古レール調査日誌

1st wrote at 2000.7.1
 こちらには、古レールを調べながら見たこと、感じたことを雑記的(日記的)に書いていこうと思います。リンクを多数貼りましたが、それぞれ無理に辿る必要はありません。気になった時に押していただけると、関連する情報に辿り着けるかもしれません。

 おもてのページは、おもいっきり、真面目に徹してしまいましたので、ここは、息抜きのようなものです(最近は闘病日記と仕事の愚痴ばかり?)。反面、おもてのページに反映しきれない最新情報が埋もれているかもしれません。
 最近は、数ヶ月分くらい溜め込んでは、時間を逆登って書くことが多くなってしまっており、ほとんど小学生の夏休みの日記状態です (^_^;>。

 各リンクについては、雑記という性格上、古いものを修正していくつもりはありませんので、リンク切れがあるかもしれません。あらかじめ、ご了承ください。

ここは、まだ2005年です。


入院へ【6月30日(木)】

 6月23日(木)より、出社不能に陥りました(新しい薬の副作用もあり?)。
 当然、通院もできません。何度も予約をすっぽかしました。先生に怒られながら無理矢理予約を取ってもらって、今日ようやく病院へ行けました。
 この間の状態を報告し、先生に入院させてくれと懇願しました。懇願はあっさり通りましたが、ベッドがいっぱいで、入院は7月5日からとのこと。しばらく自宅待機となります。入院は2週間の予定です。

 事態を会社へ報告。しばらく出社出来ないことを伝えるとともに、休職(3度目か……。ちなみに2度目最初)のお願いをしました。少なくとも涼しくなるまでは休んだ方が良い(2度目と一緒)と思っています。
 相手には選択枝の残っていない通告になってしまいました。また、やりかけだった仕事は途中放棄と言うか、職務放棄と言うか、時代が時代なら銃殺刑ものです。


坑うつ剤変更【6月15日(木)】

 茨城の現場2ndラウンドから帰ってきて2週間。体調は4月とほぼ同様です。そもそも、春から夏に掛けてが毎年鬼門です。突然やってくる妙に暑い日のたびに調子を崩します。今年も同様でした。

 この状況を鑑みて、坑うつ剤が変更になりました。これまで飲んでいたパキシルから、デプロメールという薬に換わりました。パキシルの飲み始めの時は慣れるまで1月ほど慣れなくて苦労しましたが、今回も不安です。先生は副作用など無いと言いますが……。
 それから、先生から入院の提案を受けました。今、手の離せない仕事もあり、魅力的な提案ですが受ける訳には行かないと考えています。


現場、本当に終了【5月31日(火)】

 茨城の現場2ndラウンドが終了しました。流石に次は無いよね?
 体はなんとか持ち堪えたかな。3月の時よりは余力を残しているような気がしています。


壊れる壊れる【5月13日(金)】

 5月9日(月)から、茨城の現場2ndラウンドに入りました。義務と責任感だけを糧に、堅く絞った雑巾から更に水を絞り出すようにして、何とか頑張っています。

 会社や客先との連絡や、毎日の報告をメールで送るために使っていた、会社支給の携帯電話を水に落としました。乾かせば使えると聞いていたので、十分乾かしてから電源を入れたら復活しました。と思ったら、数分後に電源が落ちました。同様の症状は繰返し見られました。乾燥が足りないのかと思って、車のダッシュボードに置いて乾かしたら、完全に死にました。急遽、代わりの携帯を準備しようと奔走したのですが、この地では新規契約はできても、交換は出来ないとのことでした。仕方無いので、私用の携帯電話を代わりに使っています。電話代請求出来ないだろうなぁ。

 また、現場で腕時計が壊れました。学生時代から20年使っている時計です。日付表示が回らなくなりました。いろいろ相次いで壊れると、精神を消耗しますね。辛いです。


地獄【4月25日(月)】

 先日客先から連絡があって、茨城の現場で追加調査(調査出来ない予定のところも可となった)が入りました。今日はその打合せで、出張しています。
 客先からは、GW明けには現地入りして欲しいとの連絡を受けました。納期から考えても、これは妥当でしょう。逆算すると、GWはカレンダー通りの勤務とならざるを得ないようです。GWぶち抜きの10連休で体調を回復させるつもりでしたが、オジャンになりました。
 今回は社内的に人的余裕がありますが、契約上の制約から、やはり私が行かざるを得ないようです。もう行きたくないないよぉ〜。
 前回の経験から行くと、今回は2週間で終わるかな。なるべく体力温存の方針で乗り越えたいと思います。

 話は替わりますが、出張中の車中(レンタカー)、とんでもない事故のニュースが飛び込んできました。かなり地獄のような状況らしいです。これについては、落ち着いたら書きたいと思います。


壊れてる?【4月22日(金)】

 あぁ、もうダメです。朝起きられません。やる気が出ません。体が重いです。頭が痛いですが、沈痛剤を連続的に飲んでいるので、もう効きません。
 20日から3日間、会社を休んでしまいました。茨城の現場から帰ってきてから、体が変調を来して言うことをききません。現場で早起きだったり、睡眠不足だったりした反動が出ているようで、体内時計が完全に狂ってしまったようなイメージです。4月の休みは、これで6日にも及んでしまいました。
 上司から電話が掛かってきて、急ぎの用事らしいのですが、体が起こせません。どうしよう?

4月25日補遺 結局、23日に休日出勤して、上司と打合せして、資料を作りました。ご迷惑をおかけして、本当にスミマセン。


現場引き上げ【3月23日(水)】

 茨城の現場が終わりました。当初計画では、もう少し調査の予定があったのですが、諸事情でこれは調査ができないようです。とりあえず現場は終わったかな。
 もう、ボロボロです。うちの会社の終業規則では2週間以内の休日勤務は代休が取れるので、明日、あさってと休ませてもらって、体力の回復に努めたいと思います。


うつ病再発 !?【3月16日(水)】

 茨城の現場にいます。
 対応に至らないことや失敗が、同じ日に2つ続いてしまって、携帯電話ごしに上司にこっぴどく叱られました。満充電だった携帯電話の電池が放電寸前になるまで......。

 叱られている最中は、何とか立っているのが必死で、気が遠くなっていくなるのを必死で堪えていました。ここから逃れられるなら死んでもいいとか考えてしまいました。もしここが駅のプラットホームだったら、間違いなく線(以下、過激につき自粛)。電話が終わって、立っていられなくて、本気で救急車を呼んでもらおうと思いました。でも現場で救急車を呼んだら事故扱いになってしまって、さらに話が面倒なことになってしまう恐れがあって、これはやめました。

 その後、叱られて気が沈むというより、体中が変調を来してしまいました。まず、体中の筋肉に力が入らないんですね、階段とか登れない (^_^;。食欲はまったくなしなど。自分がうつ病であるという事実を再認識しました。これだけの症状だと、即入院コースでしょうね。救急車呼んだほうが良かったのか、悪かったのか。

 うつ病ってのは、「脳の骨折」と言われています。脳の負担を軽くしてやるなどの処置で、折れたところは元どおり繋がるから。でも、今日の出来ごとは繋がりかけた骨をまた折ってしまったかな?。

20日補遺:あの日以降、医者と相談して減らしていた坑うつ剤を減らす前の処方で飲んだり、睡眠時間が少しでも長くなるよう工夫していたら、体中の不調や沈んだ気分は取れました。とりあえず、大事には至らなかったようです。ここに書いて告白するのも、対応策の一つかな。


疲れています【3月6日(日)】

 まぁ、毎年同じことを書いているような気もしなくはないですが、疲れています。茨城の現場に貼り付いて3週間、北海道の時も3週間目あたりが辛かったと記憶していますので、この辺がヤマなのでしょう。

 九州ブルトレの削減なんてニュースも影響しているかもしれませんが、猛烈な喪失感に襲われています。月曜日の朝から現場に出るため、月曜は早朝出発。土曜に現場の仕事を終えて、帰ってくる途中に会社に立ち寄り、現場で出来ないデスクワークをこなし、日曜になってから帰ってくるという生活パターンです。日曜日は何もする気が起きませんし、平日の反動でが出ます。仕事以外何も進まないというのが、喪失感の原因のようです。
 そう言えば、北海道の時も帰ってきてから喪失感にさいなまれましたが、この手の仕事はそういうものなのかもしれません。もっとも、会社にいても、深夜帰宅が多くなるこの時期は、喪失感は大なり小なりはありましたので、今やっている仕事が悪いとも一概に言えないかもしれません。また、現場が茨城と近県である事は移動時間も小さく、好条件であると考えるべきなのかもしれません。


さくら散る【2月28日(月)】

 東京−九州の夜行列車が今日限りで大幅削減されるようです。茨城に出張中の私にとっては、見送りに行けるわけでもなく、さくら,あさかぜの廃止と言われても実感が湧きません。

 そもそも、私が鉄道に興味を持ったのは、世に言う「ブルートレイン・ブーム」の時のことです。東海道本線沿線とは言え、関西地区に住んでいた私にとって、ブルートレインは、深夜に通過する列車でお目にかかる機会のない、あこがれ感も大きい存在でした。それだけに、今回の削減は悲しむべきことではあるのですが......。

 父が国鉄勤めであったこともありますが、ブルートレインを含める夜行列車というと、彗星,金星(電車)に乗車しています。就職してからは知人と、はくつる,鳥海に乗車しています。東京発の九州ブルトレには縁がありませんでしたねぇ。
 私自信、九州出張は飛行機+博多のホテルという組み合せを何度か使ったことがあり、ブルトレとは縁遠かったですから、廃止と言うのもしかたなく思えます。


私じゃなきゃいけませんか?【2月14日(月)】

 私のうつ病を悪化させた直接の原因は、北海道での出張でしたが、よく似た人間関係で、よく似た仕事を、同じように現地長期滞留で担当することになりました。今度の行き先は茨城県です。明日から3月末までの予定で行ってきます。

 仕事の内容や社内の事情から、私が長期出張しなければ行けない事は、反論の余地も無い事でしたし、客先との経緯からも逃れざるを得ないようです。ただし、体調は万全ではなく(土日休+2週に1日程度はダウンしています)、通院も続けている私に、休むことが許されない現場での仕事をこなせるかどうかは不安があります。本当に私が出張しなければ行けないのかという点に関しては、ちょっと釈然としないものを感じています。

 釈然としないのは、かつての類似の仕事で体を壊してしまったことに対する恐怖感が大きいのかもしれません。今は投薬治療を受けていますし、その上ではまぁまぁ体調も保持出来ているわけですから、乗り超えるべき壁と思って、チャレンジするしか無いようです。また、北海道での失敗の経験も活かして、今度はうまくこなしたいとも思います。


星界の戦記 IV【1月22日(土)】

 1ヶ月前の話ですが、森岡浩之さんのSF小説、『星界の戦記 IV』が出ました。前回の「III」が発刊されたのが、2001年3月ですから、ファンの方は4年ほど待たされましたか......。私が「III」を読んだのは、扁桃腺炎で入院していた病院のベッドの中でしたから、私が待ったのは2年ちょっとです。この2年間、長時間移動を伴う出張の時などに旅の友として、既刊本を何度も読みかえしていました。

 星界の戦記は、最初アニメで見て興味を持ち、原作を読んで世界観にはまったという経緯です。平面宇宙理論は空想ではありますが、多くの場合「超能力* = SF」な公式が当てはまる日本の SF 界にあって、SF 度(理論的説明が行き届いている)が高い点を評価します。また、森岡氏の文体は、やや回りくどくてまどろっこしい。これは私の文章の癖に類似していて共感も感じています。

 「星界」シリーズを読んで気が付いたのですが、私は SF が好きなようです。SF アニメが好きですし、米国の SF ドラマも結構好きですね。後者で言うと、"STAR TRECK" は言うまでもなく、"STAR GATE SG-1" も最近のお気に入りです。

*) エネルギー保存の法則を適応すると、超能力を生み出すエネルギーの説明がつかない。原子核の内部で作用している微細な第3の力や第4の力までが認知されている現代物理学において、これを遥かに超えるエネルギーの別の力場の存在も認知できない。よって、超能力は非科学である。非科学なものを扱った空想科学小説(SF)というのは、定義に矛盾がある。−−と私は考える


最近の体調【1月16日(日)】

 最近、病気(体調)の話を書いていないですね。書くことがないというのは、それほど悪くなかったことが理由だからでしょう。

 10月末に復職して以降は、それでも週に1日くらいは体調(=気分?)の優れない日があって、土日と合わせると3休4働もしくは4休3働という率で、正直芳しいとは言いがたい状態でした。休んだと言っても、無理をしないでおこうといった状態のことも少なくなく、調子悪いのを押して仕事しまくって、どんどん症状を悪化させていた1年前よりは、相当改善されています。

 勝率5割では困るので、12月から処方箋で坑鬱剤が増量になりました。これはよく効きました。かなり調子良かったです。もう元に戻ったのではないかと思うくらいに。そんなことで、どれくらい無理が効くのか(=回復しているのか)を確認するため、この年末年始はスケジュールを密に立ててみました。結構クリヤーできて自信も付きました。
 ただし、ここ数日は調子を崩しました。年末年始の疲れがどっと出たみたいです。この辺が限界点でしょう。

 それにしても体調良かったと言ったって、薬の大量投与で保っているに過ぎないわけですから、あまり無理しないように注意しようと思います。


今年は正月から、げんが良い【1月1日(日)】

 新年明けましておめでとうございます。皆様にとって−−と言うより、私にとって今年こそ−−、良い年であればと願います。

 「新年は温泉地で過ごす」と突然決めた両親に引き連れられて、正月から下呂温泉に来ています。なんでも格安で宿が取れたとかですが、正月からゴージャスです。
 この計画に合わせて、私には密かに狙っていたことがありました。下呂駅の古レールです。高山線の古レールはレアものの出現比率が高く(例えば、飛騨古川)、下呂駅のホーム上屋にも「レアものに見える」古レールがまとまって使用されていることが気になっていました。場所がら調査に出向く機会も作りにくく、どうしたものかと思っていました。

 幸い、チェックインしてから夕食まで時間がありましたので、下呂駅に行ってまいりました。
 改札から入って左に曲がり、まずは1番線から調査です。......と、何だか見覚えのある古レールの刻印が見えます。脳内データベースでチェックして該当するものは......。まさか、日本最初のレールの製造元である DARLINGTON IRON の刻印に見えるではないか。そんな馬鹿な。と比較的刻印が明瞭なレールを見つけて確認します。D,A,R,I,N,G,T,O,N, ,I,R,O,N, ,C,O, ,L,I,M,D, ,7,4, ,I,R,J、確かに読めます(その後で、明瞭な刻印を発見したので、完全に確定)。まさにそのレールでした。平底レールでしたので、1878年に開業した京都−大阪間で敷設されたレールのようです。さらに驚いたのは、下呂駅のホーム上屋の部材は1番線も2,3番線も、この DARLINGTON がほとんどであったことです。

 正月そうそう、珍しいものが見れました。

PS. こりゃ、元旦で運を使い果たしたな。どう見ても。


→ これより古い調査日誌

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