広瀬家の系図
 本稿では、井伊家の由緒書きである侍中由緒帳を主体にして広瀬家を追うことにする。
初代 郷左衛門景房

1500 石

(隠居料 300 石)
 初代広瀬郷左衛門は、1582 年に家康公に召し抱えられ、美濃守に改名した。江戸で謁見し、小田原の陣に従軍した。小田原の陣の年の十二月に万千代 (直政) 付きになり 1500 石を知行する。関ヶ原は高崎留守居役。
二代 左馬助将義

1500 石
 中野助太夫の次男。関ヶ原に従軍し、岐阜城攻めでは実質一番槍で養父美濃守より白幌をゆずられる。大坂の役では旗奉行を勤めるが、夏の陣で戦死。
三代 図書頭将英 

2000 石

(500 石加増)
 大坂の役に従軍。帰陣後侍 31 人御預。
四代 主殿将勝

300 石

2000 石
 1661 年 300 石を与えられ、1663 年日光に共をする。1666 年、江戸にて取次役。1680 年三代図書隠居につき跡職 2000 石拝領し、1685 年旗奉行を仰せつかる。1691 年道中大磯にて没。
五代 軍左衛門将茂

300 石

2000 石
 1680 年に小姓として召し出され、1688 年 300 石拝領。1691 年に家督相続し、1697 年国絵図奉行を仰せつかる。1699 年中老役、1701 年旗奉行。1710 年井伊家六代藩主直恒公家督相続の御礼に江戸城登城、将軍家宣に黒書院にてお目見えする。
六代 主殿将矩

2000 石
 五代軍左衛門将茂の弟将貞の嫡男で本家を継ぐ。1720 年家督相続 2000 石。1732 年江戸詰勤務後旗奉行。1735 年井伊家八代直定家督相続御礼につき江戸城登城、白書院にて将軍吉宗にお目見え。また桜町天皇女御入内につき京への使者を仰せつかる。
七代 図書将易

2000 石
 1760 年跡目相続。御用係。1761 年病死。
八代 郷左衛門将武

1500 石
 弟将武が養子となり、2000 石の内 1500 石の相続が許される (先祖代々忠勤、武門の家柄であるため)。1766 年中老役、1775 年に石垣奉行、1776 年旗奉行、1799 年隠居。
九代 平馬将栄

1500 石
 1799 年将武隠居につき家督相続。将栄は七代将易の息子にて、八代将武の養子。1801 年病死。
十代 左馬助将進

1500 石
 1801 年家督相続。1807 年中老役、1812 年旗奉行。1816 年、故あって謹慎罷免、武役、当役、知行召上隠居。
十一代 美濃将行

1300 石
 蔵米 800 俵にて跡を継ぐ。1820 年新知 1300 石。21 騎一備の小手分頭。小手分年番、中老役になる。1837 年知行取上隠居。
十二代 美濃将粛

1000 石

 松平倉之助の次男で蔵米 500 俵にて相続。格別なる家柄につき美濃守と改む。奥勤御用取次。1855 年新知 1000 石、中老、引道館頭取兼任、二番手御備組頭。旗奉行、倅純次郎、稽古奉行。

 明治改元につき、お役御免。儀行局二等執事、内城隊長。

赤備え内の特殊な旗指物

三科伝右衛門形幸

小牧長久手の合戦

関ヶ原の合戦図屏風

大坂冬の陣と広瀬左馬助