■平安宮跡めぐり1〜神泉苑・弘文院址・大学寮址・南大垣跡

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 平安京跡、平安宮跡の史跡を訪ねて歩くには、何よりも想像力が必要です。なぜならば意外に思われるかもしれませんが、現在の京都には平安時代のものはきわめて少ないのです。これからご紹介する史跡も、おのずと石碑類ばかりになると思います。しかし平安時代、ここに昔何があったのかを考えながら歩くと、また違った京都が見えてきます。

では想像力をたくましくしてご一緒に平安宮を歩きましょう!

まずは平安宮へ入る前に、少しウォーミングアップです(^・^)

平安宮跡めぐり地図

神泉苑

神泉苑  地下鉄二条城前駅展示

 地下鉄東西線二条城前駅からスタートしましょう。改札を出たところには、地下鉄東西線の発掘調査で出土した神泉苑に関連する遺物等が展示されています。「二条」駅と「二条城前」駅は違います。 ご注意を!

 さて地上へ上がって、神泉苑へ。
 二条城によって大きく削平され、今ではわずかに小さな池と中島が残っているだけですけど、かつては東西二町南北四町(東西250メートル南北500メートル)の広大な禁苑でした。禁苑というのは、特権階級だけが入ることを許された遊興の場です。しかし9世紀後半以降、神泉苑は、宗教的霊場としての性格を強め、雨乞いや、御霊会などが開かれました。押小路通沿いの北側には「平安京跡 神泉苑 東端線」の石碑が建っています。平成2年から5年にかけて実施された発掘調査によって、平安京造営当時の神泉苑の範囲が確認されました。また池の汀線や船着場の遺構が検出され、「神泉苑」とへら書きされた瓦も見つかっています。

神泉苑

二条大路北築地跡(平安宮南大垣)

平安宮南大垣

 神泉苑をあとにして、美福通を少し上がった所に、二条大路北築地(平安宮南大垣)跡があります。二条大路北築地ということは、ここを境に北側が平安宮ということになります。
 以前は、歩道上の舗装の色がわかるように変えられていたのですが、道路工事後、アスファルトで塗りつぶされてしまいました。腐りかけた木の棒が唯一の目印です。

弘文院址・大学寮址

 近辺には弘文院址、大学寮址の石碑が建っています。ちょっと寄り道してみましょう。
 大学寮は、いまでいう国立大学、中央の官吏養成機関です。
 大学寮が国立大学なら、弘文院は私立大学。延暦年間、和気広世が父清麻呂の遺志をついで私宅に設けた大学です。
 また千本通三条角には奨学院の石碑があります。

大学寮址  弘文院址

追記

JR二条駅前の広場にも、平安宮跡の案内板ができています。JR二条駅を出発点にされる時は、お見逃し無く!

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