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はじめに・・・
このアッケシソウの記事は、2000年1月時点におけるもので、その後の調査、研究により意外な展開を見せることになります・・・。
アッケシソウ。
海水の浸入する砂泥地にのみ生育する一年草で、もともとはその名のとおり、釧路近くの厚岸湖で発見されたためにこの名がついた。現在は残念ながら厚岸湖からはほとんど姿を消してしまっているが、かつては天然記念物に指定されていたほどである。
アッケシソウは春から夏にかけては緑色だが、秋の訪れと同時に真っ赤に染まる。その赤い茎と枝(葉は退化している)の広がり方が海中のサンゴに似ていることから、別名サンゴ草とも呼ばれている。
最近、ふとしたことからこのアッケシソウのついて驚くべき話を耳にした。
北海道でさえ珍しい貴重な植物アッケシソウが、なんと「倉敷市児島の浜辺に数年前まで群落を作っていた・・・」というのだ!
「まさか・・・。」と思ったが、調べてみるとこれは間違いなく事実であることがわかった。
さらに児島だけでなく、岡山県邑久町、愛媛県新居浜市、香川県高松、坂出市、詫間、宇多津町、それに小豆島といった瀬戸内海沿岸にもあったらしい。そのうちいくつかには、今もなおアッケシソウが自生している場所があるという。
しかし北海道・道東の海岸湿地に自生するアッケシソウが、なぜ瀬戸内海沿岸に自生するのか?
ひとつ言えるのは、これらの場所の共通点は、いずれもかつての「塩田地帯」ということだ。でも、どうして「塩田地帯」にアッケシソウがあるのか?ますます謎は深まるばかり・・・。
調べていくと、この謎を解くカギは、塩の交易の歴史にあった。
瀬戸内沿岸の塩は江戸時代から明治にかけ、北前船で北海道に運ばれた。帰り船には、海辺の砂混じりの昆布や魚粕(かす)を積み込んだ。さらに船の安定を保つためにバラスト砂を積み、それらの中に種が混じったまま塩田地に運ばれた、というのだ。
そういえば児島は古くから塩田の町として全国に名を馳せており、その積出港、下津井は江戸時代から北前船によって栄えていたのだ。
これで2つの点が1本の線で繋がった。
北海道と瀬戸内海、その距離、実に千数百キロ。遠く離れた海辺の湿地で、秋になると赤く染まる不思議な草に何ともいえないロマンを感じる。
だが、塩田の廃止、埋め立て、海洋汚染といった流れの中で今、瀬戸内のアッケシソウは絶滅の危機に瀕している。
いつの日か、アッケシソウで再び真っ赤に染まる瀬戸内の海辺を見てみたい...。(2000年1月)
(追記)
その後、瀬戸内海のアッケシソウについては意外な展開を見せます。
この北前船によって運ばれたという説が、遺伝子の研究によって間違いであったことが証明されます。
↓下の続き記事もお読みください。
・寄島町のアッケシソウ2004-赤い記憶再び-へ
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