を支えるのは、私一人になってしまったわけです。

NenoやKellyとは、ときどき学内で出会います。 Nenoは日本語をたくさん知っていて、「元気ですか」と日本語で話しかけてくれます。


今日はChi Alphaの例会の日。 今日の例会では、バレンタインデーにちなんで、男性メンバーが一人ずつ女性メンバーにカードとバラの花束を手渡す、という企画が用意されていて、6日の例会のときに、私もカードにサインしました。
まずは、6時過ぎにTable Rock Cafeに行って、夕食を済ませます。
そして、7時ごろに例会の会場に行こうとTable Rock Cafeを出ると、出口に近いJordan集会場の前に行列ができています。 7時半から、「ボーカルジャズフェスティバル」が始まるということです。 出演は、昨年10月31日にも演奏を聴いたBSUボーカルジャズアンサンブルと、ゲストの女性シンガー。 これは聴き逃せない! と思いました。
「バレンタインねるとん」にも興味はあったのですが、結局、今夜はChi Alphaよりボーカルジャズを取ることにして、列に並んでしまいました。

ボーカルジャズをたっぷり楽しんで、Jordan集会場を出ると、もう9時半。
そのまま帰るつもりで、1階に下りたところで、Kellyに出会いました。 ちょうど例会が終わったところで、これからパーティがあるとのこと。 それなら、と、私もパーティに行くことにしました。

メンバーの車に分乗して、皆で郊外のメンバーの一人の家へ。
スナックを食べながら、ゲーム、ビデオ鑑賞、歓談など、思い思いに楽しみます。
私は、Nenoや外国人メンバーと歓談。 各国の歴史や言語の話で盛り上がりました。 このような話題での会話自体は、とても興味深いのですが、日本の歴史や日本語の文法構造を英語で説明するのは、少なくとも私の英語力では、とても難しく、話に加わるだけでも一苦労です。

12時ごろにパーティはお開きとなり、車で自宅まで送ってもらいました。

98/02/20 AUAP同窓会??

AUAPの最後のサイクルが終わってから、3週間が経ちました。
大学内で日本人学生の姿を見かけなくなったのは、やはりさびしいです。

AUAPに関して最もお世話になったMollyには、ちょうど時期が時期なので、先週、お礼状を兼ねてバレンタインカードを送りました。


お昼過ぎ、新聞を読もうとStudent Unionに行きました。
ラウンジで新聞を取ろうとすると、私の名を呼ぶ声が聞こえました。 Chi Alphaの人かな、と思って振り向いたら、Deanでした。 Deanは、「明日の午後1時からStudent Unionの3階でJapan Fairが行われる。日本文化に関するいろいろなアトラクションがあるから、来てみなさい。」と話してくれました。
しばらくDeanと話すうちに、DanとMollyがやって来ました。 Mollyは私を見つけるなり、満面の笑顔で握手を求め、「すてきなバレンタインカードをありがとう!」と言ってくれました。

それにしても、どうしてここに、よりにもよってAUAPスタッフばかり集まっているのだろう… と思ったそのとき、5人の日本人学生のグループがやって来ました。 彼らは、5サイクル(2年半)前のAUAP学生で、亜細亜大学卒業を目前にして、再びボイジーを訪ねてきたのです。 それで、AUAPスタッフの人たちと今日ここで会う約束をしていたわけです。

さっそく、1階のカフェテリアで「同窓会」が始まります。
Dean、Dan、Mollyのほかにも、数人のAUAPスタッフやコミュニティフレンドが集まってきました。
せっかくなので、私も仲間に入れてもらいました。

MollyやDeanは、彼らのサイクルの学生たちを今でもよく覚えていて、あのサイクルにはこんな学生がいたとか、skits(寸劇)の発表会でどんな劇を演じたとか、思い出話に花を咲かせていました。 聞いているだけでも、けっこうおもしろいです。
彼らは、「卒業旅行」として、ニューヨークへ旅行したあと、ボイジーにやって来て、ボイジーには4日間滞在するとのこと。 卒業の判定は3月1日に行われるそうで、「あなたがたは3月に亜細亜大学を卒業するのでしょう?」というMollyやDanの問いに、彼らは「Maybe...(たぶんね...)」と苦笑いしていました。
英語については、彼らは「ずいぶん忘れちゃった」と口々に言っていました。 せっかくアメリカで英語を勉強しても、2年も使わないでいると、やはり忘れてしまうものなのでしょうか。

1時間ほどで、「同窓会」はお開きとなりました。
Mollyは別れ際に、「今回のボイジー訪問を大いに楽しんで、そして、またボイジーに来てくださいね!」と言っていました。

"Friendship is forever."

Mollyがしきりに語っていたこの言葉は、ほんとうなのですね。
ひょんなことからAUAPの「同窓会」に同席して、そんなことを思いました。

98/02/21 第3回Japan Fair

今日は、昨日Deanに教えてもらった、Japan Society of Idaho(アイダホ日本協会)主催のJapan Fairを訪れました。

会場は、Student Unionの3階にある展望室(lookout room)。 地元の日本人を含む、多くの人が集まっています。
プログラム前半のメインは、4人のゲストパネリストを招いてのパネルディスカッション。 テーマは、「アイダホと日本のビジネス交流」です。
まず、4人のパネリストが、それぞれの立場から講演します。 経済や技術の話が中心で、英語での講演を聞くのは少々難しいですが、けっこう興味深い講演でした。
面白かったのは、パネリストの一人、Canonのエンジニアの方が「余談」として話された、技術提携先のHewlett-Packard(HP)の開発チームと交流した経験から知ったという「HPとCanonの技術者気質の違い」の話です。 記憶を頼りに、技術者気質の日米比較を再現してみると…

HP(アメリカ)Canon(日本)
スペシャリストが重宝される万能プレイヤーが求められる
各人の役割・責任の範囲が明確各人の役割・責任の境界があいまい
常に冷静で、合理性を重んじる人情を重んじ、時には「根性」を求められる
金曜日の午後は働かない金曜日の午後もまじめに働く

技術者の世界に限らず、アメリカ人と日本人の性格の違いを端的に、かつ皮肉っぽく言い表しているように思えます。
パネリストの講演のあとは、聴衆からの質問の時間。 日本の商慣行などについての質問が、熱心な参加者から立て続けに出されました。


Japan Fairは、アイダホ日本協会の主催で、今年で3回目。 日本文化の紹介などを通じて、日本とアイダホの交流に寄与しよう、というものです。
休憩時間には、折り紙、書道、着物を着ての記念撮影など、日本文化に関するデモンストレーションが行われました。
会場前の廊下には、冷たい飲み物とともに、おかきや日本茶も用意されています。 その近くで、Deanが日本を訪れたときに集めた絵葉書などを展示していました。

茶道のデモンストレーション 書道のデモンストレーション

後半は、華道、茶道、日本舞踊のデモンストレーションなど。 日本人の私が見ても勉強になる内容でした。
茶道のデモンストレーションの後では、会場の参加者の中から希望者を募って、その人たちにお茶を点てていました。
日本とはまるで違う文化の中に暮らすアメリカ人の目には、日本の伝統的な文化は、どのように映るものなのでしょうか。 デモンストレーションを見ながら、そんなことが頭に浮かびました。

半年のアメリカ生活で忘れかけていた、日本の文化のすばらしさを再認識させてくれた、週末のひとときでした。

98/03/04 春を待つ

1月下旬から2月にかけて、比較的暖かい日が続いていたのですが、2月末から、再び寒さが戻ってきました。
最近の気温は、最高40〜45度(およそ5〜7度C)、最低20〜25度(およそ-7〜-4度C)ぐらいです。 少し前までは、日中の気温が50度を超えることが珍しくなかったので、ずいぶん寒く感じられます。
朝方には、水たまりに厚い氷が張っています。

ボイジーは北海道と同じぐらいの緯度なので、日本を出発するときから、冬は北海道と同じぐらい寒くなるかもしれないと心配していました。 でも、実際にボイジーの冬を過ごしてみると、寒いといっても、北海道ほどではなく、北関東から南東北ぐらいの寒さではないか、という感じです。 私は茨城県つくば市で5回の冬を過ごしましたが、ボイジーの寒さは、つくばと同じぐらいに感じられます。
もっとも、Marionの話によると、今年の冬はエルニーニョのためか比較的暖かい、ということで、例年はもっと寒さが厳しく、雪が降ることも多いそうです。


リス 今朝、大学に出かけようとドアを開けると、外にはうっすらと雪が積もっていました。 最近は降っても雨ばかりだったので、雪を見るのは久しぶりです。
アパートの前の芝生に積もった雪の上を、リスが1匹走り回っていました。
リスは冬眠するものかと思いきや、けっこう冬の間も見かけます。

アスファルトの上の雪は融けているので、大学へは自転車で行きました。
午前中は、青空がのぞいているかと思うと、急にお天気雨ならぬ「お天気雪」が降ってきたりと、変なお天気でしたが、午後には晴れ上がり、雪もほとんど消えました。 気温は40度前後で、やはり寒いです。

どうやら、もうしばらく、茶色の分厚いコートを手放せそうにありません。
春が待ち遠しいです。

98/03/14 週末サイクリング再開!

ようやくボイジーに春がやってきました。
しかも、「月曜日までが冬で、火曜日からは春」というぐらい、急に暖かくなりました。 日中の気温は70度(およそ21度C)近くまで上がり、Tシャツでも過ごせるほどの暖かさです。

今日は土曜日。 天気は快晴で、とても暖かいです。
こんなお天気の週末は、やっぱりアウトドア! ということで、冬の間はお休みしていた「サイクリング」を再開することにしました。

週末サイクリング再開1回目の目的地は、11月23日にも登ったテーブルロック山に決めました。 前回は曇り空の寒い日で、頂上からの眺めも今一つだったので、今日は頂上から地平を見下ろすのが楽しみです。

12時ごろに出発。 市街地の北東の端から、Shaw Mountain Roadという、山すそへの登り道にかかります。
しばらく登ると、住宅地に入っていきます。 このあたりは、市街地に近い南向きの斜面ということで、高級住宅地になっています。
目標のテーブルロックは、住宅地の向こうにそびえています。 高さ200mほどの台形の山で、頂上には大きな十字架が建っています。

住宅地の中を進み、Table Rock Roadという道に入り、さらに坂を登ります。
自転車やジョギング、あるいは車で頂上を目指す人、そして頂上から降りてくる人をときどき見かけます。
家はだんだんまばらになり、いつしか舗道は途切れ、ほこりっぽい未舗装の曲がりくねった道が山頂へ続きます。

ここまでで、ほぼ「5合目」までは登ったことになるのですが、ここから先が大変です。 いよいよ急坂になり、ペダルが重くなるので、低速のギアを使うのですが、そうすると、こんどは路面の砂のせいで空転してしまうのです。
しかたなく、坂の急な部分は自転車を押して歩きます。 そのうちに、ウォーキングで頂上に向かう女性に、追い越されてしまいました。
坂が少し緩くなったところで、一休み。 なだらかな山の斜面には、低木がまばらに生えています。 その中から、ウグイスのような、鋭い鳥の鳴き声が聞こえ、さらに、その鳴き声が山々にこだましています。
少し元気を取り戻したところで、再び頂上を目指します。 自転車を低速ギアでこいだり、押したりしながら進むうち、頂上の少し手前で、ようやくウォーキングの女性に追いつきました。

こうして、やっとの思いで登頂。
頂上に立つと、目の前にボイジー一帯のパノラマが広がります。 ここまで登ってくるのは決して楽ではありませんでしたが、視界が開けた瞬間に、疲れは消し飛びました。

これから夏にかけて、日頃の運動不足の解消も兼ねて、サイクリングを続けていこうと思います。 特に、テーブルロック山は、市街地から近くて気軽に行けるし、運動にもなるので、2〜3週に1度ぐらい、登りに行こうと考えています。

98/03/21 小切手使用強化月間

タイトルを見ただけでは、何のことだかわかりませんよね。

以前の日記でも触れましたが、アメリカは徹底したキャッシュレス社会で、日頃の買い物の支払いはほとんど小切手かクレジットカードで済ませてしまいます。
私自身も、日本で作ったクレジットカードと、アメリカに来てすぐに作った小切手を、多くの買い物の支払いに使っています。 初めの頃は、小切手を使うことに慣れていなかったので、家賃と公共料金以外はもっぱらクレジットカードでしたが、そのうちに小切手も使うようになってきました。

ここで問題になるのが、円-ドルの為替レートです。
クレジットカードの場合は、日本の口座から引き落とされるので、カード会社から請求される時点のレートで円に換算されます。 一方、小切手の場合は、日本から送金を受けた時点でレートが決定してしまいます。

日本を出発するときに、当座の生活費を米ドルのトラベラーズチェックで持参し、それを当座預金に入金して小切手を使っていました。 そのトラベラーズチェックの購入レートは1ドル=119円50銭。 その後、少しずつ円安が進んだため、その期間に使った小切手についてはわずかに為替差益が生じています。
ところが、次に家族から送金を受けたときのレートは1ドル=130円50銭。 山一證券がつぶれるなど、日本の金融破綻の影響で、円安が進んでいた頃でした。 その直後、クリントン大統領のスキャンダルなどによって、一時は1ドル=123円前後まで一気に円が上がり、私の口座に残っている米ドルは、大幅な「含み損」をもつことになってしまいました。

そんなわけで、しばらくは小切手の使用を控えていたのですが、3月に入って、日本の政府が大胆な景気対策を打ち出せないでいることから、じりじりと円安が進み、最近では1ドル=130円前後まで円が下がっています。
これは、クレジットカードを使うと高いレートで円に換算されてしまう一方、今のうちに銀行口座の米ドルを消化すれば、為替差損を小さく確定できる、ということを意味します。
それで、「小切手を使うなら今のうち!」と思い、買い物の支払いにはできるだけ小切手を使うようにしているわけです。
もっとも、この先さらに円安が進んだら、かえって損をすることになりますが、そこまで考え出すと、もはや「バクチ」になってしまいます。

そんなわけで、アメリカで生活していると、円-ドル為替レートには敏感になり、さらには、日本にいた時以上に、日本の経済状況に注目するようになります。 NIKKEI NET(日経新聞のページ)のチェックは、毎日欠かせません。


小切手のしくみは、たぶん多くの日本人にとって馴染みが薄いでしょうから、ここで説明しておきましょう。
小切手を使うには、銀行でchecking account(当座預金)を開設します。 checking accountには、利息は本来つかないのですが、中には、利息がつくかわりに、残高が一定額を割り込むと手数料が引き落とされる、というものもあります。
口座を開設すると、銀行から氏名、住所の刷り込まれた小切手帳が送られてきます。
支払いの際には、小切手に日付、受取人名、金額を記入、署名して渡します。 その際、身分確認のために、運転免許証などの提示を求められることが多いです。
小切手を発行したら、すぐに記録帳に発行額を記録し、残高を計算します。
そして、発行した小切手の金額が、後日(小切手の受取人が銀行に支払いを請求した時点で)口座から引き落とされます。
checking accountには「通帳」は存在しません。 1ヶ月ごとに銀行から収支報告が送られてくるのですが、その間は、口座残高は「自己管理」しなければならないわけです。


先日、銀行から口座の収支報告が送られてきたので、さっそく記録帳と照合しました。
今までは、小切手を発行すること自体少なかったこともあって、照合すると、必ず計算が合っていました。 ところが、今月はどうも残高が合わないので、よくよくチェックしてみると、2つの失敗が見つかりました。
ひとつは、発行した小切手を記録帳につけ忘れていたこと。 今は口座残高が十分あるので、大きな問題にはなりませんが、このようなミスは、下手をすると、残高不足で支払われない「不渡り小切手」の原因になってしまいます。
もうひとつは、数字の記入ミス、というか、1を7と誤認されてしまったこと。 6ドル16セントの小切手を発行したつもりだったのが、収支報告を見ると、6ドル76セント引き落とされているのです。 結果的に、この小切手を渡したスーパーマーケットに、60セント余計に払ったことになってしまいました。 (ドルの部分は、数字とともに"Six dollars 16/100"のように「言葉」でも記入するので、このような誤読は生じません。)

小切手を使うということは、「自己管理」の能力を問われることなのですね。
これからはこのようなミスはしないように、小切手を発行するときには十分注意しなければ、と思いました。


銀行の話のついでに、ATMの話を少々。
アメリカでは銀行のATMは24時間稼動していて、クレジットカードによるキャッシングもできます。 車社会を反映して、ドライブスルー型のATMまであります。
おもしろいのは、私が口座を作った銀行のATMでは、「checking accountから40ドル引き出す」という操作がワンタッチでできること。 キャッシュレス社会で、かつ犯罪の多いアメリカでは、財布に入れておくのにちょうどよい金額は「40ドル」ということなのでしょうね。 おかげで、私が受け取るATM明細の支払額は「40ドル」ばかりです。

98/03/22 もうすぐ研究集会

早いもので、ボイジーに来てからもう7ヶ月近く経ちました。
予定の滞在期間はあと5ヶ月。 この調子だと、あっという間に帰国の日がやって来てしまいそうです。

最近、この日記のペースが急に落ちてしまいました。 9月頃は2〜3日毎に書いていましたが、2月以降は週1回がやっと。 これは、書くのが面倒になったというよりは、ボイジーでの生活に慣れきってしまって、新しい発見が少なくなったため、と言い訳しておきましょう。


今週はBSUの春休み(Spring Break)。 そして、休み中の金曜日(27日)から日曜日(29日)まで、BEST 7 Conferenceという集合論の研究集会がBSUで開かれます。
"BEST"とは、"Boise Extravaganza in Set Theory"の略。 TomekとMarionが中心になって、毎年3月にBSUの数学・計算機科学科で開催している研究集会で、今年で7回目。 毎回、主にアメリカ国内から、20人以上の集合論研究者が集まってきます。
今回は、北見工業大学教授の渕野 昌さんが招待講演者として参加されるほか、UCI(カリフォルニア大学アーヴァイン校)の石宇哲也くんと、ボストン大学訪問中の塩谷真弘さんが参加され、日本人の参加者は私を含めて4人(!)。 BESTが始まって以来の快挙です。

さて、私はというと、今回のBESTの計画が始まったときから、すでに運営役の一人に数えられていました。 今のところ、仕事らしい仕事はあまりありませんが、当日は「黒板消し係」や「お茶くみ係」としてお手伝いすることになるでしょう。
ちなみに、BESTのWebページに対しては、私にも書き込み権が与えられています。
もちろん、お手伝いだけでなく、私自身も集会で講演する予定です。 ちょうど、最近Marionとディスカッションを続けていたテーマについて、進展があったので、その結果を紹介しようと考えています。

そういうわけで、せっかくの春休みですが、残念ながら遊んでいるわけにはいきません。 研究集会の運営のお手伝いをする一方で、自分の講演の準備もしなければなりませんし、さらに、そこで発表する結果を論文にまとめることも考えなければなりません。
でも、春休みが済んだら春学期(Spring Semester)も後半に入り、あと2ヶ月もすれば、長い夏休みに入ります。 それまでに、できるだけの研究成果をあげて、夏休みに入ったら、帰国までの期間を利用して、長い旅行でもしたいと考えているところです。

98/03/27 BEST 7 Conference

金曜日から日曜日までの3日間、BSUでBEST 7 研究集会(Boise Extravaganza in Set Theory)が行われました。


金曜日の朝、会場となる数学・計算機科学科1階の教室に行ってみると、MarionやAndrzejが準備をしています。
OHPの設置や書籍の展示の準備を手伝ううちに、参加者が次々にやってきました。 そのうちに、UCI(カリフォルニア大学アーヴァイン校)の石宇くんが到着。 昨年末にアーヴァインで会って以来、3ヶ月ぶりの再会です。
そして、最初の講演が始まる頃に、残る2人の日本人参加者、北見工業大学の渕野さんと、ボストン大学滞在中の塩谷さんが到着し、4人の日本人集合論者が勢揃いしました。

午前中は、招待講演1つを含む3つの講演がありました。
12時10分から、2時間の長い昼休み。 今は大学が春休みで、学内の飲食店は閉まっているので、昼食は大学の外の飲食店に行かないととれないのです。
TomekやMarionは、多くの参加者を率いて中心街方面へ歩いていきます。 渕野さんはそれに加わりましたが、石宇くん、塩谷さんと私の3人は彼らとは別行動で、逆方向のファーストフード店へ向かって歩きました。
大学の敷地を横切って、Student Unionの前を歩いていると、思いがけず、Deanに出会いました。 Deanに2人を紹介し、研究集会の話をすると、「私はこれから、友人との待ち合わせでShige(日本食レストラン)に行くところだが、よかったら一緒に来ないか?」とのお誘い。 それではお言葉に甘えて、と、Deanを交えて4人で日本食の昼食とあいなりました。

午後は4つの講演があり、そのあとはMarionの家でパーティ。 ほとんどの集会参加者が集まり、賑やかなパーティになりました。
塩谷さんは、明日の午後に講演するということで、その準備を気にして、途中で帰ってしまいました。 私も明日の午前に講演があり、トランスペアレンシ(OHPフィルム)の準備が少し残っているのですが、結局、パーティがお開きになるまで、なんとなく残ってしまいました。


研究集会の会場

土曜日。午前の最初は招待講演者のWoodin氏による1時間の講演で、その次が私の30分の講演です。
Woodin氏の講演は、さすがに中身が濃いものでした。 私のような「下っ端」がその直後に続くのは、少々「やりにくい」のですが、まぁ、そんなことを気にしても仕方ないので、気楽にやりました。 英語での講演にも、いつの間にかずいぶん慣れていて、思ったよりスムーズに話すことができました。 会場の反応もまずまずでした。

今日のお昼は、石宇くん、渕野さんと私の3人で、再びShigeへ。
店へ歩く途中、市街地で通り掛かりの人に記念写真を撮ってもらったのですが、別れ際に、私にまで「Enjoy your visit!」と声をかけてくれて、少々複雑な気分になりました。
昨日のメニューは「とんかつ」でしたが、今日は「野菜炒め」を注文。 渕野さんには、ズッキーニ入りの「天ぷら」をおすすめしました。

午後の講演が終わると、こんどはTomekの家でパーティ。 ポーランドの典型的な家庭料理という「ポーリッシュ・シチュー」をはじめ、さまざまな料理やお酒を振る舞って、もてなしてくれました。


最終日、運営側のちょっとした不手際が発覚。 招待講演者の渕野さんには50〜60分の時間を用意すべきところが、スケジュールでは、30分しか用意されていなかったのです。 結局、あとに続く講演の時間を繰り下げることで対処しましたが、Andrzejはその変更をアナウンスする際に、「ヨーロッパでは今日から夏時間が始まっている。 そのせいで時間を間違えてしまった。」 と、冗談交じりに弁解していました。

ランチパーティ それはともかく、午前中に渕野さんを含む4人の講演が行われ、研究集会は無事にお開きとなりました。
終了後、すぐに帰る人もいましたが、ほとんどの人は、Marionの家に招かれて、ランチパーティとなりました。
飛行機の出発時刻の関係で、塩谷さんはじめ数人の参加者とは、ここでお別れ。 残った人たちは、ボイジー川上流の「ラッキーピーク」という自然公園に行き、なだらかな丘の中を散歩しました。
そうこうするうちに、もう夕方6時ごろです。 このあとは、中心街でお茶なり食事なり… と、まだまだ「研究集会の延長戦」は続くようですが、正直に言うと、この3日間「おつきあい」続きで、少々気疲れ気味。 石宇くんも同じ心境とみえたので、中心街に向かった時に、彼とともにグループから外れ、私のアパートで一休みしました。

7時半頃、石宇くんと2人で中心街へ出かけ、中華料理店「Yen Ching(燕京)」にて夕食。 さらに大学へ歩き、Student Union内のレクリエーションセンターで、ビリヤードをしました。
彼とは、たまたま同じ時期に、同じアメリカ西部に来ただけでなく、学問的興味も似ていて、年齢も近い、ということもあって、とても親しさを覚えます。 UCIが夏休みに入って、彼の勉強に余裕ができたら、いっしょに南カリフォルニアを車で旅行しよう、と約束しました。


結局、私は研究集会の運営役に名を連ねていたものの、この3日間、ほとんど仕事らしい仕事はしませんでした。 この研究集会に関して私がなした最大の仕事といえば、研究集会中に会場などで写真を撮って、それをWebページ化してBESTのページ内に置いたことでしょう。 (→Pictures from BEST 7)

来年の今ごろは日本に帰っていますが、お金と時間の都合がつけば、次回のBESTにも参加したいと思っています。

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