アメリカでは、今日の午前2時から、daylight saving time(夏時間)に移行しました。 昨夜寝る前に、目覚し時計、FAXとmicrowave oven(電子レンジ)の内蔵時計を1時間進めておきました。
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Boise on the Web アイダホ州ボイジー地域情報 |
アメリカでは、今日の午前2時から、daylight saving time(夏時間)に移行しました。 昨夜寝る前に、目覚し時計、FAXとmicrowave oven(電子レンジ)の内蔵時計を1時間進めておきました。
今日は、Deanのお誘いを受けて、アイダホ日本協会の「お花見」に参加しました。
会場は、協会メンバーのお宅のテラス。
市街地の南の高台に建つ家で、テラスからは市街地が一望できます。
集まったメンバーは20人ほどで、多くは、アイダホに長く住んでいる日本人、日系人とその家族。
日本人の知り合いがまた増えました。
桜の木はあるにはありますが、お花見というよりは、単なるホームパーティという感じ。
テーブルには、巻き寿司、卵焼き、から揚げなどのお料理が並べられています。
Deanも「焼きおにぎり」などを作って持って来ていました。
参加者それぞれに、お料理やお酒を楽しみながら、歓談。
テラスの木の枝には提灯が提げられ、BGMは琴の調べ、と、いろいろな形で「日本」を演出しています。
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ひとしきり盛り上がったところで、日本人メンバーの娘さんのクラリネット演奏による「さくら」に合わせて、日本舞踊が披露されました。
さらに、それに続いて、「日本のお花見では、参加者は誰もが踊るものだ」などといって、「炭坑節」やら「阿波踊り」まで始まり、けっこう日本人のお花見のノリになってきました。
最後は、今日の目玉企画の「抽選会」。
賞品は、「風呂敷き」「暖簾」「扇子」など、日本の品々。
私も1枚だけ抽選券を買いましたが、残念ながら何も当たりませんでした。
アイダホの地で「お花見」ができるとは、思いもしませんでした。
Deanの思いがけないお誘いには、大感謝です。
今日は、ほぼ1ヶ月ぶりに、自転車でテーブルロック山に登りました。
前回登った時には、5合目から先の道は未舗装だったのですが、今日行ってみると、何かの工事のためか、頂上までの道のうち最も坂のきつい5合目から8合目までが舗装されていました。
おかげで、だいぶ楽に登れるようになりました。
カメラのフィルムが数枚余っていたので、「ボイジー・ピクトリアルツアー」のページに追加するための写真を撮ろうと、サイクリングに持って行きました。
まずは、テーブルロックへの登り道にかかる前に、麓の住宅地の風景を撮影しました。
私としては、「典型的な住宅地の風景」の写真がほしかったのですが、この「典型的な住宅地の風景」というのを見つけるのが、けっこう難しいものです。
どういうことかと言うと、「ピクトリアルツアー」は、主に日本の人たち向けに作っているのですが、私自身は既に半年以上ボイジーに住んでいて、ボイジーの街並みを見慣れてしまっているので、私の目で撮影場所を探しても、どのような風景がアメリカを知らない人の目に新鮮に映るか、ピンとこないのです。
それで、「前庭がきれいな家が並んでいる通りがいいな」
「路上駐車が多いところは避けよう」
「道路名や交通標識を入れて撮るのもいいかも」
「光線の方向も考えなきゃ」などと、いろいろ考えながら、住宅地の碁盤目の道路をうねうね自転車で走り回った末、どうにか気に入った場所を見つけて、写真を撮りました。
テーブルロックからの帰りに大学に寄った際に、季節感のある写真ということで、「葉桜」を撮りました。 こういう写真も集めておくと、Webページの一般的な素材として、いろいろ使えそうです。
フィルムの残りは2枚。これで市街地の風景を撮ろうと、市街地中心の8th street付近を自転車でうろうろしてみましたが、やはり、「ここぞ!」という撮影ポイントを見つけることができません。
とりわけ観光ポイントとなるような珍しい建物などがあるわけでもないし、「目抜き通り」の8th streetにしても、それほど繁華なわけではなく、おまけに今日は土曜日とあって、閑散としています。
また、道路の幅が広いので、道路の両側の建物を1枚の写真に収めるのが難しい、ということもあります。
結局、8th streetの写真を1枚だけ撮って、あと1枚はアパートの近くの住宅地の風景を撮りました。
「ありふれた風景」を写真に撮るというのは、難しいものなのですね。
今回は、余ったフィルムを使い切るための撮影でしたが、本来、このような風景写真を撮るのであれば、フィルムを惜しまず、「たくさん撮って、後で選び出す」べきなのでしょう。
それと、Webの写真は大きさや画質が制約されるので、ページに載せた時に効果的に見える写真を撮るにはどうすればよいか、などと考え出すと、いろいろ難しい問題が出てきそうです。
ともかく、せっかくスキャナを買ったので、ボイジーにいる間に、いろいろな写真を撮って、Webに載せていきたいと思っています。
このごろ暖かい、というより暑い日が続いています。 日中の気温が80度(約27度C)まで上がる日もあり、Tシャツ1枚で過ごせるほどです。
最近、自転車に関するトラブルが続けて起こってしまいました。
最初は、11日にテーブルロック山に行った帰り、大学に寄り道している間に、後輪がパンク(flat tire)してしまいました。
この時は、大学の近くの自転車店に持ち込んで、修理してもらいました。
こちらでは、パンクの穴をパッチでふさぐ、などということはせず、パンクとなると即チューブごと交換してしまうようです。費用は10ドルでした。
次は昨日の大学からの帰り、自転車に乗ろうとすると、後輪の空気圧がゆるくなっています。
先週修理したばかりなのに、なぜ?
と思いつつ、その日は大学に自転車を置いてバスで帰りました。
翌日、Marionに頼んで、車で自転車を自宅近くの自転車店に運んでもらったのですが、その時、ふと気づいてみると、なんと、ハンドルに取り付けてあった電池式のライトがなくなっているではありませんか。
ライトは、本体とハンドルへの取り付け部品から成っていて、本体は取り外し可能で、取り付け部品はネジで固定されているのですが、その取り付け部品ごとなくなっていました。
夜に大学に留め置いている間に、盗まれたのです。
幸い、空気漏れのほうはパンクではなく、自転車店で十分に空気を入れてもらっただけで解決しました。
…と、たまにはこういうトラブルもありますが、Tomekが貸してくれた自転車は、けっこう調子良く走ってくれています。
自宅のすぐ近くに自転車店があり、以前にもパンク修理、空気入れなどをしてもらったほか、ワイヤー式のロックとライトもここで買いました。
欠点は、フェンダー(泥よけ)がないので、雨上がりに乗ると、見事にズボンのすそが泥で汚れてしまうことです。
大学内などで見かける自転車は、ほとんどが頑丈なマウンテンバイクで、一部にきゃしゃな軽量サイクリング車がある程度。
日本で一般的な、前に荷物かごのついた自転車など、まずお目にかかりません。
もちろん、Tomekが貸してくれた自転車も、マウンテンバイクです。
というのは、車社会のアメリカでは、日常生活のための移動は常に「徒歩」か「自家用車」の二者択一で、自転車というのは基本的に「スポーツのための乗り物」と考えられているわけです。
「どこへ行くにも自転車」という私のようなライフスタイルは、そういう価値観で見ると、crazy(クレイジー)なのでしょうね。
もっとも、Tomekは大学の近くに住んでいるので、ふだんは自転車で通っているようですが。
大学内や公共施設の近辺には、自転車を固定するための鉄パイプやラックが設置された「自転車置場」がありますが、屋根付きの駐輪場などというものは、どこにもありません。
また、私のアパートには自転車置場がないので、自転車は部屋に持ち込んでいます。
サイクリングは人気があるようで、天気のよい週末には、多くの人がボイジー川沿いのグリーンベルトでサイクリングを楽しんでいます。
後輪の軸に取り付けて牽引する、幼児を乗せるカート(?)もあり、子連れでサイクリングを楽しむ夫婦もよく見かけます。
ボイジー川沿いの自転車道はとてもよく整備されていて、快適に走ることができます。
ときどき整備のため通行止めになり、迂回を余儀なくされることもありますが。
また、市街地の一部の道路には自転車の走行帯(bike lane)が設けられていて、歩行者や自動車と干渉せずに、安全に走ることができます。
おもしろいのは、市内を走る路線バスの車両には、自転車を2台載せられるラックが備わっていること。
ときどき、バスに自転車を載せている人を見かけますが、私はそれをしたことはありません。
せっかく買った自転車のライトがなくなってしまったのは惜しいですが、新たに買うとまた15ドルぐらいかかるし、また、残りの滞在期間中は、daylight saving time(夏時間)のおかげで午後9時頃までは明るいので、買わずに済ませようと思っています。
金曜日から日曜日まで、Chi AlphaのSpring Retreatに参加しました。
retreatとは、キリスト教用語で「黙想」「静修」といった意味ですが、要するに「合宿」です。 目的は「神に近づき、お互いに近づくため」。 行き先は、ボイジーの北およそ100マイル、マッコール(McCall)という山あいの町。 参加費用は、たったの19ドル95セントでした。
金曜日の午後4時、大学のStudent Unionの前に集合。
ここからメンバーの車に分乗し、一路マッコールを目指します。
6時半頃に、マッコールのロッジ「Pine Wood Lodge」に到着。
30人ほどの参加者が勢揃いしました。
このretreatには、外国人の参加者を積極的に招いていて、Chi Alphaのメンバーのインド、中国、マレーシア出身の学生や、私のほかに、インド出身の夫婦と、コスタリカ出身の少年2人が参加しました。
最初に会場でメンバーが全員集合した時に、外国人参加者はそれぞれ自己紹介に続いて、「Hello.」にあたる自国語であいさつしました。
今日の行事は、夕方から集会室で礼拝(worship)とお祈り(prayer)。
礼拝というのは、ゴスペルソングの合唱で、ギタリストのJanetがフォークギターをかき鳴らし、それに合わせて、皆で神をたたえる歌を次々にうたいます。
歌に続いて、お祈りの時間。
そして、そのあとは自由時間となり、広間で卓球やミニバスケットボールなどをしました。
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ロッジの部屋には、作り付けのベッドに薄いマットレスがあるだけで、皆寝袋持参です。
私は寝袋を持っていないので、薄めの毛布を1枚持っていきましたが、山あいのマッコールは春まだ浅く、明け方はずいぶん寒かったです。
食事はすべて自炊。
あらかじめ買い込んだ食材を使って、交代で食事当番にあたりました。
2日目の午前は、夏休みの個人目標と、秋学期のChi Alpha全体の目標を見定めよう、というNenoの講話が行われました。
昼食後は、近くの湖のほとりへハイキングに出かけました。
湖の近くはまだ雪が残っていて、湖には薄く氷が張っています。
湖に向かって歩く間に、メンバーの間で「雪合戦」が始まります。
夕食後は、昨日と同様、礼拝とお祈りの時間。
そしてその後は、宣教のために1年間中国に赴くJanetの送別会となりました。
参加者にケーキが振る舞われ、しばらく歓談した後、皆で彼女を囲んでお祈りをしました。
3日目の午前、小人数グループによるミーティングが行われ、2泊3日のretreatは無事終了。
再び車に分乗し、2時間ほどかかってボイジーに戻ってきました。
いつもの一人で過ごす週末と違って、豊かな自然に囲まれたマッコールで、Chi Alphaのメンバーとともに過ごした3日間。
とても貴重な体験でした。
ボイジー州立大学の春学期は、残すところあと3週間となりました。
Chi Alphaの皆さんとの交わりも、あと少しです。
5月になりました。
このところ、天気がよくて暖かい、というより暑いぐらいの日が続いています。
昨日、夕食をとろうとStudent Unionに行ってみると、中庭(Patio)で、カフェテリア「Table Rock Cafe」による「バーベキュー」が行われていました。 庭の中ほどのテーブルに、スペアリブ、チキン、ハンバーガー、ホットドッグなどが並べられ、学生の皆さんは、ベンチや芝生で思い思いに料理を楽しんでいました。 私も受付で6ドル95セント(ふだんの夕食の値段は5ドル95セント)払って、いつもと違うTable Rock Cafeの夕食を味わいました。
今日は、数学・計算機科学科の春の恒例行事、ピクニックが行われました。
会場は、大学から少し離れたところにあるMunicipal Park。
ボイジー川に沿った、緑豊かで静かな公園です。
5時頃に自転車で行ってみると、公園内のあずまやで、学科の人たちが飲み物やスナックの準備をしています。
参加者は、学科の教員とその家族、そして学生。
50人ほどが集まり、大賑わいになりました。
メインの「料理」は、ハンバーガーとホットドッグ。
炭火のバーベキューコンロをたくさん並べて、ミートパティとソーセージを焼きます。
TomekとJoannaは、自宅のバーベキューコンロを提供して、さらに、料理にも腕を振るっています。
ミートパティが焼けてきたところで、参加者がそれぞれバンズを手に取り、チーズ、野菜、ピクルスなどをのせ、最後に焼きたてのミートパティをはさんで、ほおばります。
青空の下で食べるハンバーガーの味は、また格別。
ついついホットドッグやスナックにも手が出てしまい、おなかいっぱいになりました。
そのあとは、これまた学科恒例の、教員・学生対抗バレーボールが始まりました。
教員チームも学生チームも気合いが入っていて、熱戦が繰り広げられました。
2セット目から、私も教員チームに加わってプレーしました。
結果は、2対1で教員チームの勝ち。第3セットは15対13という接戦でした。
1月下旬に始まった春学期の授業も、来週1週間で終わり。
その次の週に期末試験が行われ、それが終わると、BSUは8月下旬までの長い長い夏休みに入ります。
このごろは雨の日も多く、涼しい、というより、朝夕は肌寒いぐらいの日が続いています。 先週までの夏のような暑さがうそのようです。
この週末は、土曜も日曜もパーティでした。
土曜日のお昼は、Nenoの家でChi Alphaのメンバーが集まって、バーベキューパーティとなりました。
集まったメンバーは20人ほどで、メニューは、先週の数学科ピクニックと同様、ハンバーガーとホットドッグ。
庭先のバーベキューコンロで、Nenoが料理に腕を振るっていました。
今までは、パーティに招待されても「手ぶら」で行っていたのですが、たまには「手土産」を持参して皆を驚かせてやろう、と思い、「肉じゃが」を作って持っていきました。
Nenoをはじめ、集まった人たちには、「とてもおいしいシチューだ」と、なかなか好評でした。
食事の後は、バレーボールやフットボールが始まりました。
住宅地の家々の裏に、広い芝生の共有地があって、バレーボールもフットボールもできてしまう、という、日本では考えられない住環境なのです。
結局、5時頃まで、Nenoの家でパーティを楽しみました。
続いて、日曜日の夜は、Tomekの家で数学・計算機科学科のパーティ。
学科の教職員とその家族30人ほどが集まり、とても賑わっていました。
昨日の好評に気をよくして、またまた肉じゃがの手土産を持っていきました。
今回はだいぶ遅刻してしまって、食べ物がなくなりかけた頃に到着したので、肉じゃがの売れ行きは今一つでしたが、一部の人たちには好評でした。
BESTの時もそうでしたが、Bartoszynski家のパーティでは、一風変わったポーランド料理でもてなしてくれます。
今回の料理では、赤カブのクリームスープ(?)がおいしかったです。
このように、アメリカ人というのは、パーティがとても好きで、ふだんからごく気軽に人々を家に招いてパーティを開くのですね。 このあたり、「おつきあい」に対して、アメリカ人は日本人とはずいぶん違った感覚を持っているように思えます。
早いもので、今日でボイジー州立大学の春学期は終了。 8月下旬まで、3ヶ月以上の長い夏休みです。
私のアメリカ滞在も、だんだん終わりが近づいてきていて、そろそろ帰国のことも考え始めなければなりません。
私の持っている復路のオープン航空券とI-94(滞在許可証)は8月28日まで有効で、それまではボイジーに滞在することもできるのですが、今のところ、7月中旬〜下旬の帰国を考えています。
本音を言えば、日本の暑い夏には帰りたくないのですが、夏休みで人の集まらないボイジー州立大学にいつまでもいるよりは、早めに日本に帰って、家探しと職探しを始めるほうがよいように思えます。
私の夏休み、というか、残り滞在期間の予定ですが、まず、来週のメモリアルデー(5月25日(月))の連休には、アーヴァイン在住の石宇くんを訪ね、2人でドライブ旅行をする約束をしています。 そして、6月下旬から2週間ほど、私の両親がアメリカに来る予定です。 そのときには、レンタカーでボイジー周辺を案内しようと考えています。
昨夜は、Deanや彼の友人数人といっしょに、日本食レストラン「Shige」で夕食をとりました。
Deanは、夏休みを利用して、7月下旬まで2ヶ月ほど日本へ行くとのこと。
彼は、数年前に亜細亜大学で4ヶ月間日本語を学んで以来、すっかり「日本大好き!」になってしまったようです。
それで、Shigeでの夕食会は、さながらDeanの「壮行会」という感じになりました。
でも、彼がボイジーに戻ってくる頃には、私は帰国しているでしょうから、行き違いになってしまい、彼とはもう久しく会えないかもしれません。
研究仲間のMarionは、明日から故郷の南アフリカと、奥さんの故郷のベトナムへ「里帰り」して、ボイジーには8月に戻ってくるとのことで、やはり私とは行き違いです。
Tomekは6月中はボイジーにいるということなので、両親の訪米や私の帰国にあたっては、またいろいろとお世話になるかもしれません。
今日は期末試験(final exam)の最終日とあって、学内の軽食店やコーヒースタンドも早仕舞い、いつもは賑やかなStudent Unionのロビーも、ひっそりとしています。
それとは対照的に、Student Unionの2階の集会場は、卒業生対象のイベントが行われているらしく、大賑わいです。
今まで何度も夕食に利用してきた「Table Rock Cafe」も、夏休み中は休業。
Table Rock Cafeで食事する時は、料理もさることながら、食後のソフトクリーム(セルフサービスで、バニラ・チョコレートなどの日替わり)をいつも楽しみにしていたのですが、その「お楽しみ」のソフトクリームも、もう味わえなくなってしまいました。
今夜は、Chi Alphaのパーティが開かれました。
大学近くのアパートに15人ほどのメンバーが集まり、ゲームや歓談に興じました。
Chi Alphaのメンバーの中にも、Kellyをはじめ、遠方から来ている学生で、夏休みには帰郷するという人がいるので、そういう人とは、今日で「お別れ」になってしまいます。
ともかく、明日からは夏休み。
ボイジーでの生活も、残すところあと2ヶ月ほどとなりましたが、存分に楽しもうと思っています。
Memorial Day(5月25日/戦没者追悼の日)の連休を利用して、22日から26日まで、アーヴァイン在住の石宇くんを誘ってドライブしました。
金曜日(22日)の昼にボイジーを出発して、サンフランシスコ経由でロサンゼルス国際空港へ。 予約しておいたレンタカーの営業所に電話をかけて迎えに来てもらい、空港からやや離れたところにある営業所に到着しました。
用意された車は「Aspire」という、2ドアの小さな白い車でした。
すぐに手続きを済ませて車を借り、空港の近くから1時間ほどフリーウェイを南へ走って、まずはアーヴァインの近くのモーテルへ。
とりあえず今夜はここで1泊します。
さらに、明日からのドライブに備え、明るいうちに近くの道路で運転の練習を、と思い、近くのハンティントンビーチやバルボア島に行ってみました。
(写真: バルボア島の夕暮れ)
土曜日の午前10時ごろ、UCIの近くのUniversity Centerで石宇くんと落ち合いました。
12月にアーヴァインからロサンゼルスへドライブした時には、私一人だったので、自分で地図を見ながら道を探して走らなければなりませんでしたが、今回はナビゲータ兼交代運転手がいるので、ずいぶん楽になりそうです。
石宇くんが大きな道路地図を持って来てくれたので、交代で運転とナビゲーションをしながら行きました。
まずは、フリーウェイをロサンゼルス方面に戻り、サンタモニカへ。
ビーチの駐車場に車を止めて、しばらく散歩しました。
朝方は少し曇っていた空も、すっかり晴れ上がっています。
週末とあって、泳いでいる人こそ見かけませんが、ビーチは行楽客で大賑わいです。
エルニーニョの影響で、気温は例年より低いということですが、それでも、青い海と青い空、道路沿いに並ぶヤシの木、という風景は、いかにも「南国」を思わせます。
(写真: サンタモニカの歩行者天国、サードストリート・プロムナード)
サンタモニカから、Pacific Coast Highwayを南へ走り、いったん空港近くのガソリンスタンドで昼食を兼ねて休憩。 そのあと、12月に訪れた(→12月19日)パロス・ヴェルデス半島を再訪しました。

海岸沿いの道路を走っていると、時折右手に青い海が広がります。
このあたりは、ある程度道を覚えていますし、運転にも慣れてきたので、風景を楽しむ余裕も出てきました。
フラット・ロック・ポイント、ヴィセンテ岬の灯台、ガラスの教会、それにサンペドロの半島の突端、と、風光明媚なポイントを順に回っていきました。
(写真: ヴィセンテ岬)
時刻は3時半頃。
当初は、ロングビーチ付近で宿を探すつもりでしたが、結局、「日のあるうちにサンディエゴに行ってしまおう」
ということになり、フリーウェイに入って一路サンディエゴを目指しました。
405号フリーウェイから、73号有料道路を経由して、サンディエゴに向かう5号フリーウェイへ。
73号は、なだらかな丘を上り下りしながら行く、とても整備状態のよい道で、「走り屋」には絶好のコースなのですが、Aspireの非力なエンジンでは、長い上り坂では55マイル(約90km/h)ぐらいが限界。
「SLOW TRAFFIC KEEP RIGHT」の標識に従って、右側の車線を走らざるを得ません。
73号を抜けて5号に合流すると、いつしか町から離れ、右は太平洋、左は荒涼たる原野、という壮大な風景が広がります。
こうなると、途中に合流も分岐もなく、ただまっすぐ走るのみです。
(写真: 5号フリーウェイの展望休憩所にて)
こうして、2時間ほどで、サンディエゴに到着。
まずは、郊外のラ・ホーヤという地域で宿探し。
幹線道路をゆっくり走り、モーテルを見つけて入ってみると、なんと「NO VACANCY(満室)」の表示。
ラ・ホーヤの地域内を1往復して、道路沿いのモーテルを次々に回ってみましたが、ことごとく満室です。
そうです。連休ということで、誰もが旅行に出かけて、観光地のモーテルは満杯になってしまっているのです。
ふだんなら、アメリカのどんな都市でも、モーテルを見つけるのは簡単なのですが、今回は「連休」という特殊事情をすっかり見落としていました。
次に、空港の近くにならモーテルがあるはずだ、と考えて、サンディエゴ空港近くのモーテルに行ってみましたが、やはり満室。
そうこうするうちに日は沈み、宿を見つけるあてもないまま、市街地の碁盤目状の路地に迷い込んでしまい、私たち2人は見事に「モーテル難民」になってしまいました。
そして、夜の市街地をさんざん走り回った挙げ句、ガソリンスタンドのおじさんに「この近くにモーテルはあるか?」と問うと、「近くにモーテルはないからホテルを探しなさい。**通りのあたりにあるはずだ」
という返事。
そのアドバイスにしたがって、**通り近辺を走るうちに、ようやく古い建物の安宿に部屋を見つけることができました。
こうして、今日のところは、なんとか無事にサンディエゴにたどり着きました。 同じホテルに2泊することにして、明日から明後日の午前まで、たっぷりサンディエゴ市内を観光できそうです。
日曜日。お天気は薄曇りです。
8時半頃に宿を出て、まずは市街地のBURGER KINGで朝食。
そのあと、サンディエゴ湾のクルーズ船に乗りました。
9時45分に出航。オープンデッキの椅子で風景を楽しんでいると、だんだん日がさしてきました。
サンディエゴは、海軍・空軍の基地の町。
湾岸には多くの軍艦や海軍の施設が見られ、また、湾の中に突き出たコロナドという半島の半分ほどは、広大な空軍基地となっています。
(写真: ロマ岬の海軍基地に係留されている軍艦)
船は湾の出口、ロマ岬まで進んでから、湾の中に戻っていきます。
やがて、左手にサンディエゴの市街地、右手にコロナドのビーチ、そして、正面には市街地とコロナドを短絡する、見上げるほど高いコロナドブリッジが見えてきました。
コロナドブリッジをくぐってさらに湾の奥に入り込み、巨大な軍艦が並ぶ海軍基地の前を通って、船着き場へ。
2時間の楽しいクルーズでした。
ちょうどお昼ご飯の時間、ということで、船着き場に近い「フィッシュ・マーケット」というレストランに入りました。
石宇くんも私も、「レストランでお食事」というのは慣れないことで、メニューを見ながらああでもない、こうでもない、と相談していると、ウェイトレスは言葉が分からないと思ったのか、日本人のウェイトレスを連れて来てくれました。
結局、オードブルとサンドイッチを注文し、軽い昼食にしました。
さすがに、シーフードの味はとてもよかったです。
午後は、市街地周辺をドライブしました。
最初は、船の上から見たコロナドブリッジを渡って、コロナドへ。
ビーチの近くはマーケットになっていて、週末とあって多くの観光客で賑わっています。
ビーチに出てみると、湾の向こう側の真正面にサンディエゴの市街地が見え、そして、湾内にはたくさんのヨットが浮かんでいます。
ビーチでは泳いでいる人もいます。
空はすっかり晴れ上がり、いかにも「南カリフォルニアの休日」という光景です。
湾に浮かぶヨットと、湾をまたぐ高い橋、遠くに見えるビルの群れ、という組み合わせは、どことなく、3年前に訪れたシドニーの風景を思わせます。
(写真: コロナドからサンディエゴ市街を望む)
次に、市街地北部のオールド・タウンという地区へ。
ここは、スペイン人が最初に入植したというサンディエゴ発祥の地です。
町の一角には歴史的街並みの保存地区があり、メキシコ風の建造物が再現されていて、往時をしのぶことができます。
これらの建物の中は土産物屋やレストランになっていて、やはり観光客で大賑わいです。
(写真: オールドタウンにて)
最後は、サンディエゴ湾の北側のロマ岬へ。 半島の尾根道に入り、海軍の墓地を抜けると、灯台の建つ丘の上の公園に出ました。 外洋を望むと、どこまでも広がる青い海と青い空。 湾のほうを振り仰ぐと、市街地、空港、海軍・空軍の基地、コロナドブリッジなど、サンディエゴの町全体を一望できます。 まさに「絶景」の一言です。 (写真: ロマ岬より空軍基地方面を望む)
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ホテルに戻って一休みしてから、市街地を散歩し、中華料理のファーストフード店で夕食。 今日も無事故でめでたしめでたし、ということで、石宇くんとビールで乾杯しました。
連休最終日の月曜日は、世界的に有名なサンディエゴ動物園を訪れました。
動物園は、市街地のすぐ近くに位置する巨大なバルボア公園の中にあり、自然の地形を巧みに利用した、起伏に富んだ造りになっています。
敷地の広さは半端ではなく、ぐるりと歩いて1周するだけで、1時間以上はかかりそうです。
(写真: 動物園内のゴンドラSkyfariより)
動物の収集のほうも、熱帯雨林の動物から北極の白クマまで、もう「何でもあり」という充実ぶりです。
気の向くままに園内を歩いて1周したあと、最後に、この動物園の名物、ジャイアントパンダと対面しました。
市街地で昼食をとってから、5号フリーウェイに入ってサンディエゴを後にし、一路アーヴァインを目指します。
Aspireの小さなエンジンをアクセル全開にして、海沿いのフリーウェイをひたすら北上します。
2時間ほどでアーヴァインに到着。
石宇くんをアパートの近くへ送り、「次はいつどこで会うかわからないけれど、とにかくお元気で!」と、握手して別れました。
私は明日の昼の飛行機でボイジーに戻るので、もう1日余裕があります。
それで、明日の午前はハリウッドに行こうと思い、今夜はロサンゼルス北東部のパサディナという町に泊まることにします。
アーヴァインからフリーウェイをさらに北へ1時間ほど走り、パサディナの幹線道路沿いのモーテルに投宿。
チェックインを済ませ、車に荷物を取りに戻ると、後部座席に石宇くんがカメラを忘れているではありませんか。
どうしよう、と少し考えた末、彼に電話をかけて、明日の午前にアーヴァインに届けに行くことにしました。
翌朝、パサディナからフリーウェイを1時間ほど走り、再びアーヴァインへ。
University Centerで、意外に早い彼との「再会」を果たしました。
帰りはフリーウェイを使わず、Pacific Coast Highwayをのんびり北上し、2時間ほどでロサンゼルスのレンタカー営業所に戻ってきました。
今回はめでたく全行程無事故でドライブ終了。
だいぶ運転にも慣れました。
「飛行機で目的地に行って、レンタカーでドライブ」というのは、アメリカ人の典型的な旅行のパターンです。
旅先で行きたいところに自由に行くには、やはりこの組み合わせが最も合理的なのですね。
それと、私は今までは旅行というとたいてい「一人旅」でしたが、今回のドライブで、友人との旅行というのも、けっこう楽しいものだと思いました。
5月中旬に大雨が続いた影響で、ボイジー川の水位が異常に高くなっています。
地元の新聞 The Idaho Statesman にも、「15年ぶりのボイジー川の氾濫」などと題された大きな記事が、2度ほど1面に載っていました。
アパートと大学の間を行き来するのに、ふだんからボイジー川沿いの自転車道を通っているので、ボイジー川のようすは以前からそれとなく観察していました。
冬から春にかけて、なんとなく川の水位が秋よりも高くなっているような気がして、山地の雪融け水の影響かな、などと考えていたのですが、そのときは、「気のせいかもしれない」程度の違いでした。
しかし、今回の氾濫ははっきりわかりました。
サンディエゴへのドライブから帰ってきた翌日、自転車道を大学へ向かったときのこと。
自転車道は、9th street、Capitol Boulevardという2本の幹線道路と交わる部分で、道路橋の下をくぐる形で立体交差しているのですが、その道路橋の下の低い部分が、川の氾濫のために冠水しているのです。
初めのうちは、ほんの浅い水たまり程度で、冠水している区間も短かったため、「CAUTION: WATER ON PATH」の立て札が立っていただけで、自転車で難なく通過できました。
しかし、数日後には、さらに水位が上がったため、立体交差部分の入り口に網が張られ、通行止めになってしまいました。
こうなると、アパートと大学との間を行き来するのに、迂回を余儀なくされ、しかも、今まで立体交差していた幹線道路の「横断」が発生してしまいます。
日曜日の今日、氾濫のようすの「実地検分」を兼ねて、ボイジー川沿いの自転車道をサイクリングしました。
大学のあたりからボイジー川左岸を上流に向かっていくと、まず、やはりBroadway avenueという道路をくぐる部分が冠水しています。
しかたなく、道路を横断してさらに先へ進むと、川の中洲を通る部分が全面的に水に沈んでいて、中洲に渡る橋が封鎖されています。
自転車道は川のすぐそばを通っているため、川が氾濫すると、真っ先に水没してしまうのですね。
日曜日とあって、サイクリングやローラーブレードを楽しむ人も多く、幹線道路を信号のないところでいっせいに横断したり、通行止めの標識を見て引き返したりする人の姿を多く見かけます。
上流のBarber Parkに至っては、公園全体が水浸しになっていました。
下流のほうに行ってみても、やはり部分的に冠水している区間がありました。
サイクラーの多くは一般道へ迂回して先へ進みますが、中には、そのまま冠水区間をざぶざぶと自転車で通り抜ける人もいます。
Main streetの下をくぐる部分に至っては、特に道路橋が低く、自転車道のトンネル部分が掘り下げられているので、トンネルの天井近くまで水がたまっていました。
冠水区間などの写真を何枚か撮ったあと、帰りは自転車道を通らずに、一般道を迂回して帰ってきました。
川の水位が下がって、自転車道がすべて開通するまでには、まだ時間がかかりそうです。
帰国まであと少し、という今ごろになって、急に日本食の自炊をするようになりました。
12月31日の日記に書いたように、食生活に関しては、私はわりと「郷に入っては郷に従う」主義で、わざわざ日本食の食材を買って料理するようなことは、今までほとんどしませんでした。
ところが、先月Deanと会ったとき(→日記5月15日)、彼は「私はこれから日本訪問のために長い間家を空けるから、余っている日本食の食材をあげよう」と言って、味噌、ふりかけなどを私にくれたのです。
「日本大好き」のDeanは、ふだんから自分でときどき「ご飯と味噌汁」に始まる日本食を作っていて、そのために、わざわざ日本食の材料を買い集めてストックしていたのです。
それにひきかえ、私はずっと日本食には無頓着でした。
日本人の私が、アメリカ人の彼から日本食の食材をもらうというのも、なんだか変な話です。
それで、せっかく味噌など日本食の材料が手に入ったのだから、と思い、私も「ご飯と味噌汁」の自炊を始めることにしました。
まず、ご飯を炊くために、炊飯器が必要です。
今までは、主食はたいていジャガイモかインスタントライス(電子レンジ調理可能な長粒米)で済ませていたので、炊飯器を持っていませんでした。
さっそく近くの大型雑貨店に行ってみると、電気炊飯器は、20〜50ドルぐらいで売られています。
さすがに「炊飯」だけでは売れないとみえて、「Rice Cooker & Fish Steamer」などと銘打って売っています。
とはいえ、あと1ヶ月ほどのためにわざわざ電気炊飯器を買うのももったいない、と思い、近くに並んでいた、電子レンジ用のライスクッカーを買いました。
要するに、プラスチック製の小さな「お釜」です。
値段は5ドル。
水加減などに少し「こつ」が必要ですが、ちゃんとふたが二重になっていて、けっこうおいしいご飯が炊けます。
お米は、「ぼたん米」という銘柄のカリフォルニア米が、近くのスーパーマーケットで安く手に入ります。
次は味噌汁。
味噌はDeanがくれた「赤味噌」がたっぷりありますが、「だし」がありません。
これは近くのスーパーマーケットには売っていないので、郊外の「Orient Market」という店に買いに行かなければなりません。
Orient Marketには、日本をはじめアジア各国のさまざまな食材が揃っています。
調味料の棚を探すと、粉末だしが3種類ほどあったので、一番安い「シマヤだしの素」を1箱買っておきました。
味噌汁の実を選ぶのも一苦労。
今のところ、冷凍のさやえんどう(snow pea)やほうれん草(spinach)を使っています。
近くのスーパーマーケットでは「豆腐」が買えますが、一度に使い切れないので、ちょっと手が出ません。
Deanがくれた食材の中には、インスタントの味噌汁や「わかめスープ」も入っていたので、料理するのが面倒なときには、これらで済ませてしまいます。
ともかく、これで私もようやく、日本人らしく「ご飯と味噌汁」の食生活ができるようになりました。
今日は、鶏むね肉と卵が余っていたので、夕食に「親子丼」を作りました。
だし汁は、上述の粉末だしと、近くのスーパーマーケットで見つけた「キッコーマン味みりん」、それと醤油があれば、完璧に作れます。
実は、今まで日本食の自炊をしてこなかったのは、「郷に入っては郷に従う」というよりは、むしろ、「それをすると、かえって日本が恋しくなりそうだから」というのが、正直なところです。
実際、曲がりなりにもご飯と味噌汁の食生活ができるようになってから、「早く日本に帰っておいしい日本食を食べたい」と思うようになりました。
やはり、ご飯と味噌汁は「日本で食べるのが一番」だと、強く感じます。
7月11日(ボイジー発)の帰国まで、あと3週間を残すのみとなりました。
そろそろ、帰国の準備なども考え始めなければなりません。
6月27日から7月11日まで、父母がアメリカに私を訪ねてきます。
父母は、6月27日から7月1日までボイジーに滞在し、そのあと、シアトル、ラスベガス、サンフランシスコを訪問する予定です。
それで、ボイジーはもちろん、シアトルとラスベガスでも、私が「現地ガイド」役を引き受けることになりました。
ちょうどその計画が決まる頃、私も帰国日程を検討していたのですが、父母の帰国便がユナイテッド航空のサンフランシスコ→関西の便で、私も同じ路線のオープン航空券を持っているので、この際同じ便で帰国することに決めたわけです。
それで、7月1日から7日まで、ガイドとしてシアトルとラスベガスを旅行し、そのあとボイジーに戻ってきて引っ越しの手続きを済ませ、11日にサンフランシスコ空港で父母と合流して日本へ、という帰国準備の日程が固まりました。
さて、いざ帰国となると、いろいろ準備や手続きが必要になります。
まずはアパートの解約。
これは「1ヶ月前通告」でいつでも解約可能なので、6月の家賃を払ったときに、「7月10日に退去」の旨を管理人に通知しました。
ボイジーでの最後の夜は、大学の近くのモーテルで過ごします。
電話と電力の契約は、電話一本で解約できますが、最終の請求書は、日本に送ってもらって、日本から「海外送金」で支払うことになりそうです。
銀行口座は、出発直前に解約します。
残金は、トラベラーズチェックに換えて日本に持ち帰れば、次の海外旅行のときにそのまま使えますし、円に両替すれば、円安による為替差益が生じるかもしれません。
引越荷物は、「とにかく持てるだけ持つ」という作戦を考えています。
こちらに来たときの手荷物は、スーツケース1個と小さめのダンボール箱1個、それに機内持ち込みのバッグでしたが、この際、大きなスーツケースをもう1個買おうと思っています。
アメリカ発着の国際線では、手荷物は1個32kg以内で2個(+機内持ち込み1個)までOKなので、かなり多くのものを運べますし、日本到着後に手荷物託送サービスを使ったとしても、小包より安くて早いでしょう。
いざとなったら、父母にも私の荷物の一部を持ってもらうという手もあります。
こちらで買ったFAXと電子レンジは、処分することになるでしょう。
スキャナは持って帰るつもりですが。
今日は土曜日。
朝から天気がよいので、自転車でテーブルロック山に登りました。
自転車でのテーブルロック登頂は、今回で5回目か6回目。
初めて登ったとき(→11月23日)は、5合目からの急な坂道を必死に登ったものですが、今では、コースを覚えて、ペース配分が上手にできるようになったので、さほど苦もなく登れます。
ボイジーでの週末サイクリングも、今回で最後になるかもしれません。
日本に持ち帰る荷物のパッキングもさることながら、「思い出」という名の、自分自身へのアメリカ土産も、今のうちに、しっかりと胸にしまっておかなければなりません。
帰国を2週間後に控えた今日、父母がボイジーに私を訪ねてきました。
父母はちょうど今春退職して、長期間の旅行ができるようになったので、私が帰国する前にアメリカへ旅行しようと、以前から計画していたようです。
それで、5月頃から私や姉といろいろ相談した結果、今回の14泊16日の大旅行が実現することになりました。
おりしも、ボイジーはちょうど年間最大のお祭り、「ボイジーリバーフェスティバル」の真っ最中。
ボイジーの町が最も賑わうときに、父母を迎えることができました。
まずは、午後2時半頃、ボイジーの空港のゲート前で、父母を出迎え。
母は昨年11月にもボイジーに来ていますが(→日記11月5日)、父とは10ヶ月ぶりの再会です。
バゲージクレームで荷物を受け取ったら、さっそくレンタカー会社のカウンターで車を借ります。
ボイジー周辺の観光には車は必須。
そのために、父はしっかり日本で国際運転免許証を取得してきています。
用意された車は、フォードのTaurusという車種。
さっそく父は運転席に乗り込み、私は助手席でナビゲーション。
最初はさすがに左ハンドル・右側通行にとまどい気味のようでした。
まずは、中心街を通り抜けて、滞在先のDoubletree Hotelへ直行。
私のアパートから歩いて5分のところにあるホテルです。
このホテルの名物(?)はクッキー。
チェックインすると、人数分の大きなチョコチップクッキーをプレゼントしてくれました。
ホテルの部屋で一休みしてから、大学に行ってTomekと対面、それから構内をひととおり案内しました。
今日は特に天気がよくて陽射しが強く、大学内の木々や芝生の緑が鮮やかに見えます。
そして、その芝生の上を、リスが走りまわっています。
昨秋、母と姉を迎えたときには、大学内や公園の木々はいっせいに紅葉していて、とても美しい風景だったのですが、今は夏、そのときとはまた違った、緑豊かなキャンパス風景が広がっています。
再び中心街に戻り、日本食レストラン「Shige」で夕食。
フェスティバルで人が集まっていて混んでいるかと思ったら、逆に人々は皆フェスティバルの会場に行ってしまっているようで、がらがらでした。
店に入るなり、カウンターに立っていた日本人オーナーのしげさんが日本語で話しかけてきました。
日本語で話せるという安心感もあってか、父母はさっそく世間話を始めています。
握り寿司2人前と、焼き鳥、天ぷら盛り合わせを注文し、3人で分け合い。
どれもなかなかおいしく、父母にも好評でした。
食事の後は、フェスティバルの会場に繰り出します。
大学の近くのアン・モリソン公園に行くと、ちょうど熱気球のデモンストレーションが行われていて、ウサギや恐竜などの形をした熱気球が膨らんでいます。
フェスティバル期間中の毎朝、この公園を起点に、100ほどの熱気球のデモンストレーション飛行が行われているのですが、今行われているのは、それらのうち、いくつかの変わった形をした熱気球の、インフレーション(膨らませ)のみのデモンストレーションです。
熱気球を見ながら公園内を一回りして、屋台でアイスクリームを買って食べたりするうちに、時刻は8時をまわりました。
といっても、この時期のボイジーは、daylight saving time(夏時間)の影響もあって日が暮れるのが遅く、まだまだ空は明るいです。
今日のフェスティバルのメインイベントは、夜10時から始まる電飾パレード「Nite-Lite Parade」です。
いったんホテルに戻って、9時過ぎ、日が傾きかけた頃に、再び大学の近くのパレード出発点に行きました。
パレードのコースとなるCapitol Boulevardの両側は、すでにたくさんの見物客で埋められていました。
その人出の多さは、ボイジー中の人が見物に来ているのかと思わせるほどです。
私たち3人は、沿道のフラワーポットの縁に腰掛け、夕焼け空を眺めながら、パレードの出発を待ちました。
午後10時ちょうど、突然、道路を照らしていた街灯が消えたかと思うと、丘の上に建つDepot(鉄道駅)の上に、花火があがりました。
ほどなく、Depotのほうから、電飾を施したさまざまな山車が次々に下りてきて、ゆっくり市街地に向かっていきます。
その行列の中に、なんと、近隣の警察のパトカーまで、パレードの一員として加わっていて、時々サイレンを鳴らしながら進んでいきます。
それぞれの山車の上では、楽器の演奏や合唱などのパフォーマンスが演じられ、沿道の観客も大きな歓声でそれらを迎え、大賑わいです。
1時間ほどで、すべての山車が市街地方面へ通り抜けていきました。
市街地の渋滞をくぐり抜けてホテルに戻ると、もう12時近く。
「大旅行」の初日から、盛りだくさんの内容になりました。
父母の滞在しているホテルが私のアパートのすぐ近くなので、朝食はアパートに食べに来てもらうことにしました。
今朝のメニューは、アイダホポテトのチーズ焼き。
昨日買っておいたジャガイモに、作り置きのミートソース、ベーコン、それにチーズをのせて、オーブンでじっくり焼きます。
朝食の支度をしていると、窓の外にリスがやってきました。
母はそれを見つけるなり、カメラを向けたり、ピーナッツを与えたり、さらには、ピーナッツの近くに小さなカンガルーのぬいぐるみを置いて「いたずら」したり、いろいろと遊んでいました。
ポテトのほかに、サラダ、味噌汁、フルーツなども用意して、豪華な朝食になりました。
28日は、アイダホシティ方面へ日帰りドライブに出かけることにしました。
まずは、近くのスーパーマーケットでサンドイッチなどの昼食を買い込み、テーブルロック山への道をとります。
今までいつも自転車で登っていた道ですが、車で登るのは初めてです。
ほんの15分ほどで、あっさり登頂。
天気は快晴で、ボイジーの市街地から郊外まで、とてもよく見渡せます。
父母にとっては初めて見る風景ですが、私にとっては「見納め」となるでしょう。
(写真: テーブルロック山頂に立つ父母)
次は、ボイジー川に沿って走る道路を上流に向かい、ラッキーピークダム下の公園へ。
この道もやはり、いつものサイクリングコースと同じです。
公園には、バーベキューを楽しむ家族連れや、遊水池で泳いだり日光浴をしたりする人がいますが、とても静かです。
私たちは、木陰のベンチで「お弁当」を広げ、ピクニックにしました。
ここから先は、なだらかな山々の間を行くハイウェイ(州道)を、アイダホシティに向かって走ります。
父もだいぶ左ハンドル車の運転に慣れてきたようです。
1時間ほどで、アイダホシティに到着。
私にとっては、昨年9月にTomekとJoannaに連れてきてもらって以来(→日記9月1日)、2度目の訪問です。
車を降りて、歴史的町並みの保存地区を散歩。
西部劇に出てきそうな町並みそのままで、ときどきガンマンの格好をした人が歩いてきて、空砲を撃っています。
観光案内所で絵葉書を買うと、案内所のおじさんが、アイダホシティの歴史について話してくれました。
アイダホシティは、かつてゴールドラッシュで栄えた町。
その繁栄を支えていたのは、実は多数の中国人入植者で、そのなごりで、毎年この時期には「チャイニーズフェスティバル」が開かれる、しかし、現実には、今は中国系住民はほとんど残っていない、とのことでした。
(写真: アイダホシティの案内板を見る母)
帰りは、さらに山々の間に分け入り、未舗装の道を1時間ほど走って別のハイウェイに抜け、出発したときとは逆の方向からボイジーに戻ってきました。
ボイジーに帰り着くと、時刻は4時半。
いったん私のアパートに寄って、ひと休み、と思ったら、父も母もずいぶん疲れていたようで、眠ってしまいました。
特に、母は日本を出発する直前に腰を痛めたそうで、昨日まではなんとかもちこたえていたものの、今日の長時間のドライブで、腰痛がひどくなったようです。
これから2週間の長旅に耐えられるかどうか、少し心配です。
今日は、ボイジーリバーフェスティバルの最終日。
午後10時から、アン・モリソン公園で花火があるというので、見に行くことにしました。
最初は、ホテルから車で行こうと思い、8時ごろに、私一人で車を借りて適当な場所を探しに行ったのですが、お目当ての場所は、すでに交通規制が敷かれていて、しかも、まだ2時間以上前だというのに、たくさんの人が観覧場所を陣取っています。
結局、車で見に行くのは断念し、ホテルから15分ほど歩いて、アン・モリソン公園の近くで見ることにしました。
9時過ぎ。ホテルを出発して、アン・モリソン公園に向かいます。
公園に向かう道は、花火を見に行く人たちでいっぱい。
沿道の空き地やガソリンスタンドは、どこも今だけの「仮設駐車場」になっています。
公園の近くの道路は交通規制が敷かれていて、歩行者と許可された車のみ通行可。
そこを、郊外からのチャーターバスが次々に走ってきて、公園の前でたくさんの見物客を降ろしていきます。
公園内では、フェスティバルのクロージングセレモニーが行われていて、なにやら賑やかです。
公園の芝生に陣取って、花火が始まるのを待つ人もたくさんいます。
私たちは、公園のすぐ近くの道路の端に陣取りました。
夜10時。クロージングセレモニーが最高潮を迎え、そして、花火が始まりました!
色とりどり、形もさまざまな花火が、次から次へと打ち上げられます。
そして、ひときわ大きな花火があがると、公園のあたり一帯から、大きな歓声が沸き起こります。
花火は20分で終わりましたが、その間、あまりにもたくさんの花火が、それこそ「間断なく」打ち上げられて、それはほんとうに見事なものでした!
ボイジーの町が一年で最も賑わうこのフェスティバルの時期に、ちょうどボイジーを訪れた父母は、とても幸運だと思いました。
それと同時に、帰国を2週間後に控えた私にとっても、このフェスティバルは、ボイジー滞在のよい思い出になるでしょう。
ボイジー滞在3日目。 今朝も朝食は我が家で。 1ヶ月前に買ったお米と、Deanからもらった味噌(→日記6月10日)が少し余っていたので、ご飯と味噌汁をメインに、ソーセージやジャガイモを調理しました。
リバーフェスティバルは昨日で終わり、今日は、ボイジーの町はいくぶん落ち着きを取り戻しています。
午前11時ごろ、3人で大学の近くのジュリア・デーヴィス公園へ。
今日の最初のお目当ては、ここから出発するボイジーツアートレインです。
といっても、乗るのは父母だけで、私はその間に大学に行って雑用を済ませることにします。
ツアートレインのガイドは当然英語なので、前に乗ったとき(→日記9月20日)の記憶をもとに、ごく簡単な日本語ガイドマップを作成して、母に持たせておきました。
公園の乗り場に着くと、ちょうど発車の10分ほど前。
父母をトレインに案内し、出発を見送ると、しばらくガイド役から解放され、ほっとしました。
1時間後、ツアーから戻ってきた父母とともに、「Mongorian BBQ」という焼きそば屋で昼食。
それから、ボイジー最大のショッピングモール、「タウンスクエアモール」に買い物に行きました。
ここでも父母に1時間の「自由行動」を宣言し、私は車を借りて別行動。
近くの運転免許試験場へ、帰国に備えて国際運転免許証を取りに行きました。
ところが、いざ窓口で「国際免許証を取りたい」と言うと、なんと、「現在はここではそれを扱っていない。
AAA(トリプル・エー/American Automobile Association)
(日本のJAFにあたる組織)で発行しているから、そこに行きなさい」との返事。
見事に「無駄足」になってしまいました。
次に向かったのは、近くの大規模スーパーマーケット「ShopKo」。
私はここで、帰国時に荷物を運ぶためのスーツケースを、大小1個ずつ買うことにしました。
その続きに、父母とともに店内を見て回るうちに、母は小さなクッションを見つけて手に取りました。
なんでも、腰痛で何より辛いのは、乗り物などの座席に腰掛けるときだそうで、そのときに、「このぐらいの大きさで、このぐらいの硬さのクッションを腰に当てるとちょうどいい」というのです。
結局、このクッションのほか、テーブルマットとナプキンのセットなど、いろいろとお土産を買っていきました。
この日の夕食は、市街地の中華料理店「Yen Ching(燕京)」にて。
そのあと、夕暮れの町を少しドライブして、ホテルに戻りました。
翌朝、「9時に我が家で朝食」と打ち合わせしておいたのですが、9時半になっても、父母は訪ねてきません。
おかしいな、と思って、ホテルの部屋に呼びに行くと、なんと、父母二人して「朝寝坊」でした。
ボイジーに着いてから昨日まで、リバーフェスティバルの関係もあって、けっこうハードスケジュールだったので、さすがに二人とも疲れていたのでしょう。
あらためて「10時半に我が家で」と約束して、部屋のドアに「Do not disturb」の札をかけておきました。
そんなわけで、我が家で遅い朝食、というか昼食をとると、もう12時ごろです。
当初の計画では、今日はスネーク川の峡谷地帯へドライブするつもりでしたが、それ以外にも、引越し準備のために私一人で車を借りて行きたいところもいくつかあり、けっこう慌ただしくなりそうです。
特に、Tomekは私たちがシアトルとラスベガスに行っている間にヨーロッパへ出発するとのことなので、Tomekから借りている食器や調理具などは、今日中に返さなければなりません。
そのうえ、母の腰痛の具合もよくない、ということで、今日の午後は、父母はホテルでお休み、その間、私は車を借りて引越し準備を済ませる、ということになりました。
まずは、大学のオフィスに行って、アパートに運ぶべき私物を車に運び込みます。
次に、空港の近くのAAAのオフィスに出向いて、昨日もらえなかった国際運転免許証を発行してもらいました。
これは1年間有効なので、向こう1年間はこのまま日本で車を運転できます。
そのあと、郊外の書籍ディスカウントストア「Hastings」で買い物。
美しいアイダホの風景写真のカレンダーとメッセージカードを見つけたので、お土産用に買っておきました。
夕方6時ごろ、父母を夕食に案内するついでに、市街地のお土産物屋「Taters」で父母を降ろし、その足で私はTomekの家に食器類を返しに行きました。
TomekやJoannaとは、これで久しく会えなくなるということで、Tomekの家の居間で、30分ほど歓談した後、お世話になったお礼を繰り返して、別れました。
すっかり長居してしまったため、ずいぶん父母を待たせたのでは、と思い、急いで市街地に戻って車を駐車場に入れ、Tatersに行ってみると、なんと父母はまだ買い物中。
片言の英語で一生懸命、お店の人にTシャツのオーダープリントをリクエストしていたようです。
市街地のイタリアンレストラン「Noodles」で夕食をとったあと、母のリクエストで、Hastings書店へ向かいました。
そこで、母は私が買ったのと同じカレンダーとカードを買っていました。
こうして、父母のボイジー滞在4日目は、これといった「観光」もせず、のんびり過ごしました。
父母にとっては「観光の休日」、私にとっては「ガイドの休日」となりました。
こういう一日の過ごし方というのは、ふつうのツアーなどでは、まずできないでしょう。
今日は、シアトルへの移動日。
朝9時半、父母をホテルに迎えに行き、車で空港に向かいます。
レンタカーを返却し、ユナイテッド航空のチェックインカウンターでチェックイン。
まずは10時55分発の便でサンフランシスコへ行き、そこで1時20分(太平洋夏時間→アメリカのタイムゾーン)発のシアトル行きの便に乗り換える予定で、接続時間は1時間40分ほどあります。
飛行機の出発まで少し時間があるので、お土産物屋をひやかしたり、ゲート前のマクドナルドで軽い朝食をとったりして、搭乗開始を待ちます。
出発の30分ほど前から、ゲート前ではなにやら案内放送が繰り返されています。 よく聞くと、サンフランシスコ空港周辺の濃霧のため、サンフランシスコ行きの便の出発が1時間ほど遅れる見込み、とのことです。 そうなると、サンフランシスコでの乗り継ぎにも影響が出てきて、予定の便に乗り継げない可能性も出てきます。
結局、飛行機は予定より1時間以上遅れて、12時20分頃にサンフランシスコに向かって出発しました。
離陸後、しばらくすると、機長による「遅延のお詫び」の放送が入りました。
お客のご機嫌をとるためか、フライト半ばでは、「右手にレイク・タホがよく見えます」などという観光案内(?)の放送までしていました。
1時間半ほどで、サンフランシスコ付近に到達。
空港の南に回り込んで、滑走路への進入コースにいったん入ったものの、着陸を中止して大きく旋回、2度目の進入でようやく滑走路に滑り込みました。
時計を見ると、もうシアトル行きの便の出発時刻の数分前です。
機内放送では、「サンフランシスコから先への接続便の情報は、空港内の案内表示を見るか、地上係員に尋ねてください」と繰り返しています。
空港に降り立ち、真っ先に出発案内表示のテレビモニタを見ると、1時20分のシアトル行きの表示はありませんでした。
乗り遅れてしまったのです。
こうなると、とるべき行動はただ一つ、「後続便への振り替えを要求する」ことしかありません。
かくして、3人分の航空券と出発済みの搭乗券を握りしめて、ユナイテッドの案内カウンターで、振り替えの交渉をしました。
ところが、カウンター嬢が言うには、後続便はほとんど満席で、他社便も軒並み満席。
何とか1席だけ後続便の席が確保され、残り2席は、同じ便の空席待ちとなりました。
振り替えられた便は、スケジュールでは2時30分発ですが、案内表示によると、4時発に時刻変更されています。
どうやら、濃霧の影響で、ボイジーからの便に限らず、多くの便の発着時刻が変更されているようです。
空港内の軽食スタンドで簡単な昼食を済ませた後、指定された便のゲート前へ。
スケジュール変更の影響で、ゲート前は空席待ちの人でごった返していますが、そのぶん、予約していながら乗り遅れる人も多いわけで、要するに、ほとんど「早い者勝ち」の状況のようです。
結局、空席待ちの2席は無事に獲得し、事無きを得ました。
飛行機に乗り込んでみると、乗り遅れる人や空席待ちで乗る人が多いためか、みな搭乗券の席番なんかお構いなしで、好きなところに座っています。
私たちも、3席並びで空いている区画を見つけて、勝手に座ってしまいましたが、誰からも文句は言われませんでした。
4時20分頃に出発。
離陸直後、右の窓から、サンフランシスコの街やゴールデンゲートブリッジが見渡せましたが、そこから先は、窓外にはなだらかな山々が続くのみ。
機長の「遅延お詫び」放送でも、「窓の外に見て面白い景色はないから、機内でリラックスしてください」と言っていました。
(写真: 上空から見たサンフランシスコ市街)
2時間ほどで、シアトル上空へ。
右の窓の外に、シアトルの街やワシントン湖が見えてきました。
ここで飛行機は大きく時計周りに旋回し、市街地南方のシアトル・タコマ空港への着陸コースに進入します。
こうして、予定より3時間以上遅れて、6時半頃にシアトル・タコマ空港に到着しました。
バゲージクレームに来てみると、私たちの荷物は、別のフライトですでに到着していました。
長旅の疲れもそこそこに、レンタカーのカウンターに向かい、車を借ります。 カウンターで手続きをした後、レンタカー会社のヴァンで1マイルほど離れた営業所に行き、車を受け取りました。
さっそく、父の運転、私のナビゲーションで、シアトル市街地に向かい、予約しておいたホテル「Executive Court Suites」を探します。
ストリートアドレスをたよりにホテルにたどり着いてみると、そこは、市街地から直線距離では近いものの、市街地との間はフリーウェイで隔てられ、しかも、相当の高低差があるので、ちょっと歩いて市街地へ、というわけにはいかないようです。
このホテルは、内装は簡素で高級感はありませんが、その名前の表す通り、全室スイートルーム。
部屋に入ってみると、ベッドルームとバスルームのほかに、リビング、キッチン、洗濯機が備わっていて、炊事も洗濯もできるようになっています。
ベッドはクイーンサイズ(ダブルベッド)1台だけですが、リビングのカウチに畳み込まれたベッドと、エクストラベッドを使うことで、3人それぞれ別のベッドに寝ることができます。
そうこうするうちに、時刻は9時少し前になってしまいました。
夕食をとらなければなりませんが、この時間から市街地でレストランを探すのも難しいし、ホテル周辺は少し治安の悪そうな薄汚い住宅街で、食事の場所など見当たりません。
そこで、一案を計じました。
当初から、シアトル滞在中に父母に案内したい場所として、展望台「スペースニードル」を考えていたのですが、そこに今夜行ってしまって、その中の展望レストランで食事をとることにしたのです。
再び、父の運転で、市街地北方のスペースニードルへ。
1階の展望レストラン受付に申し出ると、ちょうどオーダーストップの15分前ということで、ぎりぎりで食事にありつけることになりました。
高速エレベータでレストラン階に着くと、すぐに席に案内されました。
ちょうど日が沈んで暗くなりかけた頃で、窓の外には、シアトルの夜景が広がっています。
料理を注文し、しばらくくつろいでいるうちに、少しずつ窓の位置が動いているのに気づきました…
そうです。実は、この展望レストランは、単なる「展望」ではなく、床全体がゆっくり回転して、食事をしながら全方向の景色を楽しめる「回転レストラン」だったのです。
とにかく、今日はサンフランシスコ空港の遅延騒動で疲れてしまったので、父と私は、ボリュームたっぷりのニューヨークステーキを注文し、たらふく食べて元気を取り戻します。
食事を終えて、食後のコーヒーを飲み始めた頃に、ちょうど「1回転」したようで、席についたときと同じ景色が窓の外に見えました。
食事の後は、レストランの上の展望階へ。
少し風が冷たいですが、ガラス窓の外の展望テラスに出て、シアトルの夜景をバックに記念撮影しました。
シアトル到着から一夜明けた2日は、シアトル市内の観光に費やします。
朝10時ごろ、ウォーターフロントの観光船乗り場へ。
ここから出発する1時間のハーバークルーズに、父母を案内しました。
このクルーズには、私は前にシアトルを訪れたときに乗っているので(→日記1月2日)、私はクルーズの間、車を借りて別行動。
市街地北方のワシントン大学周辺をうろうろしました。
1時間半ほど後、ウォーターフロントに戻ってきて立体駐車場に車を入れて、父母とともに、市街地のパイクプレース・パブリックマーケットへ。
まずは、マーケット内の中華料理店「海珠酒家」で腹ごしらえ。
そのあと、新鮮な魚や野菜の店がずらりと並ぶマーケットを探検しました。
果物屋の店先に並んでいたチェリーやメロンがとても安かったので、滞在中に食べるために買いました。
このマーケットは、ウォーターフロントと市街地の間の急斜面に張り付くように建っていて、丘側から入るとそこは最上階、海側を基準にすると5階に相当します。
最上階には、鮮魚や野菜、果物、それに工芸品の店が並び、賑やかですが、階下はアンティークショップなどが多く、だいぶ雰囲気が違います。
再びウォーターフロントへの急坂を下り、映画館「オムニドーム」へ。 ドーム状のスクリーンをもつ映画館で、セントヘレンズ火山の噴火の様子を記録した30分の映画を鑑賞しましたが、なかなかの迫力でした。
ウォーターフロントを離れて、次に向かったのは、インターナショナル・ディストリクトの中にあるスーパーマーケット「宇和島屋」。
名前からわかる通り、主に日本からの輸入食材・雑貨を扱う店で、店内のようすも、並んでいる品物も、日本のスーパーマーケットそのものです。
「せっかくホテルの部屋にキッチンがあるのだから…」というわけで、私たちは、今日の夕食と明後日までの朝食のために、ここでたくさん食材を買い込みました。
パック入りのご飯、インスタント味噌汁、漬物、野菜、卵、豆腐、調味料、さらには、インスタントラーメンや日本のビールなど、なんでも手に入ります。
2階には「紀伊国屋書店」があり、日本の書籍のほか、国際衛星版の新聞が買えます。
ホテルの部屋のキッチンには、一通りの食器や調理器具が揃っています。
宇和島屋で買ってきた材料を使って、豪華な夕食が出来上がりました。
そして、デザートには、パイクプレースで買ったフルーツがあります。
ふつうの観光旅行ではまず味わえない夕食です。
翌3日は、300キロほど離れたお隣オレゴン州の街、ポートランドへドライブしました。
朝9時ごろにシアトルを出発。
往路は父の運転で、フリーウェイをひたすら南下します。
草原や林の中を行くなだらかな起伏のある道を、75マイル/時(120km/h)ほどの速さで走っていきました。
途中、パーキングエリアで1回休憩をはさんで、3時間ほどでポートランドに到着しました。
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まずは、郊外の動物園に入り、そこからZoo Trainという小さな列車に乗って、バラ園と日本庭園を見に行きました。
ポートランドのバラ園は、世界的に有名な実験植物園で、広大な敷地に数百種類の色とりどりのバラが咲き誇るさまは壮観です。
このバラ園の存在ゆえに、ポートランドはまた「バラの街」とも呼ばれています。
6月には「ローズフェスティバル」が開かれ、街は観光客で大いに賑わうといいます。
日本庭園もずいぶん立派なもので、竹林や石庭、菖蒲池、鹿おどしまでつくられています。
動物園から市街地に出て、車を止めて街を歩きます。
川沿いの公園から、ビルの間の細い路地へ、さらに路面電車に乗って、中心街の大通りの公園へと、気の向くままに散歩しました。
ポートランドの市街地は、小さいながらも整然としていて、緑が豊かで、明るい印象を受けます。
シアトルとも少し違った雰囲気の、おしゃれな街です。
市街地の中ほどで、「こうじ大阪屋」という日本食レストランを見つけたので、ここで夕食にしました。 メニューには、カレーやラーメンなどの庶民的な料理も並んでいて、ちょっと日本に戻ったような気分になります。 私たちは、「海鮮丼」「カツ丼」「エビフライカレー」を注文しました。
最後に、ナイキの直営店「ナイキタウン」でお買い物。
さすがに日本人のお客が多いとみえて、お店の人は少しは日本語を解し、日本人の扱いに慣れています。
母はスニーカー、父はゴルフシューズを買いましたが、私が通訳するまでもなく、けっこう「商談」できていたようです。
オレゴン州は売上税(sales tax)が無税なので、高い買い物をすると、ちょっと得した気分になります。
7時ごろに、シアトルへの帰途につきました。
フリーウェイ沿いのガソリンスタンドで給油してから、フリーウェイを北上。
こんどは、半分ほどの道のりを私が運転しました。
10時ごろにシアトルの市街地に戻ってくると、高層ビル群のすばらしい夜景が私たちを迎えてくれました。
シアトル滞在最終日のメインイベントは、ワシントン湖沿いを走るディナートレイン「スピリット・オブ・ワシントン」です。
これは、シアトル郊外のレントンという町から、ワシントン湖の北東のコロンビアワイナリーまで、片道1時間半ほどかけてのんびりと走る観光列車です。
おりしも、今日は7月4日、アメリカ独立記念日です。
昨日朝、予約の電話をすると、「ふだんは夕方6時30分出発だが、4日はワイナリーで独立記念日の花火を見るために、8時15分出発になる」とのこと。
思わぬ「おまけ」付きのツアーになりました。
お昼は、ふたたびシアトル市街地を散歩。
ウォーターフロントのファーストフード店で軽い昼食を済ませた後、パイクプレースマーケットへ足を運びました。
母はこのあたりの街並みがずいぶん気に入ったようです。
そもそも、シアトルを4泊も旅程に盛り込んだのは、私自身が1月に訪問したときに、とても気に入って、もう一度行きたいと思ったからなのですが、父母も同じようにシアトルが気に入ったようで、旅程に入れたのは大正解でした。
そのあと、市街地北方のチッテンデン水門に行きました。
ワシントン湖と外海の間には、潮位によっては10メートル以上の水位差が生じます。
チッテンデン水門は、この水位差を調節して、船の行き来を可能にする役割を果たしています。
水門には、大小2つの船の通路と、フィッシュラダー(魚道)がつくられています。
通路の両側では、たくさんの観光客が船の行き来を見物しています。
ちょうど、大きいほうの通路は湖側の水門が閉じられて外海と同じ水位になっていて、そこに外海からの船が集まってきています。
船に混じって、カモが10羽ほど泳いでいます。
通路が船でいっぱいになると、外海側の水門を閉じ、通路内に水を入れて水位を上げていきます。
そして、湖と同じ水位になって、湖側の水門が開くと、愛敬者のカモたちが真っ先に湖のほうへ泳いでいき、続いて、通路内の船が順番に湖へ出て行きました。
フィッシュラダーは、一部分がガラス張りになっていて、流れに逆らって泳ぐ魚たちを間近に見ることができます。
水族館より面白いです。
午後6時半頃にシアトルを出発し、車で1時間ほどで、ディナートレインの出発点、レントンに到着。
駅には、すでに2両の赤い機関車の率いる列車が止まっています。
客車は、一般車と2階建てのドーム車の2種類。
私たちの席は一般車で、クラシックな落ち着いた感じの食堂車です。
8時15分、列車は静かに走り出しました。
ここから、片道24マイルの行程を、1時間以上かけて走ります。
客車担当のウェイトレスの自己紹介、沿線紹介の後、ディナーが始まりました。
メニューは4種類ですが、私たちはそのうちの3種類、ローストビーフ、ローストチキン、ダンジネスクラブのクレープを予約していました。
どれも例によってボリューム満点です。
ワシントン湖に浮かぶマーサー島や、シアトルの対岸のベルビューの街並みを窓外に眺めながら、ゆっくりと食事を楽しみました。
終点近くで2回方向転換して引込線に入り、9時30分頃にコロンビアワイナリーに到着しました。
ここで、ワイナリー見学と花火鑑賞のため、1時間ほど停車します。
ワイナリーでは、工場見学やお土産物の販売のほか、ワインの試飲も行われていて、「スピリット・オブ・ワシントン」限定の銘柄もあります。
10時近くなると、ワイナリーに集まっていた観光客が、次々に外に出てきて、花火が始まるのを待っています。
10時ちょうど、独立記念日の花火が始まりました。
ボイジーリバーフェスティバルの花火ほどではありませんが、それでも、次々に色とりどりの大きな花火が打ち上げられ、見事でした。
10時30分頃、ワイナリーを出発した列車は、1回方向転換して本線に戻り、列車ごと方向転換した形で、レントンへ戻っていきます。
復路には、デザートとコーヒーが出されました。
デザートはチョコレートとリンゴの2種類。
すっかり暗くなった湖畔の道のりを、再び1時間以上かけてたどっていきます。
レントンの駅に戻ってくると、時刻はもう12時過ぎ。
ディナートレインの旅に大いに満足して、シアトルのホテルに戻っていきました。
5日、朝7時半頃にホテルを出て、レンタカーの営業所に車を返し、レンタカー会社のヴァンでシアトル・タコマ空港に着きました。
次の目的地はラスベガス。
再びユナイテッド航空でサンフランシスコに行き、そこからラスベガスに向かいます。
ユナイテッドはサンフランシスコをハブ空港としているので、西海岸地区内では、どこからどこへ行くにもサンフランシスコ乗り換えになってしまいます。
今回のフライトは順調で、昼過ぎにラスベガス国際空港に無事到着しました。
ラスベガスの空港の建物はとても新しく、大きく、明るい造りです。
カジノの街だけあって、ゲート前のロビーにまでスロットマシンが並んでいます。
シアトルは少し肌寒いぐらいの気候でしたが、砂漠の真ん中のラスベガスでは、日中は100度(およそ38度C)を超える暑さです。
空港の建物から一歩足を踏み出したとたん、むっとする熱気に包まれます。
ラスベガスでの宿泊先は、MGMグランドホテル。
世界最大級のホテル、というより「ホテル付きアミューズメントパーク」です。
中に入ってみると、カジノはもちろん、ショッピングモール、レストラン、劇場、遊園地など、なんでもそろっていて、この中だけで1日中遊べてしまえそうです。
チェックインを済ませ、21階の客室に荷物を置いて、ひとまず休憩。
ラスベガスといえば、やっぱり「カジノ」。
ホテル内の中華料理店で夕食を取った後、3人それぞれにカジノで遊びました。
まずは、最も手軽に遊べるスロットマシンを試してみます。
最初は、ただお金を入れてレバーを引くだけで、何が面白いんだろう、という気がしたのですが、実際にやってみると、これがけっこう面白いです。
「当たり」が出てガチャガチャとコインが出てくるのを体験すると、ついついハマってしまい、パチンコをやる人はこれが楽しいんだろうな、と納得してしまいます。
次に挑戦したのは、ビデオポーカー。
ジャックのワンペア以上の役を作ると、役の強さに応じて賞金が支払われるというルールで、これもなかなか面白いです。
ブラックジャックのビデオゲームもあり、それもやってみました。
しばらく遊んだところで、カジノを一回りして、ルーレット、クラップス(サイの目を当てる)、カードゲームなどの様子をのぞいてみました。
できることなら、ポーカーやブラックジャックなどのカードゲームにも挑戦してみたいものですが、これらのゲームは、テーブルごとに最低掛け金が決まっていて、安いところでも、最低5〜10ドルとなっているので、ちょっと手が出ません。
中には、最低掛け金500ドルという「大勝負」のブラックジャックのテーブルもあり、一人の紳士が女性ディーラーと差し向かいで黙々と勝負していました。
その様子を覗き見ていると、私たちのような観光客とは「世界が違う」と思えてしまいます。
母と私は、1時間ぐらい遊んだところで部屋に戻りましたが、父はなかなか戻ってきません。 結局、母と私が寝ようとした頃に、「スロットマシンで2万円すった」と言って戻ってきました。
翌日、午前11時ごろにホテルを出て、他のホテルの探検に出かけました。
MGMグランドホテルから大通りを北へ進むと、巨大なホテルが次々に現れます。
どのホテルも、カジノや劇場を併設していて、中には、それ自体がテーマパークとなっているようなホテルもあります。
夜になると、どのホテルでも派手なショーが催されます。
私たちは、ショーの広告紙や、出発前に姉がWWWで調べてくれたラスベガス情報を見比べて、スターダストホテルの「Enter the night」というショーを見に行くことにしました。
空は雲一つない快晴。 砂漠の真ん中のラスベガスはさすがに暑く、通りを歩いていると、すぐに冷房の効いた建物の中に入りたくなってしまいます。
30分ほど歩いたところで、ミラージュホテルに入り、ホテル内のピザレストラン「カリフォルニア・ピザキッチン」で昼食。
そこで、ウェイトレスにショーの広告紙を見せてスターダストホテルへの道順を尋ねると、「ここから3ブロック北だよ。
あんたたち、このショーを見に行くのかい?
私はそれを3週間前に見た。ベリー・ベリー・グッドだよ」と教えてくれました。
そのあと、ミラージュホテルのカジノでまたまたゲーム。
私がビデオポーカーでほどほどの浮き沈みで遊んでいる間に、近くにいた母が、スロットマシンで大当たりを出しました!
ハーフダラー(50セント硬貨)のマシンで320枚、160ドル。
昨日までの負け分を一気に取り返すほどの大当たりです!
当然、マシンは支払途中でコイン切れになり、スタッフがコインの補充にやって来ました。
(写真: 大当たりの出たスロットマシン。
右の2つの印は「ワイルドカード、かつ賞金2倍」で、「777」の賞金80枚×2×2で、320枚となる。)
カジノで遊んだ後は、スターダストホテルに向かって、大通りを北に歩きます。
3ブロックと聞くと近いようですが、1ブロックの大きさがとてつもなく大きく、なかなかたどり着きません。
途中、トレジャーアイランド(Treasure Island/宝島)というホテルの前に、何やら人だかりができています。
見ると、ホテルの前の池のまわりが映画のセットのようなつくりになっていて、左には宝島と島民の船、右には海賊船、そしてホテルの入り口はちょうど桟橋のようになっています。
ほどなく、ここで「宝島」のショーが始まりました。
宝島に攻めてきた海賊たちを島民がやっつける、というストーリーなのですが、とにかく演出が派手!
大砲の撃ち合いで水柱が立ったり、建物が燃え上がったり、とにかく迫力満点です。
最後は、海賊船が大きく傾き、海賊たちがいっせいに池に飛び込み、島民たちが誇らしげに勝利を宣言していました。
さらに大通りを北に歩いて、ようやくスターダストホテルに到着。
お目当てのショーのチケットを買っておいて、ショーが始まるまでの時間は、例によってカジノで時間をつぶします。
夜8時、ホテル内の劇場でショー「Enter the night」が始まりました。
このショーが、また派手な演出です。
トップレス美女の踊りあり、レーザー光線を駆使したきらびやかなステージあり、さらには、ステージの迫りから銀盤が上がってきて、ヒロインがフィギュアスケートを披露するなど、ありとあらゆるパフォーマンスが次々に繰り広げられ、存分に楽しませてくれました。
ショーが終わってホテルを出ると、もう10時近くです。
大通りを南へ1時間ほど歩いて、MGMグランドホテルにたどり着くと、もうくたくた。
ホテルの中のファーストフード店で夕食を済ませた後、母と私は部屋に戻りましたが、カジノに夢中の父は、今夜もゲーム三昧です。
果たして、戦果はいかに…
翌7日朝、ラスベガスを出発し、飛行機でサンフランシスコへ。
サンフランシスコの空港では、日本から到着したばかりの姉が出迎えてくれました。
姉はこれから、父母とともにサンフランシスコに4泊滞在します。
そして、入れ替わりに私がボイジーに戻り、帰国の手続きを済ませてきて、最後は11日に皆そろってサンフランシスコから日本に戻る、という計画です。
4人で空港内のレストランで昼食をとり、タクシーで市内に向かう3人を見送った後、ボイジーへの飛行機に乗り込みました。
6月27日からの11日間、ボイジー、シアトル、ポートランド、ラスベガスの4都市にわたる父母との大旅行。
「ガイド役」としては、とても疲れてしまいましたが、それ以上に、とても中身が濃く、思い出深い、エキサイティングな旅行でした!
7日の夕方に旅行から帰ってきてみると、留守中に、藤本さんという女性からの電子メールが届いていました。
藤本さんは、KTIセミコンダクター(現KMTセミコンダクター)という会社の人事室にお勤めの方で、KTIとMICRON(ボイジーのコンピュータメーカー)が提携するにあたって、ボイジーを訪問するとのこと。 それで、私のWebページでボイジーに関する情報を見つけて、「いろいろとお話を聞きたい」というメールをくださったのです。
(注) この時点では、「Boise on the Web」はまだ存在せず、この日記をはじめとするボイジー関連の情報は、私の個人Webサイト「嘉田 勝のリビングルーム」(現在はありません)に載せていました。
ところが、メールの文面によると、「7日にボイジーに行く」ということで、彼女はすでに日本を出発しているではありませんか!
留守にしていたとはいえ、結果的に、彼女のメールを無視したことになってしまったのです。
でも、私はあきらめませんでした。
WWW上で私のページを見つけて、「ボイジーに行くので会いたい」というメールまでくださった方を、手ぶらで帰すわけにはいきません。
メールに会社の電話番号が書かれていたので、国際電話をかけて滞在先のホテルを尋ね、9日朝、そのホテルに行ってみたのです。
朝8時ごろ、空港近くのホテル「Hampton Inn」に行ってみると、ちょうど、日本人とおぼしき若い女性がロビーにおりてきたので、日本語で話しかけてみると、やはり藤本さんでした。
彼女はとても驚いたようすで、「お会いできてうれしいです!」と言ってくれました。
ほどなく、彼女の上司の井上さんもロビーに現われ、あらためてごあいさつ。
なんでも、今回の訪問は、MICRONとの提携にあたって、KTIのエンジニアを大量にボイジーに派遣するので、そのための現地情報の調査が目的とのこと。
それで、ボイジー在住の日本人である私に「話を聞きたい」というわけです。
さっそく、ロビーでコーヒーを飲みながら、Social Security Officeや運転免許の手続きなどについて、いくつかの質問にお答えしました。
そして、「今夜ごいっしょにお食事でも」ということになり、午後6時半にロビーで会う約束をして、いったん別れました。
私のほうは、帰国を2日後に控え、銀行口座や電力・電話の解約、荷造り、部屋の掃除など、最後の準備に追われていました。
シアトル・ラスベガス旅行から帰ってきたとき、引越準備のことも考えて、空港で急遽レンタカーを借りたのですが、これが大正解!
帰国荷物はスーツケース2個とショルダーバッグ1個、重さの合計は私の体重並みで、これらを空港に運ぶだけでも一苦労です。
さらに、すでにTomekに自転車を返してしまったので、大学と自宅の間の移動にも車が必要、ということで、レンタカーなしではどうにもなりませんでした。
午前中に部屋の片付けがだいぶはかどったので、午後は、気分転換にドライブに出かけることにしました。 行き先は、父母のボイジー滞在中に行くのを断念した(→6月27日)、スネーク川猛禽類保護区(Snake River Birds of Prey Area)です。

ボイジーからフリーウェイで隣町のメリディアン(Meridian)へ、さらに、ハイウェイ(州道)を通ってキューナ(Kuna)という小さな町を抜けると、そこから先は、枯草色の荒涼たる原野の中を行きます。
道路はどこまでも一直線に伸び、対向車もめったに現れず、一人で運転していると「孤独」を感じてしまいます。
そんな道を、65マイル/時(およそ100km/h)ほどのスピードで、ひたすら走っていきました。
ボイジーから1時間ほどで、スネーク川の峡谷地帯の見晴らし台に到着しました。
見晴らし台に立つと、雄大な河岸段丘と、谷底を流れるスネーク川の風景が見渡せます。
グランドキャニオンには及ばないかもしれませんが、いかにもアメリカ的な、スケールの大きい風景です。
AUAPの学生の方々は、見学旅行(field trip)でここを訪れていて、Deanが撮影したAUAPのビデオで、この風景を見たことがありました。
それで、私も滞在中に訪ねてみたいと思っていたのです。
その念願を、帰国2日前にして、ようやく達成できました。
それにしても、父母をここに連れて来られなかったのが、ちょっと残念です。
さらに段丘上を上流方向に行き、そこから段丘崖に張り付く急坂を下ると、スワンフォールズダム(Swan Falls Dam)に出ました。
このダムは、地元の電力会社(Idaho Power)の水力発電所になっています。
発電所の建物の中は一般に公開されていて、ダム建設の歴史や電力に関する展示、それに、古いタービン室の内部まで見学することができました。
午後6時半、Hampton Innのロビーで、藤本さん、井上さんと再会。
まずは、市街地のお土産物屋「Taters」でお土産を物色。
私も、日本で友人に配るためのお土産をたくさん買っておきました。
そのあと、日本食レストラン「ZUTTO」へ。
ボイジーの日本食レストランのリサーチも、お二人の「任務」のひとつなのだそうです。
寿司、刺身、焼き鳥などをつつきながら、ボイジーでの生活などについて、話がはずみます。
それにしても、KTIの人たちにとっては、私がWebに書いた情報がとても役に立っているとのことで、驚きました。
もともと、私のページのボイジーに関する情報は、家族や友人に読んでもらうためと、自分自身の記録というか記念にするため、という意識で書き続けてきたので、こんな形で役立ててもらえるとは思いませんでした。
しかも、このページを公開していたことがきっかけで、日本からの訪問者とボイジーで出会えるとは、思ってもみませんでした。
あらためて、インターネット、特にWWWの影響力の大きさを感じました。
それも、お二人の訪問がもう少し遅ければ、私とは行き違いになってしまったところです。
帰国を目前にして、お二人とこの地で出会えたことを、とてもうれしく思いました。
ここでのお二人とのコミュニケーションがきっかけとなって、帰国後、「Boise on the Web」を作り始めることになったのです。
帰国前日の10日も、最後の準備に追われ、ボイジーとの別れを惜しむ余裕はありませんでした。
午前中は、大学のオフィスから私物を運び出し、事務室にオフィスと建物の鍵を返却しました。
10ヶ月にわたったBSU訪問も、これでおしまいです。
長いようで短い研究訪問でしたが、それなりの研究成果は実感できました。
TomekもMarionもAndrzejも、今はボイジーを離れているので、会えません。
何より心残りなのは、Mollyにお別れを言えなかったことです。
5月中旬に彼女と会ったときに、「6月下旬に両親がボイジーに来る」と話すと、彼女は "I'd love to see them!"(ぜひご両親にお会いしたい)と、おそらく社交辞令ではなく本気で言っていました。
ところが、6月下旬に電子メールや内線電話のボイスメールで彼女に連絡を試みても、最後まで連絡が取れませんでした。
最後に、彼女のオフィスを訪ねてみましたが、やはりお留守。
しかたなく、母が持ってきたお土産に、メッセージカードを添えて、机の上に置いておきました。
午後は、アパートの部屋を掃除して、重い引越荷物をすべて車のトランクに積み込み、管理人に鍵を返却しました。
7月分の日割家賃は支払い済みで、保証金(deposit)の払い戻しは、半月後に小切手で日本に送ってもらえるとのことです。
悠々自適のアメリカ暮らしも終わりと思うと、少しさびしいです。
今夜の宿は、KTIの藤本さんたちと同じHampton Innにしました。
6時ごろ、ロビーで再び藤本さんたちとお会いしました。
今日は、KTIの仕事でダラスに滞在中の田端さんという方も合流しています。
今夜も、彼らの日本食レストラン探検にお付き合いして、4人で郊外の鉄板焼き屋「京都」に行きました。
店の内装や従業員の服装など、いかにも「日本風」ではありますが、でも日本のそれとはどこか違う、という、日本人の目には風変わりな店です。
中国人の料理人が、カウンターの鉄板で、さまざまなパフォーマンスを交えて、牛肉、エビ、帆立貝などの素材を調理してくれて、見ていて楽しいです。
分量はやはりアメリカ人向けで、おなかいっぱい食べました。
ホテルに戻ってくると、夜9時をまわっていました。
Chi AlphaのリーダーのNenoに電話をかけてみると、ちょうど今、Chi Alphaのメンバー数人が集まってビデオの鑑賞会をしているというので、さっそくそこへ行って、お別れのあいさつをしてきました。
ついでに、アパートから持ち出したものの、スーツケースに入りきれなかった不要品を引き取ってもらいました。
翌11日、ついにボイジーを離れる日がやってきました。
ホテルのロビーでゆっくり朝食をとった後、チェックアウト。
空港に行ってレンタカーを返却し、3個の重い荷物を引きずってユナイテッド航空のチェックインカウンターへ。
ここで、サンフランシスコ乗り継ぎで大阪まで、2枚の搭乗券を受け取って、スーツケース2個を預けます。
空港内の売店でお土産を少し買ってから、ゲートの前に行ってみると、日本人のおじさんおばさんの団体が搭乗を待っています。
熊本県小国町から農業の視察に来たということで、このあとはサンフランシスコとラスベガスを訪問するそうです。
飛行機は定刻より少し遅れて、11時20分頃にサンフランシスコに向かって飛び立ちました。
今日はとてもよい天気で、窓の外には、ボイジーの街並みや、一昨日訪れたスネーク川の峡谷地帯が見渡せます。
この風景も、いよいよ見納めです。
こないだ、ボイジーからサンフランシスコへの飛行機が遅れて、接続便に乗り遅れたという経験をしたばかりなので(→7月1日)、今日も遅延が少し気になります。
しかも、次に乗るのは1日1便しか飛ばない国際線、乗り遅れたら大変です。
定刻よりやや遅れて、サンフランシスコ空港に到着しました。
大阪行きの便の出発まであと40分ほど。なんとか間に合います。
少し急いで出国審査と手荷物検査を通り抜け、国際線58番ゲートの前に来ると、父母と姉、それに2日前にサンフランシスコで合流した義兄が私を待っていました。
私一人だけ席は離れるものの、同じ便で日本に帰ります。
再会のあいさつをする間もなく、搭乗開始。
私の席は3人がけの通路側で、隣の2席は日本人の新婚旅行のカップルでした。
1時ごろ、ユナイテッド航空809便は、関西空港へ向けて出発しました。
このところ、引越準備などで慌ただしかったこともあって、「日本に帰る」という実感は、あまり沸いてきませんが、それでも、確かに、この先は「日本」に通じているのです。
アメリカから日本へのフライトは、ジェット気流の影響で、日本からアメリカに向かうより2時間ほど所要時間が長く、11時間ほどかかります。
1回目の機内食を食べ終わると、あとはすわりっぱなしで退屈です。
ときどき家族の席に話しに行ったり、ギャレーの近くのスペースで姉と立ち話したり、隣席のカップルと世間話をしたり、ボイジーで買った漫画本を読んだりして、長いフライト時間を過ごしました。
こうして、日本時間の12日午後4時、無事に関西国際空港に降り立ちました。
入国審査と税関検査を通り抜けると、そこはもう、間違いなく「日本」。
ようやく「帰ってきた」という実感がこみ上げてきました。
過ぎ去ったボイジーでの日々の思い出と、日本での新たな生活への期待を胸に抱きながら、父母とともに特急「はるか」に乗り、関西空港をあとにしました。
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