
| 「リアル」に悩む |
| どこかの本に「趣味」というのは「こだわり」のことだと書いてあった。「こだわり」というからには良いこだわりと、悪いこだわりがある。「良いこだわり」というのは、それにくわしく、秀でていて、何かしら誰かの役に立ったり、感心をよぶようなこだわりである。「違いのわかる男」になれば、これはきっと良いこだわりなのだろう。「悪いこだわり」というのは、それに対して口うるさいことである。何かしらくわしく、秀でているから、他人の振る舞いを許せなくなってしまうのだ。ついつい一過言あるのである。こだわりというのは当の本人のものだから、他の人には関係ない。そうはわかっていても、黙っていられないからこだわりであり、趣味になるらしい。そうすると「オーディオが趣味」というと、やっぱり音にうるさいわけである。まぁ、いずれに音にこだわりがあるといっても、自然の音に文句をいうわけにもいかない。割れた皿に向かって「もっと潔くパリンッと割れろ」などといおうものなら病院を紹介されてしまう。結局はステレオの再生音にうるさいわけである。「再生音」だからついつい文句を言ってしまう。もっと本物らしくなって欲しいというところに、こだわりがあるわけだ。 最近またもや「原音忠実再生」という言葉に悩まされている。オーディオの「リアル」とは何だろうかということだ。オーディオを趣味とする方の中には「原音忠実再生」という目標をかかげている方は多い。「原音忠実」を目指すためには、日常の生活音と直接比べるのがよいということで、鳥の声や波の音、虫の鳴き声をよく聞くという人は結構いる。ステレオの再生音と現実に自分が体験してきた音とを聞き比べするわけだ。音楽で聞き比べできればよいが、こうした体験は限られるから、身近なものがよいということになる。それが高じると花火の音とか列車の音などで試す人もいる。轟音、爆音が再生できれば何でも来いということになる。そうした音をかけて「リアル」な音が出れば、原音忠実再生に近づいたというわけだ。ただ、人間不思議なものでこれにはまると、こうした音ばかりかけている人がいるから、また面白い。僕はそうした気持ちもわかるので「面白い」ぐらいだが、たぶん世の中の人から見ると「かなり変わった人」になるのではないかと思う。鳥の声や花火の音ばかりに耳を傾けている人はやっぱりちょっと怖いかもしれない。ただ、怖いかどうかは別にして、「リアル」に近づく道として、こうしたアプローチは不思議でない。理屈は一本通っている。こうしてステレオを追求していくと、一体どんなふうに聞えるのだろうかと思ってしまう。本物そのものが目の前に現われてくれるだろうか。しかし、実はそこに「リアル」に対する疑問がわいてくるのだからいけない。 |
| 「いつか王子様が」/グレイト・ジャズトリオ 音の「リアル」で注目されているのはSACDという規格。現在精力的にSACDで発売を続けている「グレイト・ジャズトリオ」の1枚。音質的には低域がやや甘いという評価もあるようだが、ドラムやベースの実体感はやはり格別な雰囲気をかもし出している。演奏の技術だけではなく、空気間やムードがよい。最近お気に入りの1枚。また、このシリーズはジャケットも僕の好きなベースボールを取り上げてくれている。ますます楽しい。 |
| きっかけは誰でも最新の超高級オーディオ機器の視聴ができる「オーディオ555」という秋葉原のお店で聴いた音にある。このお店はビルの中にあって、1階から7階までそれぞれのフロアでテーマごとにステレオがセットされているという夢のようなお店である。この7階ではまさに一千万円を超える超高級セットの音が誰でも聴ける(入場無料、予約なし)。時には音量が絞られていたり、CDが止まっていることがあるが、勇気を振り絞って(この高級機に触るのはかなり怖い)アンプのボリュームを回せばたいてい音が出る。しかも、ここでは店員さんが気を利かせてくれて、ああだこうだといわずに、じっくり1人で聴いていてもそのままにしていてくれる。本当にありがいたいところなのである(もちろん、この高級機を触る勇気のない人は店員さに頼めばよい。お店にはたくさんの高音質CDが用意してあるが、自分のお気に入りを持っていって聞くのを忘れずに)。 ただ、この7階のフロアは最近、特にモニター調の明快明晰な再生音に力を入れているように感じる。それはまさにオーディオの極地でもある。プレーヤーやアンプを見てもガッチリ、きっちり音を出してくるタイプのものが多くなってきていると思う。そして、その究極ともいえる組合せを聴いてきたのである。スピーカーはNEOという新時代のスピーカー。最近流行の無共振を徹底しながら丸みをおびたエンクロージャーで、見るからに新時代を意識した先進のデザインとなっている。CD/SACDはエソテリックの最新セパレート型のSACDトランスポート。さらにDACもモノラル構成となった最新型。もちろん、ここに話題の高精度クロックも接続されていてる。アンプはハルクロのセット。ケーブルは先日エソテリックが発売したメーター数十万という高級品で統一されていた。いずれも共通しているのは高精度であるということ。記録されている音を何一つ漏らさず繕わず、ただただ再生するためのセット。この新時代のセットは驚くべきほどノイズがない。ノイズがないと細かいわずかな音の違い、手の動きや楽器の向き、その時のスタジオの空気感までもが、あたかもその場所にいるように再生される。聴いているのに、見えているような音の世界なのだ。はじめてこのセットで聴いた時はまさに圧倒される思いで、感心してしまった。文句のつけようがない。音はどこまでも自然に伸びていき、重く鈍くなりがちなはずの低域もスパッとキレの良い音の出方をする。この低域の感覚はちょっと他では聴けないものだ。ゆがみが無く、緻密で、正確。たぶん、このシステムで聴けば、ガラスの砕ける音も、カミナリの落ちる音も、本物と変わらぬ音を聴かせるだろうと思う。まさに、ひとつの夢がここにある。「オーディオ555」の最上階にふさわしいセットと言える。 |
| 「イノセンス」/押井守監督 さて、これを「リアル」と言うべきかどうかは、きっと賛否両論だろう。ストーリーはさほどすごいものではなくて、「ブレードランナー」などから派生した未来もの。セリフに聖書や哲学書などからの引用が多く、単純なストーリーをごまかしているようでもある。だから、作品として楽しめるかどうかと言うと、ちょっと期待はずれだろう。しかし、この映画はストーリーで見るものではないかもしれない。映画館では見ることがなかったが、話によるとDVDの方が映画館で見るより映像もこなれているらしい。実写とアニメの融合が話題だが、実際の絵を見るとそうしたことをまず考えさせないほどに独特の世界がきちんと成立していることに驚く。淡くも、きらびやかで、空間的にも引き込まれる映像の力。音も近年のアクションものからすると派手なものはないが、どのシーンでも静かに部屋中を満たしていく密度とパワーが隠されている。異世界のパレードのシーンはまさに飲み込まれてしまう感覚がある。こうした体験は珍しい。よって、この映画はストーリーなどで買うものではない。大画面とよく調整されたサラウンドによって、特殊な世界にひたるためにある。 |
![]() HiVi CAST オーディオでもビジュアルでも「リアル」を体験するためには調整が必要というのが「音楽・道楽」のもう一つの趣旨。この「CAST」は基本的な映像調節やサラウンドのチェックを行うために発売されたもの。特に映像調整は指示通り順番にすすめていけば、プロが行うようなよい映像ができあがる優れ物。こだわっている人はぜひそろえたい。色味を調整するためのブルーフィルターも附属している。 個人的な感想だと、我が家のプロジェクターでは白・黒の再現性にこだわりすぎると、結果の映像がパッとしない暗い映像になることもわかった。これが限界なんだと思う。DLPが欲しくなった。いろいろ追い込んでからは実際の作品などを見て、コントラスト、明るさを調整するのがよいかもしれない。 |
しかし、この驚きを越え、いくつかのCDを入れ替えて聴いているうちに、僕には「どうにも楽しくない」という感覚が襲ってくる自分に気づく。試しにいつも家で聴いているCDをかければ、今まで気がつくことのなかった細かい音の隅々まで見渡せることにビックリする。サックスやピアノの指使い、身体の動きまで感じる。同じCDとは思えない。しかし、その発見の驚きを過ぎてしまうと、空気のクールさ、精密なまでの音の緻密さが、うるさくて仕方がないのだ。はじめて聞いたのは昨年の9月だった。僕は四国に住んでいるので秋葉原にはなかなか行けない。去年は珍しく毎月のように東京に行く機会があった。その都度この7階のフロアによったのだが、ちょっとずつ機器構成が変わっている。9月の頃はスピーカーとアンプは同じだが、このころはプレーヤーが同じエソテリックでも、まだ一体型のUX−1というSACDプレーヤーだった。ケーブルの一部もエソテリックに変わっておらずPADのDOMINANCEが使われていたと思う。もちろん、これも最高級機であることに違いはない。10月に行くとプレーヤーは最新のセパレートタイプに変わり、ケーブルもエソテリックに全て統一され、システムとしては現在の形となっていた。ただ、個人的にいうと実は9月の頃がよかったのではないかと思った。10月の音はまだこなれていないと感じたからだ。ステレオというのはシステムを組んだ時はまだぎこちないのである。機械なのに不思議と思われるかもしれないが、そういうものなのだ。最初は音が固く、電気の流れがスムーズでないと感じる。たいていはしばらく使っていくとなじんでいく。車の新車に乗る時と同じ感覚といえば納得してくれる人も多いかもしれない。たぶん、ケーブルがまだ固すぎるのではないかと、その時は思った。そして、11月の今回の視聴である。10月よりかなりこなれている。先の音の評価はその時のものだ。ある側面は完璧と言っていい。でも、僕は「楽しくない」し「うるさい」。テレビ画面で演奏者の指先をどアップで映し続けられているみたい。どうしてもそう感じてしまう。 僕はジャズを聴く。おおむね、トリオやカルテットの編成である。しかし、その3〜4人の編成でさえ、ここでは音がバラバラに鳴っているように聞えてしまう。それぞれがそれぞれに演奏しているのはよくわかる。指も体の向きもわかる。でも、それゆえに全体になじみ切れない違和感が生まれていく。特にノリの必要なライブの演奏はきつい。ジャズには録音は悪くとも、各地の有名店で撮られた名演奏の数々がある。これがときに辛い。演奏者の気持ちがひとつにならない。全てが正確に再生されているはずなのに、思うようにならないなんて不思議な話だ。スピーカーのNEOはよいスピーカーだと思う。ただ、最近流行のエンクロージャーをなくすタイプの設計で、音を空間に置こうとする特徴がある。ジャズのように演奏が前に出てきて欲しい時、こうしたスピーカーは物足りなく感じることがある。さらには「オーディオ555」の視聴空間が広すぎるということもあるかもしれない。空間が広いということはスピーカーにとってはよいことで、先にあげた音の伸びやかさ、自由さにつながってはいる。しかし、音が拡散することによって、空間の広さばかりが目立てばポツンとした淋しさにも通じる。こうした組合せだとどうしても音像は後ろに広がる。オーディオの世界の言葉で言うと「音場派」なのである。このシステムは個々の楽器が明確に見え、立体的で、かつ広い音場を持つ。だから、究極と言える。しかし、僕にとってはこのことがむしろアンバランスに聴こえるのかもしれない。演奏がアップに見えるのに、感覚的には遠くに感じる。個々の演奏が激しくてもステージと距離があれば観客はノリ切れない。熱気を拡散させてしまう。いかにもちぐはぐなのだ。それがこのシステムの問題なのか、環境の問題なのかわからない。このシステムでも、個人の家のようなもう少し限られた空間に設置されたならば、こうしたイメージは改善されるのかもしれない。ある意味では究極な組合せである。しかも、「オーディオ555」の7階が自信を持って設置している組合せに、僕のような駄耳が文句を言うのがズレているのかもしれない。たぶん、超高級が耳に合わないのかも。結局、僕にはよくわからないのだ。あれでよいのかどうなのか。 |
| 実はお隣にはソナスファーベルが新たに作った「ストラディバリ」が一緒に設置されている。こちらはプレーヤー、アンプがドイツの生真面目さで作られたブルメスターで、ケーブルはやはりエソテリックだった。どちらかといえば、こちらの方が僕の好きな、よく聴く音に近い。ノリもずいぶんよく感じるし、演奏もホットである。NEOと比べれば分解能はよくないし、雰囲気で聴かせるところがある。それでもこの「ストラディバリ」に対してはチューニングが違うんじゃないかと思ってしまう。こちらのアンプをハルクロにしてはどうだろう。個人的ではあるがエソテリックのケーブルも全てに統一してしまうとかなりきついんじゃないだろうか。せめてどこかひとつを変えるとしたら、このケーブルを少し変えたらいいんじゃないかと思ってしまうくらい。どうせならもう少し情緒的でもよいと思わせるが、いずれにしても、こちらの方が僕は好きなのだと感じる。ソナスファーベルは写実性や解像度を謳うスピーカーではない。それでもその存在感、音楽性はやはり「リアル」なのだ。 この差を考えると先の「リアル」という話に戻ってしまうのである。つまり、「音」を聴くことと「音楽」を聴くことには微妙な違いがあるのではないかと、このごろ思ってしまうのだ。そう思ってしまうと、以前にも増して雑誌に出てくる「音楽的」という表現が、気になるようになった。実をいうと、僕は雑誌を見る時に「写実的」とか「立体的」という言葉に弱い。逆に「芸術的」とか「音楽的」という言葉を避けてしまうところがあったのだ。「絵画的」より「写真的」の方がリアルなのではないかと、無意識に思ってしまっていた。しかし、この「写実的」の代表とも言えるストレートの究極は耳にしたいま、「音楽的」というものにも惹かれるのである。「写実的」というは言葉は言い換えると「オーディオ的」でもある。実際の演奏ではあり得ないほど明晰な音楽なのだ。では、その「音楽的」な究極はどこにあるのだろう、どういうものなんだろうと考えが揺らぐ。「音楽的」というのは演奏の持つ情緒性、メッセージ性がよりにじみ、音の体験をよりふくらませているものだろう。「よりにじみ」「よりふくらませる」という感覚がオーディオマニアには敬遠されがちだ。しかし、こうした体験をすると、もっとよく考えてみる必要があることに気がつく。どうせなら、ぜひこの2つの究極を並べて欲しい。そうしてはじめて、自分自身の好き嫌いというのもわかるものだろう。オーディオの世界にはストレートであることのリアルと、音楽的であることのリアルが、存在するようだ。そして、そのバランスの中に、それぞれが自分の求める音の世界があるとも言える。「オーディオ555」は実は見識があって、その2つの代表的なスピーカーを並べていたのだ(ちょっと物足りないところもあるけど)。行けるみなさん、どんな感想なのか、ぜひ自分なりに聴いてみてほしい。意見はきっとそれぞれでしょう。僕の意見もそのひとつ。そして、どんな意見があるのか、ぜひうかがってみたいところでもあるのだ。 おまけ 去年の秋葉原の視聴の中で、個人的によかったのはダリの一連のスピーカーとJBLの9800SEだった。ダリのスピーカーは「オーディオ555」の下の階でも聴くことができるが、どこのお店でもバランスよくなっていた。見た目は木製のエンクロージャーが重い雰囲気でクラシック向きの顔に見えるが、鳴っていた音はまったく暗さや湿めり気のないもので、音離れもよかったと思う。言うなればこれまでのオーディオイメージの延長線上にもあって、僕にとっては違和感のない音の世界でもあった。もうひとつの9800SEも雑誌の評価の高いものだったが、個人的な感想ではJBLにあるちょっと肩肘の張ったところがすっかり抜けて、音の出方が素直なのが印象に残った。残念ながら音量がひかえめだったので、適切な評価とは違うかもしれないが、バランスの良さ、ノイズの少なさなどもよかったと思う。ちなみに、こちらはマークレビンソンのアンプ、聴いたのはヤマギワ電気だった。 この文章は去年の末に書いたものだが、その後ある雑誌の記事で音楽の「ハーモニー」と言うことを強調している記事があった。昨年秋に立て続けにあったオーディオショーには最新の機器が展示され、デモンストレーションされていたが、写実的、オーディオ的になればなるほど、音楽の「ハーモニー」が失われていくというものだった。もしかしたら、僕も同じことを感じたのかもしれないと思った。 |