第18章 都督の試練

 我々の前から姿を消したピラモンは、己が運命のままに旧友たるゴート族の間にまたとび込んで、人の安らいには大切な二つのもの、自由と姉とを探していた。前者はゴート族の有象無象がだらだらと飲んだくれている大広間ですぐさま見つかり、ピラモンは後ずさって最寄りの隅に立ち尽くしたが、先の恐れも激情もすっかり忘れて、ある新たな考えに心奪われた——姉さんがこの家にいるかも知れない!……そして甘い夢に耽って、あの陽気な娘たちのうちの誰が、すぐにも天上天下の何にもまして親しく大切なものになるはずの彼女なのかと、独り考えはじめた。あの金髪の豊満なイタリア人だろうか。あちらの険しくもあだっぽいわし鼻のユダヤ娘か。あの肌の浅黒い、流し目の華奢なコプト人か。いや。姉さんは自分と同じくアテナイ人だ。では、あの背の高い気怠げなギリシャ娘、たまに眠たげな瞼の下から、おそらくその所有者すら思いがけない陶冶されざる思考と情緒の深淵を露にする突然の稲妻を閃かせるあの娘か。あの娘なのか。それとも姉っぽく見えるだけなのか。それとも隣の娘か。……あるいは——娘たちのうちで最も美しく罪深いペラギア本人だなんてことは。恐ろしい考えだ。あからさまな想像に彼は真っ赤になった。それなのに内心、この仮定がああいう考えのどれよりも心楽しいのはなぜなのか。そしてふと、船の甲板にいた娘たちの一人の所見、彼がペラギアと似ているというのが脳裏に閃いた。変だ、これを今まで思い出さなかったなんて。きっとそうだ! だが細切れの暗示や推量を編み上げるこの「必然」は、なんと細い糸に頼っていることか。自分は正気だし、待てるし、我慢できるはずだ。我慢だって。姉がまだ見つからず、ことによると死んでいるかもしれないのを? 無理だ!

 唐突に彼の一連の考えは変化を強いられた。——

「来て! 来てみて! 通りで喧嘩してるの」と姫君たちの一人が階段を下りて、自分に出せる限り最も甲高い声で呼び立てたのである。

「俺ぁ行かねえ」と、仰向けになって長椅子で寝ていた巨漢はあくびをした。

「ああ来てよ。あたしの勇者さん」と娘たちの一人が言った。「すごいいかした暴動よ。都督本人が真っただ中にいるの。こんなの今月は、この通りでは無かったわね」
「あんな驢馬乗りどもの脳天なんざどれも、大公たちは俺に殴らせる気は無かろうさ。俺は他のやつがやってんのを見て羨むだけだぜ。酒壷を寄越せや——ちくしょうあの娘っ子、二階に走って行きやがった」

 叫び声と轟々たる足音はますます近づいて来た。それからすぐにヴルフが階下に駆け降り、後宮の中庭を抜けてアマールの前に進んだ。

「王子——わしらにとっちゃいい巡り会わせだ。あの悪党ギリシャ人どもが、ここの窓のすぐ下であいつらの都督を殺っとる」
「嘘つきの野良犬野郎め。俺たちを騙しやがったんだから当然の報いだ。やつには衛兵が大勢いるだろ。なんであの阿呆は自分の面倒を見れねえんだ」
「衛兵どもは逃げちまった。連中が何人か野次馬に紛れるのを見た。きっとあの男は五分やそこらで殺られちまうぞ」
「何でいけねえんだ」
「何でって、助太刀してやって勝ったら、やつはわしらにずっと恩にきるだろうが。漢の指ってもんが戦いとうてうずうずしとるんだ。時には猟犬に血を味わわせんともくろみが悪い、さもないと犬どもは狩のこつを忘れちまうぞ」
「ふうむ、五分もかからねえだろうってか」
「それにだ、敵が難儀しとれば情けをかけてやれるんだと証しせんとな、勇者どもはな」
「ほんとにそうだぜ。アマール族ってもんらしくな」アマールは跳ね上がると、自分に続けと仲間に叫んだ。

「じゃあな俺のかわいこちゃん。けどヴルフ、なんで」と中庭に飛び出しながら彼は大声で言った。「なんでまた俺らの坊さんがここにいるんだ。オージンに誓って、歓迎するぜ、俺の男前君。おまえも一緒に来て戦えや、兄ちゃん。何のために腕があるんだよ」
「こいつはわしの手下だ」と、ヴルフはピラモンの肩に手をかけて言った。「こいつも血を味わわんとな」そして三人は駆け出したのだが、目下ピラモンは何でもござれの無鉄砲な気分だった。

「鞭を持って来い。剣はほっとけ。あんな連中にゃもったいねえ」とアマールは叫んで、十尺ほどの重厚な皮紐を見せつけるように振り回しながら通路を駆け下って門をばっと開け放ち、次の一瞬、ひしめいてうねり寄せる暴徒にたじろいだ——が、ゴート族が腕力に体重を加えてひと打ちひと打ち不運な悪漢を打ち倒し、恐ろしい連れを従えて暴徒の間にまっすぐ道を切り開いて行くにつれて、暴徒はまたうねり戻った。

 だがゴート族はやっと間に合った。四頭の白馬は血を流して互いに後脚を蹴り上げながら転げまわっており、オレステスは戦車の中でふらふらしながら顔には血を垂らし、二十もの修道士の手に掴まれていた。「また修道士だ」とピラモンは考えた。そして彼らの間に一つなず憎らしい顔を見、その顔があの運命の夜にキュリロスの中庭にいたのを思い出すにつれて、報復への猛々しい衝動がピラモンを貫いた。

「やめてくれ」と哀れな都督は悲鳴をあげた。——「私はキリスト教徒だ。誓ってキリスト教徒だ。コンスタンチノープルでアッティクス司教に洗礼を受けたんだ」
「虐殺者を殺せ。異教徒の暴君を殺すんだ。こいつは大司教さまに従うくらいなら福音書の誓願を拒むぞ。やつを戦車から引きずり下ろせ」と、修道士たちは喚いた。

「腰抜けの犬畜生め」と言ってアマールは急に立ち止まった。「あんなやつ助けたかねえぞ」。だがすぐさまヴルフが前に出て、右に左になぎ払った。修道士たちは跳び退り、ピラモンは、まだ抱いている信仰のかくも恥ずべき醜聞を防ぎたい一心で、発作的に戦車に跳び込むとオレステスを自分の両腕に抱き込んだ。

「大丈夫です閣下。暴れないで」とピラモンが囁く一方、修道士たちは彼に非難を浴びせていた。一つ二つ石をぶつけられたが、それは彼の決意を煽るだけだった。次の瞬間には鞭がピラモンの頭の周りで唸りをあげ、慌て退く修道士たちの叫びが、彼の身の安全を告げていた。彼が自分の荷を無事にペラギアの家の門口まで運んで、覗き見して悲鳴をあげる娘たちの群に入ると、アレクサンドリアでもこの上なく愛らしい二十組もの手がオレステスを掴んで、彼を中庭へと引き入れた。

「第二のヒュラースみたいだね。ニンフたちに運び込まれるとは」と、作り笑いをしながら彼は後宮へと消えたが、五分後には絹の小布で頭に包帯をして、常のつけつけした態度を能うかぎりかき集めて再び現われた。

「族長閣下——勇士諸君——私は君たちに捧げられた奴隷だ。君たちは命の恩人だ。何より救出のときの武勇ときたら、これにまさるは治療の愉楽ばかり。またの機会にもあんな手の世話を受け、あんな足が我がために勤しむという悦楽のためなら、喜んで第二の傷を受けように」
「五分前にゃそうは言わんかったろうぜ」とアマールは、まさに猿を見る熊の目つきで都督を見ながら言った。

「手足のことは気にすんなや、兄ちゃん。あんたのじゃねえんだからよ」と背後で、おそらくスミッドのものらしいぶっきらぼうな声が述べ、笑い声が続いた。

「我が救い主、我が兄弟よ」と、丁重に笑い声を無視してオレステスは言った。「どうすれば恩返しできるかな。ここでの公職によって私にできることが何かあるだろうか——報償するなどと言う気は無い。報償だなんて、自由な異邦人たる君たちの品格に見合わない言葉だ。——だが何かお楽しみになるようなことは?」
「この界隈を三日間劫掠させてくれや」と誰かが叫んだ。

「ああ、真に武勇は障害を見くびりがちなもの。小勢なのを忘れておられる」
「言っとくがな」とアマールが言った。「言っとくが、気をつけろよ都督。——俺たち四十人で三日のうちにアレクサンドリアの喉ぜんぶと、おまけにあんたの喉も切って、あんたの兵隊をいつでも追い詰めとくなんて無理だとか抜かしやがんなら——」
「連中の半分は俺たちにつくぜ」と誰かが大声で言った。「連中はやっぱ、半分がた俺たちの血肉ってことよ」
「失礼ながら我が友よ、寸時も疑ってはおらんよ。自分の護る羊肉をいくらか持ち逃げするのに加担しない牧羊犬なんぞ、決してこの世では見つかるまいとは重々承知。ああ、我がいと高き閣下」とヴルフを振り返り、知ったりげに一礼した。

 ヴルフはむっつりと含み笑いをすると、客に慇懃たることについてアマールにゲルマン語で何か言った。

「ご容赦下さるだろうが、勇士たる我が友よ」とオレステスは言った。「しかし、ご親切にもお許しを得て申し上げれば、私は何だか目眩がするし、先の椿事で困惑しているようだ。これ以上ご親切につけこんでは無作法というもの。だから私が奴隷をやって属官たちを見つけさせたら——」
「いいや、神々すべてに誓って」とアマールが大声で言った。「あんたは今は俺の客——少なくとも俺の女の客なんだぜ。で、俺がもてなせるってのに、俺の家から素面で出てったやつは一人もいねえ。料理人に仕事させろ、野郎ども。都督は俺らと一緒に皇帝みてえに御馳走三昧しねえとな。好きなだけ飲んだら今夜は家まで俺らが送ってやるよ。一緒に来な、閣下。俺らは荒くれゴート族だ。けど、ヴァルキュリャにかけて、俺らの客にならんとは誰にも言わせねえぞ」
「これは素敵な脅迫だ」と言いながら、オレステスは入って行った。

「待ちな、ついでだ。おまえら誰だか、修道士を捕まえなかったか」
「ここにいるぜ、王子。肘は後ろ手で危険なし」そして憔悴した背の高い半裸の修道士が前に引き出された。

「やったぜ! そいつを連れて入れ。晩餐をあつらえる間に閣下が裁きを下して、スミッドがやつを縛り首にすりゃいい。あいつ乱闘じゃ誰もばらしてねえんだ。晩飯のこと考えてやがってな」
「誰か悪党が俺の足を一切れ咬みやがって、俺はすっ転んだんだ」とスミッド不平をならした。

「ふん、それじゃあこいつにそのつけを払わせよう。椅子を持って来い、奴隷ども。ここだ、閣下。そこに座って裁きな」
「椅子は二つだぜ」と誰かが言った。「アマールたる者、皇帝本人の前でも立ってるもんじゃねえ」
「ぜひとも、我が友よ。アマール氏と私は、分割された帝国の二人皇帝として振る舞おう。思うに、このお偉いさんは絞首刑ということで、見解の相違はほとんど無かろう」
「縛り首じゃ、こいつにゃあっさりすぎだぜ」
「一言申したいのはまさに——存続に不可欠というのではないにしろ、ローマ帝国の安定に貢献すると一般に考えられている一定の司法手続があって——」
「みなまで言うな」と誰かゴート族が喚いた。「あんたが自分で縛り首にしたきゃそうしろ。俺たちゃあんたの手間を省いてやろうと思ったんだ」
「ああ、我が素晴らしき友よ。復讐の甘美な悦楽を私から奪おうというのかね。明日、少なくとも四時間はかけてこの敬虔な殉教者を殺すつもりなんだ。拷問の始めから終りまで、こやつには考える時間が十分あるだろう」
「聞いたか、修道士先生」と、スミッドは修道士の顎を撫でながら言ったのだが、一党の残りの者らは一件はすべて結構な冗談だと思っているらしく、都督とその犠牲者の両方を相当あからさまに笑い者にしていた。

「その人殺しが言ったのだ。私は殉教者だとな」と、修道士は強情な声音で答えた。
「そうなるにはたっぷり時間がかかるだろうな」
「死は長い。だが栄光は不滅だ」
「真理だな。忘れていたよ。その栄光はできれば一二年、おまえのためにとっておこう。私を石で撃ったのだ誰だ」

 答えは無かった。

「言え。そうすれば、そいつが私の警士の手に落ちた暁には、おまえを免罪放免してやろう」

 修道士は笑った。「赦免だと。天上の喜びを、神を愛する者のために神が用意して下さった語りえぬものを、私に赦免するだって? 虐殺の暴君め。私が汝を、第二のディオクレティアヌスを撃ったのだ——私が石を投げたのさ——この私、アンモニウスがな。あの石がなんとしても汝シセラケニ人ヤエルの釘のごとく打ち倒しておれば!」
「それはありがとう、我が友よ。勇士諸君、葡萄酒用の地下蔵があるなら修道士用のもお持ちだろうね。今夜はこの英雄の歌う賛美歌で君たちにご厄介をかけさせていただくとして、明朝私の属官をこの男を呼びに遣ろう」
「俺たちが寝てるときにこいつが吠えやがったら、明日の朝あんたの手下が見つけるのは、こいつのほんのお余りってことなるだろうよ」とアマールは言った。「けど奴隷どもが来たぜ。晩餐の知らせだ」
「待ってくれ」とオレステスは言った。「もう一件、貸借精算があるんだ——あの若い哲学者君だよ」
「おう、あいつも入るところだ。請け合うが、あいつは生涯いっぺんも酔っ払ったこと無えぞ。哀れなやつよ。酔いを覚えるには良い頃合だ」そしてアマールは気のいい熊のような手をピラモンの肩に置き、ピラモンはまごついて尻込みし、哀れっぽいまなざしでヴルフを見た。

 ヴルフは首を振ってそれに応え、それがピラモンに、口ごもりながらも丁重に辞退する勇気を与えた。アマールは再び回廊に鳴り響く誓いを述べて、重い手でそっとひと押ししてピラモンを中庭の中ほどまでよろめき出させた。だがヴルフは異議を唱えた。

「その小僧はわしのもんだぞ、王子。そいつは飲んだくれではないし、飲んだくれにする気もわしには無い。まったく」と、彼は声をひそめて言い添えた。「他の連中にも同じことを言えればな。そっちのが済んだら、ここにわしらの飯を届けてくれ。羊を半分やそこらわしらで分けよう。そいつを流し込むぶんだけで、やたら強い酒はもう結構。スミッドがわしの適量を知っとる」
「いったいぜんたい、あんたなんで来ねえんだ」
「二時間もせんうちに暴徒はまた扉を破ろうとするぞ。誰か見張りに立たにゃならんが、そいつは酒や女の口づけで耳をだめにせんやつが良かろうて。小僧はわしとここにおろうよ」

 そうして一党は入って行き、ヴルフとピラモンだけが広間の外に残った。

 二人は半時間やそこらお互いを盗み見ながら座って、おそらくどちらも相手が何を考えているのかといぶかしんだが甲斐もなかった。ピラモンは姉のことで心がいっぱいだったが、それでも、傷のある日焼けした老戦士の顔貌に漂う深い悲哀の気配には気づかずにはいられなかった。初めて出会ったときにピラモンの注意を引いた険しさが、今は慢性的な憂鬱に変わっているようだ。口許や目の周りの皺はますます深く鋭くなっていた。何か絶えざる憤りのようなものが、しかめた眉や突き出した上唇にくすぶって見えた。彼は両手に顎を乗せたり、また戦斧の柄に手を戻したりしながら、半時間ほど黙ってじっと座っていたが、杯や皿の鳴る音を聞いては静かに冷笑し、明らかに深く考えこんでいた。

 ピラモンはヴルフの年齢にも、また重々しい悲哀にも非常に敬意を抱いていたので、沈黙を破りはしなかった。だがついに、常より騒々しいどっとしたさんざめきが、ヴルフを揺り起こした。

「あれをどう言う?」と、彼はギリシャ語で言った。

「愚かな虚しい栄えです」
「あの人は、ほれ——アルルーナは——どうだ。あの女予言者は何と呼ぶかな」
「誰のことを仰ってるんですか?」
「なんだ、今朝わしらが話を聞きに行ったギリシャ女だろうが」
「愚かな虚しい栄えだと」
「それならなんであの人は、ほれあのローマの理髪師を矯められんのだ」

 ピラモンは沈黙した——「ほんとうにどうしてだろう?」
「あの人がなんぼかでも矯められると思うか?」
「何をです?」
「酔っ払うては力も誉れも台なしにして、我が手で勝ちえた宝を美衣美食だのくだらん女だのに使っちまうこととかだ」
「あのかたご自身がまったく純粋ですし、お言葉を聞く者すべてに純潔を唱導なさいます」
「唱導なんぞ糞くらえだ。わしはこいつらに四ヶ月も説いてきたんだぞ」
「だふんあのかたは何かもっと有効な議論をされるでしょう——もしかすると——」
「分かっとる。あの人みたいな綺麗な血肉だったら、聞いてもくれようさ。わしみたいに頭の割れた文句たれの年寄りは老いぼれ呼ばわりでもな。んん? そうだ、そういうもんだ」

 長い沈黙が続いた。

「あれは偉大な女人だ。女は大勢見てきたが、あんな人は見たことが無い。ヴェーザー川の中洲には女予言者が住んどってな——その人を見ると、その女が一言も言わんうちから、その足元に四つん這いで這い寄って、『さあさあ踏みつけて下され。おみ足を拭う値打ちもないが』なんぞと言いとうてたまらんのよ。ぎょうさんの戦士がそういうことをしおった……もしかしたら、これまでならわし自らがやったかも知れん。……この女人は不思議なほどあの人に似とるんだ。あの人は王子の奥方になろうものを」

 ピラモンはぎょっとした。どんな新たな感情だったのだろうか、その考えに彼がこれほど憤るとは。

「綺麗だと? 魂の無い体が何だ。智慧が無くて何の器量、みさおが無くて何の器量だ。けだものめ。阿呆めが。豚どもがみんなやっとるみたいに泥の中を転げ回りおって」
美はしき婦のつつしみなきは金の環の豕の鼻にあるが如し
「誰の言葉だ」
「ソロモンです。イスラエル王の」
「そいつは聞いたことが無いが、そんなことを言う奴ならまさにサガ謡いだな。そしてあの人は清らの乙女。違いなかろう」
「しみひとつありませんよ。まるで」——聖母のように、とピラモンは言いかけたが、はっと言葉を抑えた。この言葉には悲しい思い出があった。

 ヴルフはしばらく黙って座り、ピラモンのほうは、人生には意味があると思える唯一の新たな目標へとただちに考えを戻した。……つまり、姉を見つけるという目標に。その考え一つがほんの数時間で少年を成熟させ、男へと変えたのである。今までの彼は風の前の木の葉、新奇な印象にいちいち操られる人形にすぎなかったが、柔らかな足枷をして何か月も彼を導いてきた状況は今や不倶戴天の敵と化しており、活力と狡猾さのすべて、人間や社会に関する彼の無いに等しい知識すべてが、明敏不屈にこの新たな大義の戦いに向かって高まっていた。今やヴルフは、もはや驚嘆すべき傑物というより利用すべき道具だった。ペラギアの存在について彼がこぼした不平自体が切れ切れの仄めかしとなって、少年ににわかに希望を吹き込んだのである。彼女を喜んで連れ去るであろう人物の存在を、ピラモンは慎重に仄めかしはじめた。ヴルフはその考えに跳びついて探りを入れながらそれに応え、やがてピラモンははっきり話したほうが利口だと気づいて、この朝の一切の出来事やアルセニウスが明らかにしかけた謎を率直にヴルフに語る次第となった。それからないまぜになった歓喜と恐怖に身震いする五分もの間、ヴルフはじれじれとその件を思い巡らした後、答えた——

「で、当のペラギアがおまえの姉だったらどうなんだ」

 ピラモンが何やらかっとした様子で答えだすと、老人はそれを制止して矯めつ眇めつじっくりと彼を眺めた——

「何しろな、文無しの若い坊主がカエサルの酒杯から飲んどる女、王女方がありがたく分けあってきた——すぐにまた分けあうことになろうが——そういう場を占めとる女の身内だと言い張ったところでだ、そうだとするとつまりな、爺ってもんは人が好すぎて見るなりぜんぶ嘘だとは言えんとしても、この若い坊主は身のためってもんに片目くらいは目配りしとるんだろうかと案じずにはおれんのよ、ん?」
「身のためですって」と哀れなピラモンは大声をあげて立ち上がった。「良き神よ! この地上に何の生き甲斐があり得るんです。この醜行から敬虔と神聖へと彼女を救うほかに」

 彼はまずいところに触れたのだった。

「醜行だと? 忌ま忌ましいエジプト人奴隷めが」と、今度は大公が大声をあげて立ち上がり、激情で真っ赤になって、頭上にかかっていた鞭を握った。「醜行だと? まるであの女が、それにおまえも、アマールたる者のおみ足を洗わせていただけるとは身の幸せよと思う義理は無えみたいに」
「ああ、許して下さい」と、ピラモンは不用意な発言の結果に脅えながら言った。「ですけどお忘れです——お忘れですよ。彼女は彼と結婚していないんですよ」
「アマールと結婚だと。解放奴隷の女がか。ならん。フレイヤよ感謝します。あいつは少なくともそこまで堕ちてはおらんし、そんなことはさせん。たとえあの阿魔を我が手で殺ってでもだ。解放奴隷の女なんぞ!」

 哀れなピラモン。まさにこの朝に彼は、おまえは奴隷だと言われたのである。彼は手で顔を覆うと、どっと涙にかきくれた。

「どうした、どうした」と、激していた戦士はとたんに態度を和らげた。「女の涙はかまわんが、何でだか、男を泣かすのは辛抱できたことが無い。おまえが落ち着いて、ふだんのお行儀になるまでこの話はもう止そうな。だからな、もう泣くな。もういい、もういい。ほら、飯が来たぞ。わしはロケみたいに腹ぺこだ」

 そしてヴルフは「森の灰色の獣」というその名のとおりにがつがつ食べはじめ、荒っぽくも温かいやりかたで、意にも胃にも背くほどピラモンにもむさぼるように強いたのだった。

「さて、気分が良うなったぞ」としまいにヴルフは言った。「こんな忌ま忌ましいとこでは、食うよりほかにはすることも無い。戦いも狩も無し。女なんぞ大嫌いだし、向こうもわしを嫌うとる。まったく嫌でないものなんぞ、わしは知らん。食うのと歌うのは別だがな。それも今は、あの娘どもの女々しい琴や笛のせいで、威勢のいい本当の戦いの歌を誰も聴こうとせん。ほれ今だって連中ときたら、朝霧の中の椋鳥の群れみたいに、みんな一緒にぎゃあぎゃあ、きゃあきゃあ喚いてやがる。わしらも歌って騒ぎを紛らそう」そして彼はぎこちない身振りを添えて、低い調子の声で荒々しくも豊かな旋律を歌いはじめた。歌詞が描いたのはこんな場面だった——

へら鹿が一頭、松の森を見渡した
東を嗅ぎ、西を嗅ぐ
ひっそり静かに

角とたてがみに雪がいっぱい
俺は弓に矢をつがう
ひっそり静かに

そこで声を急かせ、彼の顔は荒々しい興奮にすっかり燃えたった——

弓は鳴り、矢が飛ぶ
矢は平たい角を貫きに貫いた
やあやあやったり

森の狼さながらに鹿の喉に跳びかかり
湯気立つ血に手を温める
やあやあやったり

 そして、壁から壁へと響いて屋根までとどろく叫びをあげて、ヴルフが狂ったような野蛮な身振りで足に飛びかかってきたので、ピラモンは跳び退った。だが高ぶりはすぐに醒め、ヴルフは座り直すと独り笑いをした。

「ほれ——これが戦士の歌ってもんだ。古い血をもう一度巡らせよる。だが、こんな放蕩の坩堝といった体たらくでは——男らしさも勇ましさも金も何もかも、誰も保てやせん。神々よ、わしが初めてあれを目にしたあの日を呪われよ!」

 ピラモンは何も言わず、いつものヴルフのぴりぴりした寡黙さや厳めしい自制に似合わぬ感情の発露にただただ仰天し、神霊憑依の実例かと思って身震いした。特にこういう蛮族が取り憑かれるものだと、キリスト教徒や新プラトン派は考えていたのである。だがまだ恐怖は極みには達していなかった。というのも次の瞬間、女たちの中庭の扉がぱっと開き、ヴルフの叫びに惹かれて酒神バッコスの信徒の一団がみな溢れ出したからである。その真ん中には花冠を戴いたオレステスもおり、酒杯を手にしてよろめくアマールとペラギアに導かれていた。

「いたいた、我が哲学者、救い主、守護聖人が」と彼はしゃっくりをした。「彼を連れてきたまえ、我が腕に。彼の愛らしい首をインドの真珠と蛮地の黄金で囲もう」
「お願いです、逃がして下さい」と、一団が殺到するや彼はヴルフに囁いた。ヴルフはすぐに扉を開け、ピラモンはそこから走り出た。出ざまに老人は手を差し出した——

「また会いに来い、ぼうず。わしだけにな。古つわものはおまえに悪うはせん」

 声の調子は優しく目の光も柔らかかったので、ピラモンはそうすると誓うことになった。逃げしなに振り向いて門口から見ると、ゴート族と娘たちが目まぐるしくくるくる回って、狂ったように中庭じゅうを旋回しながら太古のテウト族の円舞をしているのがちょうど見えた。頭上高く掲げたアマールの逞しい腕の中でペラギアの美しい姿がひるがえり、流れる髪から宝石を振り飛ばしては薔薇で身を飾った踊り子たちに浴びせていた。あれが姉かも知れないのだ。彼は顔を伏せて逃げ去り、門が閉じて乱痴気騒ぎを我が目から隠した。我々も彼らの話は終いにする潮時である。

 四時間ほど過ぎた。乱痴気騒ぎをしていた連中が酒をくらって眠り込み、明るく輝く月が中庭じゅうを照らす頃、ヴルフが大きな酒壷を抱えて現われ、各々の手に杯を持ってスミッドがあとに続いた。

「こっちだ相棒。真ん中に出て、夜気の中で一息入れよう。阿呆どもはみんな寝とるか」
「お母ちゃん子はみんなな。ああ、あの部屋のあとじゃ、ここは清々しいな。みんなが俺たちみたいな頭を持って生まれて来ねえってのは、何とも悲しいもんだぜ」
「悲しいことだ、まったく」と、ヴルフは杯を満たしながら言った。

「こんな暮しであいつらが失っとる生きる悦びってのが、どんだけ多いか。ほれ、あいつら豚みてえにいびきをかいてやがる。さて、ともかくこの壷は俺とあんたで空けちまうがいいや」
「空けちまっても話が終らなんだら、それからもうひと壷だ」
「何でえ、戦評定でもおっ始める気か」
「おまえ次第だ。まあ考えてくれ、スミッド。誰もあてにならんとしても、おまえは頼りになると思うとるんだ」
「ふん」と、杯を下ろしながらスミッドは無愛想に言った。「妙なお尋ねだぜ、あんたのそばで二十五年も、ヴェーゼルとアレクサンドリアの間の土地をどこもかしこも進撃したり、飢えさせたり、掠奪したり、征服したり、散々やっつけてきた男に訊くとはな」
「わしは老いぼれてきたらしくてな、誰も彼も胡散臭う思える。だがよう聞いてくれ。酒とむかつきの合間に終らせんといかんし。おまえ、あのアルルーナの女を見ただろう」
「もちろんだ」
「で、どうだ」
「どうって?」
「何だ、あの人は誰かの奥方になるべきだと思わんかったのか」
「ん?」
「だから、わしらのアマールのに決っとろうが」
「そりゃ、あの女のことだがあいつにも関わるし、俺たちのことだがあの女のでもある」
「あの人が? オージンの息子の奥方になるとは身に余る光栄としか思わんに決っとろうが。あの人がプラキディアよりも選り好み屋になるってか」
「皇帝の娘に十分なものなら、あの女にも申しぶん無かろうさ」
「申しぶん無いだと。アタウルフはバルト人にすぎんが、アマラリックは純血のアマール族——父方も母方もオージンの息子だぞ」
「あの女、そういうこと分かるかな。俺には何とも」
「それならわしらが分からせてやるまでだ。何であの人を連れ出して、否応無しにでもアマールと娶わせんのだ。一週間もすればあいつが気に入るだろうに。わしが請け合うぞ」
「だけどそうするにゃ、ペラギアがよ」
「ならあの女は放り出せ」
「無理だ」
「それは今朝の話。向こう一週間でそうではなくなるやも知れん。聞こえたんだが、そうなりそうな約束が今夜できたんだ。わしらも知っとる哀れにも正気をなくした野郎に、ゴート魂が残っとるならな」
「おう、あいつはまったく正気よ。心配すんな。けど、どんな約束だった?」
「時が来るまで言う気はない。わしは己が民や神々の血筋の恥になる男にはなりとうない。だが、あの酔っ払いの都督がそいつを覚えておれば——思い出させてやろうぞ。それにだ。今夜ここに来た修道士の小僧な——」
「ああ、何とも無駄によう育った野郎な」
「疑わしいどころじゃなかったが——もしあいつの話が本当なら、わしも疑っとるなんてもんじゃないが——ペラギアはあいつの姉らしいぞ」
「あいつの姉ちゃんとな! だがそれでどうなる」
「もちろん、あいつはペラギアを連れ出して尼にしたがっとる」
「あんた、あいつにそんなことさせやしなかっただろうな? あの哀れな子に」
「邪魔する者は倒すべしだ、スミッド。そいつらには悪いがな。だがこのヴルフ爺、人だろうと獣だろうと邪魔立てさせたことは無いし、これからもありはせん」
「つまるとこ、あのあばずれにはそれが相応だろうな。けどアマラリックは?」
「去る者は日々に疎し、よ」
「けど、都督があの娘と一緒になるつもりだって話だぜ」
「やつが? あの香水ぷんぷんの猿公が? あの人がそんな情けないことになるものか」
「だけど都督はその気だし、あの女もその気だ。街中がそう言ってる。まずはやつを始末せにゃならんぞ」
「よかろうが。楽なことだし、アレクサンドリアにとってもいい厄介払いよ。だがやつを殺ったら街も手にせにゃならんが、それだけの人手があるもんだろうか」
「近衛兵どもは俺たちの側につくかも知れんな。あんたが良けりゃ、明日、兵舎に行って試してみるが。俺はもう、連中の大勢といい仲間になってんだ。けど結局、ヴルフ大公よ——もちろんあんたはいつでも正しいよ。それは俺たちみんな分かってる——けどさ、このヒュパティアってのをアマールと娶わせて何の得になるんだ」
「得?」と言ってヴルフは杯を歩廊に打ち付けるように置いた。「得だと。この、頬袋に詰め込むことしか考えん半盲の老いぼれ地鼠野郎め。——あいつみたいな勇者に似合いの奥方をあてがうんだぞ。何にせよ、あいつを酔わせる代りに素面する奥方、愚かにする代わりに賢くする奥方、怠ける代りに気力一杯にする奥方を。——わしらのためになるよう金持ち連中を牛耳り、わしらにここを支配させ、わしらが力を得た暁には、それを脅かす者をわしらに示せる奥方をな。どうよ、こんな二人がアレクサンドリアを支配すれば、わしらは三月でアフリカの主。スペインにヴェンデルどもを呼びにやって、カルタゴにけしかけるんだ。アドリア海には長髭どもを呼びにやって、五大都市に上陸させる。わしらは誰も亡くさずに沿岸を一切合切さらうことになるぞ。あのヘラクリアヌスって阿呆のローマ遠征のおかげで騎兵隊はへとへとだからな。ヴェンデルどもと長髭どもに、ここアレクサンドリアで手を握らせる。沿岸から奴らの分け前をくじ引きで取らせて、それから——」
「それから何だ?」
「決っとろうが。アフリカを平らげたらもちろん、選り抜きの勇士の一団を呼び集めてアースガルスに向って南進するんだ——今度はあの紅海に挑むぞ——そうしてオージンの御尊顔を拝するか、さも無くばオージンを求めて死ぬかだ」
「おお」とスミッドは呻いた。「あんたは俺も来ると踏んでるだろ。道半ばで止めたりせんで、象や龍の間に落ち着くんだって。さてさて、賢者は荒地に似たり。——あんたは好きなだけ手堅い土地を進んで、しまいにゃ本当に、柔らかい地に着くのさ。けど、明日は近衛兵の所に行ってくるよ。頭が痛くなけりゃな」
「ならわしはペラギアの件で小僧に会おう。わしらの企みに乾杯だ!」

 そして頭の堅固な老人二人は、星々が薄れて、回廊の東側の影が夜明けの光にかき消されるまで飲み続けた。

最終更新日: 2006年11月3日   連絡先: suzuri@mbb.nifty.com