第10章 会見

 翌朝の日の出頃、講義室の掃除に来た使丁たちにピラモンは眠りから覚され、じつに鬱々と通りを行ったり来たりした。ヒュパティアの所に入れるのを待ちわびながらも怖くてたまらず、それまでに疲れる三時間を過さなければならなかった。だが昨日の昼から何も食べておらず、夕べは三時間しか寝らず、それにこのまる二日というもの、身も心も一瞬の平和も無いまま、働いたり走ったり戦ったりし続けていたのである。疲れと飢えとで気分がすぐれず、固い御影石の敷石を寝所としたせいで頭からつま先まで疼いた。来るべき会見のために首尾よく考えをまとめ神経をひきしめられる人もいるのに、自分は無力だと感じた。どうやって食事を得たものかも分からなかった。二つの手があるのだから、ともかく荷運びをすれば小銭は稼げるだろう。そこでピラモンは仕事を探しに遊歩道を下って行った。だが、ああ! 何もなかった。それで埠頭の手すりに腰を下ろして、大理石の段の下を出入りして遊んでいる鰯の群れを眺めたり、数尺下手の水面で石造物の表面を上へ下へと這っている変わった蟹やイナゴみたいな海の生物を物珍しく眺めた。生き物たちはくず肉のかけらを奪い合ったり、周りを遊泳する小さな銀の矢に向ってときおり無駄な突撃をしたりした。ピラモンは魂がすっかり疲れて何も考えられず、終いには二匹の大きな蟹の力争いに熱中していった。一房の海藻が大事と、蟹たちはそれぞれ片方のはさみで海藻をひと房がっちり掴み、もう片方のはさみでは、一方は死んだ魚の頭を、他方はしっぽを掴んで引っ張り合っていた。どちらが勝つだろう。……ああ、どちらだ。五分ほど間、世界には二匹の相争う英雄とピラモンしかいなかった。……象徴的ではないか。上になった蟹はキュリロスの象徴——下のほうはヒュパティアで——そして間にいる死んだ魚は、ピラモン自身なのか。……しかしついに、膠着状態は唐突に終った——魚が真ん中で千切れたのである。そしてヒュパティアとキュリロスの象徴はがくりとなって、それぞれ海藻を放して転び、各自の魚の半切れを持ったまま真っ逆さまに青い深みへと消えて行った。それがあまりにも滑稽だったので、ピラモンはぷっと吹き出した。

「何の冗談だよ」と、背後でよく知った声が尋ね、親しげに手で背中をたたいた。ふりむくと、あの小柄な荷運人足がいた。荷運人足はいちじくや葡萄や西瓜のいっぱい入った籠を頭に戴いており、あわれな若者はその籠に熱いまなざしを注いだ。「はて、若き友よ、なんで教会におらんのだ。あんたのうしろのカエサレウムに流れ込んでる聖者どもを見てみろよ」

 ピラモンはむっつりして、ぼそぼそと何か答えた。

「ほほう、もう使徒たちの後継者と喧嘩したのか。おれの予言が当ったな。敬虔なる暴動と掠奪のこってりしたお肉は、あんたのような若いもんの舌には辛口すぎたってことだ。ふふん」

 あわれピラモン。荷運人足が正しいと感じて自分に腹が立ったし、キリスト教徒仲間のあやまちを暴露するかと思うと身が竦んだが、それよりも、こんな小賢しいやつを腹心の友にするのにも気が怯んだ。だが孤独で誰かに心を打ち明けたくてたまらず、昨夜の出来事をちらちらと仄めかし、一言一言洩らし、そして最後には朝食代を得る手立てを求めた。

「あんたが朝飯を稼ぐとは。神々の愛でしびと——ヒュパティアの客人が——朝飯を稼いで良いものか。御用立てする一オボロスをおれが持ってるというのに。とんでもない考えだ。あんたには悪いことしたよ。昨日の朝は、非哲学的にもおれは、我が知の大海を妬みに波立たせるままにしておった。おれたちは今や友だ、兄弟だ、修道士一族を憎む点でな」

「言っときますけど、僕は憎んでいない」とピラモンは言った。「ただ、ああいうニトリアの野蛮人は——」

「そいつは修道院のいい見本だし、よってあんたは連中を憎んでおる。より大なるものはより小なるものを含むからして、従ってあんたはより小なる修道院的修道士すべてを憎んでおることになる——だてに論理学講義を聞いちゃおらんよ。さあ、立ちな。海が我らの汚れた腕を招いておるぞ。ネレイデストリトンは、無情な貨幣を請わずに天然の浴場へと我らを呼ぶのだ。家では祭のごとき食卓で大きななまずが煙を上げ、角杯は麦酒を戴き、玉葱は皿を飾っている。さあ来い、我が客人、我が兄弟よ」

 ピラモンは、異教徒の客になることに対する良心のとがめを飲み込んだ。さもなければ、何かを飲み込む機会は無さそうに思えたのだ。そこで海に飛び込んでさっぱりした後、親切な小男に続いてヒュパティアの戸口に行き、連れはそこで日々の果物の荷を降ろした。それから狭い横道に入り込んで、共同階段に子供や猫や鶏の群がっている煉瓦造りの大きな下宿屋の一階に着き、招待主に小部屋に通された。その部屋の、美味しそうな焼き魚の匂いに、ピラモンは活気を取り戻した。

「ユディト、ユディト、汝いずこに滞る。ペンテリコンの大理石よ、葡萄酒色に暗き海原のひとひらの泡マレオティス湖の百合、呪われし黒きアンドロメダよ、さっさと朝飯を持って来んと真っ二つにしてやるぞ」

 奥の扉が開き、すらりとした背の高い黒人女が、たくさんの料理を手にして震えながらせかせかと入って来た。深紅の木綿の下衣に雪のように真っ白な木綿のひとえを重ね、同じ生地の明るい黄色の頭巾というまったくの黒人服を纏っており、こんな暗い場所では光を放ち、はるか彼方からでも目印になりそうだった。彼女は料理を並べ、荷運人足は重々しい手振りでピラモンに腰掛けるよう促した。女のほうは慎ましく退いて立ち、彼女のご主人様である亭主の給仕を務めた。彼の後宮にいるのはこの黒人美女だけだったが、ご主人様が客人に紹介して下さることはなかった。……だが実のところ、そんな儀礼は無意味だっただろう。なにしろ黒人女は跳び寄ってピラモンの頭を抱え、魚の最初の一切れが彼の口中で危険なことになりかけるほど、熱烈な口づけで覆いつくしたからである。

 小男は叫びをあげて跳び上がると、片手に庖丁、片手に韮葱をふりまわし、ピラモンのほうも憤慨しないどころではなく、やはり跳び上がって奥方様から身を振りほどいた。女は自分の気持ちを相手の顔に注ぐのは無理だと見るや、ただちに戦略を変えて床にひれ伏し、狂わんばかりに彼の足に口づけし始めた。

「どういうことだ。こっちへ来い。立て、恥知らずな乞食めが、さもなくば死あるのみだ」と荷運人足は女を引っ立てて膝立ちにさせた。

「あの修道士さまです。お話しました、あのお若いかたなんです。こないだの晩に、あたしをユダヤ人たちからお救い下さったって。この方をここに寄越してお礼をさせて下さるなんて、どんな素晴らしい天使さまかしら」とあわれな者は涙を流し、黒い顔を輝かせて叫んだ。

「おれがその、素晴らしき天使さまだよ」と、一人悦に入った様子で荷運人足は言った。「立て、エレボスの娘よ、汝は許されたのだ。女にすぎんのだからな。詩人は何と言っておった——

をみなは想ひの婢なれど 正しき主
貴き男は 女も想ひもつかさどる

兄ちゃん、抱き合おう。哲学者たちの言うことは尤もだな。宇宙はそれ自体魔術的であり、神秘的共感が似たものを似たものと結びつける。汝は先々善行を施すという予言者の直観が、見えない引網、大網、鎖縄の如く、汝を目にするや我を汝に引き寄せたのだ。我が兄弟よ、汝は知らねど、同族なり。よって汝を賞讃しない——いや、感謝すら少しもしない。我が倦疲のきざはしに影を投ずるひともとの椰子を——汚泥に塗れた質料的泥濘の盈々たる大洋に咲く一輪の(この場合は白蓮ならぬ黒)蓮華を我ために——護ってくれようとも。汝の為せる業は汝の直観——神的衝動に——よるものであり、あの魚を食わずにはおれぬという以上に、汝はそうせざるを得なかった。よって汝は、そのためにこれ以上賞讃さるべきにあらず、だ」

「どうも」とピラモンは言った。

「いいかね。こういう場合の我々の学派の理論はこうなんだ——少なくともここ半年は。一つの根源に由来する類を同じくする小片が、あんたにもおれの中にも存在してるのさ。同一原因は同一結果を生ず。従って我々の魅力、反感、衝動は、状況が同じなら絶対に同一だ。従ってあんたは、おれがあんたの立場ならやったはずのとおりのことを、こないだの晩にやったというわけだ」

 この理論の後半部分は疑問だとピラモンは思ったが、立ち上がっても食べるのはけっして止めおらず、魚で口が一杯で議論はできなかった。

「だから」と小男は続けた。「これからは、おれたちは二身に分かれた一つの魂だと思わにゃ。分かれたうちでもあんたは最良の肉体的部分を持っとるようだが……人間を作るのは魂だ。信じてくれ、決して兄弟の契りを蔑ろにはしない。この先誰かに侮辱されたら、おれを呼ぶだけでいい。そいつを聞いたら、どうしてどうして、おれはこの右腕で——」

 そして彼はピラモンの頭をぽんとたたこうとしたが、ピラモンの肩までの背丈だったから、演劇的な観点からすれば全く失敗だったと考えられよう。それから小男は麦酒の入った瓢箪の瓶を掴んで牛角の杯を酒で満たし、小さい方の端を親指で塞いで杯を宙高く持ち上げた。

十番目のムーサのために、そしてあんたと彼女の会見のために!」

 彼は親指を離して、ほとばしる流れを落ち着いて開いた口中に注ぎ込み、息もつがずに杯を乾して唇をなめると、ピラモンに杯を手渡した。そして玉葱にがつがつと飛びついた。

 ピラモンにすればすべて馬鹿馬鹿しいことこの上なく、どんな祈祷文も今の気分には神聖すぎる気がした。そこで小男の芸当を真似ようとして、当然ながら目や鼻や胸に麦酒を浴び、あげくに喉を詰まらせて顔を黒ずませたのだが、亭主は見て笑っていた——

「ああ田舎っぺが。由緒あるいにしえのならわしを知らんとは。アレクサンドロスの英雄たちの末裔が、この文明の中心で保ってきたならわしだぞ。ユディト、卓を拭け。さて、ムーサの聖域に赴こう」

 ピラモンは、修道士らしく感謝の祈りで食事を終えて立ち上がった。静かな敬すべき「アーメン」が、部屋の反対の隅からもあがった。黒人女だった。女は修道士が彼女を見げているのを見ると、淑やかに目を伏せて残り物を持って急ぎ去り、ピラモンと亭主のほうはヒュパティアの講義室へ出発した。

「おじさんの奥さんはキリスト教徒なんですか」と扉の外に出るとピラモンは尋ねた。

「う、いや——蛮人の心は迷信に陥り易い。あれは女で黒人にすぎんし、魂の善良な慎ましいやつだとはいえ、あらゆる下等動物と同様、ときには折檻せにゃならんな。おれは哲学的な根拠に基づいてあれを娶ったんだ。少々わけありで女房は必需品なんだが、自然本性が欲望の充足を強いるとも、哲学者たる者、物質的欲望を克服して豚のごとき肉欲から抜け出すべしと肝に銘じて、快楽をできるだけ不快にしようとしたんだよ。不具者も何人か選べたし——それの両親はおれ同様の歴としたマケドニア人で、何も悪い話ではなかったんだが、おれには家政婦が要るし、そういう用には手足が不自由だと難だろうし」
「なんでがみがみ女を娶らなかったんですか」とピラモンは尋ねた。
「妥当な所見だな。確かにソクラテスの例は、一度ならず想像に浮かんで輝いた。だがね、兄ちゃん、哲学的静穏や、語り得ぬものの平穏な観想はどうだ。こういう贅沢は手放せんものだよ。それでヒュパティアとお弟子さん方のご好意でちょっとした額を貯めて、黒人女を買いに行って、おれたちが出てきたあの区画に六部屋借りたんだ。あすこに神的哲学の若い学生を下宿させられるしな」
「今、下宿人いるんですか」
「あ、うむ、何部屋かは、ある上流社会のご婦人が借りてるよ。哲学者は何よりも駄弁を控えるもんだ。口を慎むということは——けど、あんたが使える小部屋はあるし、それに接客用の広間なら、さっき出てきた部屋だ——あんたは身内、兄弟って若衆じゃないか。おれたちは同じ釜の飯を食える。魂はすでに一体なんだから」

 その申し出を受け入れるのは躊躇したものの、ピラモンは心から礼を言った。そして十分やそこらで、昨晩見ていたまさにあの家の戸口にいるのに気づいた。ということは彼が見たのは彼女だったのだ。……ピラモンは色黒な荷運人足から小洒落た奴隷娘に委ねられ、その娘は回廊や階段を抜けて大きな図書室へと彼を案内した。そこでは五、六人の若者が座って、テオンの指導のもとで、手稿本を書き写したり、幾何学図形を作図したり、作業に励んでいた。

 ピラモンはこうした未知の学芸のしるしを興味津々と見つめ、自分もいつかは彼らの神秘を理解する日が来るのだろうかといぶかしんだ。だが、彼のももけた羊皮や艶の無い巻き毛を、若者たちがあからさまに蔑んだ様子で眺め回しているのを見て、また目を伏せた。すっかり上がってしまい、部屋の外から黙って手招きする古雅な老人に従うのがやっとだった。入ってきた扉越しに、若い学生たちの忍び笑いが耳に響いた。老人は通廊を通って彼を案内し、やがて立ち止ると控えめに扉を敲いた。……中に彼女がいるに違いない。……ああ、このときが……ついに……膝が震えた。心はどん底へと沈んでいった。あわれ……駆け出して通りに逃げようと思いかけた……が、これが唯一の希望、唯一の目的ではないか。……しかしあの老人はどうして口をきかないのだろう。何か言ってくれさえすれば……せめて不機嫌に蔑んだ顔をしてくれれば……だが、業務上何も言えず、それを察してくれと望んでいる人のような印象を与える厳粛な様子で、老人は黙って扉を開けた。ピラモンもあとに続いた。……彼女がいた。紅潮して自分の雄弁に熱中していたときよりも、昨夜、黄金の巻き毛に包まれ煌めく月光を浴びて神像と化していたときよりもさらに、かつてないほど輝かしい。指一本動かさずに座す彼女のもとへ、二人は入って行った。彼女は微笑んで父に挨拶したのだが、父に対する見かけ上の礼儀不足をすべて補うものだった。それから彼女は大きな灰色の目でピラモンをじっと見た。

「あの若者だよ、娘や。いいね、これはおまえの望んだことだ。いつも信じている。おまえは最善を知っていると——」

 彼女はまた微笑んで話を終らせた。いくらか心配そうな様子で老人は慎ましく別の扉のほうに下がったが、掛け金に手をかけながらぐずぐずとふりむいた。

「いいね、誰か用があれば呼ぶだけでいいから——みんな図書室にいるから」

 彼女はまた微笑み、老人は二人を残して立ち去った。

 ピラモンは震えながら息もつけずに、立ったまま目を床に伏せていた。このときのために暗記した結構なものは皆どこに。あれを頭から追い散らしてはと、とてもあの顔を見られなかった。だが、その顔から目を背ければ背けるほどますますその顔が気になり、その顔に見られていると思うと、まさにその認識のせいで、結構な言辞がすべてますます頭から散ってゆく。……いつになったら彼女は話すのだろう。もしや先に話せと思っているのか。口火をきるのは彼女の務めだ。だって彼女がこっちを呼び出したのだから。……けれども彼女は黙って座ったまま、頭から足先までピラモンをじっと検分し、膝に乗せた手稿本に手を乗せて前で重ねたまま、彫像然として動かなかった。彼女が自分の大胆さに頬を赤らめたとしても、それに気づけないほどピラモンは目が泳いでいた。

 いつになったらこの耐えがたい生殺しは終るのか。おそらくは彼女も、ピラモン同様、進んで話したくはなかったのだ。だが誰かが最初の一言を言わなければならないし、また往々にして、弱い方ほうがまったくの不安にかられて口火を切るのである。そしてこの沈黙は、腹立ち半分、言い訳半分の口調で破られた——

「あなたがここに呼んだんでしょう」
「ええ。講義の間ずっと見ていたの、まったく無作法に講義の邪魔をする前も後も。あの反論は、単に若くて無知というだけだと思うわ。でもあなたの様子は、神々がいつも修道士たちに好んでお授けになるものよりも、高貴な生まれを示すものに見えました。私の推測が正しかったのかどうか、今はっきりするわ。何のつもりでここへ?」

 この質問をピラモンは天の賜物のように歓迎した。——さあ、使命の時だ。だが彼は言葉につまり、必死にあがいて答えた。——「あなたの罪を難じるため」

「私の罪? 何の罪なの」と、彼女は大きな灰色の目にゆっくりと驚きを浮かべ、堂々と見上げて尋ねた。それを前にして、ピラモンはなぜか知らず狼狽して視線を伏せた。何の罪か——分からなかった。彼女がメッサリナみたいに見えるか。だが彼女は異教徒で妖術師ではないか。——彼は赤面して口ごもり、うなだれて、自分の言葉の響きに竦みながら答えた——

「忌まわしい妖術——それに妖術よりも悪しき不道徳とか、聞くところでは——」続きは言えなかった。また目を上げて見ると、畏まるほど静かな微笑があの顔に浮かんでいたからである。大理石のようなその頬は、彼の言葉に赤らんではいなかった。

「聞くところ! 偏見家や悪口屋の話ね。砂漠のけだものや狂信的な陰謀家、自分が主と呼ぶ神の言葉に基づいて一人改宗させるために天地を駆け回り、改宗者を得れば自分の倍ほども地獄の子にする者たちの。帰りなさい——あなたを許します。あなたは若くて、世界の神秘をまだ知らないのよ。いつの日か学知があなたに教えるでしょう。外の姿は魂の内なる美の象徴なのだと。そんな魂をあなたの顔に感じたけれど、間違っていたわ。忌まわしい疑念を抱いて、自分に相応しく思える姿を他人に妄想するなんて、忌まわしい心の持ち主だけよ。さあ、私はどう見えて——? その象徴を読み解く力があなたにあれば、この細い指先だけであなたの夢想は偽りだと分かるでしょうに」そうして彼女の見事な容貌に満ちる輝きが、鏡に反射する日の光のように、ピラモンを余さず照らした。

 あわれピラモン。汝の雄弁な議論、汝の正統派理論はいったい何処に。高慢にも自分の生身の心臓と奮闘し、目を逸らそうとしたが、北極の呪縛から逃れようとあがく磁石のようなものだった。たちまち、わけも分からず、まったくの恥かしさや、後悔や、許しを乞う気持ちに押し流され、圧倒された。そして気づくと、彼女の前に跪いて、言葉も切れ切れにみじめな有様で、許しを乞い願っていた。

「帰りなさい——許します。でも行く前に知っておいて。永遠不変なる白に触れた草木を白くするヘラの胸から溢れる天の乳に劣らず、テオンの娘の魂は潔白です」

 前に跪いたまま、ピラモンは彼女を見上げた。間違いのない直観が、その言葉は真実だと告げていた。彼は修道士の常として、獣欲の罪はあらゆる罪の中でも最低最悪だと信じていたが——実にそれこそ「大罪」であって、これに比べれば他の罪はすべて微罪だった。肉体が純潔なら、他の徳がすべてこれに従って目覚めるはずではないか。この偉大な美質のまばゆい薄絹の下では、他の過ちはいっさい目につかない。ピラモンは謙り下って続けた——

「ああ、門前払いはしないで下さい——どうか追い払わないで。僕には友も家も師もありません。僕は昨夜、自分の宗教の信者たちから逃げたんです。ひどく侮辱されて、不当に扱われてかっとなって——残酷で、了簡が狭くて、無知な連中にがっかりして愛想がつきました。辺鄙で単調なテーバイドのラウラには戻るなんてできません、そんな気はありません。僕には解決すべき問題が千もある。僕の知らない偉大な古代世界について問うべき疑問が千も——その神秘については、先生だけが鍵をお持ちだと聞いています。僕はキリスト教徒です。でも知識を渇望しています。……あなたを信じるとは誓えません——従うとは誓えないんです。ですが聞かせて下さい。ご存じのことを教えて下さい。それを知っていることと比べてみます。……もしも実際に」(そして彼は自分の言葉に身を震わせた)「僕が何かを知っているのならば」
「つい先ほど、私を何呼ばわりしたのか忘れたのですか」
「いいえ、いいえ! でもどうか忘れて下さい、あんな言葉を口にしたことは。僕は——そうは申しましたが信じてはいませんでした。つらかった。でもあなたのためだと——お救いしようと思ってしたことなんです。おおどうか、またお話を伺いに来て良いと仰って下さい。遠くからでいいんです——先生の講義室の一番端っこの隅でも。決してお目にとまらないよう静かにしていますから。昨日のお言葉で目が醒めたんです——いや、間違いない。でももっと聞かなければ。さもなければ惨めなまま、身ばかりか心も宿無しのままなのです」と彼は許しを乞うように見上げた。

「お立ちなさい。そんな激情や態度は、あなたにも私にもふさわしくありません」

 それでピラモンは身を起こし、彼女も立って父のいる図書室に入って行き、数分後、父とともに戻ってきた。

「一緒に来なさい、君」と彼は言って、親愛の情をこめてピラモンの肩に手をおいた。……「この件では君との手続が残っているからね」ヒュパティアを振り向く勇気もなく、ピラモンは後に続いた。部屋全体が目の前で揺れていた。

「そうそう、うちの娘に無作法なことを言ったそうだね。でもあの子は君を許すそうだ——」

「あのかたが」と飛びつくような真剣さで若い修道士は言った。

「おお、驚いたようだね。でも私も許すよ。とはいえ私が君の言葉を聞かなかったのは、君には幸運だった。さもなければ、私のような老人が何をやったか分からんよ。ああ、君は少しも知らない。あの子がどれほどのものなのか少しも分かっておらん」——老人の目は愛情深い誇りに燃えた。「いつか君にも神々があんな娘をお授けになりますように——つまり、もし君がそれに値するほど学んだら——あの子が聡明なのと同じくらい徳に満ち、あの子の美貌と同じくらい聡明な娘をね。神々への勤めに励んだ私に、神々はまさに報いて下さった。ごらん、君。ここに君を許した証拠がある。君にはもったいないが、アレクサンドリアでも冨も地位も最高の人士が喜んで何両もの黄金を払って購うもの——今後あの子のどの講義も無料で聴講できる入場証だ。さあ行きたまえ。君は過分の報いに恵まれたのだ。キリスト教徒が説教するだけのことを哲学者は実践して、悪を善に変えられるのだと学びたまえ」彼はピラモンの手に紙片を握らせ、秘書の一人に彼を玄関に案内するように言いつけた。

 若者たちは書き物から目をあげて、通り過ぎる彼を、驚き畏れた顔で見上げた。もはや日焼けした肌や羊皮が変だなどと考えていないのは明らかだった。死にもの狂いで跳躍して新しい世界に飛び込んだ人のように、彼は呆然と混乱した思いで出て行った。満足を感じようとしたが、とてもできなかった。前途は何もかも不安で不明確だった。彼は身のもやいを解いて漂い出し、大いなる流れの内にいた。この流れはどこに彼を導くのだろう。そう——これは大河ではないか。人類すべてが、あらゆる時代に、ここを漂って来たのではないか。それとも砂漠の川にすぎず、ぎらつく太陽の下で干上がって、乾ききった砂の中に数里で消えるさだめなのか。アルセニウスと彼の幼年期の信仰は正しかったのだろうか。古い世界は急激に死の苦痛に至り、神の王国が間近にあるのか。つまりキュリロスが正しくて、カトリック教会は発展し征服し、打ち壊すことが決まっていて、ついには現世の王国は神とそのキリストの王国になるのか。それなら、彼が渇望しているこの古い知は何の役に立つのだろう。しかしまた、すべてが滅亡する日が手元まで来ていて、時代ごとに善くはならずに悪くなる運命であるなら——果てはどうなるのだろう……。

「どうだった?」と小柄な荷運人足が尋ねた。彼は扉口でずっとピラモンを待っていたのである。「知らせはあるかね、神々の愛でし人よ」
「おじさんとこに下宿して、一緒に働くよ。もう今は訊かないで。僕は——僕は——」
トロポーニオスの洞窟に降って、語り得ぬものを見た者は三日も魂消たままだったとか。若い友よ——あんたもそうなりそうだな」そして彼らは連れ立って、パンを稼ぎに出かけて行った。

 さてこの間ヒュパティアは、人の喧騒と苦闘、日々の労働の世界から遠く離れて安置され、雲を戴くオリュンポスに座して何をしていたのだろうか。

 彼女は手稿本を前に広げてまた座っていたが、考えていたのは手稿本ではなく若い修道士のことだった。

アンティノウスのごとき美貌。……というよりピュートーンを退治したばかりの若きポイボスの輝き。彼もまたピュートーンを、感覚と物質の泥から生まれた穢らわしい怪物を退治するべきではないかしら。あんなに大胆で真摯で。父のこの家で私にあんなことを言ってのけたという事実だけで、あの言葉は許せるわ。……それにあんなに穏やかで、後悔も気高い周知も隠さなかった。平民の生まれではないわ。あの体に流れるパトリキイの血が、どんな態度にも調子にも、言葉にも手振りにも表れている。一俗衆ではありえない。知識自体のために知識を求める一俗衆なんて知っている人がいる?……一人でも真の弟子が欲しくてたまらなかった。そんな人を、私の言葉を聞くふりをしている惰弱で利己的な怠け者たちの間に見つけようと必死だった。一人は見つけたと思ったわ——その人を失ったそのときに、そう、もう一人見つけた—— 一番いいときのラファエル以上に、瑞々しく純粋で素朴な性質の弟子を。人相学の全法則——表情、声、仕種のあらゆるしるしからして——私自身の心の直観からして、あの若い修道士は夢を果たす手立てになる。勇敢で従順な即戦力になる。彼をロンギノスに鍛え上げることさえできれば、私は彼を相談役にしてゼノビアの役割を果せるでしょうに。……そして私のオダエナトゥスは——オレステス? ぞっとするわ」

 彼女はしばらく顔を手で覆っていた。「いいえ」と彼女は、涙を振り払って言った。——「これは——何であれ——すべては哲学と神々のためよ」

最終更新日: 2002年11月10日   連絡先: suzuri@mbb.nifty.com