
さあて、いよいよ平安宮へと進みましょう(^・^)

朱雀門址

押小路通に戻りを西へ進み、千本通へ出ます。千本通は、平安時代のメインストリート、朱雀大路です。千本通も広いけど、まだまだ。朱雀大路の道幅は、なんと84メートルもありました。トップの写真は、二条駅前の発掘調査で検出された朱雀大路の遺構です。
さあ目指すは朱雀門!
朱雀大路を上がって行きます。想像してみてください。平安神宮の応天門を、もうひとまわり大きくした門が見えてきませんか? この朱雀門をくぐれば、そこは平安宮です。千本通りの東側に、朱雀門跡の石碑が建っています。
朝堂院跡

朱雀門をくぐり、平安宮に入りました。千本通をどんどん北上していきます。前方に、朝堂院が見えてるはず。朝堂院もずんずん進んでいきましょう。
丸太町交差点の南東角には、朝堂院跡のプレートがあります。朝堂院は、政務・儀式の中心となる建物群です。朝堂院の正殿が大極殿です。
丸太町交差点の北西角のあさひ銀行の前には、「平安宮朝堂院跡」の石碑が建っています。
大極殿跡・小安殿跡・昭慶門跡
交差点をわたり、今度は北西角に立ってみましょう。
この場所より少し北西の内野児童公園の中には、立派な大極殿遺址の石碑(写真上)が建っています。しかし、近年の発掘調査の成果によって、より正確な大極殿の位置がわかってきました。それがちょうどこの場所であり、歩道の舗装にも大極殿跡と標され、大極殿跡のプレートがあります。ということは、千本丸太町を上がった西側のパチンコ屋さんの辺りこそ、高御座(天皇の座)があった場所と推定されます。千本通の西側の歩道には大極殿跡、小安殿跡(天皇が大極殿へわたる前の休憩所)、昭慶門跡を示すレンガが置かれていますので、下を見ながら歩いてください。


豊楽院・豊楽殿跡
丸太町を西に折れて、豊楽院に向かいます。
豊楽院は、平安宮において内裏と朝堂院にならぶ重要な施設で、外国使節などを迎える公の宴会場です。
その正殿である豊楽殿の基壇の一部が発掘調査で明らかになりました。芝生が敷きつめ保存されて、豊楽殿跡の石碑が建っています。凸型に芝を敷いてあるのは、基壇を再現しています。

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