ダッシュで登った「国峰城」

 本日の最終目的地、「国峰城」。宝積寺から見たときは「すっげー山」って感じで登のやめようかとも思いました。レンタカー返却の時間も迫ってきてるしどうしようと迷っていましたが、いつの間に標識に沿って山奥へ!ああ吸い寄せられていく〜。「まあ、このごろ運動もしていないし、いっちょっ登るか」程度の気持ちで行ったのがそもそもの間違いでした。地図で確認すると、良いところまで車で行けそう。これは楽できるぞ!と思ったのもつかの間。途中で未舗装の道路になっている。それに木も多くなり、レンタカーのシビックではちょっと無理。歩いていくことにしました。

 まず見えてきたのはこの御殿平にある国峰城の看板。ここはまだ 1/3 しか来ていなかった。ここだけでも結構きつかった。これでも昔は持久走早かった方なのにな〜。

 国峰城は中世における大城郭で、城郭は 3 km 四方に及んでいることは本丸に登って初めて知りました。この御殿平に城主は住んでいた。

 その後かなり歩きました。何度引き返そうとしたことか・・・車が通れる道からおさらばして、登山らしくなってきました。このような階段が続きます。この道も走って登りました。

 ここは、馬だし曲輪です。こここんな所で馬を飼っていたのか?と思えるような所です。やっぱり城は平山城に限るぜ!

 はあはあ、肩で息をしながら登っていきます。

 お!鳥居が見えてきた!でも本当はこれからもうちょっとありました。ここは平らで比較的広い!でも人間が二十人もいたらいっぱいになってしまいます。山城って人数をどうやって配置したのだろう??という疑問を抱えつつ先に進みました。

 最後のきつい階段を上がると、日当たりが良くなります。やっと本郭につきました。

 天正十年武田家滅亡後、小幡信貞は北条家に仕え信定と改名しました。天正十八年、小田原の役のとき信定は小田原に籠城し、国峰城は息子の信秀が守りました。しかし前田利家率いる北陸軍の藤田信吉に落とされてしまいました。その後井伊直政にこの地を譲り、旧友の真田昌幸を頼って上田に行きました。以後、松代藩士として明治を迎えます。

 本郭にある説明文です。小幡信貞はいろいろ名前を変えていて、

1 重定、2 信実、3 信真、4 信貞、5 信定と改めています。いろいろイベントがあるごとに名を変えています。

 この本郭も 30 人が限度かと・・・人数を配置できない割には規模が大きすぎるような気がするな〜。

 この後、またまた走って帰りました。帰りはほとんど走っていました。残念ながら木が生い茂っていて、本郭から眺めても、小幡の町を望むことはできませんでした。

前のページ

群馬 MAP

次のページ

富岡

小幡藩織田氏

井伊家と高崎城

赤備え Top

バーチャルシリーズ