小田原征伐後、徳川家康は関八州を賜り、徳川家筆頭の知行を得た井伊直政は上州箕輪 12 万石を拝領した。箕輪城が手狭になったため、和田城跡に新城を作り高崎と改めました。外堀、乾櫓、東門が当時の往時を偲ばせます。
この日の最後、レンタカーを返却してから高崎城に向かいました。高崎はなかなか若者の街です。結構東京っぽい店が建ち並んでおります。
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秀吉の指令により、徳川三天王と言われた、井伊直政、本多忠勝、榊原康政には 10 万石以上与えるようにとの指示が出ていた。また井伊、榊原の知行所は秀吉の命令で決められていたらしい。 このとき、北条の遺臣である石原主膳、宇津木蔵人らが仕官。民政を安定させた。このとき同時に非常に大きな問題が起こった。徳川家から与力として付けられていた、木俣、西郷、椋原、近藤ら有力家臣が徳川家に帰ると言い出した。 |
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左上 高崎城東門と乾櫓。幕末町人に払い下げられたが、寄付等によりこの場所に立つことになりました。 右上 外堀。川かと思いました。アングルによってかなり見方が変わってきます。井伊家では、木俣、西郷以外は関ヶ原後退散してしまいます。 左 帰りの新幹線、「たにがわ」号。たしか特急が昇格したのでは・・・こだまに似ている。できれば MAX とかいうのに乗りたかった・・・ |
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