井伊氏

 井伊氏は良門流藤原氏の流れであると伝えられている。平安時代末期に共保が遠江引佐郡井伊谷に土着して井伊氏を称したことに始まる。代々遠江介を名乗ることから在庁官人であったと思われる。

 南北朝時代には、井伊道直が宗良親王に従い南朝方として活躍した。戦国期、井伊氏は今川氏に属し、西遠江の支領主的存在であったが、天文十三年(1544)、直宗の死後は混乱が続く。直宗の弟直満は今川義元に誅殺され、子直盛は桶狭間で戦死した。さらに後を継いだ直親も、家臣小野但馬の讒言により謀反の疑いをかけられ殺害される。その後、直親の妹が井伊次郎法師直虎と称して後をついだ。

 直親の遺子、直政は天正三年(1575)徳川家康に従って数々の戦功をたて、同十八年関東入府のさい上野箕輪城で十二万石を領した。慶長五年(1600)関が原の合戦後、近江佐和山で十八万石、直勝が彦根に移り、弟直孝がついで三十五万石を領した。子孫は江戸幕府譜代筆頭大名として五人の大老を出した。

 井伊谷の龍潭寺にある井戸は井伊家に非常に関係深く、共保が本寺の井戸の産湯を使ったことから幕紋は井桁になり、境内に生えていた橘が家紋となった。