第12章 逸楽の園

 ペラギアとアマールがアレクサンドリアに戻ってから借りた家は、この街でも極めて豪華な一軒だった。彼らはもう三月あまりそこで暮しており、その間にペラギアがいささか趣を加えて、そこを怠惰で贅沢な楽園に変えていた。彼女自身裕福だったし、ゴート族の客たちはローマで掠奪したものを抱えすぎて使い道がまったく分からず、幾多の凄まじい戦闘で勝ち取った宝物を、ペラギアや供の美女たちに思うさま蕩尽させていた。何が問題なのだ。十分に食べ、十二分に飲んだなら、使い道のない余分なお宝は、己の君様をご機嫌にしておくのに使うより良い手があるか。……お宝がすっかり無くなったら……どこなりと——行き先など気にせず——行ってさらに勝ち取る。全世界が己の前で掠奪を待っているのだ、いつでも都合のいいときにつとめを果そう。それまで慌てることはない。彼らよりはるかに肥えた舌に適うありとあらゆる食物を、エジプトは惜しみなく供給している。葡萄酒はといえば——素面で寝に行く者は、毎週彼らのうちにはほとんどない。ヴァルホッルの広間でもこれ以上のものを、戦士たちの魂は得られるものか。

 家の中庭を占めた一党はそう考えた。キュリロスの使いがあのようにだしぬけにスケティスの静穏を破ったのと同じ週の、ある眩しい午後のことである。

 少なくとも彼らの憩いは依然として乱されていない。外では大いなる都市が唸りをあげていた。オレステスは企み、キュリロスは企み返し、大陸は岐路に立っていた——あるいは立っているように見えた。だが内ではその動乱は、荷車の車輪の唸りがペラギアの家の中庭にある金ぴかの鳥籠の日除けの下に住むインコやタイヨウチョウを騒がせるほどにも、この怠惰なティタンを煩わせはしなかった。いったいなんで思い煩わねばならん。新たな動乱、処刑、破産はみな——採り頃に機が熟しているしるしにすぎるまい。ヘラクリアヌスの反乱やオレステスの共謀疑惑でさえ、ゴート族のより若く粗野な者にとっては、見て笑って朝から晩まで賭けのたねできる児戯の類だったが、他方、スミッドやヴルフのようにもっと頭のきれる者にとってはあまねき腐敗のしるし——少年のように単純に力を自覚して、自分のいいときに攻めて勝つ気でいる巨壁に入った、新たな亀裂にほかならなかった。

 いい潮時になるそのときまでは、飲み、食い、眠るよりほか何が良い。もちろん、その立派なつとめを果すために、魅惑的な閑居を選んだのだ。紫と緑の斑岩でできた円柱の間では、白い腕の煌めく精巧な彫像が何体も池を囲んでおり、絶えず池に水を注ぐ噴流は冷たい水煙で合歓や橘を潤し、そのせせらぎが枝に巣をかける熱帯の鳥のさえずりに重なっていた。

 泉水のそばでは、広葉の椰子の木陰にアマールが寝転がって座布団から力強い腕を延ばし、黄色い髪に葡萄の葉を戴いて黄金の杯を手にしていたが、その杯はインドのラジャからパルティアのホスローが勝ち取り、ホスローからローマの将軍たちが勝ち取り、ローマの将軍たちからは羊皮馬革の勇者たちが勝ち取ったものだった。眠れるヘラクレス・ディオニュソスの傍らにはペラギアが横たわって、泉水のふちに身を傾けて気怠げに指を水に浸し、水面を漂う羽虫のように、ただ今存ることの喜びを身に浴びていた。

 池の反対の縁に寝転んで、酒杯を満たしては次々に干すのを手伝う黒い目のヘーベーに各々かしずかれているのは、アマールの手勢のうちでも特別な相談役である友人たち——アマール同様神々の末裔と誇るエルメンリックの息子ゴデリックと、クニファの息子アギルムント、そして最後に、少なからず最重要で神聖なほどの名士、人の子離れした業師ぶりで畏れられるトロールの息子スミッドだった。なにしろ彼は、箱船から金の腕輪まで何でも作ったり直したりでき、馬に蹄鉄を打ったり治療したり、人でも獣でも万病を呪文で癒し、ルーン文字を刻み、戦の凶兆を破り、天気を予測し、風を起こし、ついには蜂蜜酒の呑み比べではオウィダの息子ヴルフを除いて全員に勝ったばかりか、じつのところ、半ば文明化した中部ゴート族の間に逗留するうちに、ラテン語とギリシャ語にそれなりに与り、まがりなりにも読み書きの知識を得ていたのである。

 ヴルフ爺は一間ほど離れたところで仰向けになり、膝を立て手を頭の下に重ねていたが、眠っているときでさえ意識の半分では、こんな知的な会話に不平を唱え続けていた——
「いい葡萄酒じゃねえか、こりゃ」
「極上だあ。どいつが持って来やがった」
「ミリアム婆が持って来たのさ、誰だか大徴税人の売り立てでよ。そいつは破産しちまったとかで、ミリアムは半値で酒を手に入れたって言ってたな」
「ざまあみろ、小銭稼ぎの悪党め。この取り引きで儲けが出るよう、雌ぎつね婆が案配したのは請け合うぜ」
「だとしても気にすんな。男衆らしく稼ぎゃ、男衆らしく払える」
「無駄遣いできるのも長くあるまい、この体たらくでは」とヴルフが唸るように言った。
「そしたら出かけてまた稼ごうぜ。だらだらしてんのには飽き飽きだ」
「やりたくなきゃ、やる義理は無えよ」とゴデリックが言った。「ヴルフと俺はこないだの朝、砂丘で王者にふさわしい狩りをやったぜ。ここ一週間まるきし食欲無かったのが、それからってものドナウ川のカマスみてえに腹ぺこよ」
「狩るって。都督があんたを騙して買わせた、竹馬に乗った狐ってふうな、ああいう、足の長げえ、ふさふさ尻尾の獣か」
「とにかくああいうやつの群れを狩り出したんだ——ここじゃ何ていうんだっけか——山羊の角した鹿は」
「羚羊か」
「それそれ——犬どもはそいつらに、家鴨の群れに飛び寄るハヤブサみてえに駆け寄った。ヴルフと俺はあのいまいましい砂丘を、馬が走れんようになるまで駆けに駆けた。で、馬どもがまた一息ついたら、犬が組になって鹿をはさみうちにしてんのが見つかったんだ——ほかに何やろうってんだ、戦えねえってのに。それを食ってんだから、嘲うことはねえだろ」
「そうだな、犬だけは値打ちもんだ。このアレクサンドリアの産ではよ」
「すてきな美人はべつよ」と娘たちの一人が口をはさんだ。
「もちろんだ、女はべつにしとこう。だが男どもときたら——」
「どうなんだ。俺はここに来てから男は見ねえな。沖仲仕が一人二人と——坊さんと、紳士とかいうけっこうな奴——だがあれを男とは言わんだろ、まったく」
「いったいあいつら、驢馬に乗るほか何やってんだ」
「哲学してんだとよ」
「何だそりゃ」
「知らねえよ、ぜんぜん。なんか奴隷の書き物仕事みてえなもんだな、たぶん」
「ペラギア、哲学するって何だか知ってるか」
「知らない——気にもならないわ」
「知ってるぞ」とアギルムントが、至高の叡知といった様子で言じた。「こないだ哲学者を見た」
「で、一体どんなもんだった」
「言ってやろう。港に向って大通りを下ってたんだが——ここじゃ男なんて言われてる——餓鬼の群れが、大きな玄関に入ってくのを見たんだ。それでそいつらの一人に何やってんのか訊いたのさ。そしたらそいつ、答えもしねえで俺の足を指さして、ほかの猿どもをみんな笑わせやがったのよ。それで横面叩いてやったら、そいつ転げやがってな」
「ここの連中ならみんなそうだぜ、おまえがびんたをかませばよ」とアマールは、まるで高度な帰納法に基づいて辿りついたかのように、考え深い様子で言った。
「あら」とペラギアは言って、最高に魅力的に微笑んで見上げた。「あの人たちはあんたみたいな巨人じゃないもの。あんたって、あわれな小ちゃい女だと獅子に踏まれたかもしかみたいな気分になるわ」
「さて——そこで気づいたんだが、俺がゴート語で話したもんで、その餓鬼には分かんなかったんだな。ギリシャ人だったし。それで訊くのはよして、扉のほうに歩いてって、自分で見ようとしたのさ。そしたら手出すやつがいやがって——金だなって思った。それでそいつに二三枚金貨をやってびんたかましたら、もちろん転げやがったけど、御満悦ってふうだったぜ。そうして俺は入って行った」
「で、何を見た」
「大きな広間があって、勇者がたっぷり千人入れる広さだったんだが、石筆と石板で書き物してるエジプトの悪がきどもでいっぱいだった。そこの一番端っこにゃ、今まで見た中じゃ一番っていうすんげえ綺麗な女がいた——まったくの金髪で目が青でさ、もう喋る、喋る——何言ってんだか分かんなかったけどよ。けど驢馬乗りどもはすげえいい話だと思ってたらしいぜ。何しろやつら、初めはその別嬪をずっと見て、次には石板を見て、日照りの蛙みてえに口開けてたしな。いやほんとあの女、お天道様ほど綺麗だったし、アルルーナの女って感じに話してた。何の話だか分かったわけじゃねえけどよ、なんでだか分かるやつもいんのさ、な——それから俺は寝ちまって、目覚して出てきたら、俺の言うこと分かるやつがいて、ありゃ有名な娘だ、偉大な哲学者だって言うのさ。それで俺は哲学のこと知ってんだ」
「ならその女ほんとに無駄にしてるよな、そんな手弱いもやしどもなんぞにかまけて。なんで誰か勇者と一緒にならねえんだ」
「ここには結婚する相手が居ないからよ」とペラギアは言った。「とっくに引っ掛けられちゃってる人は別だと思うけど」
「けどそいつら何話して、何をやれって言うんだ、ああいう哲学者ってのは。ペラギア?」
「あら、あの人たちは誰にも何をしろなんて言わないわよ——少なくとも、あたしに分かるかぎりじゃ、言ったところで誰もやりゃしないわ。そうじゃなくて、太陽とか星とか、善悪だとか、霊だか魂だか、なんかその手のことを話すのよ。それと、あんまり楽しみすぎないことだとか。あの人たちが誰にしろ他の人よりちょっとでも幸せでいるのなんて見たことないけど」
「その女はアルルーナの乙女に違いない」とヴルフは独り言半分に言った。
「あの女すごい自惚れ屋よ。あたし大嫌い」とペラギアは言った。
「そうだろうよ」とヴルフは言った。
「アルルーナの乙女って何なの」と娘たちの一人が尋ねた。
「何かおまえみたいなもんだ、鮭と蛭が似てる程度だがな。勇者どもよ、サガを聞くか」
「冷やっこいやつならな」とアギルムントが言った。「氷とか、松の木とか、雪嵐とか。三日やそこらでこんがり日焼けしちまうぜ」
「ああ」とアマールは言った。「二時間ばかりでも、もっぺんアルプスにいられりゃあな。雪の坂を橇滑り、あられが耳んところで唸って。ありゃ面白かった」
「座ってられたやつにはな」とゴデリックが言った。「誰だっけ、真っ逆さまに氷河の割れ目に落っこちて五十尺の雪から掘り出され、殺したての馬に詰められて、そんで生き返れたやつ」
「あんたじゃないでしょ、きっと」とペラギアは言った。「ああ、あんたってすごい人ね。なんてことやって、なんて目に遭ってきたの」
「そうさな」とアマールは、独り善がりながら無感動を装って言った。「生きてきたなかで、けっこういろいろ見てきたと思うがな」
「そうよ、あたしのヘラクレス。あんたは十二の難行をくぐり抜けたのよ。そういうの全部やってから、あんたのかわいそうな小ちゃいヘーシオネーが鎖で岩に縛られて、醜い海の怪物の餌食にされるところを助けたの。ヘーシオネーはあんたに感謝して、今度はあんたを苦境から遠ざけるつもりよ、それがあたしのためなの」ペラギアは、牡牛のような太い首に腕をまわして我が身に引寄せた。
「わしのサガを聞くのか」とヴルフはいらいらと言った。
「もちろんだ」とアマールは言った。「何か暇を潰そう」
「けどそりゃ、雪のにしてくれよ」とアギルムントが言った。
「アルルーナの女たちのでなくてか」
「それもだ」とゴデリックが言った。「俺のおふくろもアルルーナの女なもんで、俺はこっちの肩を持たにゃならんのよ」
「そうだったな、ぼうず。かの母の息子たれよ。さあ聞け、ゴートの狼ども」
 そして老人は自分の小ぶりな提琴、あるいは彼は「フィーデル」と呼ぶだろうが、それを手にすると自分で伴奏しながら歌い始めた。

野宿りの焚き火を囲み
勇者どもと飲みながら
ドナウの河の堤のしたの
雪室のなかでぬくもって
語り部の歌を俺は聞いた。
頭がよくて由緒ある
甘い蜜の声をした
長鬚族の者らのことを。
狼の子を脅えさせ
みみずくを飛び立たせ
松の大枝から落ちる
雪煙を震わせて、
星天井まで
歌は響いた。
ヴィニルの男どもが
流氷を超え
スカンの国から橇で来て
どのようにして勝ったかを、
フレイヤの愛でしびと
アヨの母
イボルの母たる
ガンバラを歌い、
ヴァンダルの男ども
アンブリとアッシが
ヴィニルの民に
戦の言葉をもたらしたさまを歌い、
「余所者どもよ、おまえらは小勢
俺たちは多勢。
さあ俺たちに代と金、
布糸と指輪と牛肉を出せ。
出さないのなら烏の餌食
鋭い矛の悲運を受けろ」


そこで小人の細工を握り
牛革の盾を手にとって
身には灰色の鉄を帯び
それからヴィニルの者はみな、
アルルーナの息子たち
アヨとイボルはそうしていった。
怒りが心に広がった
女どもはみな泣き叫び
アルルーナの女は声をあげた。
嘆かなければならなかった。


朝の国からやって来て
吹き溜まる雪をこえ
麗しのフレイヤが訪れた、
勝利のために足どりも軽く。
前には白く
凍てつく荒れ野が
後には緑に
花咲いた。
黄金の髪は
春の花を、
衣は
南の風ふりまいて、
樺の木にいるウタツグミを
目覚めさせては
家刀自をみな淑やかにして
己らの勇者の帰りを待ち焦がれさせ、
愛し、愛を与える
フレイヤは勝利のために
ファラのうちでも一番の知恵者——
ガンバラのもとを訪れた。
「ファラよ、なぜ泣く
広漠たる蒼天の彼方
遥か高き精霊の家で
私はおまえの嘆きを聞いた」


「泣かせてください、
一人で七人と戦えないなら。
私の息子は、丈高い勇者
剣においては随一の者たち。
この日はヴァンダルの手にあって
鷲どもに引き裂かれ、
そうするうちにも彼らの母は奴婢のように疲れ果て
ヴァンダルどもに骨折るさだめ」


アルルーナの女は涙を零し
麗しのフレイヤは口づけた——
「遥か遠き朝の国
ヴァルホッル高く
窓が開いている。
その敷居は雪の丘
その柱は瀧なす水
飛び行く嵐がその横木
うえには金の鱗雲が
重なり屋根をかけている。
遥か高き精霊の家
浩々たる蒼天の高み
そこから万物の父オージン
朝になるたび微笑みかける。
雲の庇の下から
勇者らに微笑み
淑やかな家刀自みなに微笑み
子をなす雌馬に微笑みかけ
鍛冶の仕事に微笑みかける。
武運が彼らのものとなり
誉れは彼らとともにある、
そうオージンは誓うのだ——
朝一番に
オージンに会うて迎え奉れ。


アルルーナはまだ泣いていた——
「誰がお迎えできましょう
ここに居るのは女子らばかり。
遥か荒れ野の
戦のシナノキの樹々の陰で
ヴィニルの勇者どもはみな
一対七で空しくも
矛の悲運を待っています」


女神はやさしく笑うて曰く
「私の勧めを聞くがよい。
おまえに企みを取らせよう、
フレイヤの愛でしびとよ。
おまえの女衆を使え
乙女たちや刀自たちを。
そのくるぶしで
白い戦馬をはさみ
胸には
固い鎖帷子を結び
唇には
企みの長い編み髪を——
それならおまえたちを鬚面の、戦をする獣だと
王者オージンは思うはず。
灰色の海辺を離れて
日が昇り、おまえたちがお迎えするときに」


夜の息子が
金色の馬どもを駆ると
東のフィヨルドの空高く
そのたてがみが煌めいた。
万物の父オージンは
楽しい戦を待ちながら
雲の庇から微笑みかけた。
フレイヤは横に並び立った。
「誰だ、あの丈高き勇者——
腕逞しく鬚長き者たちは。
白鳥の湖を越えて
何故彼らは私を喚ばう。
骨は早々と砕け散り
狼たちは喰うて満ち足りよう。
かように心に怒り満ち
剣交えて手振るところでは」


フレイヤはやさしく笑った——
「彼らに名をお与えになった——
あなたも彼らも恥じることなく
彼らがよく担い得る名を。
彼らに勝利をお与え下さい
初めにあなたを迎えた彼らに。
彼らに勝利をお与え下さい
彼ら我がともがらに。
この者どもは乙女らと刀自——
ヴィニルの妻どもなれば。
その勇者は少しもおらず
遥か遠い戦の途にある
ために白鳥の湖越しに
あなたに叫んでいるのです」


そこで彼は王らしく笑った。
彼への企みは愛らしく
万物の父オージンは
雲を揺さぶり
「女はみんな狡猾で
ずうずうしくて疎ましい。
名は長鬚族とするがよい
烏どもは感謝せよ
女どもが勇者であれば
男は何に似るべきか。
勝つのはやつら
助けは要らぬ」

【原注】 この地口の伝説は、Paul WarnefridのGesta Longobardorumに見られる。韻律と用語はより初期のエッダの詩を故意に模倣している。

「ほれ」と、歌が終るとヴルフは言った。「たっぷり涼んだか」
「つうか寒すぎら、なあペラギア」とアマールは笑って言った。
「ああ」と老人はじつに苦々しげに続けた。「おまえたちの母御はああだったし、姉妹もそうだったのじゃ。おまえたちの女房もそうでなきゃならん。この世で長持ちしようというなら——いいもん飲み食いするだの、やらかい寝床で寝るだのより、何かもっとましなことを気にかける女でないと」
「まったくそのとおりだ、ヴルフ大公」とアギルムントが言った。「けどそのサガはやっぱ好かねえや。似すぎてたぜ。このペラギアがあの哲学者ってのが話すって言ってる——善悪だの何だのの話と」
「違いねえ」
「けど俺は本当にいいサガが好きなんだ。神々とか巨人とか、火の王国と雪の王国とか、アース神族が二本の丸太から男と女を作ったとか、そういうやつ」
「ああ」とアマールは言った。「何か生きてるうちにゃ誰も見たことねぇような、一切合切すっかりあべこべで、酔っ払ったときの夢みてえなやつな。凄すぎてわけ分かんねえんだけど、次の朝にはずっとそのこと考えさせられちまうんだ」
「そうだな」とゴデリックが言った。「俺のおふくろはアルルーナの女だし、俺はてめえの巣を汚す鳥にはなりたかねえのよ。けど好きなんだよな、野獣とか幽霊とか人食い鬼とか火吹き龍とかニコルとか——親父たちみたいにそいつに出くわしたら殺れたようなやつの話を聞くのがさ」
「おまえたちの父御はニコルを殺っとるまい」とヴルフは言った。「もし彼らが」——
「俺たちみてえなら、だろ——分かってる」とアマールは言った。「なあ大公、言ってくれよ。あんた俺たちの親父になれるぐれえの歳だしよ。で、あんたニコルを見たことあんのかい」
「わしの兄貴は北の海で一匹見たぞ。三間はあって、野牛の体に猫の頭、人の髭で、牙は三尺の長さで胸まで届き、それが漁師どもを待ち受けとった。そこで兄貴が矢を射たら、そいつは海の底に逃げ込んで、二度と上がってこなんだ」
「ニコルって何なの、アギルムント」と娘たちの一人が尋ねた。
「船乗りを喰らう海の怪物だ。俺たちの親父がもと居たとこには、そいつがうじゃうじゃいたんだと。それに人食い鬼もな。こいつは夜に沼地から広間にやってきて、戦士が寝てたら血を吸うのさ。抜き足差し足そーっと近づいて、おまえに飛びかかんのさ——それ!」

 ペラギアは、サガの間中ずっと泉を見つめて水滴を弄び、気のないそぶりをしていた。それはぱっと赤らんだ頬や、人知れずさざ波に落ちた二筋の熱い涙のようなものを隠すためだったのかも知れない。だが彼女は急に顔をあげた——
「もちろんそうゆうおっかないやつとか、殺ったんでしょ、アマラリック」
「そういう幸運はなかったなあ、いい子ちゃん。ご祖先様がさっさとやっちまって、俺たちが生まれた頃にはほとんど一匹も残ってなかった」
「ああ、彼らは男ってもんだった」とヴルフは唸った。
「俺が」とアマールは続けた。「殺ったなかで一番でかいのは、ドナウの沼地の蛇だったな。どれくらい長かったっけ、大公。あんた見る暇あっただろ。なんせあんた座って飯食いながら見てたんだから、そいつが俺の骨を折ろうとしてんのを」
「四間だ」とヴルフは答えた。
「横にはそいつが殺ったばかりの野牛が転がってた。俺はやつの晩飯を横取りしたのさ、な、ヴルフ」
「うむ」と不平屋の老人は気を和らげて言った。「あれはまさに戦いだった」
「じゃあ、なんであれをサガにしねえんだ。善悪だの何だのの代りにさ」
「わしは哲学者になったからな。今日は昼から、アルルーナの乙女のところに行って話を聞くつもりだ」
「いいこと言うな。俺たちも行こうぜ、若衆。何にしても暇は潰せるだろ」
「ああ、だめ。だめだめ、だめよ。行っちゃだめ」と、ペラギアはほとんど悲鳴のように声をあげた。
「いったいなんでだめなんだ、かわいこちゃん」
「あいつ魔女よ——あいつ——どうしてもあいつんとこ行くんなら、二度とあんたのこと好いてあげない。あんた、アギルムントが美女だって言うからってだけだもん」
「ははん、おまえの黒い巻き毛よりもその女の金の巻き毛のほうが、俺好みじゃねえかと心配なんだな」
「あたしが? 心配?」。彼女は跳び起きて、相当頭にきて息をはずませた。「いいわ、一緒に行く——すぐ行きましょう——あの尼と対決してやるわ。自分は賢すぎて女とは話せないし、男を愛するには純粋すぎるなんて自惚れてるあの尼と。あたしの宝石どこ。あたしの白騾馬に鞍を乗せてよ。堂々と行きましょう。クピードーのお仕着せを恥じたりしないわ——女子衆さん! サフラン染めの肩かけとか全部よ! 行って見てやろうじゃない、いかしたアプロディテパラス・アテナとそのふくろうに結局かなわないのかどうか!」

 そして彼女は矢のように回廊を飛び出した。

 若いほうの男三人はどっと大笑いしたが、ヴルフのほうは容赦なく賛同したようだった。
「ならあんた、その哲学者の話を聞きに行きたいのか、大公」とスミッドが言った。
「聖なる賢女が話しとるならどこだろうと、戦士は耳を傾けて恥じぬものよ。ローマの尼さんたちには手出しするなと、アラリックは命じなかったか、友よ。わしはアラリックみたいにキリスト教徒ではないが、尼どもの祝福を受けてはオージンの士の恥なんぞとは思わなんだ。今度のを受けるのも恥じる気はない。トロールの息子スミッドよ」

最終更新日: 2004年9月11日   連絡先: suzuri@mbb.nifty.com