第5章 アレクサンドリアの一日

 一方、ピラモンと彼の面倒を見るゴート族たちは流れを滑り下り続けていた。ローマの搾取と悪政のもとで今や寂れゆく町となった太古の諸都市や、急激に荒廃して野を潤す数限りない運河口を次々へと通り過ぎ、ある夕方、アレクサンドリア大運河の河口に入り、星をちりばめたマレオティス湖の影をやすやすと夜通しよぎって、翌朝の夜明けに気づいたときには、世界最大の海港の騒々しい埠頭と数えきれない帆柱の間にいた。雑多な異邦人の群、クリミアからカディスにいたるあらゆる地方語のざわめき、雨知らずの大気のもとで、覆いも無く積まれた小麦の堆積、あまたの商品、ローマ向けに荷を積んだおびただしい数の穀物輸送船、その船端の高さは語り草になるほどで、漂う宮殿のごとく内港の幾つもの建物を越えてそびえている——これやさらに百ばかりの光景から、世界は一見で軽蔑すべきものではないという考えを若い修道士は起こした。市場船から着いたばかりの果物の山の前で、つやつやした黒人奴隷の黒い群が埠頭で日向ぼっこしたり笑ったり、心配そうに嬌態を作って買い手になりそうな人を見まわしていた。労苦の砂漠から贅沢な町に来たのを、悪い変化だと思っていないのは明らかだった。ピラモンは虚しい栄えから我が目を背けたが、しかしどこに目を落そうと新たな虚栄にでくわすだけだった。新たな事物の膨大さに押しつぶされそうな気がしたし、まわりの喧騒に気を失いそうだったが、やっとのことで危険な仲間たちから逃れる最初の機会を捉えるだけの落ち着きを取り戻した。

「おーい」と造船台の階段をよじ登りながら鎧師スミッドが大声を上げた。「俺たちにさよならの挨拶もせんで行っちまう気かよ」
「わしの所におれ、小僧」とヴルフ爺は言った。「わしはおまえを助けてやったし、おまえはわしの子分だぞ」

 ピラモンは振り向いて立ち止まった。
「僕は修道士で、神のしもべです」
「どこにおっても神のしもべでいられる。わしはおまえを戦士にしてやるぞ」
「僕の闘いの武器は肉や血に対するものではなくて、祈りと断食なのです」とあわれなピラモンは答えた。彼は既に、アレクサンドリアでは砂漠にいたときの十倍以上も、いわゆる武器が必要になるだろうと感じていたのだ。……「行かせてください。僕はヴルフさんの人生には役立ちませんよ。ありがとうございました、御加護がありますように。ヴルフさんのために祈ります。でも行かせてください」
「呪われろ、臆病者め」と六、七人の声が喚いた。「何だってあんたは、俺たちがあいつにやろうとしたことをさせんかったんだ、ヴルフ大公。あんたは修道士にこんな礼を期待したかも知れんがな」
「あいつは俺に借りがあるんだ、俺の分のお楽しみの分け前って借りがな」とスミッドは言った。「こいつがそれよ」手練れた狙いで手斧が投げられてピラモンの頭の右でひゅうと鳴り——ピラモンはあやうくかわし、凶器はうしろの花崗岩の壁に衝突してがちんと音を立てた。
「よく助かったな」とヴルフは冷静に言ったが、船乗りたちや市場女は人殺しだと叫び、税関役人や港湾巡査や執達吏が現場に駆けつけ——そして船尾にいたアマールの雷に遭ってまた静かに退いた。
「ようみんな、心配すんな。俺たちはただのゴート族だ。そんで都督を訪ねもするんだぜ」
「ただのゴート族だよ、驢馬乗りのみんな!」とスミッドが声を合わせた。かの不吉な名を耳にして、直属戦士団保安隊は皆、関心は無いというそぶりを見せ、そして急に、自分たちは絶対に反対方向にいなければならないと気づいた、というわけだった。
「行かせてやれ」とゆっくりと階段を上りながらヴルフは言った。「ぼうずを行かせてやれ。わしはどんな手下にも執着したことはない」と彼は低い声で唸った。「だがなんともがっかりさせてくれたもんだな——だし、わしはもうこいつには期待せんことだ。陸に上がって来い、野郎ども。飲もうぞ」

 ピラモンはもちろん、去るままにされたせいで、留まりたくなった——とにかく戻って世話になった人たちに礼を言わなければ。できるだけ手早くことを済ませようと心ならずも引き返したところ、ペラギアと彼女の巨躯の恋人が輿に乗り込むところだった。ピラモンは目を伏せて美しいバシリスクに近づき、口ごもりながらありふれたことを言った。すると彼女は笑みをたたえて、すぐに彼のほうに向き直った。
「お別れしちゃう前にもっとあんたのことを話してちょうだいな。すっごく綺麗なギリシャ語を話すのね——本もののアッティカ方言よ。国言葉をまた聞けるのって、ほんと嬉しいものね。アテナイにはいたことないの?」
「子供のときに。覚えてるのは——つまり思うに——」
「何」とペラギアは熱心に尋ねた。
「アテナイの大きな家——それとそこでの大きな闘い——そして船でエジプトに来て」
「ええっ」とペラギアは言い、それから言いよどんだ。……「なんて不思議なの。ねぇみんな、この人が私と似てるって言ったの誰」
「おやまあ、冗談で言ったんならあたしたちに悪気はないわよ」とお付きの一人が膨れっ面をした。
「あたしと似てる——あたしたちにのとこに遊びに来てちょうだいな。話があるの。……きっと来てよ」

 彼女の口調にある激しい関心をピラモン誤解し、後退りはしないまでも、無意識のうちに気のすすまぬそぶりをした。ペラギアは声高に笑った。
「自惚れて勘繰らないでよ、馬鹿なぼうや。だけど来てね。あんた、あたしは馬鹿なことしか言わないと思ってるの。あたしに会いに来て。あんたのためにもなるし。あたしが住んでるのはね——」そしてペラギアは目抜き通りの名前を言った。この招待は受けるまいと心の奥で誓ったにも拘わらず、どうしてなのかピラモンはその通りの名前を忘れることができなかった。
「野人はほっといて来いや」と輿の中からアマールが怒鳴った。「尼になる気は無えよな、頼むぜ」
「あたしが初めて会った男がこの世にいる限りはね」と輿に飛び乗りながらペラギアは答えたが、このうえなく愛らしい白い足首とかかとを見せるように気を配って、パルティア人のように引き際にあてずっぽうな矢を放ったのだった。けれども矢はピラモンには通じなかった。彼はすでに、籠や衣装箱や鳥かごの真っ只中で、笑いさざめくお付きの群れから急ぎ逃れ、やむなく周囲のバベルの中へと逃げ込み、大司教館へ行く道を探していた。

 「大司教館?」と最初にピラモンが呼びかけた相手は答えた。痩せた小柄な浅黒い男で、陽気な黒い目をしていた。足元に果物の籠を置き、材木の角材のうえで日光浴がてら物思いにふけりながらパピルスをしがんだり、利口ぶった馬鹿げたまなざして外国人たちを検分したりしていた。
「知ってるよ。間違いなく知ってる。アレクサンドリア中が知っておるべき道理だ。あんた、修道士かい」
「はい」
「それなら、修道士に道を訊くがいい。そんなに遠くまで行かんでも誰か見つかるだろうさ」
「だけどどちらに行けばいいのかも分からないんですよ。修道士に何の恨みがあるんですか、おじさん」
「おい、兄ちゃん。あんた修道士にしては人が好すぎるみたいだな。ずっとそれでやっていけるなんて、いい気になるなよ。あんたが羊の皮をかぶって一月も教会に入り浸っててだな、嘘をつくだの誹謗するだの、手を鳴らしたり喚いたり、ひょっとすると煽動殺人のサテュロス劇に一役買うなんてことを習い覚えずにいられるんなら、どうしてどうして、あんたはおれが思ったより善人だってことだ。おれはギリシャ人で、そして哲学者だぞ、あんた。たとえ、物質の混乱のせいでおれの天上気の火花は一介の荷運人足の体に入っているのかも、いや実際入っているにしてもな。だからだよ、兄ちゃん」と小男は興奮した猿のごとく角材の上に立ち上がり、弁論家の鈎爪といったものをひとつ思いっきり広げて続けた。「おれは、修道士のトリブスには三重に憎悪を抱いておる。第一には男として夫として……美人の微笑みのために、だ。あるいは——美人でないとしてもだよ。ちょうどおれのかかあみたいにな。で、修道士どもは邪悪な意志を抱こうものなら、男も女もこの世に残しはしなかっただろう。連中は自殺を望ませて一世代で人類を根絶しちまうだろうな。して、第二には荷運人足としてだ。なにしろ人がみんな修道士になっちまったら、怠け者はおらんようになって、荷運びなんて仕事は用無しになっちまう。第三にはな、哲学者としてだ。悪貨は良貨にとって厭うべきものだが、同様、修道士の非理性的で動物的な苦行生活ってものは、論理的自制にとっては厭わしいものなんだよ。ご覧のとおり、つつましさの極みといった哲学者、純粋に理性に従って生きようと切望する者にとってはな」
「で、すみませんが」とピラモンはいくらか笑いながら尋ねた。「あなたの哲学上の先生はどなたなんです」
「古典知の泉、ヒュパティアその人だ。古代のあの知者みたいに——修道士にとっては重要な名じゃないが——昼間に研究できるように夜ごとに水をくみ上げたというあの知者みたいに、おれは外衣や日傘の守護者として彼女の講義室の聖なる扉に侍って、天上の知識を吸い上げているのだ。若い時分からおれは、事物にかかずらう群畜を超える魂が身の内あるのを感じていたよ。彼女はおれに、おれは神性そのものの火花なんだという栄光にみちた事実を明らかにしてくれた。落ちたる星なんだおれは。な、あんた」と痩せた腹を撫でながらもの悲しげに男は続けた。——「落ちたる星——落ちたんだ。荘重なる哲学が微笑を許すというのであれば、より低次の世界の豚どもの間に——実際のところ、豚の手桶そのものの中に落ちたってわけだ。さてと、まあともかく大司教の所へ行く道を教えよう。控えめな若者に宝庫を開くというのは哲学的な喜びがあるものさ。あんた、おれを手伝ってこの果物籠を運んでくれんかな」。そして小男はぱっと立ち上がり、果物籠をピラモンの頭に乗せると、最寄の通りを駆けのぼった。

 ピラモンは後に続いたが、このぼろを纏った小猿もどきの案内人みたいに何だか卑しい自惚れを助長しかねないこの哲学というのは何だろうと、蔑むとともにいぶかしんでいた。けれども聞いたことも無い街路の喧騒、忙しげな顔のきりも無い流れ。二頭立て馬車や輿、荷を積んだ驢馬にらくだに象の列。そうしたものが出会っては通り過ぎて、ピラモンを階段に押し上げたり玄関口に押し込んだりした。壮大な月宮門を通って向こうの大通りに入るときには縫うようにして道を進んだ。そうしたもののせいでピラモンの心からは、好奇心の驚嘆と、自分が後にしてきた砂漠の死の荒野よりもずっと恐ろしい大いなる生ける荒野に対する漠然とした救いの無い不安のほかは、すべて追い散らされてしまった。既にピラモンはラウラの平穏と静寂——彼を知っていて、彼に微笑みかける顔に思い焦がれていたが、もう戻るには遅すぎた。案内人は一哩以上も大きな目抜き通りを進み続けたのだが、その道は都市の中心部で右側から来た同様に壮大な通りと交差しており、何哩も離れたどちらの端にも、通行人の生きた流れの頭越しに、はるか遠くに砂漠の黄色い砂の丘がぼんやり見え、その手前の景色の果てには、数え切れない帆柱の網目を通して青い港が煌めいていた。

 ついに二人は道の反対側の埠頭にたどり着き、驚愕したピラモンの目に、宮殿と塔に縁取られた青い海の広大な半円が飛び込んできた。……ピラモンは思わず立ち止まり、小柄な案内人も止まって若い修道士をいぶかしげに眺め、広大な全景がピラモンに及ぼした効果を見てとった。

「これだ。——おれたちの作った物を見てくれ、おれたちギリシャ人——愚暗な異教徒のな。見て感じとれよ、あんたがじつに卑小で、自惚れてて、あんたの新しい宗教が何でもかんでもみんな軽蔑する権利を与えてくれるなんて幻想を抱いとる無知な若造だってことをな。キリスト教徒がこれをみんな作ったか。キリスト教徒が東の岬のあのパロス——世界の不思議を建てたのか。キリスト教徒が陸地に向かう一哩もある防波堤だの、防波堤についてる二つの湾をつなぐ二つのはね橋だのを作ったかね。キリスト教徒がこの遊歩道や、おれたちの頭の、この太陽門を作ったか。それともおれたちの右にある、あのカエサレウムを? その前のとこのオベリスクを見てみろ」。そして小男は、うち一方は今なおクレオパトラの針として古代の位置に立つ、世界に名だたる一対のオベリスクを指した。「見上げろ、見上げろ、言っとるんだ、小さく感じろってな——実際とてもちっぽけなのさ。あんなのをキリスト教徒どもが立てたか。土台からてっぺんまで古代人の知恵を刻んだか。あいつらがそこの次の、ムーセイオンを建てたり、その彫像やフレスコ画を描いたりしたか——さても、ああ。アッティカの蜜蜂の羽音はもはや響きはしないがね。キリスト教徒どもが波を越えて、向こうのあの宮殿なり取引所なりを積み上げたか。ポセイドン神殿を息づく真鍮や磨き上げられた大理石で満たしたかね。岬にティモニウムを建てたのか。アクティオンで破れたアントニウスはあそこで、クレオパトラの腕の中で恥を忘れたんだぞ。キリスト教徒どもが、あのアンティロドス島から石を切り出してこういう埠頭群にしたり、あの水面を天下のあらゆる国の帆船で覆ったりしたのか。言え、汝こうもりともぐらの息子よ——汝六尺の砂よ——汝岸壁の洞窟より出でしミイラよ。修道士どもにこんな仕事ができるか」

「他の人々は労役したし、我々は彼らの労役に加わったってことです」と、なるべく無頓着に見せようとしながらピラモンは答えた。実際のところ、びっくりしすぎて何かに腹を立てたりはできなかった。光景全体の圧倒的な広さ、多量さ、壮大さ。建物の列といえば母なる大地にかつて無く、おそらくそのひざ元にはこれまでも、そしてこれからも乗ることは無かろうというものだった。様式の多様なことといえば——純ドーリス式、初期プトレマイオス朝風のイオニア式、後期ローマ様式の蛮人風のごてごてした絢爛さ、そしてそこここには古エジプト様式のどっしりと壮大な様式の模倣があったが、けばけばしい色が柔らいで輪郭の重厚さと簡素さの効果が深まっていた。この巨石の帯の永遠の静穏は、きらきら輝く港のさざ波とは対照的だった。帆船が忙しなく海の彼方から蝟集してくる。その様は無限の空間に羽ばたく白い鳩のようだ——すべてがピラモンに目眩を起させ、圧倒し、悲しくさせた。……これが世界なのだ……何が美しくないというのか……これをみんな作った人々は——たとえ偉大ではなかったとしても……それでも……自分の知らない何かであったはずだ。彼らが偉大な魂と高貴な思考を内に持っていたのは確かだ。こんなものを作れる者には何か神に似たものが確かにあったのだ。自分たちのためだけではなく、民族のために——まだ生まれていない世代のためにも。……そしてここには海があり……海の向こうには数え切れない人々の国がある。……その人々のことを考えるとピラモンの想像力は目眩がした。……その人々がみな滅び去る運命にあるというのか……神は彼らに対して愛をお持ちにならないのか。

 ようやくピラモンは我に返って自分の用向きを思い出し、大司教館への道を尋ねた。
「この道だよ。しょうもない兄ちゃん」と答えながら小男は、オベリスクの足元にあるカエサレウムの立派な正面口をまわって道案内をした。何か破風の新しい石造りにキリスト教の象徴が飾られているのにピラモンは目をとめた。
「どうして。これは教会なんですか」
「カエサレウムだよ。一時的に教会になっているのさ。不死なる神々は当座は恩に着せてご自身の権利を放棄しておられるけどな、だがそれでもこれはカエサレウムなんだ。この道。この通りを右に下って行きな。そこ」と小男はそう言って、ムーセイオン側の出入口を指した。「そこにムーサたちの最後の住み家があるのさ——ヒュパティアの講義室がね。おれにはふさわしからぬ学校だよ。……そしてそこが」と通りの向い側の見事な家の戸口に立ち止まった。「アテナに祝福された愛でしびとのお住居だ——ネイトなんぞとエジプトの蛮人どもは女神に名をつけておろうが——おれたちマケドニアの人間は由緒正しい名称を保っておるのさ。……籠を降ろしていいぞ」。小男は扉を叩いて黒人門番に果物を渡し、ピラモンに丁寧に頭を下げた。離れる頃合を見計らっているらしい。
「それで、大司教館はどこなのですか」
セラペイオンのすぐ近くだよ。あそこは見失いっこないしな。今はもうキリスト教徒迫害者に破壊されてるけど、大理石の列柱が高台に四百も並んでるよ」
「ですけど、どれくらい遠いんですか」
「三哩ちょっとかな。月宮門の近くだ」
「なんで。あの門じゃないですか。僕らが通ってきた、反対側からこの町に入ってきたあの門では」
「まさにそのとおり。いっぺんもう横切って来たんだし、帰り道は分るだろ」

 このちび野郎ののど首をひっ掴んで壁に頭を打ちつけてやりたいというあからさまに俗っぽい気持ちを抑え、ピラモンはこう言うだけで我慢した。
「あんた、異教徒の悪党だ。それじゃ僕を六、七哩も回り道させたって言うのか」
「いいことを仰る、お兄ちゃん。乱暴するってんなら助けを呼ぶよ。おれたちがいるのはユダヤ人街の近くだし、修道士を殴り殺す好機だとなりゃ、何百人も雀蜂みたいに飛び出して群がるぞ。だけどおれは良かれと思ってああしたんだよ。まず第一には政治的にだ。つまり政治的な知恵に従って——おれではなくてあんたが籠を運ぶようにな。次には哲学的に。すなわち純粋なる理性の直観に従ってだ。——あんたの仲間が壊そうとしてる偉大な文明の壮大さを目にして、あんたは自分が驢馬だの亀だのというつまらん者だと分っただろうし、そうすりゃ、自分が何者というのでもないのを見て、何がしかの者になろうとしだすかも知れんしな」

 そうして小男は立ち去ろうとした。

 ピラモンは男のぼろぼろの上着の襟を握って一掴みにし、小男はうなぎのように身をくねらせたが逃れることはできなかった。
「できれば平和にいこう、駄目だっていうなら力づくだ。僕と一緒に戻ってもらう。一歩一歩道案内するんだ。それが当の報いだ」
「哲学者は状況に従うことによって状況に打ち勝つのだよ。平和に行こう。実のところ、存在というものの豚桶的な側面に基本的な必要があって、月宮門まで戻るよう強いられとるのだ、別の早採り果実の仕事でね」

 そうして彼らは一緒に戻った。

 さて、ピラモンの思考は、女性というものの次なる新たな見本に囚われることとなった。紹介されたと言っても名前だけなのに。心理学者諸君、語りたまえ。しかし確かに、半哩も黙々と歩いた後、ピラモンは何か瞑想からはっと覚めて尋ねたのである——
「だけどそのヒュパティアって誰なんですか。おじさん、しょっちゅうその人のこと話してるけど」
「ヒュパティアって誰、だと。田舎っぺが。アレクサンドリアの女王だよ。英知においてはアテナ、威厳においてはヘラ、美においてはアプロディテだ」
「で、その人たちは誰」とピラモンは尋ねた。

 荷運人足は足を止めた。限りない憐れみと軽蔑を表しながら、ピラモンを頭のてっぺんからつま先まで眺めまわし、それから軽蔑に我を忘れて立ち去りかけ、だしぬけにピラモンの強い腕に掴まれた。
「ああ——思い出した。約束してるんだった……アテナが誰かって。知恵を与え給う女神さまだ。ヘラはゼウスの連れ合いで天界の女王だ。アプロディテは恋の母……あんたに解るとは思わんがね」

 しかしながらピラモンは、この小男の案内人の心の中ではヒュパティアはまったく比類のない素晴らしい人物なのだ、ということくらいは理解した。そこでさらに、アレクサンドリアの何がしかの出来事を吟味できそうな、今のところ唯一の質問をした。
「ではその方は大司教さまのご友人なのですか」

 荷運人足はとんでもなく大きく目を見開いた。入念なややこしい仕方で人差し指と薬指の間に中指を入れて、その手をおどけてピラモンに示して神秘的な合図を送ったのだが、彼にはまったく効果が無く、小男は足を止めてピラモンの堂々とした姿をもう一度眺め、答えた——
「人類一般の友だよ、兄ちゃん。哲学者は個物を超越して普遍を観想せねばならんのだ。……ああ——ここには何か見るに値するものがある。そして門は開いているのだ」。そして小男は大きな建物の入り口で立ち止まった。
「これが大司教館ですか」
「大司教の趣味はもっと大衆的さ。二部屋の汚い小間に住んでるって話だ——何が自分に相応しいのか知ってるんだな。大司教館だってか。その対蹠地だよ、兄ちゃん。——宇宙的実在のうちにさようなものが存在するのかどうか、それをヒュパティアは疑っているのだがね。これは学芸と美の社、詩的霊感のデルポイの鼎、あくせく働くみみずの慰め。一言で言えば劇場だ。それをだな、あんたの大司教はできることなら明日にでも改造して——いや、哲学者たる者、罵ってはならんな。ああ、都督の属官たちが門のところにいるのが見える。彼が作ってるのは行政規定、ここで言うところでは手配というやつだ。手短に言えば、公の好みに応じてその日の料金表を決めてるんだ。毎週毎週この日にはおどけた身振り芸人がここで踊ってて——誰だか、ことにユダヤ人を感心させとるのさ。もっと古典的な好みからすると役者の動きはたいてい——特に後退りなんかは——古代の本物の渋みが欠けておるし——たぶん全体としてはみっともないと言えるだろうな。それでもくたびれきった巡礼者どもは喜ぶに違いないがね。さあ階段を上がって聞きたまえ」

 けれどもピラモンが断われないうちに、中でどっと喧騒が沸き立ち、外の暴徒と中の都督の属官たちとの騒ぎが起こった。
「あれは間違だ」とたくさんの声が叫んだ。「ユダヤ人の陰謀だ。あの男は無実だ」
「煽動なんぞ、あの人にはおれ以上にありゃしねえ」と太った肉屋が、人間でも雄牛のように打ち倒しそうな様子で叫んだ。「あの人はな、聖なる大司教さまのお説教の始めと終りにゃ、いっつも拍手すんだぞ」
「心の優しい方よ」と女がすすり泣いた。「ちょっど今朝、先生に言ったのよ。なんでうちの子を鞭打たないんですか、ヒエラクス先生、鞭でぶたなきゃなんであの子が勉強するなんて期待できますかね、って。そしたら先生は、鞭は見るのも我慢できない、自分の背中が痛むって」
「まるっきり予言だぜ」
「そんでそりゃあの人の無実の証明だよ。だって聖なる者の一人でなかったら、なんであの人は予言なんてできたんだ」
「修道士たちよ、助けるんだ! キリスト教徒のヒエラクスが、劇場に囚われて拷問されているぞ」と頬ひげや髪を肩や胸のあたりに流した野の隠者が喚いた。
ニトリア、ニトリア。神と聖母に誓ってニトリアの修道士たちよ! ユダヤの中傷者をやっつけろ! 異教徒の暴君をやっつけろ!」——そして暴徒は、外から魔法のように何百人も増えて、ピラモンと荷運人足を押し運びながら、巨大な丸天上になった通路を下って行った。
「我が友よ」と天地の間、見物人たちの肘にぶら下がって足が離れんばかりになりながらも、哲学的に平静に見せようと努めながら小男は言った。「どこからこんな騒ぎに」
「ヒエラクスが暴動を起こそうとしてるなんて、ユダヤ教徒が叫びやがったんだ。連中も、連中の安息日も呪われろ。あいつらはいつも土曜には連中の踊り手のことで暴動を起こしてるんだぜ。正直なキリスト教徒みたいに働かないでな」
「で、代わりに日曜日に暴れるんだな。えへん、宗派の相違とはすなわち、哲学者は——」

 最後の句は発言者とともに消えた。突然、暴徒が散開して小男を落とし、彼は無数の足の下に埋まったのだ。

 ピラモンは迫害という概念にかっとなり、周囲の叫びで気が変になった。暴徒を通り抜けて猛然と突き進み、気づくと最前列に達していた。すべて目の粗い鉄製の高い門に阻まれそれ以上は前進できなかったが、中で演じられている惨劇は丸見えになっおり、憐れにも不運な無実の男が鞭打ち台に吊るされ、革鞭で攻め人にひと打ちされるたびに叫び悶えていた。

 ピラモンも周りの修道士たちも門を叩いたり打ったりしたが無駄だった。中にいる属官たちはただ嘲りと嗤いをもって彼らに答え、アレクサンドリアの荒れ狂う暴徒やその大司教、聖職者、聖者、教会を呪った。そして次はおまえたちの番だぞと、外にいる全員それぞれに約束していたが、そうしている間にもあわれな叫びはますます弱く微かになって行き、そしてとうとう引き攣って震ると、ぼろぼろになったあわれな体から動きや苦痛が永遠に消え去ったのだった。

「あいつら、殺しやがった。殉教させたぞ。大司教さまのところに戻れ。大司教館にだ。大司教さまが俺たちのかたきを取ってくださる!」。そうしてこの恐るべき知らせと知らせに伴う合い言葉が暴徒を伝わって外へと通り抜けると、暴徒は一人の人間のように向きを変え、道から道へどっと流れ出してキュリロスの家へと向かった。ピラモンは恐れと怒りと憐れみで我を忘れ、暴徒とともに前進した。

 ピラモンがそこの入り口に着いたのは、一時間かそれ以上の動乱が街路を過ぎた後だった。ピラモンは自分が巻き込まれていた暴徒と一緒に暗く低い通路を通って掃き出され、息もつけずに中庭に行き着いた。その中庭はみすぼらしい新出来の建物に囲まれていて、建物のうえには破壊されたセラペイオンの四百もの堂々とした列柱がのしかかっていた。柱頭と台輪にはすでに草が生えていた……当時はそれを破壊した者ですら少しも、四百の柱のうちのたった一本だけが「ポンペイウスの柱」として残り、昔の人々が何を考え何を為したかを示す日が来るだろうとは夢にも思わなかったのだが。

 ピラモンはやっとのことで暴徒から抜け出した。懐から手紙を取り出して、暴徒に紛れ込んでいた僧侶に手渡し、その僧侶に回廊に進めと合図され、それから階段を駆け上って天井の低い広くみすぼらしい部屋に入った。そして、この世で初めてキリスト教が打ち立てた世界に及ぶ友愛のお陰で、気づくとその部屋で五分間、南地中海最大の力を持つ人のお召しを待ってたのである。

 なかの小部屋の戸口にはとばりが掛け渡してあったが、誰かがせかせかと荒々しく行ったり来たりしている足音が、とばり越しにピラモンにはっきりと聞こえた。
「奴らが私にさせようとしているんだ」とついに、深い荘重な声が飛び出した。「奴らがやらせるんだ……向こうのせいだぞ。奴らの血よ、その頭に降りかかれ! 神とその教会を冒涜したり、あらゆるいかさまだの、易断だの、高利貸しだの、魔術だの、都市の貨幣の鋳造だのを一手に引き受けるだけではあきたらず、私の聖職者たちを暴君の手に渡さねば気がすまんというのか」
「使徒の時代でもそうでした」とより柔和ではあるがはるかに気に障る声が仄めかした。
「だがそんな時代を続かせてはならん。それを止める力を神は私にお与えくださった。神のおぼしめしだ。いや、その力を使わないことなど考えられん。明日にもアウゲイアスの牛小屋のごとく汚れきった悪行を放逐する。アレクサンドリアをたばかり冒涜するユダヤ教徒は一人も捨て置かんぞ」
「それが当然の審判ですが、閣下の気分を損ねはしないかと気がかりです」
「閣下! あの暴君閣下! 奴や奴の手下が割礼をした連中に金を借りておらんなら、なんでオレステスはこんな状況に盲従しておるのだ。連中が金を貸してくれるかぎり、奴はアレクサンドリアの悪鬼の巣窟をそのままにしておくだろう。そうして連中をけしかけて私と我が民に対抗させ、衆の耳を一つに集めて信仰を侮辱させ、乱暴させてこんな結果を招くんだ。煽動だと。それだけの理由はあるだろう? 一方の誘惑を始末するのは早ければ早いほど良い。自分の審判も間近ではないかと、もう片方の誘惑者を用心させてやれ」
「都督ですか、聖下」と別の声が小狡く尋ねた。
「誰が都督のことを言っとる。暴君、人殺し、貧者を虐げる者、貧しき者を見下して奴隷化するような哲学を愛好する者なら誰だろうと、都督の七倍だろうと滅びるべきではないか」

 ここに至ってピラモンは、ひょっとして自分はすでに聞きすぎたのではないかと考えながら、そっと音を立てて自分がいることを知らせた。すると、彼の見るところ秘書と思しき人物が慌ててとばりを上げ、何の用かといくぶんきつく尋ねた。けれどもパンボとアルセニウスの名前がすぐさま彼を鎮めたらしい。震える若者は、名目上はともかく事実としてファラオの玉座に座した人物の面前に導かれた。

 じつのところ、小部屋の調度は見た目の華やかさでは職人階級の家具を上回るものではなく、偉人の衣装は簡素で粗悪だった。個人的な虚飾がどこかに覗いているとしたら、もじゃもじゃのあごひげと、剃髪で少し残された巻き毛の房の注意深い整え方にだろう。けれどもその姿の威厳と高さ、容貌の厳めしく壮大な美、輝く目、ゆがめた口もと、突き出した眉、——すべてが彼を人の上に立つべく生まれついた者としていた。若者が入って行くとキュリロスは少し歩みを止め、若者を徹底的に眺めた。そのまなざしはピラモンの頬のうえで火のように燃え、優しい大地がぱっくり開いて自分を隠してくれないものかと若者に願わしめるほどだった。キュリロスは手紙を受け取って読み、こう始めた。

「ピラモン。ギリシャ人。君は服従することを学んだと言われている。それなら君は命令することも学んだはずだな。君の父なる僧院長は君を私の監督下に移したそうだ。君は今は私に従うのだ」
「そういたします」
「よく言った。ではあの窓の所に行って中庭に飛び降りろ」

 ピラモンはそちらに向かって歩き、窓を開けた。舗装路はたっぷり二十呎は下だったが、しかし彼の務めは服従であって計測ではない。窓敷居には花瓶に生けた花があった。静かに花瓶を除け、一瞬かそこらで生きるにしろ死ぬにしろ、飛び降りようとしたそのとき、「やめろ!」とキュリロスの声が響いた。
「この子は合格だ、我がペテロよ。この子は機密を立ち聞きしたかも知れんが、そのことはもう心配は要らん」

 ペテロは微笑んで同意したがその間中ずっと、この若者が首の骨を折って密告する力を失うことにならなかったのは大いに残念だと考えているかのように、若者を見ていた。
「この世を見たいのか。たぶん君は今日、その何がしかを見たね」
「殺人を見ました——」
「では、ここに見にきたまさにそのものを見たのだ。つまり、この世とは何かというのを。そしてどんな正義と慈悲があるかということも。人間の暴君に下される神の報いを見たり……そのときに神のしもべとなったりするのは嫌ではなかろうね、君を見て私が下した判断が正しいならば」
「僕はあの人のかたきを取ります」
「ああ、つましい哀れな我が学校教師。彼の運命は今や君にとっては前ぶれの前ぶれなのだ。しばらく留まって、エゼキエルと一緒に伏魔殿の小部屋に行くがいい。これよりももっとひどいものを見るだろう——自分で信じていない偶像の凋落を嘆いてタンムズに涙する女たち——ヘラクレスの難行の一つというわけだ、我がペテロよ」

 その瞬間、助祭が入ってきた。……「呪われた民のラビどもがお召しにあって下におります。裏門を通して連れて参ったのです、つまり避けたかったのは——」
「結構、結構。やつらに事故があれば我々の命取りかもしれん。君のことは忘れんよ。連中を上に上げろ。ペテロ、この若者を連れて行って挺身団に引き合わせてくれ。……この子は誰の下で働くのが一番いいだろう」
「テオポンポス師がとりわけ謹厳ですし、穏やかです」
 キュリロスは笑って頭を振った。……「次の間に行きなさい、我が息子よ……いや、ペテロ。あの子は誰か燃えるような聖者の下に入れよう、あの子を言葉でうち負かし、死ぬほど働かせ、そして万物のうちで最善のものと最悪のものをあの子に見せるような真のボアネルゲの下にな。クレイトポンはそういう人だろう。さてそれでは、約束の用談をせさてくれ。あのユダヤ教徒どものために五分——オレステスは連中を脅そうとはしなかった。キュリロスに脅せないかどうか見てやろうぞ。そのあと一時間ほど病院の収支報告に目を通して、それから一時間は学校のために使う。三十分は貧困問題の陳述書、あと三十分は私用だ。それから聖務。いいか、あの子はそこにいる。順番に皆を引き入れてくれ、我がペテロ。あれこれの人を探すと長い時間がかかる……こういうことをみんなやるには人生は短すぎるな。あのユダヤ教徒どもはどこだ」。そうしてキュリロスは、疲れを知らぬ活力と命じられた自己犠牲と方法とでもって日々の仕事の後半に没入し、自分にかかるあらゆる暴力や野心や陰謀の疑惑も、数十万人の人類の絶対的服従と愛ある畏怖も、意に介さなかった。

 そうしてピラモンは挺身団という、教区巡視員を組織したある種の組合と一緒に退出した。……そしてその団体のなかでピラモンはその午後、この世の暗黒面を見たのである。港の全景はその世の輝ける側だったのだ。みすぼらしい悲惨、腐敗、放蕩、無知、残忍、不満のうちにあり、身体の点でも家系においても魂からしても市民的な権威から無視され、あてもない流血暴動においてのみ自らの存在を示す。古くからのギリシャ人植民者の大半は、膨大な数が、世界に食糧を輸出する大港のそばで飢え、腐敗していた。そんな中で教区巡視員たちは猛々しく、またおそらくは狂信的にではあったけれども、それでも人々の間で人々のために、昼も夜も働いていた。そうしてピラモンも彼らと一緒に精を出し、食べ物を運んだり服を着せたりして病院で患者の看護をし、死者は墓所に埋葬した。汚染された家を清掃し——というのもその地区では熱病が絶えなかったからだが——死につつある人を天からの赦免という良き知らせによって慰めた。やがて大多数は夕べの礼拝に戻らなければならなった。けれどもピラモンは病床を見ている長上者に引き止められ、帰宅したのは夜遅くなってからだった。そして「神の僕」らしく務めを果した、とペテロ読師に報告されたのだが、実際、何か気高い自己犠牲的なことをしているとは少しも思わずに、本当に一修道士としてピラモンは務めたのだった。それから彼は、長い通廊に向かって開いたたくさんの僧房の一つにある引出し式寝台に倒れるように横になり、早々と一分で眠りに落ちた。

 ピラモンはもの憂いごたごたした夢の中で転げ回った。ゴート族が教区巡視員たちと踊っている夢で、ペラギアは孔雀の羽をつけた天使。ヒュパティアには蹄のある足と角があり、一度に三匹の河馬に乗って劇場の周りを巡った。キュリロスは開いた窓のそばに立って、もの凄まじく悪罵して花瓶をピラモンに投げつけた。ピラモンの日中の印象を散りばめた、似たような二番煎じだった。そのとき、外の通りをどかどかと急ぐ足音と叫び声で目が覚めた。意識が明瞭になるにつれて徐々に叫びがはっきりしてきた。「アレクサンドロス教会が火事だ、助けて。キリスト教徒のみなさん、火事だ、助けて」

 そこでピラモンは引出し寝台から身を起し、自分がどこにいるのか思い出そうとした。いくらか困難はあったが思い出し、羊の皮を引っ掛けて跳び上がると、外の通廊を急ぐ助祭や修道士に情報を求めた。「そうだ、アレクサンドロス教会が火事なんだよ」。彼らはどっと階段を下り、中庭を横切って通りへ出て行った。ペテロの背の高い姿が隊旗となり、集合の目印となっていた。

 彼らが門口から駆け出したとき、室内の闇から急に、屋根や壁や道に輝きあふれる月星の光の中に出てピラモンは目が眩み、一瞬ひるんだ。おそらくこのためらいが彼の命を救った。というのも、暗がりから人影が一瞬で跳び出し、長い匕首が目の前を横切って煌めき、となりにいた僧侶がうめきを上げて通廊に倒れるのが見えたのである。暗殺者のほうは通りを駆け下り、僧侶たちや挺身僧たちが猛然と追った。

 ピラモンは砂漠の駝鳥のように走って、まもなくペテロ以外は全員を追い越したが、そのときさらに何人かの人影が門口や曲がり角から跳び出して追跡に加わったか、あるいはそのように見えた。ところが百碼も走ると彼らは突然、横道の入り口の反対側で立ち止まり、暗殺者も止った。ペテロは何か良からぬものを感じとって速度を落し、ピラモンの腕を捕まえた。
「見えるか。暗がりに奴らがいるぞ」

 けれどもピラモンが答えられないうちに、三、四十人ばかりが短剣を月光に煌めかせて道の真ん中へと動き出し、逃亡者がその列に加わった。これはどういう意味だ。これが、帝国内で最も教化され文明化された都市流の楽しき味わいということなのだ。
「さて」とピラモンは考えた。「この世を見に来たけど、このぶんではもう十分だな」

 ペテロはただちに向きを転じて、追いかけたときと同様さっと逃げた。ピラモンのほうは勇気のより良い面である分別に従い、彼らは息せき切って仲間の一行に加わった。
「道の端に群れてるぞ。武装してる」

 「暗殺者だ」「ユダヤ人だ」「陰謀団だ」と定見の無い喧騒が上がった。敵が忍び寄って来るのを目にして、一行は皆、もう一度ペテロに先導されて逃げ出した。ペテロは自然に与えられた長い足を、身の安全のために自由に使おうと決めたようだった。

 ピラモンはむっつりと嫌々ながら足取りに従ったが、十二碼も行かないうちにあわれな声が足元から彼を呼び止めた——
「助けて。どうか憐れみを。ここに置いてかないで。殺されます。あたしキリスト教徒なんです。本当にキリスト教徒なんです」

 ピラモンは立ち止まり、ぼろぼろになった服のわずかな端切れをまとって震えて泣いている美しい黒人女を地面から引き起した
「教会が火事だって言われて駆け出したんですけど」とあわれな女はすすり泣いた。「そしたらユダヤ人たちがあたしを殴って怪我させたんです。あいつらから逃げ出せたときには、肩かけも上着もあいつらにはぎ取られてずたずたにされてました。次には、あたしたちの仲間が、あたしの上を踏みつけて行きました。家に帰っても今度は亭主があたしを殴るんだわ。急いで。この横道を上がって。でないとあたしたち、殺されます」

 何者にしろ武装した者どもがピラモンたちに迫っていた。ぐずぐずしている暇は無い。見捨てはしないとピラモンは女に断言し、彼女が指した横道へと彼女を急がせた。けれども追っ手は二人の姿を捉え、集団は本通りを進み続けたけれども三、四人が向きを変えて追ってきた。あわれな黒人女は足を引き摺って歩くことしかできず、ピラモンは武装していなかったが、振り返ると鋼の切っ先がぎらぎらと月光に煌めいて見えた。ピラモンは修道士のすべきこと、死の覚悟をした。けれども若さは希望に満ちている。生きる可能性は一つ。ピラモンは黒人女を門口に押し込んだ。そこでは彼女の色が彼女を十分隠したし、追っ手の先頭に追いつかれるぎりぎりで自分も柱の陰に隠れた。恐ろしい緊張の中でピラモンは息を殺した。見られたか。少なくとも抵抗もせずに死ぬ気は無かった。いや、奴は息を荒げて走って行った。ところが一分かそこらで別の者がやってきて、いきなりピラモンを見てぎょっとして横に跳び退いた。この唐突な動きがピラモンを救った。ピラモンは猫のように敏捷に相手に躍りかかると一撃で地に倒し、相手の手から短剣をもぎとった。そしてまたぱっと立ち上がると、第三の追っ手の顔めがけて新たな武器を力いっぱい打ち下ろした。男は頭に手をやり、自分のすぐ後にいた仲間の悪党のほうに跳び退った。ピラモンは勝利に紅潮し、混乱もあいまって、ご立派な一対が回復しないうちに五、六回殴りつけたのだが、連中にとって幸いだったのは慣れぬ手の殴打だったことで、さもなければ若い修道士は一つならぬ命の責任を問われただろう。そうして悪党どもは向きを変え、足を引き摺って知らぬ言葉で呪いながら去ったのだった。ピラモンは自分が一人勝っているのに気づいた。一緒にいたのは震えている黒人女と、殴られて転倒し、気を失って通路にのびてうめいてる悪党だけだった。

 すべて一秒で終った。……黒人女は門口に跪いて予想外のこの救出について飾らぬ感謝をどっと天に浴びせた。ピラモンも跪いたが、思いついてユダヤ人から肩かけと飾り帯を冷ややかに奪い取り、哀れな黒人女に手渡した。彼としては勝った者の権利として十分なことだと考えたのだが、ところが見よ。黒人女がピラモンを感謝攻めにしていると、新手の暴徒が上手の端から通りになだれ込み、気づいたときには二人に迫っていた……満ち満ちる恐怖と絶望……だが続いて喜びが湧き上がった。灯火と月光が入り混じって、僧侶の長服がいくつも遠くに見え、 その戦闘の先頭には——見たところ危険は無く——ペテロ読師が見つかったからだ。ペテロは追及を避けたがっているらしく、できるだけ早口で話し始めた。

「ぼうや、大丈夫か。ああ、聖者さま方。僕らは君は死んだと諦めていたんだ。誰を連れてるんだ。捕虜か。もう一人僕らも連れている。こいつは通りを上って来て、まっすぐ僕らの腕に駆け込んだんだ。主がこいつを僕らの手にお届けくださったのだ。君のところを通り過ぎて来たに違いない」
「通りすぎました」と自分の獲物を引っぱり出しながらピラモンは言った。「これがそいつの悪党仲間ですよ」。そこで結構な二人を肘のところで手早く一くくりにして、一行はもう一度列になって、アレクサンドロス教会と、あるはずの大火を調べに進んだ。

 ピラモンは黒人女を探して周りを見まわしたが、彼女は消えていた。女などと一緒にいたことを知られるのはあまり恥ずかしく、そのため黒人女のことは何も語らなかった。けれどももう一度彼女を見たいと思った。自分が死から救った簡素であわれな者に対する興味が——何か愛情にさえ似たものが——すでに心中に沸いていた。居残って彼がしてくれたことを話さないとは恩知らずだと考えるどころか、恥をかかせないように折り良く消えてくれたのを感謝した……そして彼女にそう言ってやり——怪我をしていないか知りたい——それに——とも切望した。おお、ピラモン。ラウラを離れてわずか四日でもう、女の連隊をすっかり見知ったのだ。そうだ、男だけでなく多数の女がいるのは神意がこの世に及んだからであり、女たちを別の道に完全に追い出しておくのは困難なのかも知れない。それにもしかすると神意は、女たちが他方の性に何か役立つようにと意図して、女を他方の性とそんなふうに混在させたのかも知れない。論ずるなかれ、あわれなピラモン。アレクサンドロス教会が火事なのだ——進め。

 そうして修道士たちと民衆がごちゃ混ぜに群れて急いだ。真ん中には不運な捕虜がいて、二十人の自薦審問者に一度に引き摺りまわされたり、平手打ちにされたり、問い質されては呪われたりしていたが、ユダヤの頑固さもあればまったく困惑していたこともあって、自分たちのことは何であれ一切答えないのが得策だと考えていた。

 彼らが通りの角を曲がると、大きな門構えの撥ね上げ扉が巻き開けられて、きらきら輝く人影の長い列が道を横切って流れ出し、槍の元口を一斉に通廊に落して鳴らすと、不動の姿勢を取った。暴徒の最前列は跳び退り、畏敬のこもった囁きが暴徒を駆け抜けた……「駐留軍だ」
「誰なんです」とピラモンはひそひそと尋ねた。
「兵士だよ——ローマ兵だ」と囁き声が答えた。

 ピラモンは先頭集団にいたが——なぜなのかほとんど分らぬまま——この突然出現した厳めしい者にたじろいだ。次には衝動にかられ、大胆になれる限り近くへと前へ出た。……これがローマ兵——世界の征服者か——この男たちの名を人里離れたラウラでぼんやり聞いては、子供の頃から曖昧な畏敬と尊敬でぞくぞくしたものだ。……ローマ兵だ。ここでついにローマ兵と顔をつきあわせたのだ。

 けれどもピラモンの好奇心は急に抑えられた。将校に腕を掴まれたのに気づいたからだ。兜と胸よろいの金の飾りからして、ピラモンは将校だと思ったのだが、その男は葡萄の杖を脅すように若い修道士の頭上にかざし、尋問した——
「いったいこれはどういうことだ。なんで大人しく自分の寝床におらん、アレクサンドリアの悪党めが」
「アレクサンドロス教会が火事なんです」と最も手短で賢明な答えだと考えてピラモンは答えた。
「それは結構なことだ」
「それにユダヤ教徒どもがキリスト教徒を殺したんですよ」
「それなら戦って決着をつけろ。引き上げるぞ。ただの暴動だ」

 鋼をまとって出現した者たちは、さっと動くと武具を鳴らして大股に衛兵所の暗い門口に消え、人の流れのほうは、一時的な障壁が除けられて前よりもますます猛々しく急いた。

 ピラモンも皆と一緒に急いだが、がっかりしたような奇妙な感情が無いわけではなかった。「ただの暴動だって」。ペテロは「捕虜どもを真ん中に置いて、兵隊が衛兵所を通りすぎるまで悪党どもの口を塞いでおいくとはね」と自分たちの小才について兄弟たちに含み笑いをした。「素晴らしい。誇れることだ」とピラモンは考えた。「カエサルや王にするもしないも軍次第、そんな人々を前にして!」。「ただの暴動?」。それなら自分や教区巡視団——この世で一番尊い団体だと思っていたのに——それにアレクサンドロス教会、ユダヤ教徒どもに殺されたキリスト教徒たち、カトリック信仰の迫害やその他もろもろは、あの四十人の人々にはまったく注意に値せず、ただ千人中十人の間でだけ、信徒と権能の意識においてのみ安泰だということだ。……ピラモンは彼らが、あの兵士たちが憎らしくなった。彼らが教会に無関心だからだろうか。ユダヤ人迫害者を今世のサムソンのごとく倒したのを頼りに、自分は教会の些細な成員ではないという気になっていたのに。ともかくピラモンは、小柄な荷運人足の忠告どおり「じつにとてもちっぽけだと感じた」のである。

 そしてピラモンは、若くて嘲笑を感じやすかったのでますます自分をちっぽけだと感じた。つまりそのとき、通りをうねって上り下りするバベルの海の大波小波、突然の引き潮や流れに向かって、アレクサンドロス教会はぜんぜん燃えてなどいないと、上の窓から女がかん高い声で言って寄越したのである。彼らが阿呆か何かでなければやったはずのことだが、家のてっぺんに登って云々、「いつもどおり教会は何ともなくて格好悪く見えた」そうだ。返事とばかりに一つ二つ煉瓦を投げ上げられて女は日除け窓を閉ざし、放置された彼らは立ち止まって調べ、暴徒の流儀どおり自分たちが群衆心理に従っていたことを徐々に断片的に知ることとなった。つまり、誰も教会が火事になったのを見なかったし、火事を見た人を見た者もいなかった。どの方向にも空に何か明りが見えたことすら無く、叫びを上げた者も分らなかった。それに——また——手短に言ってアレクサンドロス教会は二哩は先にあり、火事だったとしてもこの時には焼け落ちたか、もしくは助かったかだった。そうでなくても夜気は冷たく、教会までのどの道にも——サタンしか兵力の程を知らない——ユダヤの伏兵がいたのである。……二人の捕虜を捕まえておいて、大司教に次の命令を求めたほうが良いのではないか。暴徒の流儀に沿って二人、また三人と来た道に雲散霧消して行き、異議のある者たちも取り残されたのに気づきだして、ユダヤ教徒の短剣嫌さにやむなく流れに従った。

 「ユダヤどもがいる!」という叫びで一、二度恐慌になって全員が右往左往しながら(なかには一人二人、ありもしない恐怖からの逃げ場を隣家に求めて強盗として見張り番に引き渡され、それに応じて石切場に送られた)彼らがセラペイオンに着くと、そこにはもちろん別の集団が集まっていて、分っていたことを彼らに知らせた。——つまり、アレクサンドロス教会はまったく火事になっておらず——ユダヤ教徒は少なくとも千人のキリスト教徒を殺したが、千人中すでに見つかった死体は、この家の中に倒れているあの気の毒な僧侶も含めて三人だけで——ユダヤ人街をあげてこちらに進軍している、というのである。どの知らせにあっても得策だと思われるのは、極力速やかに大司教館に避難して扉に防壁を作って包囲に備えるということだった——部屋から木製品をもぎとり露台から石をひきはがす作業にピラモンは異才を示したのだが、大工の修理代をこんなに嵩ませる前にもっと何か決定的な攻撃のしるしを待っても良いのでは、と比較的冷静な者が思いついたのは作業の後だった。

 ついに、どかどかと重い足音が通りを下ってくるのが聞こえ、どの窓にも一瞬にして真剣な顔が群がった。一方ペテロは、防戦には熱湯が効果的だというなにがしかの経験があったので、銅の大鍋を熱しようと階段を駆け降りた。明るい月が兜と胸よろいの長い列に煌めいた。天よ感謝します。軍隊だ。

 「ユダヤの連中が来るのか」「町は静穏なのか」「どうしてこんな悪行を防がなかったんだ」「あんたらがいびきをかいてる間に千人の市民が殺されたんだぞ」——兵士たちが通ると、同様の叫びがいきなり一斉砲撃となって兵士たちを迎えたが、答えは冷たい一言だった——「とまり木に戻って寝ろ、やかましい鶏め。さもなきゃ鶏小屋に火をつけて酷い目に遭わせるぞ」

 ご丁寧なこの演説に抗議の叫びが答えた。心中では、非武装聖職者を軽く扱うべきではないと軍隊はよく分っていたし、煉瓦や熱湯で死のうという野心は無かった。軍隊は静かに道を進んで行った。

 今や危険はすべて去った。喜びに満ちた話し声が起ってかつてなく大きくなり、日の光が射すまで続きかねなかったが、急に中庭の窓がぱっと開いてキュリロスの畏敬すべき声が静かに命令した。「全員寝られるところで寝るように。夜明けに来てくれ。挺身団の上官は捕虜二人を連れて上がって来なさい。そいつらを捕えた者も一緒に」

 数分後気づくとピラモンは、他の二十人ばかりと一緒に偉大な人物の御前にいた。キュリロスは机の前に座り、細長い紙片にちょっとしたものを静かに書いていた。
「ここにおります青年が、私を手伝って人殺しを追いかけまして、私を追い越して行って捕虜どもに襲われたのです」とペテロは言った。「私の手は血で汚れてはおりません。主よ感謝します」
「三人が短剣で襲いかかってきたんです」とピラモンは弁明するように言った。「それでこの、一人の短剣を取りあげて、これでほかの二人を倒さないわけにはいかなかったんです」

 キュリロスは微笑んで頭を振った。
「汝は勇敢な童なり。されど読まざるや。『人もし汝の右の頬を打たば、左をも向けよ』と」
「ペテロ師やほかの方々みたいに逃げられなかったんです」
「ではおまえは逃げたのか、ん? 我が良き友よ」
「書かれていませんか」と精一杯穏やかな調子でペテロは尋ねた。「『この町にて責めらるる時は、かの町に逃げよ』です」

 キュリロスはまた微笑んだ。「ではなぜおまえは逃げられなかったのだ、ぼうや」ピラモンは真っ赤に紅潮したが、しかしあえて嘘はつかなかった。
「そこに一人——あわれな黒人女がいて、怪我させられて踏みくちゃにされていたんです。それを置き去りにはできなくて。キリスト教徒だって言ってましたし」
「いいんだ、我が子よ、いいんだ。このことは覚えておこう。何という名の女だ」
「訊きませんでした——お待ちください。ユディトと言ったと思います」
「ああ、神の呪いし講義室の所に立つ荷運人足の妻だ。敬虔な女で善行に満ちているが、異教徒の夫にそれはひどく扱われている。汝ペテロよ、医者をつけて明日彼女の元に行き、要る物が無いか見て来るべし。少年よ、汝は善きことをした。キュリロスはそれを忘れまい。さて、例のユダヤどもを連れて来てくれ。連中のラビどもは二時間前に私に平和を約束したんだがな。これが連中の約束の守り方というわけだ。さもありなん。邪悪は邪悪さ自体の罠にはまる」

 ユダヤ人たちが連れて来られたが、彼らは頑固に黙りこくっていた。
「聖下、お気づきのとおり」と誰かが言った。「こいつらはそれぞれ右手に、緑の椰子皮の輪をつけてます」
「たいへん危険な印だ。明らかに共謀です」とペテロは評した。
「おい、これはどういう意味だ、悪党ども。答えろ、命が大事ならな」
「おまえは俺たちとは関係無い。俺たちはユダヤでおまえの民じゃない」と一人が不機嫌に言った。
「私の民じゃない? おまえは私の民を殺したんだぞ。私の民じゃない? 神の国に意味があるなら、アレクサンドリアにある魂はみんな私のものだ。おまえはそれを思い知るぞ。おまえらのラビどもと議論した以上に、おまえと議論するべきではないな、我が良き友よ。こいつらを連れて行け、ペテロ。燃料庫に閉じ込めて見張るんだ。逃がそうとする者がいれば誰だろうと、その者の命をこいつらの身代わりにしてやれ」

 こうして結構な二人は連れ出された。
「さて我が兄弟よ、君たちへの指令だ。この通達書を君たちで分けて、君らの教区の忠実で神的なカトリック信徒に配ってくれ。町が静かになるまで一時間待て。それから始めなさい。教会中を引き起こせ。夜明けには三万人手元にいなくてはならん」
「何のためにですか、聖下」と十ほども声が上がった。
「その通達書を読みたまえ。誰であろうと明日主の御旗の下で戦う者は、ユダヤ人街から自由に掠奪してよろしい。暴行と殺人だけは禁止だ。言っただろう、神のおぼしめしだ。明日の正午には一人のユダヤ教徒もアレクサンドリアに残すまいぞ。行け」

 そこで伝令係は列になって移動して、こうも迅速果敢な指導者を持ったことを天に感謝しながら、続くひとときを食堂で火に当たってすごした。粟パンを食べ、粗末な麦酒を飲み、バラク、ギデオン、サムソン、エフタ、ユダス・マカベウス、そのほか旧約聖書の名士にキュリロスをなぞらえ、それから自分たちの平和な任務に取りかかった。

 ピラモンは一団について行きかけたが、そのときキュリロスが呼び止めた。
「待ちなさい、我が子よ。おまえは若くて向こう見ずだ。それにこの町を知らない。ここにいて次の間で寝なさい。三時間後には日が上る。そうしたら、我々は主の敵に向かって進むのだ」

 ピラモンは隅の床に伏して子供のようにまどろみ、やがて、薄闇の中で挺身団の一人に起された。
「起きろ、ぼうや。そうして我々に何ができるか見たまえ。キュリロスさまは、アビノアムの息子バラクよりも偉大に下って行かれる。十人ではなくて三千人の配下を足下に従えてな」
「おお、我が兄弟よ」とキュリロスは、司教用祭服飾りをすっかりつけて、助祭や司祭の華やかな一行を連れて意気揚々と通り抜けながら言った。「カトリック教会には組織、統一、共通の大願、標語がある。これは、弱くて不和なこの世の暴君どもには、妬みおののきこそすれ真似ることのできないものだ。オレステスが三時間のうちに、自分のために死ぬ三万人の配下を集められたか?」
「我々が聖下のために死ぬように」と多くの声が叫んだ。
「神の国のため、と言いたまえ」そしてキュリロスは出て行った。

 かくしてアレクサンドリアでのピラモンの初日は終った。

最終更新日: 2001年6月9日   連絡先: suzuri@mbb.nifty.com