第8章 東の風

 翌朝、ヒュパティアが栄光に包まれて、畏敬すべきものとして彼女を賞賛する哲学者や哲学者気取り、学生や粋な紳士の一群を引き連れて講義室に向って通りを渡っていると、獰猛そうな大犬を連れたぼろ服の乞食が彼女の正面に立ちはだかり、汚れた手を伸ばして憐れっぽく施しを乞うた。

 ヒュパティアは上品な趣味をしていたから、低劣下品なものは何であれ触れるのはおろか見るのも耐え難く、少し後ずさると、小銭をやって男を追い払うようおつきの奴隷に言った。けれどもより若い紳士の数人は、当時アフリカの大学で流行っていたお上品な「ひっかきまわし」、これがもとで聖アウグスティヌスがカルタゴからローマへ追われたのを思えばありがたいことでもあるのだが、かの「ひっかきまわし」の名人だと自負していた。彼らは道筋に現われた卑しいやつを、惑わし侮辱して手際よく苦しめるべく一連の一家言を吐き始めたのだが、乞食はじつに平然とそれに耐えた。乞食は小銭を差し出されたが、与えようとする手を穏やかに脇に除け、先に進もうとするヒュパティアを阻むように舗道に立ちつくした。

「何なの。この不運な人と恐ろしい犬を除けて下さいな、みなさん」とあわれな哲学者はいくらか動揺して言った。
「その犬、知っているぞ」と彼らの一人が言った。「アベン・エズラの犬だ。その犬が失せる前にどこでそいつを見つけたんだ、え、悪党よ」
「君の母君が夫を騙して我が子だなんて君を掴ませたときに、母君が君を見つけた所——すなわち奴隷市場でさ。気高き巫女よ、もうあなたのいとつつましい弟子をお忘れなんですか。早くも天使的いじめ学では達人たる師匠を凌ごうとしている、この若い犬畜生どもみたいに」

 そこで乞食がつばの広い麦藁帽子を持ち上げると、ラファエル・アベン・エズラの姿が現われた。ヒュパティアは叫びをあげて跳びのいた。
「おや、驚かれたとは。何にですかな、んん」
「あなたを見たからよ、そんな格好の」
「なんでまた。感覚の魅惑からの栄光ある離脱を、長いこと僕らに唱導してらしたのに。弟子の一人がついにお言葉に従ったからってそんなに驚かれたのでは、弟子の評価とか、ご自身の弁舌の評判に響きますよ」
「どうしてそんな格好を?」ヒュパティアと、傍にいた十ばかりの声が訊ねた。
「キュリロスに訊いて下さいよ。僕はイタリアへ行く途中なんだ。新たなるディオゲネスにでもなって、彼のように人間を探しに行くんです。一人でも見つけられたら、素晴らしい知らせをお伝えできて大喜びなんですけどね。ではお別れです。ご覧のとおり犬儒派になりましたけど、もう一度ある方のお顔を拝見したかったんですよ。 今後は、幸いにも授業料の要らない僕の犬にしか師事するつもりはありません。こいつが月謝をとるなら、無学でゆくしかないな。先祖伝来の財産は翼を生やして昨日の朝に飛び去りましたし。間違いなくお気づきでしょう。ユダヤ教徒に抗する平民制定法が、人民のとある聖なる執政官の庇護のもとで実施されたんです」
「ひどいわ」
「危険でもありますよ、先生。成功は調子づかせるものですし……テオン家を掠奪するのはユダヤ人街で掠奪するのと同じくらい簡単ですから……気を付けて下さい」
「おいおい、アベン・エズラ」と若い男が叫んだ。「僕らの仲間にとっては君は、悪党大司教の思いつきで失うにはあまりに惜しい男だよ。君のために募金したいんだが、どうだろう。それに僕らのうちの誰とでも何か月でも一緒に暮らせるしさ。君がいなけりゃ冗談も冴えないからな」
「ありがとう、諸君。でもさ、君は本当に長いこと僕の冗談のいいカモだったからな。僕が君のカモになるなんて考えられないよ。先生、行く前に一言、内々にお話ししたいのですが」

 ヒュパティアは前かがみになり、急いでシリア語で囁いた。
「ねえ行かないで。お願い。あなたは弟子のなかで一番賢いし——ことによると唯一の真の弟子だわ。……父が何か、ああいう卑劣漢どもから隠れる場所を見つけてくれるでしょうし、それにお金が必要なら、思い出して下さいな、父はあなたの債務者なのよ。私たちはあの金貨をお返ししたことはなかったし——」
「麗しのムーサ、ですがあれはパルナソスへの入学金でした。借りがあるのは僕の方ですし、未払い金を持って来たんですよ。この蛋白石の指輪という形でね。お近くの隠れ家については」と彼は声をひそめ、ヒュパティアと同様にシリア語で話し続けた。——「ユダヤ人ラファエルには、ユダヤ人ならぬヒュパティアは美しすぎて心乱れるのです」そうして彼は自分の指からミリアムの指輪を抜き取って差し出した。
「だめよ」と真っ赤になってヒュパティアは言った。「受け取れないわ」
「お願いです。これは僕がこの世に持っている最後の荷厄介なんですよ、肉と血というこの蝸牛の牢獄を除けばね。この殻が耐え難くなったら、自分の短剣で抜け出す割れ目を作りましょう。ですが、できれば、いつ、どうやるかを選べるのでなければ殻を離れたくないんです。でも、この指輪をしていたら、誰かヘラクリアヌスのキルクムケリオーネスが、指輪目当てに僕の脳天を一撃するに違いない。——ですからお願いします」
「いけないわ。指輪を売って、シュネシオスのところに逃げられるではありませんか。彼が匿ってくれるでしょう」
「あの親切の大嵐! まあ、匿ってはくれるでしょうけど、安息は無いな。それくらいならエトナ山の噴火口に天幕を張りますよ。だってあの人は昼も夜も、あの人の言う哲学的キリスト教とかいう折衷的なごった煮へと回心させようとするでしょうし。そうですね、お持ちにならないのでしたら、この指輪はさっさと始末するか。我ら東方の者は、この世の主のなすべき威容の整え方も、また消え方も弁えている」

 そしてラファエルは哲学好みの一群のほうに向いた。
「ほらほら、アレクサンドリアの紳士諸君。どなたか借金を全済したい陽気な若者はおらんかな。ソロモンの虹をご覧あれ、アレクサンドリアがかつて見たこともない蛋白石だ。世界中のどんな奴隷市場でも、君らのうちの誰でも、君らのマケドニア人のお父ちゃんもマケドニア人のお母ちゃんも、マケドニア人の姉ちゃんも、馬も鸚鵡も孔雀も倍値で買ってもまだおつりがくるぞ。金貨一万枚に値する宝石をお持ちになりたい紳士諸君はどなたでも、これを放り込んだどぶから拾うだけでよろしかろう。それ奪い合え、お若いパエドリアスにパンピリウス。ライスもタイスも存分にいて、そいつを遣うお手伝いをしてくれるだろうさ」

 そうして指輪を高く差し上げて道に投げ捨てようとしたそのとき、ラファエルはうしろから腕を掴まれ、指輪を手から引ったくられた。ばっと振り向いてうしろを見ると、そこには怒りと蔑みに目をぎらつかせたミリアム婆がいた。

 ブランはただちに老婆の喉に食いつこうとしたが、老婆に睨まれて怯んだ。ラファエルは犬を離すと、落胆した観客のほうにゆっくりと振り返った。——
「けっこうけっこう、ついてないな、君たちは。結局君たち自身で金を集めるしかないんだが、我が民が去ったとなれば、かつてなく難しくなるだろうな。諸君も酩酊時にはよくよくご存じのとおり、運命は上下転動して哲学者すら逆らえず、運命に従ってソロモンの虹も元の主に帰還あそばしたというわけさ。さようなら、哲学の女王さま。人間を見つけたらお知らせしましょう。お母さん、そちらに伺うところだったんです。離れ離れになる前に仲良くお話しようと思いましてね。ですが」と連れ立って歩きながらラファエルは笑った。「民の一人を邪魔立てなさるとは、困った悪戯ですよ。異教徒の犬どもが施し物めあてにどぶをかき回すのを眺めるなんて、けっこうなお楽しみなのに」

 ヒュパティアはムーセイオンに向ったが、この奇妙な邂逅と、それにもまして奇妙なこの結末に当惑しきっていた。とはいえ心の深い動きを顕すまいとし、講義室の隣にある自分の小さな控え室で一人になって初めて、そこで倒れるように椅子に座って考えに沈み込み、やがて頬を伝う涙に気づいて驚き憤った。胸のうちにいくらかラファエルに対する愛着があったせいではない。何かそんな危険があったとしても、あの策に富んだユダヤ人はかわすように心を配り、軽薄な調子で嗤ってみせて、自分も人も深い情感に陥りそうな成りゆきはすべて押さえ込んだ。彼女の美しさに対する彼の賛辞には慣れきっていたので、嬉しくもあったが不快でもあった。けれども感じたのだ。自分で言ったとおり、おそらくは唯一の真の弟子を、さらには——おそらくは真の師を失ったのだと。というのもあのシレノスの仮面の下には——おそらくは考えた以上に優れたものがあるのを、彼女はじつに明晰に見ていたからである。実際的な手際は自分に優ると常々感じていたが、その朝にはずっと予期していたことが、つまり道徳的な真剣さや意志の強さなど、周りの覇気の無いギリシャ人に求めても空しいものについても自分を凌ぐことが明らかになった。その点にかけては彼女の弟子だとラファエルが公言した事柄においてさえ、彼だけは自分の話を直観的に完全に理解しているらしいと喜びもしたが、模擬刀で修練する剣士のように、数学や幾何学や形而上学や対話法でもって彼女と戯れているだけで、本当の実力はもっと甲斐のあることのために残しているのではないかと、不快な疑いに身震いもした。彼の逆説や質疑が彼女の精妙な体系を揺るがし粉砕したことも一度ならずで、一見極めて明らかに確実なことにさえ彼は剣呑な深い疑惑を広げて見せた。あるいは、彼は信仰を告白したことは無かったが、ふざけ半分にヘブライ語の聖句を仄めかしていたし、その信仰の質や量からして彼が背景に持つ知識のほうがより深く優れていると考えていて、しかもその知識を分け与える気はないのでは、などと思って怒りを感じもした。

 けれども彼女は、抗しがたくラファエルに惹かれていた。彼にはつきものの泰然とした贅沢好みからはヒュパティアは身を遠ざけたが、そんなものは衣裳と同じで脱ぐも着るも意のままだとラファエルは誇り、今や自分の言葉を実証していにしえの偉大なストア派に比肩するものとなったようだ。ゼノン本人でも、薄弱な人間性にそれ以上のことを求められただろうか。加えてラファエルは、実際面でも果てしなく有益だった。頼まなくても数学上の問題を解いてくれ、権力筋を警戒し、辛辣な調子で弟子たちの紀律を正し、機知や議論や、そしてとりわけ比類の無い料理人と酒蔵で魅了して新たに弟子を引き込んでもくれた。何にもましてヒュパティアを弁護する獰猛果敢な番犬として働き、古くさい犬儒派やストア派、アカデメイアの生ける屍ども、滑稽だったりまた往々にして残忍でもある一群のソフィストたちに対抗してくれた。彼ら毒ある者はますます増え、党派の流儀に従いその耄碌によって、美しく飾られた新プラトン学派の紙札の城を、よろずのギリシャ哲学と東方の迷信との空疎な寄せ集めだとして執拗に攻撃していたのである。こうしたペリシテ人どもは皆、騎士もどきのキュレネの司教以上にラファエルの筆舌を畏れていた。実際、キュレネの司教のある手紙から察すると、司教は自分に憎めるだけは彼らを憎んではいたが、結局は激しいものではなかった。

 けれどもシュネシオスの訪問は稀で間遠かったし、カルタゴとアレクサンドリアとの距離、教区での激務、何にもまして悪いことには、司教とその美しい教師との意図の違いが広がるにつれて、シュネシオスの弁護はほとんど価値が無くなっていた。そして今やラファエル・アベン・エズラも行ってしまい、彼とともに千もの計画や希望が失われた。最後には往古の神々に対する哲学的な信仰に転向させるつもりだったのに。彼を、人間の過ちの流れを押し戻す手立てにしようとしたのに。……こんな夢が幾度過ぎったことか。そして今、誰がラファエルの穴を埋めるのだろう。アタナシオスか。シュネシオスは気が良いから彼を兄弟と呼んで権威づけるかも知れないが、ヒュパティアからすればアタナシオスは力不足の衒学家で、実際、事実が証明したとおり、この世に何の見解も形成せずに死ぬ定めだった。アテネのプルタルコス。年寄りすぎる。シリアノス。単なる論理家で、彼女には分かっているしシリアノスも弁えるべきだが、アリストテレスを歪曲してアリストテレスが意図していないことを意味させている。父は。三角形と円錐曲線の人だ。あの底知れぬユダヤ人と並べば、皆なんとつまらなく見えることか。——魅惑的な蜘蛛の巣の紡ぎ手たち。……羽虫が捕まってくれなければ。愛すべき家の作り手たち。……人々が中に入って住まないことには。極上の道徳性の伝導者たち。弟子たちはその道徳に感じ入りながら、実践しようとは夢にも思わない。彼女にはよく分かっていた。自分がいなければ哲学はアレクサンドリアでは死に絶えるに違いない。哲学を生き長らえさせるのは彼女の知恵か——あるいはほかのもっと俗な魅力なのか。忌まわしい考えだ。醜ければ教義の力だけを試せたものを。……

 ふん、すでに勝算はひどいものだ。俗だろうと、肉体的だろうと、どんな助けでもありがたくはあろう。しかしその仕事は望みが無いのではないか。彼女が考えている間に行動できる人々が欲しかった。けれどもそんな人々はまさに——彼女はよく分かっていたのだが——憎むべきキリスト教の聖職者たちの内にしか見出せそうもなかった。そこで、あの恐るべきイーピゲネイアの犠牲が、避けがたいものとして遠方にぼんやり現われてきた。彼女の絶望の内にしか哲学の希望は無いとは!

* * * * * * * * * * * * * * *

 ヒュパティアは涙を振り払うと、誇らかに講義室に入って行き、聴衆の叫びに囲まれて女神のように教壇に上った。……聴衆のために彼女はどんな気遣いをしただろうか。聴衆は彼女の言うことを実行するだろうか。ヒュパティアが我にかえってラファエルのことを頭から消したときには、講義は半分終っていた。その時点から講義を聞いてみよう。

* * * * * * * * * * * * * * *

「真理。魂そのものをおいて他のどこに真理がありましょう。事象や物体は、物質が作り上げた影像でしかない——この地上という夜の幻影なのです。その夜のなかで魂は、この世の物質という泥濘の中でまどろみながら身震いしますが、その曖昧な震えが感覚や知覚と呼ばれているものです。そして、ちょうど夜に見る夢が、時空の制約という足かせから解き放たれた神秘的で非物質的な存在の感知を我々の内に呼び起こすように、視覚や音と呼ばれる覚醒状態での夢もまた同様のことを行います。夢は神的伝令です。ゼウスは子を憐れんで、子らを肉の牢獄に閉じ込めたときでさえ、子らがそこから来た魂の真実の世界について仄暗い想起を子らのうちに呼び起こそうとして、その伝令をお遣わしになる。それがいったん呼び起こされれば、感覚や事象という覆い越しにではありますけれども、つまり、それは霊的真理の仮の衣に過ぎないということですが、感覚や事象によってそこに秘められた霊的真理が感知可能になるのです。こうしたことを哲学者は見てとり、魂にとって肉体は核に対する殻、事象は象徴であり隠喩にすぎないという教義に基づいて事象を否定するでしょう。それならば、かつて血肉という影像として人の目に見えた者たちの名前が、ヘクトールでもプリアモスでも、ヘレネでもアキレウスでも、哲学者にとって問題になるでしょうか。かのキオス人が言ったとおりに彼らが考えたり語ったりしたかどうかが、問題になるでしょうか。かの人自身が地上に生を受けたかどうかさえ問題ではないでしょう。件の書物——かの人の言葉だとされている書物がここにあります。その思想については、はじめは誰だかのものだったとしましょう。ですが、今は私のものです。私は自分でその思想を掴みとり、自分で考え、その思想を自分の魂の一部にしたのです。というより私の一部でありましたし、一部であり続けるのです。その思想は、かの詩人や私と同様、世界霊魂の一部にほかならないのですから。それならば、古代の先覚者のかくも力強い思想をとりまいてどんな神話が育ったかなんて何が問題なのでしょう。叙事詩圏の断片と調和させるとか、軍船一覧を立証する試みは他の人に任せておきましょう。叙事詩圏は矛盾しており、軍船一覧は改竄されていると証明されたとしても、哲学者が何を失いましょうか。思想はここにあり、そしてそれは我々のものなのです。心を開いて、どこから思想が来るのであろうと、愛をもって思想を受け止めましょう。人と同じく書物においても魂がすべてです。我々の魂が扱うべきは書物の魂なのです。書物に見出しうる魂は、何であれ美しく、真実で、高貴です。我々が詩人のうちに見た意義に、詩人本人が気づいていたかどうかは問題ではありません。詩人が意識しようとしまいと、そうした意義があったはずです。そんなものは無いというなら、どうしてそれを見出せるのでしょう。秘儀に与らない俗衆のなかには——哲学者の衣を纏いながら未だ秘儀に与っていない人々もですが——そんな解釈は恣意的なこじつけ、気紛れなお遊びだと罵る人もいます。我々の精神的な意味づけが馬鹿げているというなら、彼らはホメロスの真意を示すべきです。このためにホメロスは賞賛に値するのだと我々が提示したものがそこには無いというなら、では何故敬意に値するのかを彼らは世界に明言すべきです。まず字義どおりに意味するものによって、多年に渡って名誉を享けてきたのだとでも? それに、そんな字義どおりの意味を、ホメロスに負わせようというのでしょうか。彼の神的な魂が、現実の身体上の饗宴だの婚姻や舞踏だの、夜陰に乗じた実際の馬泥棒だの、犬や豚飼いの忠義だの、神的存在と人間との実際の通婚だのを書いて自らを貶められるなんて考えられますか。それともこんな卑俗なうわべの故に、各時代の最も知恵ある人々が、詩の父という名をホメロスに与えていたとでも? 卑しい考えだわ。感覚や視覚によって簡単に分かるものしか意識できない、感覚に縛られた粗野な輩にしかふさわしくない考えです。そういう輩はキリスト教の聖句を信じるや否や、手足や耳目を持つ神、家具だの炊事道具だのの型まで指図してやったとかいう神のことを語るのです。その神は村娘の息子として生まれて——むかむかする考えね——最低の奴隷たちの悲哀と望みによって自らを汚して全きものとなったとかいう」
「それは違う、冒涜だ! 聖書に嘘は有り得ない」部屋の遠くの隅から声が上がった。

 ピラモンの声だった。彼は講義をすっかり聞いた、とは言っても聞くというより見ていたのだが。講師の美しさ、優雅な身ごなしや声の旋律、それに最後にはとりわけ彼女の修辞の迷路が、雫のついた蜘蛛の巣のように心の目の前に煌めくさまに動揺したのである。一句ごとに新たな考えや、疑念ではないにしろ疑問の大海が彼のギリシャ的な鋭い知性を襲ったが、思弁的な能力はまるで虚しく、押し寄せる流れを防ぐ学問的教養も無かったただけに、いっそう抗しがたく溺れた。生まれて初めて、あらゆる思考の根源にある問い——「私は何者なのか、私はどこにいるのか」「私は何を知り得るのか」という問に直面した。そしていくらか怯えながら問いと格闘し、何をしに講義室に来たのか、ほとんど忘れかけていたのである。呪文を破らなければと彼は思った。彼女は異教徒で偽女予言者ではないか。ここで、攻撃すべきものが出た。冒涜に半ばは憤り、半ばは強いて行動するために、ピラモンは跳ねるように立ち上がって言ったのだった。

 叫びがあがった。「出て行け、坊主!」「その田舎者を窓から放り出せ!」と十人ばかりの若い紳士が叫んだ。勇敢至極な何人かは、椅子を乗り越えてピラモンのほうに向かって来た。栄えある殉教の時が近づいたのをピラモンは喜んだが、そのときヒュパティアの玲瓏とした穏やかな声がして、一瞬にして騒動を鎮めた。
「お若い方に聞かせてあげましょう、みなさん。修道士で、平民でしかない。もっと良いものを何も知らないの。そんなふうに教えられてきたのよ。ここに静かに座らせておきましょう。そうすれば、たぶん別なことを教えられるかも知れません」

 そうして、議論の筋道を遮らず、調子さえ変えずに続けた——
「では『イリアス』第六巻の一段を聞いて下さい。私は夕べ、この一段に大いなる神秘の輝きを見た気がします。よくご存じでしょうけれど、読み上げることにします。偉大な詩歌の威厳と響きとが我々の魂を調律し、高尚な知恵を受け入れさせるでしょう。何しろ教師アバムノンが見事に述べているように、『魂はまず律動と調和によって構成され、肉体を具える前に神的調和に聴き入る。よって肉体を具えた後、魂は、調和の神的な歩調を最もよく保った旋律を聴いて喜び迎え、その旋律からあの神的調和を想起して、そちらに向かって駆り立てられ、そこに我が家を見出し、そして可能な限りその調和を分有する』のですから」

 続いてピラモンの耳に降りかかったのは、これが初めてだったのだが、力強くうねるホメロスの詩句の雷鳴だった。——

その言聞けるヘクトール、直ちに邸を走り出で、
先に来りし道の上、再び急ぐ脚進め、
城中過ぎてスカイアイ(その大門を駈け出でて
戦場さして進むべき)ほとりに来り着ける時、
彼に逢ふべく高貴なるアンドロマケー駈け来る。
(森の蔽へるピラゴスの高地の麓テーベーに
住みてキリケス民族の主領なりけるエーチオーン、
エーチオーンの生みたるはアンドロマケー、——トロイアの
黄銅鎧ふヘクトール、娶りて彼の妻としき)
夫人近より来る時、ひとりの侍女は従ひて、
胸に幼齡の児を抱く、恩愛の父ヘクトール
めでいつくしむ幼児は美麗の星にさも似たり。
(父ヘクトール命ぜし名、スカマンダリオス、然れども
衆人呼べる彼の名はアスチュアナクス——その父は
ひとりイリオン守るため)、彼今無言にほほゑみて
愛児眺むる傍にアンドロマケー近よりて、
涙を流し彼の手を執りて言句を宣し曰ふ、

『あはれ良人、勇により君は亡びん、幼齡の
子をも不幸の我身をも君憫まず、速かに
ああ我れ寡婦となりぬべし、——アカイア勢は一斉に
君を襲ひて斃すべし、君失はば我むしろ
泉下に入るを善しとせむ——君その破滅告ぐる時、
我には一の慰藉なし、殘るは独り幽愁の
暗のみ、あはれ恩愛の父母もろともに我に無し。
アキルリュウスは我父を殺しぬ、彼は殷賑の
キリケス族の都なる城門高きテーベーを
荒らしつくして我の父エーイチオーンを亡しぬ。
さはあれ彼は憚りて其戰裝を剥ぎ取らず、
その精巧を盡したる武具もろともに彼を焼き、
その上に墓を打ち立てつ、後に雷霆のクロニオーン
生める、山住む仙女らは、めぐりに楡の樹を植ゑぬ。
はた我ともに殿中に育ちし同胞七人は
皆ことごとく同じ日に冥王の府に落ち行きぬ、
皆ことごとく蹣跚と歩む群牛、銀色の
羊児の蔽へるプラゴスを領せし我の母夫人、
そを擒にしアキリュウス他の數多き鹵獲とも
ここに連れ来てその後に、無量の賠償受け入れて
放ちぬ、されどアルテミス、父の居城に母を射ぬ。
さればヘクトル、君は今我にとりては父と母、
兄弟を兼ね、しかも猶ほ勇氣盛のわが所天。
されば自ら身を愛し、ここ塔中に留れかし
愛する者を無慚にも孤児また寡婦と爲す勿れ。
また衆軍を無花果樹のほとりに留めよ、そのほとり
防禦薄くて敵の軍、來りて之を試みき、
二人のアイアス、高名のイドメニュース、又更に
アトレーデース、勇猛のヂオメーデース将として。
恐らく誰か神託を悟りて之を勸めしか?
或ひは彼ら自らの武勇促がし寄せ来しか?』

堅甲光るヘクトールその時答へて彼に曰ふ、
『妻よ、この事ことごとく同じく我の胸にあり、
されど怯者の如くして我もし戦避くとせば、
トロイア満城男女らは何とか曰はむ、恐るべし。
我の心も之を責む、我は學べり剛勇に、
常に振舞ひ、トロイアの先鋒中に戦ひて、
祖先の名誉、わが名誉、露だも汚すべからずと。
ああ我は知る、心中に我明かに感じ知る——
日は来るべしイーリオン、聖なる都城亡びの日、
槍に秀づるプリアモス、民衆とともに亡びの日。
さはれ来らんトロイアの禍難、わが母ヘカベーの
それすら、父王の禍難すら、はた勇猛に戦ひて
敵に打たれて塵中に、俯伏しなさむ同胞の
その禍難すら、汝ほどわれの心を悩まさじ。
黄銅鎧ふアカイアの一人酷く縛めて、
涙にくるる汝の身囚へ引き去るその禍難。
かくて恐らくアルゴスに主人の命に従ひて
布帛織らむか、あるは又メッセーイスかヒュペレーア、
泉の水を担はむか、つらき運命身を圧して。
しかして流涕の汝を見、ある者他日かく曰はむ——
「彼の夫はヘクトール、イリオン城の戦に
馬術巧みのトロイアの陣中最も猛き者」
かくこそ他日人曰はめ、新たの悲哀汝の身
襲はむ、奴隷の境地より救ふべき者あらずして。
ああ我汝の囚はれと悲痛の叫び聞かん前、
大地穿ちて墳塋の暗なす底に入らまほし!』
しかく宣してヘクトール、愛児に向ひ手を延せば、
父を眺めつ、燦爛の甲に恐れつ、甲の上
馬尾の冠毛おそろしく揺らぐを眺め、驚怖せる
幼き身は泣き出し、叫喚高く面背け、
華麗の帯を纒ひたる乳母の胸に身を隱す。
これを眺めて恩愛の父と母とは微笑みつ、
すぐに英武のヘクトール頭より甲を取りはづし、
燦爛として輝けるままに地上に据ゑおきつ、
胸に愛児を抱き取り、手中に彼をあやしつつ、
クロニオーン及び他の諸神に祈願捧げ曰ふ、

『ヂュウス並びにもろもろの神霊願はく我の子を、
我と等しくトロイアの中に著名の者と為し、
勇猛の威も等しくてイリオン城を治せしめよ。
然らばわが子戦の場より帰り、血と塵に
まみれし鹵獲もたらして母の喜たらん時、
「父にも優る英豪」と讚して人は称ふべし。』

しかく宣して愛妻の手中に愛児抱きとらす、
涙ながらも微笑みて香焚きこむる胸の中、(土井晩翠訳

【原注】
上記の数行は「翻訳」ではなく、ある種の韻律の字義どおりの意味を示そうというささやかな試みである。ポープやチャプマンが果さなかったことに成功しようと目論むというだけでも傲慢な行いだろう。ホメロスを英語に置き換えるのは明らかに不可能だと思う。というのも、理由は多々あるけれども、彼の極めてありふれた言葉にも壮麗な響きがあって、それ保つのが不可能だからである。どうすれば何らかの技によって——手近な最初の詩句を取り上げるなら——「ボオス・メガロイオ・ボエイエーン」を「グレート・オクシーズ・ハイド」に変えてしまう言語のうちに、ホメロスのギリシャ語の律動を保てるというのだろう。

「これが神話です。ここでホメロスが見事に代々に伝えようとしたのは、幼児の脅えだの母親の動物的な愛情などという地上的でありきたりな事柄だったなどと思いますか。もっと深い哲学者の洞察をもってすればきっとそこに、何か一層深い神秘の予兆を見られるでしょうし、空想的だと咎められはしないはずです。

 例えば——城市の王という名を持つアステュアナクスは、選ばれた魂ではありませんか。天上に出自を持ち、そうとは知らずとも事実、周囲をすべて導き治める者なのです。子供なので今はまだ母なる「自然」の香高き懐にありますが、自然は養い手でもあり、かつ詩人が名付けたとおりアンドロマケー——人の敵でもあります。何しろ成人すれば、幼児として養ったものと争いますから。自然は美しいけれども賢明ではない。母親たちのように軟弱にご機嫌をとって甘やかし、我々が思索のなかで栄光を追って彼女を忘れはしないかと、思索という偉大な宝へと我々を送り出すことを恐れて、成年になっても女部屋に留め置き、永遠に自分のひざ元で遊ばせようとするでしょう。また、その選ばれた魂は、知らぬながらも父も持つのではないでしょうか。ヘクトールは——外にあり、自然に拘束も調整もされもせず、それの夫であるのです——すべてに行き渡って力を与え、組織化する、造化の魂、いわゆる立法者ゼウス、火のエーテル、生命付与者としてのオシリスですね。ここで詩人はさらに、神話の城市の守り手、宇宙に普く行き渡る調和と秩序と美の防衛者だとしています。離れて座している彼の偉大な父——プリアモスは、多くの息子の父である第一存在、絶対的な知性であって、はるかなる栄光のうちにある不可視、不動の畏れるべきものです。ですがそれも、ホメロスが「運命」と呼ぶ底知れぬ統一、それ自体は「無」であり、述語づけられず名付け得ない万物の根源に従っています。

 これから出てかつこれに向って、世界霊魂は「創造」全体に行き渡って、かの「知性」の命令を果たします。魂はそこから、不本意ながら一群の物質的事象の渦中に流出してきたのです。 低劣な物質の粗野な力と戦い、自らと相容れない汚れたものをすべて打ち壊し、美しいもの、自らを映ずるものを懐に抱きしめて己のしるしを刻印し、星であれ神霊であれ、選ばれた魂であれ、そこから自らの似姿を複製するのですが——詩人が擬人化した言い方で仄めかしているように、絶えず悲しみにつきまとわれています——運命の意によって——「魂」がもともとそこから派生した「原初の一者」を思っては、あらゆる労苦におし潰されています。魂は、それ以前にはその「父」たる「知性」も、あえて考え、行為し、自由意志を主張したときに、一者から自ら分離したのです。

 その一方では、ああ。父たるヘクトールがまわりで戦っているとき、彼の子らは乳をもらって眠っています。父は常に戦っているのに、子らは彼を知らない——つまり個別者は普遍者たる父の一部にすぎないことを知らないのです。けれども、時として——おお! たいへん幸いなことに、定められた運命の一部としてそのような時を天上の出自から得ている子らに——時として、言葉にならない神秘の直観が人の子にひらめきます。夏の夜の輝かしいきらめきに——ひと波ごとに沃土を流し去るナイルの流れのとどろきに——神殿の畏るべき深さに——いにしえのオルペウス教の歌人たちの激しい旋律や、あるいは完全な美をもつ神々の像を前にして——ギリシャの神がかった霊智者たちがはかない影を見て、魔法使いの杖のように、芸術的陶酔の突発的な力で、雪のように白い石の永遠の眠りの中へと刻み込んだのですが——こうしたものにおいて、力や活力、魂や観念の美しくも恐ろしい光景が、内なる目にひらめくのです。それは竪琴を吹き抜けて弦を震わせる風のように、一にしてなおも何千もの創造物すべてを通り抜けて天上の和声をなしています——宇宙の何万もの血管を通じて一つの血潮が、一つの見えざる心臓から流れ出しており、その心臓の雷のような脈動が底知れぬ悲しみの中で永遠に脈打つのを、その普く満ちた海から出る血管か小川に過ぎない天や銀河を超えて、時間も空間も超えて、心ははるかに聞くのです。

 幸せ。なんという幸せでしょう。息もつけなくても、あえてひとたび目にすればすさまじい喜びの涙で盲目になり、自分が宇宙を吹き払う風の中の枯葉でしかないことに気づいて、まったくの寄る辺のなさに膝をつきますが——ですがたとえ一瞬でも、恐ろしくも栄えあるその御行を見た者たちは幸福です。幼いアステュアナクスのように、天にひろがるヘクトールの武具のきらめきや、虹の兜の輝きに脅え、母なる自然の胸にしがみついて金切り声をあげない者は。幸福です。何という幸福でしょう。たとえ、あまりの光に眼球が燃え上がり眼窩の中で灰になろうと——ゼウスを見たが故にゼウスの栄光に焼かれ、セメレーのように死ぬなら、気高い最期ではありませんか。何たる幸い。神的な酔いにふらつき、以来キルケーの豚どもに神に憑かれた狂人と呼ばれようとも。彼らは神に憑かれています。彼らのうちには神性があり、彼らは神性のうちにあるのですから。個別性というこの重荷が消えて、自分は世界霊魂の一部なのだと気づくと、魂は自らがそこから発生してきた「知性」を通って「知性」を超え、万物の根源——語り得ぬあの「至高の一者」へと——上昇して一者を見、見たことによって一者の本質の一部になります。もはや彼らは語らず、一者が魂のうちで語ります。鷹のように怯まずに見た栄えある陽の光輝によって彼らの全存在が変容し、神性の言葉の調和ある媒体となり、言葉を受けて不死なる神々の秘密を語るのです。粗野な俗衆には寝とぼけた者に見えたとて、何の不思議がありましょう。そう……笑いたければ笑えばいいわ。ですが、万学を超える語り得ぬものを教えろとは言うなかれ、です。対話法という言葉の戦いでは、理性的な議論では、どうあがいても到達できないものです。むしろ見られるだけであり、見れば語り得ぬとしか言えないはずのものです。ゆえに、汝アカデメイアの論客よ、——汝、冷笑的な犬儒の徒よ——感覚を崇めるストアの徒よ。物質的な現われから魂が知識を引き出すなどとは夢想も甚だしいわ。現われを生み出すのは魂なのに。……ゆえに——止しましょう、そうしたければそのまま嘲笑していればいい。でもほんのひと時よ。この卑しい牢獄にいるのは——数日のこと。ものはみなその源に帰ります。血の滴は底知れぬ心臓に帰り、水は川に、川は輝く海へと帰り、そして天から落ちた水滴は再び天に昇る。荷厄介な塵のつぶを振り落とし、草木に縛りつけていた地上の霜から融かれ、星や太陽さえ超えて、神々やその親をも超えて上へ上へと昇って行き、引き続く生を通じてますます純化して、無にして全きものへと入り込んでついにはその故郷を見出すのです」……

 話者はふいに話を止めた。目には涙が輝き、はち切れそうな喜びに全身が震えていた。そのまましばらく彼女はじっと、同源の輝きを彼らのうちに掻き立てようとするかのように、真剣に聴衆を見つめていた。そしてそれから我に返って、もっと穏やかな調子で付け加えたが、悲しみが混じっていないわけではなかった——
「もう行きなさい、みなさん。今日はもうお話しすることはありません。もう行って、せめてそっとしておいて——だって私は女ですもの——話しすぎたことに気づいて恥じています。女神の栄光を見るに値するだけの清めを受けていない人の目の前で、イシスの薄絹を持ち上げたのだわ。——さようなら」

 彼女は終えた。そしてピラモンは彼女の声の呪文から離れたとたんにさっと立ち上がると、通廊を抜けて急いで通りへ出た。……。

 美しかった。あんなにも魅力的で情け深かった。高貴なものすべてに向って神がかっていた。見えざる世界や、不死への希望、肉に対する精神の超克について、まさにキリスト教徒が語るように彼女も語っていたではないか。両者を隔てる深淵はそんなに無限なのか。それならばどうして彼女の渇望が、心に響きを——ラウラでの祈祷や読唱が呼び起こしたあの響きを呼び覚ますのだろう。こんなに果実がそっくりなら、その根も似ているはずではないか。……あれが偽物だなんてあり得るのか。光の天使の長衣を纏ったサタンのしもべだなんて。少なくともあれは光だった。清らかで飾り気がなく、勇気や誠実さ、穏やかさが、目にも唇にも身ごなしにもきらめいていた。……あれが信なき異教徒なのか。……何もかも、いったいどういうことなのだろう。

 けれども、彼の心の乱れを仕上げる一撃がまだ残っていた。というのも半町も道を行かないうちに、あの果物籠の小さな友、劇場の入り口で暴徒の足元に消えて以来見なかった友が、急に現われてピラモンの腕を掴んだからである。走ってきた彼は、息切れしていた。
「あの——神々は——恩恵を—— 一番ふさわしくない連中に——積み上げなさることよ。考えなしの横柄な田舎者に。こいつが汝の狂気の報いよ」
「放せ」とピラモンは言った。そのときには、この小柄な荷運人足との旧交を温める気はなかったのである。けれども日傘の守護者は、ピラモンの羊革をしっかり握ったままだった。
「馬鹿者、ヒュパティアご自身のお言いつけだ。そう、あんたはお目にかかってあの人と話すんだよ。ところがおれは——教化されたおれは——真価を知るおれは——忠実なおれは——崇拝者たるおれは——この三年の間どぶに這いつくばっては、あの人の衣裳の縁がおれの小指の先に触れんものかと——おれは——おれは——おれは——」
「何がしたいんだ、気狂いめ」
「あの人は汝、情も無いあわれな者をお呼びなのだ。テオンさまがおれを寄越してな——走ってきたのや、妬ましいのやで、息が詰まる——行け、不正な神々のお気に入りよ」
「テオンって誰」
「あの方の父上だ、物知らずめ。お宅に来いとの御命だ——ここ——反対側——明日の三時間目にな。言うことを聞けよ、ここだ。あ、人がムーセイオンから出て来た。違う日傘を持ってくぞ。ああ、おれはついてない」

 不運な小男はまた駆け戻り、ピラモンのほうは、畏れと憧れの間で考えあぐね、セラペイオンに戻る道を駆けだした。貨物にも象にも徒歩で行く通行人にも頓着せず、つっけんどんな荷運人足に突き飛ばされたり、意地の悪い駱駝の歯の間に羊革のかけらを残したりしたが——どちらの無礼にも怒る暇も無く——大司教の館に着き、ペテロ読師を見つけると、震えながらキュリロスの謁見を乞うた。

最終更新日: 2004年7月16日   連絡先: suzuri@mbb.nifty.com