小幡氏菩提寺宝積寺

 宝積寺は小幡氏の菩提寺であり、多くの言い伝えを伝えています。小幡氏の祖氏行から 12 代後の小幡実高が 1450 年に菩提寺とした。

 小幡信貞の妾で「お菊」という美しく聡明な女性がいた。信貞が非常に寵愛したため、信貞の留守中に無罪の罪に陥れられた。その助命に走ったのが宝積寺の住職・魯岳大和尚であったが、嘆願むなしく刑は執行された。日野村 (藤岡市) 小柏源助がお菊を助け出したが、時すでに遅く息絶えてしまった。その後、小幡氏も滅び、この地方に災害が続いたため、何度と無く供養が行われた。当「菊女観世音菩薩」は 1768 年に大権現として祀り、「共に喜び共に悲しむお菊様」として祀られている。

 小幡氏歴代の墓。小幡氏は古来甘楽町一体を領した豪族で、氏行を祖とする。中世末に国峰城主となるが、1590 年に落城後はこの地から姿を消した。

 1822 年四月に、氏行二十五世の小幡龍蟄 (信州松代藩士) が祖先の墓石と認定して、「小幡家歴代之墓所」と刻んだ添え碑を立てている。

 「幡氏旧領弁録」は、安政六年に小幡龍蟄が小幡の古跡を訪ねて関係故老に聞き記したものである。元本は御子孫である小幡氏に保存されている。

 13 代播磨守顕高以外はほとんど確認でき無くなっている。

 織田信長公系譜、織田宗家七代の墓。1615 年に織田氏の所領となり、以来 150 年にわたり小幡を治めてきた。初代信雄から七代信富までの墓が崇福寺の旧境内にあります。

信長-信雄-信良-信昌-信久-信就-信右-信富-信邦

前のページ

Map へ戻る!

次のページ

国峰城

井伊家と高崎城

富岡

赤備え Top

バーチャルシリーズ