富岡 (旧七日市前田藩+貫前神社)

 本来は行く予定ではなかったのですが、小幡の資料館で「貫前神社」に朱具足が存在するとのこと。上州は関東明珍派の甲冑氏が多く住んでいた地でありますので、何か得るものがあるだろうと、突飛な行動に出てしまいました。

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関東明珍派は、佐竹の朱具足等で知られる。小幡の領主であった小幡氏は上杉→武田に仕え、小幡信貞は武田の上州の朱武者として有名である。また、井伊家の赤備えの兜の前立て+横立ては、関東風である。すなわち、上州明珍派が作製したものと言われる。現在、井伊の朱具足は金時豆とか言われて忌み嫌われ、また古美術品としては実戦用であるから美術品としての価値は低いとされる。しかし見直す動きもあり、昔に比べると出回らなくなったとのことです。バーチャルシリーズの井伊家の朱具足参照!

  

 富岡市は高崎より車で 30 - 40 分ぐらいの所にあります。元は加賀前田家の分家が七日市藩主でありました。上州には幕府の蔵入り地や小藩がたくさんあり、小幡藩織田家 (明和事件後は松平氏)、七日市前田家等たくさんあったようです。

 藩邸跡はは現在富岡高校になっている。 

 これは藩邸の東門です。現在は高校の門になっています。藩邸にしてはちょっと小さいかな?七日市藩前田家は二万石だったようです。近くには片倉紡績の旧官営富岡製糸工場がありますが、今回は行けませんでした。

 その門をくぐると藩邸とお庭があります。なかなかきれいにされているお庭でした。富岡高校の学生さんはこの庭を通って校舎に行くのかな?
 実は、七日市藩邸跡に行く前に、貫前神社に行きました。535 年に武神である経津主神 (ふつぬしのかみ) と農耕の神、比売大神 (ひめおおかみ) を祀ったのが始まりで、千五百年近く経過しています。

重要文化財の総門です。この門をくぐると真ん前に社殿があるかと思いきや・・・下の写真へ・・・このように、下に社殿がありました。このような作りは全国でも非常に珍しいようです。

宝物館が右手にあり、朱塗立烏帽子形鎧兜・伝新田義貞公遺品がありました。その他、姉川の合戦で有名な真柄十朗左衛門直澄が奉納した沢潟形前立があります。真柄十朗左衛門直澄は朝倉氏仕え、大刀 (五尺三寸→熱田神宮蔵) をふるって活躍。姉川で徳川軍の勾坂式部に討たれた。

 また情報によると、武田家遺臣で井伊家家臣、広瀬美濃の甲冑が二つ奉納されていると言うことを聞いたのですが、宮司さんに聞いたところ、ちょっと分からないとのことでした。だって武具だけで 130 もの品が奉納されているのですから・・・

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