設楽原遠征日記 4 (2000/5/3)

ついに来ました。真田信綱、昌輝のお墓!七文会の名にかけて、ここははずせませんでした。戦場考にもありますが、泣けます。

真田信綱公、昌輝公の墓の説明文。金子藷山の「戦場考」設楽郡富永庄浅木村三子山の最東端の山麓に、真田一族の墓ありけるを訪れたれば、果たして上手の段に土饅頭へいばらのまつわりもせで掃き清めて、小さき川石に「真田源太左衛門尉信綱之墓」と刻し、なお一つの石には「真田兵部丞昌輝之墓」と堀てあれば、その下手にの段にはやはり、川石に「禰津甚平是広之墓」と彫り入れ、また一個の石には「鎌原筑前守之綱、常田図書春清之墓」と彫り込みたるを読み下すのに涙のたねにぞありける。

真田信綱公、昌輝公の墓右に信綱、左に昌輝の字が書いてあります。ご存じ真田幸隆公の長子、次子にてございます。真田隊は上州勢を引き連れ設楽原に布陣し、馬場美濃守、土屋右衛門尉らとともに右翼を受け持った。馬場美濃が采配を取り、お互い連絡を密にしていたことが日本戦史に書かれている。連合軍柴田、羽柴隊が迂回して側面を攻撃したため、苦戦し退却、相相互して戦死。兵数が半分の武田軍としては、側面に気を配る余裕がなかったものと思われる。

左から禰津甚平是広、常田図書春清、鎌原筑前守之綱の墓。禰津氏は小県郡禰津の豪族。常田氏は信綱の叔父。

新城市設楽原歴史資料館のスタンプ。

鉄砲を持った武者がかわいらしいです。設楽原巡りの中心地!

 設楽原を四時間かけて歩き回りました。カメラのフィルムが切れてしまい、内藤、浅利、原のお墓の写真は載せれませんでした。このあと、電車で長篠、鳥居に向かいました。超多忙スケジュール!もうくたくたでした。

3 小幡信貞の墓

4 山県昌景陣跡

6 土屋昌次の戦死の地

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